肆
──四月十七日。
華琳・泉里・雪那を連れて訪れた先は王都・晶を包む外壁の向こう側。
更に、凡そ10km程離れた周囲に何も無い平野の隅にぽつんと佇む存在。
一点のくすみも汚れも無い純白と言える白亜の外観。
堂々と聳え立つ巨大な柱が出入り口の脇を飾る姿形は古代の神聖なパンテオンを思わせる造りをしている。
…まあ、他人行儀な言い方をしてはいるが、設計して建造したのは俺だけど。
ええ、そうです、意識して設計しました。
何と無く、なんだけどね。
しかし、出入り口の荘厳な装いとは真逆に他は至って簡素な外観をしている。
例えるなら…そう、豆腐。
皿に乗った冷奴を思わせる全体像からは、この建物が如何様な施設であるのかは把握出来無いだろう。
高さ12m、縦横30mの大きさをしていながらも、飾り気が無さ過ぎて。
まあ、それでも何かしらの施設であるだろう事だけは判るとは思うが。
緩やかな斜度の屋根もまた白で統一されている。
その中で、唯一出入り口の両脇に立つ二本の黒鉄柱は目を引く存在だと思う。
其処に翻るは曹と魏の字を刻まれている旗。
但し、曹旗は個人ではなく曹家を意味する物。
曹家直轄生活技術研究所。
それが目の前に有る建物の正式な名称。
宅での通称は活技研。
曹家直轄の名の通り曹家の直轄組織の一部に当たる。
その為、資金等は基本的に曹家から出されている。
だが、その技術は魏国内に用いられる為、対価報酬の形で利益の還元も有る。
国営ではないのは基本的に氣を根幹とする技術の為。
つまり、研究所の職員達は国全体から俺が選び抜いた人材のみである。
なので、国営にすると後々求人・雇用の問題が出たら面倒になる事を想定して。
また、基礎的な指導は俺が自ら行うので、専門学校や大学の様な機関は置かない事にしている。
これは人選を重視する為。
見た目には目立つが外から直接研究所の姿を見る事は出来無かったりする。
研究所を取り囲む様にして聳え立つ白堊の壁。
隔壁と同じ凹凸の全く無い白い外壁が其処に有る。
色・高さ・厚さは同様だが実は此方の方が性能的には上だったりする。
正式名称は“白堊仕様型・拡散防遮壁”という。
通称は隔壁二号。
要するに、有事の際に外に被害が及ばない様にする為設置して有る隔壁。
如何に人材を選び抜いても“研究所”である以上は、不測の事態が起きる場合は十分に考えられる。
その際には被害を最小限に抑える為に、離れた場所で厳重に隔離して造る物。
故に当然と言える。
隔壁の強度に関しては単に外的要因より研究所の方が危険度が高い為。
まあ、技術的に初期段階に有るのだから仕方が無い事なんだけどな。
だからこそ、安全の確保は過剰な位で良い。
技術研究が原因で国が滅ぶなんて本末転倒だし。
備え有れば憂い無し、だ。
曹操side──
今日は泉里・雪那と一緒に雷華に付いて活技研へ。
定期的に赴いている雷華と違って、私達は基本的には雷華から声が掛かった時に同行して来る程度。
私達が頻繁に出入りしては仕事を奪う事にもなるし、私達も仕事が疎かになると言えなくはない為。
“引退したらな”と雷華に言われてもいるし、納得も一応はしてはいる。
それが何時頃になるのかは判らないのだけれど。
荘厳な巨大な柱の間を通り出入り口の前に立つ。
すると、スシュー…と音を立てて扉は左右に分かれ、壁面へと収納される。
“自動ドア”というらしく未来の技術の一端。
当然ながら氣使用型のね。
現状、“電気”に関しては利便性よりも公害の対策を優先して検討中。
技術の発展・進歩は順序を追って然るべき。
如何に“最先端の知識”が有れど途中の試行錯誤から学ぶ事が有るという事実を忘れてはならない。
その積み重ねこそが正しく人類の叡智なのだから。
自動ドアを潜ると高さ3m・縦横5m程の部屋が有り正面に新しい扉。
背後の自動ドアが閉じると目の前の扉が開く。
此方も自動ドア。
そして、同様の部屋と扉。
