1 夢で逢えたら
─────夢。
それは“夢幻”だと思っていた。
気が付けば居た場所。
“世界”を感じる事の無い見覚えのない空間。
だから、夢の中だろう。
そう考えた。
しかし“そんな事”など、どうでもよくなった。
その中に佇む。
目の前に在る──見知らぬ少女に目を奪われて。
見た感じだと歳下だろう。
“人”では在る様だ。
セミロングの艶やかに輝く美しい金色の髪。
澄き透る深い海を思わせる青い双眸。
ビスクドールを生身にした様な白い肌。
“此の世”の者とは思えぬ少女に魅入る。
見た限りは“日本人”ではないと思う。
国籍は不明だが。
「…あー…Hello?」
取り敢えず、無難に英語で挨拶をしてみる。
だが、英語が判らないのか小首を傾げる少女。
その反応に違和感を感じ、つい凝視してしまう。
「“貴男”は誰かしら?」
訛りも、ズレも無い流暢な“日本語”での問い。
予想との違いに驚いたが、笑顔で答える。
「“たかなし あやか”…
小鳥が遊ぶで“小鳥遊”、不純の純、不和の和と書き“純和”だよ」
「姓と名はどう分けるの?
字も変わってるわね」
「いやいや、姓が小鳥遊で名が純和だからね?
字じゃないから
まあ、変わった読み方とは思うけどさ…」
その点は慣れている。
ただ、彼女の言葉に何処か引っ掛かりを覚える。
「私は“そうそう”よ
宜しくね」
「そうそう………え?」
頭に浮かぶ“曹操”の字に顔が引き吊り掛ける。
「曹司の曹に、貞操の操で曹操よ、解るわよね?」
どう書くか此方が説明した為か丁寧に教えてくれる。
字が判らないと思われたのかもしれないが。
「もしかして…なんだけど親の名が曹嵩?」
「あら、“御母様”の事を知っているの?」
「おか──“御母様”!?
“御母様”って言った!?
えっ!?、マジでっ!?」
思わず出た本音。
その事に彼女が眉を顰め、此方を見詰めてくる。
自分の失態に気付いたのは彼女が訝しんだ後の事。
「…“貴男”、何者?」
退く所か一歩前に出て来て此方を見据えてくる。
歳に似合わぬ眼光と迫力に逆に気圧され掛けた。
「あー、なんだ、その…」
どうしようか悩む。
もし、頭の“仮定”通りの状況だとしたら…マズイ。
しかし、誤魔化しが効くと思えない。
それに“説明”をしないと納得しそうにない。
曹操side──
気が付けば私は不可思議な場所に居た。
空が無く、淡い虹彩の雲の様な物が覆い尽くす。
周囲を見渡しても草木さえ存在しない。
そこで考え、至る。
これは“夢幻”だと。
どうせなら、もう少し良い夢が見たかった。
そう思って小さく溜め息を吐いた。
判った所で覚める訳がなくどうしようかと悩む。
仕方無く辺りを見回す。
そして、何と無く、適当に歩き出した。
“風景”が有る訳でもなく特に変化は無い。
しかし、歩いて見て判る。
視界に映るよりも、自分が理解している範囲は狭い。
まるで、深い霧の中を進む様に感じてしまう。
その中で──出逢った。
思わず、足を止めてしまう程に目を奪われる。
私より頭半分程に高い背、歳も少し上だろうか。
肩より少し長い位の美しい陽光を思わせる白金の髪。
鮮血の様でありながらも、炎の様に輝く真紅の双眸。
歳相応な幼さを持ちながら洗練された雰囲気を持つ。
何より、百人が百人見て、“女の子”だと思うだろう魅力的な容姿。
しかし、何故だろうか。
私は、一目見て“彼”だと認識している。
自分で不思議な程自然に、疑う事すら無く。
互いに見詰め合っていると彼が何かを言った。
波浪?、何の事だろう。
私は埒が明かないと思って彼に名を訊ねた。
随分と変わった姓名。
それに既に字を持つ辺り、“高貴”な身分だろうか。
──とか、考えて訊いたら慌てて訂正された。
それでも珍しいけれど。
私も名乗ると、彼の表情が微妙に堅くなった。
どう書くのか判らなかったのかと思い説明すると彼の口から母の名が出た。
それを肯定すると予想外に驚かれた。
しかし、それで冷静に戻る事が出来たのか…
彼に違和感を覚えた。
彼は私とは“何か”が違う気がしてならない。
上手く説明出来無いが。
一歩詰め寄って見据える。
誤魔化しは許さないと眼で訴え掛ける。
「…貴男、何者?」
そう訊ねた時、彼の方でも気付いたのか困った感じが見て取れた。
「…驚くなよ?」
「貴男が男だという事なら判ってるわよ?」
「いや…え、マジ?
