参
「大翼運河は此処、洛陽の再建を以て全容を成す」
「…洛陽が…再建…」
俺の言葉に茫然としながら繰り返す様に呟く結。
そうなるのも無理も無い。
皆にしていた運河の説明は約九割に留まる。
その最後のピースが此処、洛陽だったりする。
だが、華琳以外には洛陽の事は話していない。
ただずっと“洛陽は放置”とだけしか言っていない。
勿論、理由は有るが。
結にとっては故郷の地。
王都・首都という意味より生まれ育った地という方がどうしても強くなる。
実際、思い出の品々は俺があの時に回収していたが、燃え崩れ逝く洛陽を静かに見詰めていた結の胸中には様々な想いが有った筈。
それを皆には見せない様に気丈に振る舞ってはいたが俺の前でだけは吐露したり感情を見せていた。
結以外にも、故郷を失った者達は少なくない。
ただ、だからと言って皆が互いに理解出来るという訳でもない。
感情も価値観も人各々。
違っていて当然だ。
だから、結自身は何処かで洛陽の事を既に諦めていたのかもしれない。
立場に甘える事はしない、真っ直ぐな彼女だから。
自然と重なる視線。
結に向けて、微笑みながら小さく頷いて見せる。
“黙ってて悪かったな”と謝罪の気持ちも込めて。
「──っ…」
すると、俺の意を理解して自然と溢れ出す感情と涙を隠そうと両手を顔に伸ばし──無理だと諦めると俺の胸に飛び込んで来た。
しっかりと抱き止めると、優しく抱き締め頭を撫でて想いを受け止める。
声を上げてはいない辺り、結も中々に意地っ張り。
どうしてこうも俺の妻達は変に我慢強いのだろう。
そんな風に思いながら顔を上げた先では貰い泣きする斗詩の姿と、外方を向いて気を遣い結の事を見ない様にしている──振りをして自分の涙を見られない様に誤魔化す思春の姿。
今は結が優先の場面だが、状況が違ったら頭を撫でて声を掛けてやる所だ。
思春も結達に負けず劣らず我慢強いからな。
そして“貴男の妻だから、だと思いますよ?”という視線を向ける冥琳。
俺の妻だからって言うのは理由として可笑しい。
そう言いたいのに言い返す事が出来無い自分が居るし悔しい事に、納得している自分も居たりする。
多分、“鶏と卵”的な話に成るんだろうけどな。
何方らが後先ではない。
互いが出逢い、共に在って成り立っている。
そういう関係なのだから。
でもまあ、そんな疑問など些細な事だと言える。
こうして今、愛する者が、雨の向こうで笑ってくれるのであれば。
それが全てだから。
潤ませた瞳に映る空。
それは過去を映しながらも然程遠くない未来を夢見て現在に在る。
人と同じ様に。
甘寧side──
…相変わらず狡い方だ。
本当に女の“泣かせ方”が上手くて困ってしまう。
結の気持ちは故郷を失った事が有る私には幾らかだが理解する事が出来る。
“仕方が無い事”と頭では理解してはいても。
感情が伴う訳ではない。
そういう部分を読み取って不意打ちで突かれる。
私達の“妻としての意地”など容易く崩されて。
…まあ、二人きりではない状況だから理性と羞恥心が最後の一線を保つが。
そうでなければ…だな。
互いに“泣かせれた事”は話す事はしない。
対して“鳴かされた事”は…まあ、結構話すのだが。
改めて考えると可笑しな事なのかもしれないな。
今更だとは思うが。
ただ、それは“女として”自分だけの大切な思い出、だからなのだろう。
