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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
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終章 三國ノ伝




──“終わり”。




始まりが有れば、孰れ必ず終わりが訪れる。


それは不変の真理。

未来永劫、終わる事の無い永遠など自然下に於いては存在し得ない事。

如何なる命も生まれ出でた時より死という終焉に向け旅をして逝く様に。

人の生がそうで有る様に。




始端が有れば終端も有る。


それは一筆により描かれた軌跡の様に、必ず。

しかし、その終端の果てが断絶とは限らない。

絶えず循環する水の流れが状態変化という終結を以て繋がり続ける様に。

終端は新たな始端と成る。




しかし、時に現実は残酷に無慈悲に断絶を齎す。


それは零れ落つ一雫の如く別離を以て、一つの起結と定型を生み成す。

故に、決して断絶が悪とは断ずる事は出来無い。

文化・学術・技術・歴史…

そういった事柄の多くに、断絶は内在し、断絶によりある種の決着・結論を見て成立するのだから。




運命もまた、始点と終点を必然としている。


誕生を始点とするならば、死去が終点であろう。

ただ、運命の中には多くの起点と結点が存在する。

それは時代の推移と同様に人の歩みを刻み込む。

望む、望まぬに関わらず。

ただただ純然たる理の下に人の意など介さずに。




然れど、戯れに言うならば不滅は有り得る。


永遠・不変というものは、完全なる断絶の果てにのみ存在する事だろう。

しかし、不滅は不断だとも言い換える事が出来る。

人の意志や縁の様に。


変わらない訳ではない。

時に、変わる事も必要で、変化によってより良い方に進む事も出来るだろう。

勿論、逆も有り得る。

変わらぬ事も選択の一つ。


但し、絶対の正解は無い。

それを忘れてはならない。




始まれば、軈て、終わる。

それは真理の必然である。






◎全24話

物語は最初の一字を其処に刻まれた瞬間から始まり、終わりに向けて紡がれる。


書き手に全てが委ねられるという意味で言うのなら、書き手こそが担い手。

そう言えるのだろう。

しかし、必ずしも書き手が全ての物語の担い手だとは限らないだろう。

何故なら、物語は物語。

一人の人生を綴った物語が有るのであれば、担い手は間違い無く当事者である。

つまり、物語とは一人一人異なる物だと言えよう。


そんな数多有る物語。

人が何故、物語を好むか。

それは人という存在自体が物語だからなのだろう。

憧憬・投影・空想・学習…

人は物語を通じ様々な事を擬似的な経験として得る。

それ故に、物語は尽きる事無く紡がれ綴られる。

其処に終焉は無い。


人が人で在り続ける限り。

物語とは不滅なのだから。




◎設定・説明

◇17話 【厳顔】【魏延】




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