それは此方が驚くよ?
自己申告以外では初めて、しかも初見は…」
「…自覚が有るのね」
「日常茶飯事だからなぁ…
あ、ちょっと泣きそう…」
「泣いても良いから質問に答えてくれない?」
そう言うと彼は苦笑。
でも、嫌な気はしない。
──side out
初見で“男”と認識した事には素直に驚いた。
何かしらの“術”を使った様子もなかったし。
追及は続いてるが。
「信じられないとは思うが俺達は“別世界”の存在…
出逢う事の無い筈の、な」
「…俄には信じられない話だけれど…
嘘ではないのね…
でも、そうすると此処は?
夢それとも現実?」
意外と冷静に受け止める。
周囲を見渡せば、疑問にも頷ける事か。
「証明は出来無いが…
恐らくは“その狭間”だ」
「夢と現実の“狭間”?
まるで南華老仙の話ね」
「荘周、胡蝶の夢か…
確かに近いかもな」
「仮にそうだとするのなら此処は“何方ら”の夢?
私達は“何方ら”が主体になるのかしら?」
知的だとは思っていたが、此処まで聡明とは。
素直に感心してしまう。
「それは違う
“此処”は“狭間”だ
文字通り、世界と世界の」
そう言って両手を前に出し掌を見せる。
「右手を俺の世界…
左手をお前の世界とすると俺達が居るのは両手の間の“何方ら”でも無い場所
本来は存在しない世界だ」
「どうして断言出来るの?
貴男は“何を”知っているのかしら?」
鋭い指摘だ。
“世界”を左右する事だ。
どうするか迷う。
「…他言無用、誓えるか?
そうでなければ話せない」
「………良いわ
私の“真名”に誓って」
其処で聞き慣れない言葉。
所謂、御名や魂名の類いの事だろうか。
質問は後にしよう。
「“世界”とは例えると、物語の様な物だ」
「物語?」
「完結された物語は一つの世界だと言える
もし、その物語に“何か”加えたり、変えたりしたら物語は“異なる”だろ?
例え同じ結末だとしても、僅かでも違えば別の物語…
異なる別の世界だ」
「…つまり、貴男の世界と私の世界は“似て非なる”世界という事?」
「飽く迄も、限定的にな
仮説の域を出ないが…」
俺の説明を理解したのか、動揺が雰囲気に滲む。
「…貴男は、貴男の世界の私──曹操を知っている
そういう事ね?」
「ああ、俺の世界…
俺の時代から約千八百年も過去の人物として、な…」
「…千、八百年…」
具体的な数字を聞いて呟く姿は一転して弱々しい。
流石に衝撃が大きいか。
その姿を見て──
自然と吸い寄せられる様に彼女を抱き締めていた。
曹操side──
信じられない。
普通は──普段の私なら、鵜呑みにする事の無い話。
確証・根拠が無いなら尚更だろう。
しかし、彼の言葉は嘘ではないと思っている。
だから、複雑だ。
例え“世界”が違っても、千八百年もの時の隔たりが私達の間に有る。
その事が胸を締め付ける。
私を抱き締める彼の背中に両腕を回し、抱き付く。
(──ああ…そうなのね)
彼の胸に、匂いに顔を埋めその温もりを感じながら、私は理解する。
これが──“恋”だと。
物語の中だけの事だと。
そんな事は有り得ないと。
私には理解出来無いと。
そう、思っていた。
けれど、今、実感する。
“一目惚れ”は有る。
しかし、現実は非情だ。
私の“恋”は叶わない。
私達は“別世界”に生きる存在なのだから。
「…“夢想”なのね…」
抑え切れずに溢れる想い。
切なさに胸の奥が痛む。
別れたくない…
離したくない…
ずっと一緒に居たい…
叶わぬ願いと思いながらも望んでしまう。
「いや、違うからな?
