捌
予想は予想でしかない。
確たる証拠が出ない限りは罪にも問えない。
ただの言い掛かりだ。
まあ、現代社会に比べれば冤罪なんて山程有る時代。
その人物の地位や身分とか風評で有罪無罪が決まる事自体が珍しくない。
鑑定技術が成立していない時代故に立証も難しい。
そういう意味では現在より現代の方が良いと思う。
犯罪の性質は逆に現代より現在の方が判り易いが。
兎に角、此処で劉表の事を彼是言っても無駄。
警戒はするが、それだけ。
必要以上には考えない。
「でも四日か…俺の所為で予定が遅れてるよなぁ…」
詠が怒っていそうだ。
負傷──と言うか、今回は死に掛けた訳だし、それも含めて怒ってるだろう。
「ん?、何で?」
「…………え?、あれ?」
雪蓮と見詰め合い、互いに首を傾げながらパチクリ。
いやいや、雪蓮さん。
貴女まで疑問に思われると此方が困るんですが。
「……え〜とだな、雪蓮
他の皆だけど…此処に?」
「居ないわよ」
あっさりと。
実にあっさりとした返答に両手両膝を付いて項垂れてしまいそうになる。
現実的には寝台で上半身を起こして座っている状態で出来無いんだけど。
心の中では遣っている。
緊張感が奪い去られ物凄い脱力感に襲われる気持ちが判るだろうか。
遣る気が見事なまでに全て持っていかれてしまう。
それでも、確認すべき事は確認しておかなくては。
そう思い、一つ息を吐いて気持ちを切り替える。
「態々訊くまでもない様な気がするんだけど…
一応、確認する意味で…
皆、今は何処に?」
「会稽郡、王朗の所よ」
“ああ、やっぱりか…”と一人納得する一方で新しく疑問も浮かんで来る。
今、俺の目の前に居るのは一体何処の何方なのか。
そう、孫呉の主君・孫伯符その人で有らせられる。
そして“孫家の当主たる者常に先陣の先頭を駆けよ”を体現している方な訳で。
その雪蓮が此処に居る。
戦場ではなく、俺の傍に。
…あ、これはヤバい。
どうしようもない程に顔が若気てしまう。
地和達が居るっていうのに我慢出来そうにない。
……いや、待て、待とう。
必ずしも俺が今思っている通りとは限らない。
そうだ、冷静になれ。
若気ついていたら白い目で見られるかもしれない。
主に地和達に。
となれば、やはり確認だ。
何かしらの理由が有って、雪蓮は残った可能性だって有るんだからな、うん。
「あのさ…雪蓮はどうして此処に残ってるんだ?」
「…え?……………っ…」
不意を突かれたらしく一瞬きょとんとしていたが──ぐぼぉんっ!、と爆発音が聞こえてきそうな程の凄い瞬間沸騰を見せてくれた。
と言うか、え?、マジ?
もしかして、勝手な自惚れとかじゃなかった訳?
やだ、超嬉しいんですけどどうしましょう。
顔を耳の先まで真っ赤にし俯いてしまった雪蓮。
誰が見ても──余程の鈍感大王でも無い限りだが──恥ずかしがっているという事が一目で判る反応。
とは言え、流石に自分から“俺の事、心配してくれて残ってくれたんだろ?”と訊く勇気は無い。
普通に、そんな事が出来る猛者はナルシストか馬鹿、或いは超自惚れ屋だ。
生憎と雪蓮とは相思相愛の自信は有っても、其処まで自惚れられる質じゃない。
なので、ちょっと困った。
本当に嬉しいんだけど。
自分から話を逸らす訳にもいかないし、地和達からの援護も期待出来無い。
だってほら、俺が地和達の立場だったら、相思相愛のカップルの空間に割り込む気は起きないし。
下手に関わって火傷なんて負いたくないし。
だから、こういう状況だと我関せずの体を貫く。
それが、ある意味賢い選択なんだと思うから。
よって、全ては雪蓮待ち。
雪蓮が誤魔化せば、非常に勿体無い事だけど話を流しこの場では触れない。
うん、この場では、ね。
二人きりになったら改めて確かめますとも。
という訳で、目の前に居る雪蓮を見詰めて待つ。
その雪蓮はというと未だに俯いたままで、布団の端を両手で摘まんでクニクニと遊ばせ波打たせている。
布団じゃなくて指だったらモジモジなんだろうな。
どうでもいい事だけど。
うん、どうでもいい。
今の恥じらう雪蓮さん。
滅茶苦茶可愛いですから。
ギャップ萌えなのは判る。
と言うかね、“恋姫”って基本的に女性上位の世界観だから、“可愛い”と思う場合は半数がギャップ萌えだったりする訳です。