三重構造の出入り口。
技術の貴重性を考慮すれば厳重な事も頷ける。
けれど、その本当の部分は有事の際に完全に隔離して被害を外に出さない為。
それ故に、この研究所自体地上部分よりも地下部分は遥かに広大な面積を持ち、その最深部は地下300mにもなる。
因みに、施設の内部構造は地上三階・地下十階。
地下部分は全面が研究所を取り囲む外壁と同様の造りをしているらしい。
それだけでも私達にすれば十分な気がするのだけれど地下部分は一階毎に分厚い隔層を設けている。
当初、研究所の説明を聞き“貴男は一体何を研究するつもりなのかしら?”、と言ってしまったのは記憶に新しい出来事で有り、私の最近の一番の驚き。
不安を抱く所を通り越して呆れてしまう辺り、私自身“染まって”しまっているのでしょうね。
尤も、それも私の雷華への信頼が有るからこそ。
国を、民を、私達を。
私利私欲で犠牲にする様な真似は絶対にしないという事を知っているから。
そうでなければ研究所自体造らせたりしないもの。
三つ目の扉を抜けた先。
其処に広がるのは何処ぞの高級“リゾートホテル”のロビーを思わせる空間。
そういった知識等は雷華が“彼方”側から持って来た書物──雑誌等から得て、私だけが知っている事。
皆には雷華の事は詳しくは話してはいない状態だから仕方が無いのだけれど…
そういった話を雷華以外と出来無い事はもどかしい。
仕方無いと判ってはいても知識欲とは単純に知るだけではなく、他者と共有してこそ満たされる物。
だから、早く話したい。
そう思ってしまう。
まあ、今少しの辛抱よね。
改めてロビーを見回す。
広々としていながらも物が無いという訳ではない。
落ち着いた雰囲気。
外側からは白い巨壁にしか見えないのに内側に入るとそれは硝子張りに変わる。
変化している訳ではなくてそういう仕様らしいわね。
所々に置かれたテーブルと椅子は何れも簡素ながらも上品な造りをしている。
一角には噴水まで有るし、彼方此方に観葉植物も。
快適な仕事場よね。
地上部分三階の内、各階の約2/3は資料室。
残りは所員達の為に色々と用意された設備。
地下一階部分には仮眠室や宿泊室も有る。
“忙しい時には帰る時間も惜しくなるからな〜”とは設計者の言葉。
けれど、以前、こっそりと訊いた現場の声は“あれは駄目です!、危険です!、二〜三日泊まったら暫くは自分の家には帰りたくなくなるんですよ!”との事。
それも大多数から。
至れり尽くせりな環境故に研究所内で“住み込み”を希望する者が多い事。
まあ、雷華に直談判したら苦笑しながら却下されたと後々聞いたけれど。
あの保養地もそうだけど、度が過ぎると駄目よね。
研究所は此処以外にも魏の各地に建造されている。
現在稼働中の研究所は全部合わせて八つ。
此処、生活技術を始めとし医療・鍛冶・環境・自然・農業・水産業、そして少し特殊な総合学術研究所。
実は生活技術研究所は此処以外にも建造中。
大きく三部門に分けた上で専門的に進める予定。
…聞いた話では、だけど。
氣を使う宅で、医療技術の必要性には懐疑的な意見も当初は出ていた。
けれど、伝染病の類いには雷華や私達妻並の氣の量と技量を必要とする。
その為、より大きくの者が使用可能な技術や対処法の必要性を雷華が説いた。
それは特権階級の為だけの医療ではなく、国民全ての為の医療を根幹とする為。
雷華曰く、“何処かに居る誰かさんの理想の一つだ”という事らしいわね。
私達が来たからだろう。
少し緊張感の有るロビー。
その中を一人、静かに歩き此方に遣って来る者。
「当研究所へ、ようこそ」
私達の前で立ち止まると、丁寧に挨拶をする女性。
当然、知っている。
何しろ、彼女は雷華が来る以前からの古参の一人。
陳長文だったりする。
「今日は宜しくな、奈々」
「はい、雷華様」
そう、雷華と笑顔で言葉を交わしている彼女。