確かに“夢”では有るが、“現実”でも有るから」
そんな中、彼から返される意外な言葉。
抱き付いたまま顔を上げ、見詰める。
「…どういう事?」
「“此処”は夢を媒体とし形成された世界…
目覚めれば、元の世界へと各々に戻る
しかし、此処に居る俺達は本物で有り、魂の様な状態だと言える
“現実”だと言えるのは、起きた後も夢の様に曖昧な記憶ではなく、はっきりと覚えて居られる事だ」
「…どうして…何を以て、貴男は言い切れるの?」
「…古より小鳥遊家は代々“退魔師”を生業とし世に生ずる禍を討つ一族…
その為“普通”は知らない“世界”に接する事も有り知る事になる
“色々”と、な…」
そう言った彼の瞳に悲哀が浮かんだ様に見えたのは、気のせいではないだろう。
私には解らない様々な事をその若さで経験しているが故なのだろう。
「“夢”は記憶を基にして見る物で、自身の意識では正確に認識していない
だが、“此処”では俺達は明瞭な思考をしている
五感がはっきりしている
普通の夢では無理な事だ」
「忘れる事は無いのね?」
私の問いに彼は首肯。
“消えた”方が楽なのかもしれない。
けれど、私は望む。
痛みを抱いても“彼”を、出逢いを覚えて居たいと。
──side out
初めての経験だ。
結界の中に創られた訳でも精神世界の中でもない。
存在しない筈の世界。
其処に居る事なんて。
何より──“恋”なんて。
恋愛経験など無い。
いつかは自分も“誰か”を好きになる日が来るかも…位にしか思ってなかった。
だから、恋と呼んでいいか正直言って判らない。
ただ“師匠”が言っていた事が脳裏を過る。
「やれ、何処が好きだの、やれ、何処に惹かれただの言ってる内は“お遊び”だ
大体“理由”を探したりと頭で理解しようとするから本質を見失うんだよ
いいか?、恋は理性でするものじゃない
“本能”でするんだよ」
恋と“認識”する以上は、“理性”だろうと、当時は思っていた。
だが、今なら解る。
恋は“本能”だと。
生命の持つ、最も原始的な“欲求”であり根源。
生命の系譜なのだと。
“性欲”の自覚さえもない子供な自分が、彼女の事を“欲しい”と求める。
これが大人…或いは思春期だったなら、どれ程に強い衝動になるのだろうか。
想像が出来なかった。
ただ、今は関係無い。
一緒に居られるこの時間を大切にしたい。
限り有る、逢瀬の時を。
互いに何を言うでもなく、ただただ抱き合う。
キスでもすれば?、なんて言われそうな雰囲気。
でも、子供だからね。
まだお互いに一桁。
そういうんじゃないから。
精神的には“師匠”からはよく“可愛いげが無い”と言われている位にドライな自覚は有るが。
要らぬ事を考える間にも、時は流れて行き──
無情にも二人を別つ。
「…そろそろ時間みたいだ
何方らかが、目を覚まそうとしているんだろうな…」
そう言って顔を向け周囲へ視線を促す。
薄れ行く──深く霞み行く世界が眼に映る。
宛ら、朝陽に白む様だ。
「…また、会えるの?」
顔を上げて訊ねる彼女。
その表情が理解していると物語っている。
「次が有ると断言する事は出来無い…」
これが最初で最後の逢瀬の可能性は低くない。
「それでも──会いたい
そう、心から願う」
「…私も、貴男に会いたい
もっと一緒に居たい…」
白に染まり行く世界の中、離さぬ様に抱き合いながら別れの時を迎える。
『また、夢で逢えたら…』
重なる言葉を響かせながら“世界”は解けていった。