気恥ずかしいという感情も全く無い訳ではないが。
いつでも惚気そうな面々もそういう事だけは固く口を閉ざしているしな。
先ず雷華様は言わないので“二人だけの秘密”という事になる訳だから。
ふと、頭に過った疑問。
…華琳様ならば、雷華様が“泣いた”所を、見た事が有るのだろうか。
雷華様も人なのだから当然有るとは思う。
だが、この方は私達以上に意地っ張りだ。
多分、雷華様自身に自覚は無いのだろうが。
…全く、偶には私にも──コホンッ…私達にも甘えて下されば良いものを。
そうすれば、私も色々と…いや、だから私達も、だ。
ああそうだ、私達、だ。
「…中々に難しいと思うぞ
何しろ我々以上だからな」
「──っ!?」
不意に小声で言われた事に驚き、思わず身体が反応し掛けるが何とか堪えた。
その声の主が冥琳である事は判ってはいる。
ただ、少しだけ間を置いて心の準備をしなくては。
落ち着かないと何か口から失言が出そうだからな。
思考を読まれている時点で取り繕っても無意味だとは思うが、気持ちの問題だ。
雷華様よりも妻同士の方がそういった事を隠す傾向は強いと思うしな。
女の意地、だろうな。
私も随分と変わった物だ。
「私は今の自分の在り方が好ましいのだがな」
「…全く…読み過ぎだ」
「ふふっ…気を付けよう」
的確過ぎる言葉に溜め息を吐きながら返す。
冥琳が小さく笑んだ気配に私も笑みを浮かべる。
否定など出来はしない。
全く以て、その通り。
曾ては想像する事ですらも出来無かった己が姿。
それが今では何よりも尊く正しく思うのだからな。
貴男と出逢えた事。
それこそが私の天命です。
私は貴男と、永久に共に。
──side out
話が脱線──してはいないのだろうが、雰囲気的には脱線していたので、暫しの時間を置いた。
と言うか、当事者の結より貰い泣きをした斗詩の方が泣き止むのが遅かった。
結の方が励ますとか…
本末転倒な気がするぞ。
まあ、そういう皆の関係を嬉しく思ってはいるが。
これだけ妻を娶ってて仲が悪かったら最悪だしな。
…変な所で結託される事を除けば素晴らしい関係だ。
主に俺の事絡みって事は、仕方が無いのだろうか?
…仕方無いんだろうな。
「愛されている証拠です」
「…堂々と言うか普通…」
「それは一体“誰の”普通ですかな?」
そう、“して遣ったり”と得意気な笑みを浮かべて、此方を見る冥琳。
やれやれ、本当負けず嫌いばっかりだな。
…どうして遣ろうか。
「…ああ、そうだな
俺も夫として嬉しいよ」
「………ぇ?」
急に認められた事が冥琳は意外だったらしく、驚きにぽかん…とする。
普段、殆んど隙を見せないクールビューティーさんが完全に油断した瞬間。
貴重で有ると同時に物凄く可愛らしく感じるよね。
妻・恋人なら尚更に。
「ん?、嬉しくないか?」
「い、いえ…それは勿論、嬉しい、と思います…」
“思います”って…おい。
其処で他人事の言い方って“動揺してます”と自分で言ってるも同じなんだが。
…其処は突っ込まない方が良いんだろうな。
そんな事を考えながらも、然り気無く冥琳に歩み寄り結達が居る前で右手を腰に回して抱き寄せる。
動揺しているが故に身体は小さく弾むが、信頼により俺自身への警戒心が無い為抵抗する事は無い。
ただ、動揺は深まる。
その状態から口付けをする様に顔を寄せ──
「──でも、それだったらこの程度で満足したりとかしないよな?