関羽にしろ、曹操にしろ、孫権にしろね。
一部、劉備とかが違うけど基本的にはギャップ萌え。
まあ、実際に目の前にして直面したら、そんな事とか本当に関係無いけど。
可愛い物は可愛い。
それが全てなんですよ。
ただ、一つだけ。
悔しく、惜しい事が有るとするならば、唯一つだけ。
何故、この瞬間を未来永劫切り取り、遺す術が手元に無いのだろうか。
本当に、それだけが心から悔やまれる。
…まあ、その分、たっぷりじっくり心のアルバムには焼き付けておくけど。
多分、この先、此処までに恥ずかしがった雪蓮なんて見れないと思うから。
……本当、可愛いよなぁ。
──side out
孫策side──
目覚めた祐哉に対し状況の説明と現状の確認をする、その最中の事だった。
油断、ではない。
祐哉が目覚めた事に喜び、嬉しさのあまり気が緩んだ──と言うのが正しい。
別に華佗を信頼していない訳じゃあないの。
寧ろ、華佗で無理だったらどうしようもない事だって私にだって判ってるし。
まあ、華佗からは“これで大丈夫だ、死ぬ事は無い
ただ、何時目覚めるのかは本人の気力次第になる”と言っていた。
それでも“一週間も経てば間違い無く目覚める”とも言っていた訳で。
だから信じてはいた。
ただ、それはそれ。
だって、私を庇って毒矢を受けて死に掛けたんだし、無事目覚めてくれて本当に嬉しかったんだから。
仕方無いじゃないの。
──で、祐哉に然り気無く訊かれた事に対し、赤面。
最初は意図が判らず小首を傾げていた。
だけど、その質問の意味を正しく理解した途端に顔が熱くなって、祐哉の目から逃げる様に俯いた。
都合が悪くなって──主に仕事を怠けたり逃げ出して怒られる場合にだけど──視線を逸らすのとは違う。
疚しい事は何も無い。
だから、堂々としていれば何も問題無い事。
それなのに恥ずかしさから反射的に視線を逸らして、結果、行き詰まった。
と言うか、現状の選択肢が限られてしまった。
…多分だけど、この場では誤魔化しても後から祐哉に追及されるでしょうね。
だって、私が祐哉だったら絶対に遣るもの。
訊かない理由が無いわ。
寧ろ、その事を訊かずには居られないでしょうね。
だから、先伸ばしにするか此処で片付けるか。
その二択しかない。
(うぅ〜…何なのよもぅ〜
こんなの…閨の中でだって感じた事無いわよぉ〜…)
そう愚痴る心の自分でさえ弱々しく思えてしまう。
それ程に動揺している。
自分でも信じられない位に顔が熱くなっている。
あまりにも恥ずかし過ぎて可笑しくなりそうだわ。
無意識になんでしょうね。
俯いている視線の先には、自分の手元が有るのだけど祐哉の寝ている布団の端を両手で摘まんで弄っている様子が映っている。
他人事みたいだけど、実際意識して遣っていないから他人事に近い感覚。
自分の手なんだけどね。
本当、悪い事なんて何一つしていないのに、どうしてこんなに悩むのかしら。
でも、そんな自分の様子を何処か喜び、楽しんでいる自分が居る気もする。
本当、困ったものだわ。
取り敢えず、身体の反応は無視して置くとして。
頭の中では考えを纏める。
今回の経緯だけど──
祐哉が毒矢を受けて倒れ、華佗に助けられた後。
本当だったら、祐哉の事は天和達姉妹に任せて、私は皆と共に王朗の治めている会稽郡に向かう筈だった。
ただ、その時の私は自分で気付いていなかっただけで動揺が酷かったらしい。
感情を無理矢理に抑え込み皆の前に立ってはいたけど見破られるなんて事は全く考えてもいなかった。
しかも、春蘭に言われた。
正直、私からしてみれば、その方が驚きだった。
…と言うか、春蘭にだって見抜かれる位にバレバレな“痩せ我慢”だったって事なんでしょうけど。
それはそれで恥ずかしい。
まあ、今の比じゃない事は確かだけどね。
──で、詠から言われた。
「という訳で、居残りね
彼奴の傍に付いてなさい」
勿論、私も反論はした。
気持ち的には納得しても、やはり“立場的に…”との考えが働くから。
まあ、所詮はその場凌ぎの思い付きだからね。
簡単に言い負かされる。
で、そのまま、お説教。
うん、判ってた。
そうなるんだろうなって、心の中の冷静な私は。
「そんな危うい状態のまま前線に立たせるなんて真似出来る訳無いでしょうが!