今の二人の会話で判る様に彼女も今は妻の一人。
生活技術“第一”研究所・初代所長が彼女の役職。
まあ、当然と言うべきか。
研究所自体が重要な上に、扱う情報も最重要機密。
私達妻並の実力を持たない者では務まらない。
将来的には引き継ぐけれど当面は最重要な役職は私達妻が担う事になる。
「では、此方へどうぞ」
奈々に先導され向かうのは移動に使う“自動昇降機”──“エレベーター”と、呼ばれる装置。
その扉の前。
高層階の建物の多い時代に必要不可欠な物だとか。
…上に昇る分には、氣でも十分な気がするのよね。
何と無しに呟いたら雷華が苦笑していた。
“俺の事、非常識と言えないと思うぞ?”との視線に思わず顔を逸らしてしまった事は懐かしい。
…忘れさせて頂戴。
…チンッ!、と鈴が鳴ると扉がゆっくりと開く。
中は縦横2m、高さ3mの直方体の空間。
人が入るには十分な広さ。
因みに、物質搬入用の物が別途用意されている。
其方らは大きさが段違い。
避難用でも有る為。
私達が入り終えると奈々が扉を閉め、行き先の階数を指定する“釦”を押す。
何も知らないままに此方に来た者は大抵が驚き過ぎて此方を帰る頃には精神的に疲れ果てている。
ええ、私達でさえ興奮より疲労の方が強かったわ。
その私達を笑顔で見ている雷華が楽しそうだったのは生涯忘れないわ。
いつか絶対に、仕返ししてあげるんだから。
「…それにしても、此処は相変わらずね
来る度に驚かされるわ」
「研究自体が初期段階だし変わるのは当然と言えるが偏に皆の研鑽の成果だな
日々進歩してる証だ」
「そう言って頂けると皆も喜ぶと思います」
そんな笑顔での会話。
本当、慣れって怖いわね。
“これ”を、普通なんだと思っているのだから。
熟、人の適応力というのは大した物だと思うわ。
──side out
──四月十九日。
他所──孫策・劉備陣営が領地の治安向上や発展等に精を出している様に。
宅も宅で色々と忙しい。
それはまあ別に急務という訳ではないのだが。
遊んでいる時間が有るなら──いや、遊ぶ時間も大切なんだけどね?、ちゃんと大切にしてるよ?──との考えから将来的にゆっくり過ごす為にも今の内に色々遣り始めておく訳です。
大翼運河・研究所の建造・洛陽や長安の再建は勿論、他にも両袁家の領地だった地域の再興、曾ては漢から“異民族”とされた者達の受け入れや共存に向けての様々な政策の実施…等々。
今から遣らないと将来的に確実に問題になる事ばかり遣れば遣る程に出て来る。
…判ってはいたけどね。
領地、獲り過ぎたかな…。
難しい所なんだよな。
小さく息を吐き見上げれば太陽が“これでもか!”と言わんばかりに輝く。
まだ夏には早いぞー。
「…此処って本当に植物が育つんですか?」
「途中で見たろ?」
「…見ましたけど〜…」
横を歩きながら訊ねるのは麦藁帽子を被り額から汗を流しているのは花円。
それもその筈。
何故なら此処は戈壁沙漠。
氣による最適化?
そんなのしてません。
してたら判らないので。
今、此処に一緒に居る者は他に桂花・稟・月・恋。
桂花と稟は好奇心からだが月と恋は并州出身とあって俺が声を掛けた。
当然だが、四人も氣無しで頑張っています。
此処に来た目的。
それは戈壁沙漠の緑化。
要するに、砂漠を緑豊かな場所に戻しちゃおう。
という訳ですね。
で、その緑化事業の担当が花円だったりする。
曹家直轄自然技術研究所・初代所長が今の役職。
「…理論上は出来ると頭で判ってはいますが…
実際に体感すると出来ると思えなくなります…」
「草木が無いから砂漠では寒暖差が激しいしな
だからこそ、中心地よりも外側から攻める訳だ」
「…植物の生育の為に水を引くんですよね?
此処を掘る訳ですか?」
「砂漠だから掘れない
水路を築く必要が有るな」
「…………」
黙って項垂れる花円。
だが、この程度は序の口。
もっと大変だからな。
一緒に頑張ろう。