“俺達の普通”なら、な」
「──っ!?」
期待と条件反射から冥琳が目蓋を閉じ掛けた瞬間。
揶揄う様に遣り返す。
突然の事だったので冥琳は茫然とする。
だが、俺に揶揄われた事に気付いたら拗ねる様に睨み上げてくる。
遣り返せた事を嬉しく思い口角を上げて見てながらも機嫌を直す為に冥琳の額に軽く口付けする。
周囲で斗詩の声や思春達の嫉妬の視線を感じる。
特に結からは“私の時には無かったのに…”と抗議の意思も窺える。
だが、今は流しておく。
話が進まないからな。
「…ゴホンッ…取り敢えず洛陽の再建が運河計画上の重要な点であるという事は判りました
実際、運河の地理的要因を考えてみても洛陽の再建は価値が有ると思います
ですが、そうなると長安の件が引っ掛かりますが?」
咳払いを一つして真面目な顔で話を本筋に戻す冥琳。
その頬と耳の先が赤い事は指摘しないでやる。
冥琳の言う様に河水の上流──正確には渭水になるが──に近い所に有る長安。
洛陽は、焼け落ちて以降は放置されていた。
だが、長安は獲った時点で再興を開始している。
元々、荒廃し治安も最悪な無法地帯の状態だった為、かなり前から人を送り込み宅の西側の秘密前線基地の様な役割をしていた。
だから、宅の政策方針への移行は并州と同様に迅速に行われた。
但し、その内容に件の運河計画は絡んではいない。
その事を冥琳は指摘した訳だったりする。
「長安は運河とは直接隣接させるつもりはない
当初の説明通りだ
曾てと同様に東西に通じる陸の貿易拠点として使う
ただ運河に隣接する港街を新たに新設する予定だ
現状、候補地は三つまでに絞ってはいるから最終的に近い内に議題に上げる」
「判りました」
如何に陸の貿易拠点でも、運河の利点を全く無視する訳ではない。
直接隣接はしない。
ただそれだけの話。
「では、その洛陽の再建と斗詩の参加に付いて説明を頂けますか?」
「…斗詩の部分は忘れても構わないと思うぞ?」
「疑問を解く機会が有れば見す見すそれを逃す理由が有りません
放置したままでは個人的に胸中がモヤモヤしたままで気持ちが悪いですから」
…言いたい事が判るだけに反論もし難いな。
それっぽい事なら言おうと思えば言えるが…現状では必要性も意味も無し。
故に苦笑を浮かべて肯定。
因みに斗詩、其処でお前が同意する様に頷くのは何か可笑しい気がするぞ?
…何?、その事に関しての疑問には自分も同意だからちゃんと知りたい?
いい加減、お前は自分への自信を持てないのか?
…この“庶民さ”が自分の“らしさ”だと思う?
………それは…そうだな。
いや、其処で“酷い”とか言うなって。
それが、お前の良さなのは俺が一番知ってるんだから──って、今のは無しだ。
ええい、強請るな。
忘れろ、話を戻せ。
そして思春・結、期待した目で見ない。
今日は洛陽にイチャつきに来たんじゃないんだから。
ほら、今はちゃんと仕事に集中しなさい、今は。
……ああ…うん…今は。
…つい、口が滑ったか。
「──で、つまりだ
洛陽は大翼運河の要となる中心地、“水の都”として新たに再建する」
「…水の都、ですか?」
口にしたのは結だが、皆も同じ様に不思議がる。
まあ、“水の都”と聞いてヴェネチアを想像出来無い場合はピンと来ないか。
個人的にだがヴェネチアは好きなんだよな。
あの街の雰囲気とか特に。
蘇州も悪くはないんだけど“厚み”が違う。
関係無い話だけどな。
「貯水湖を造る必要が有る事は話してある通りだ
其処で、洛陽全体を巨大な湖上都市にする」
「…それはつまり…洛陽の周辺を広く深く掘り下げるという事ですか?」
「多少は整備の為にも遣る必要は有るが、基本的には掘り下げる事はしない
抑、洛陽は河水の水面より地表が下になる場所だ
四方に各運河を繋げる形で水を引き込めば簡単に湖を造り出せる訳だ」
“…言われて見れば…”と納得している四人。
実は利点は他にも有る。
「元々雨季や豪雨等により水嵩が増すと下流域の氾濫被害は大きかった
だが、新たな洛陽は運河の調整と共に巨大な堰として河川の調整役も担う
そういう意味では魏全体の水事の中核になる」
「…成る程、それは確かに“水の都”ですね」
深く、感心する様に頷いて思春が呟くと、皆も頷く。
物分かりが良くて助かる。
「洛女──伏羲の娘の話を知っているか?」
「洛水の女神様ですね?」
そういった話に詳しい結が即座に答えを返す。
それに対して首肯する。
「新たな洛陽の中心地には彼女の像を立てて崇める
まあ、一種の安全祈願だ
元々、水は“生命の母”と考えられている訳だしな」
船や航海等には別の場所と対象を用意するつもりだがそれは置いておく。
「で、洛陽に斗詩を選んで連れて来た理由は…」
「…嫌な予感がします」
「頑張って掘ろう!」
「やっぱりーっ!!」
そう、ドリルだからです。
大丈夫、俺も咒羅で一緒に遣るから。