“孫家の当主として先陣を駆ける事が…”って考えは判るけど、それは心身共に問題無い場合でしょ!
少なくとも今のままの状態だったら戦闘は勿論、行軍だって認められないわよ
と言うか、そんな状態じゃ謁見とか対話・交渉にすら出せないわよ!
それ位の状態な訳よっ!
判ったっ?!
だから今は我が儘言わずに大人しく彼奴の傍に付いて待ってなさい!
…こういう時に支えるのが私達の仕事なんだから!」
──と、最後は照れながら不器用に言う詠。
お説教の部分は最もなので返す言葉も無かった。
まあ、下手な事を返したらお説教が続くだけだって、私も学んでるしね〜。
その詠の言葉に皆も同意し頷きながらも、詠の様子に苦笑を浮かべている。
「素直に“皆を頼れ”って言ぅたら良ぇやんか」
「余計な御世話よっ!」
苦笑しなが言った霞に対し顔を真っ赤にしながら詠は怒鳴っていた。
その様子を見て、私自身も自然と肩の力を抜いた。
私だけじゃない。
本当は皆だって祐哉の事が心配な筈なんだから。
だから、今回は大人しく、詠に、皆に甘えよう。
そう決めて、皆に会稽郡の事を任せた。
──というのが真相。
だけど、そのままを伝える事は躊躇われる。
主に私が恥ずかしくて。
ただ、既に私が此処に居る理由を祐哉だって全く理解していない訳ではない。
だから、全てではないが、話す必要が有る。
…それが、ねぇ〜…。
躊躇われてしまう。
結局、その理由は私自身の羞恥心なんだけど。
…仕方無いわよね。
一つ息を吐いて、気持ちを切り替えて顔を上げる。
祐哉と目が合う。
自然と布団の端を摘まんだ両手に力が入った。
「…その…ね?
祐哉が私を庇って倒れて、それで…こうね…精神的に不安定になっちゃって…」
それを言うだけなんだけど再び顔が熱くなってくる。
ああもう、何なのかしら、本当に厄介ね。
それでも、話を続けないと終わらない訳だから何とか気持ちを奮い立たせる。
…戦場で先陣を駆けている時の方が気楽だわ、これ。
「詠から今の状態で行くと危険だから大人しく此処で留守番してなさいって…
そう言われたからこうして祐哉の傍に付いてた訳よ
皆も心配してたのよ?
助けられた私が言う事には抵抗が有るけど…
祐哉が死んで悲しむ人達が居るって事を忘れないで」
“詠が言ったから”という理由を口にしたら不思議と気持ちが軽くなった。
成る程、自分だけの考えで決めた訳じゃない、という言い訳が出来たから。
だから、話す事に対しての抵抗感が減った訳ね。
最後に話を擦り替える為に皆の事を出し、祐哉の方に矛先を向ける。
「うっ…ごめん…
咄嗟の事だっから、深くは考えて無かったよ…
兎に角、雪蓮を守りたい、その一心だったか…ら…」
──と、上手く行き掛けた所で祐哉が遣らかした。
その言葉に嘘は無い。
だからこそ困ってしまう。
『…………』
互いに見詰め合ったままで固まり、赤面する。
単純に俯いて視線を外せば良いのに、求める気持ちが強くて出来無いでいる。
暫く続き、地和の咳払いと一言が有るまで私と祐哉は見詰め合っていた。
──side out。




