伍
主人の為にならば、自身の自尊心など捨てられる。
少なくとも、この趙子龍はそれが出来る者。
そして、彼女の主人である劉玄徳という者にも彼女がそうするだけの価値が有るという事になる。
まあ、その価値が私達にも同様な物か否かは、実際に会って見なければ判断する事は出来無いがな。
焔耶と共に、二人に対して向き直る。
視界の中──二人の背後に展開する敵陣には動揺する気配が窺える。
現状が、“予想外の事態”だからだろうがな。
「…頭を上げるが良い
その謝罪は受け入れよう
だが、次は無いという事を肝に命じておけ」
「感謝致します…」
私がそう言うと一度上げた頭を再び下げて感謝の意を示す趙子龍。
礼儀等は理解していないが仲間の態度に倣うしかない事を察して、同じ様に頭を下げている少女。
時と場合に因れば、此処で指摘している所だろう。
まあ、今回は見逃して遣る事にしよう。
そのまま黙っていると頭を上げた二人が立ち上がる。
これで開き直って、不遜な態度を取る様なら即開戦。
尤も、そうなる可能性自体低いとは思うがな。
「…この様な形で言う事は無礼だとは承知しています
その上で、御願い致す
我等の主人へと降って頂く事は出来ぬでしょうか?」
「本当に無礼だな…」
そう言われては返す言葉を持たない二人は黙る。
ただ、下手な言い訳よりは増しな選択ではある。
「…だが、断ったとしても退く気は無いのだろう?」
「…悪戯に兵に被害を出す事はしたくはない…
だが、我等も退く事だけは出来ぬ状況故、開戦となる事は避けられぬでしょう」
別に脅しているつもりなど無いのだろうが、聞く者に因っては開き直っていると受け取れなくもない。
そういう点からしてみてもこの趙子龍も“政治”には不慣れな様だ。
それら全てを考慮すれば、劉玄徳という者の人物像が浮かんでくる。
政治・戦争には疎い事から正式な仕官の経験は無い。
或いは、特別な状況で取り立てられていたか。
何方等にしろ、未熟者には変わりはない。
本人は、武の才能・技量は大した事は無い。
その為、戦に対する認識が甘いのだろう。
だから、今回の様な事態を迂闊に引き起こしている。
かと言って、知略や策謀に長けている、という訳でもないだろう。
それが出来る者であるなら今此処に立っていない筈が無いだろうからな。
現時点での、結論としては民を思い遣る心は持てど、信念を貫き通すには弱く、しかし、諦めの悪い質。
例えるなら、真っ直ぐだが聞き分けの悪い子供。
正直、請うて仕えたいとは全く思えない者だな。
趙子龍達がどういう理由で主と仰ぐのか。
其方等の方が気になる。
話からしても彼方の狙いは予想通りの一騎打ち。
それを理解しながら敢えて気付かぬ振りをして、話を進ませてゆく。
「降れ、と言われて我等が素直に降ると思うのか?」
「…いいえ、その様な事は無いと思っております」
「では、どうする気か?
互いに戦う覚悟は有るなら直ぐでも開戦と行こう」
長々と話し合う事は無駄。
そう言葉と態度で示す事で“今更取り繕うでない”と言外に伝える。
それを察して趙子龍は少し俯いて一息吐く。
覚悟を決める為に。
「此処で我等と一騎打ちをして頂きたい」
「成る程…お主等が勝てば主人へと降れ、と…
だが、我等が勝った場合はお主等は何を差し出す?
これが“交渉”による勝負という事ならば対等となる条件の提示が出来無くては話に為らんが?」
「──っ…」
表情を強張らせる趙子龍。
やはり、詰めが甘い。
この一騎打ち策を提案した軍師だろう者も未熟だ。
如何に知略に長けていても対する“人”を碌に見ていない。
盤上の駒を巧みに扱えど、人を御す事は容易くない。
単純な経験不足ではない。
思考上の致命的な欠点。
恐らく、その者は基本的に甘いのだろう。
その甘さを捨てる為に己が感情を抑え込み思考する。
だが、その際に他者にまで感情の排除が及ぶ。
だから、穴が出来る。
一見して綺麗に見える策。
それは実際には穴だらけで脆く、歪な物である事を、露見するまで気付かない。
「我等に一方的に要求する事しか頭に無く当然の事を考えていなかった、か…
正に“侵略者”の思考だな」
「──っ!?、〜〜〜っ…」
私の言葉に反論し掛けるが趙子龍に口を押さえられて渋々黙る少女。
その辺りにも組織としては勿論、個々の認識や覚悟の程度に差が有る事が判る。
段々と戦う気が失せてくる事も仕方が無いだろうな。
とは言え、此処まで話して開戦しては意味が無いか。
「では、こうしよう…
同じ条件で、我等が勝てば貴様等が配下と成る
互いに判り易いだろう?」
「…それは…」
「今更“戻って確認して”等と言う事は許されんと、貴様も判っていよう?
ならば、覚悟を決めい!
此処に立った貴様に全てを任せたのは貴様の主人ぞ
確と責任を背負わんか!」
「──っ!……その条件でお受け頂けるのですな?」
「我等は武人、己が言葉を違える事はせぬ」
「…承知しました
我等が負けた時は、我等は主人共々貴公の配下として一人残らず降りましょう」
一騎打ち、である以上は、戦うのは一人のみ。
我等と、という事は互いに二人が戦うという事。
二対二ではない。
となるとだ、勝ち抜きか、一人ずつ戦っての勝敗か。
その辺りになるだろう。
そう予想した通り、離れて互いに一騎打ちを行う事を趙子龍が伝えてきた。
別に構わぬので了承して、焔耶と分かれる。
私に付いて来たのは意外な事に少女の方だった。
まあ、相性として見たなら間違ってはいない。
だが、少女が私に勝てると思われている事に対しては少々面白くないがな。
焔耶達と互いに戦う邪魔に為らない位置まで来ると、立ち止まって静かに少女と向き合う。
「…さて、童っぱよ
名は何という?」
一応、一騎打ちをする者の礼儀として名を訊ねる。
私は既に名を明かしている状態なので必要性は低い。
まあ、始める際には互いに名乗るのも一つの風習だと言えなくもないが。
すると、少女は右手に持つ蛇矛を両手と全身を器用に使って回転させ、私に向け突き付けると声を上げる。
「鈴々は姓は張、名は飛!
字は翼徳なのだっ!
次はおばさんの番なのだ!
名を名乗れーっ!」
「おばっ!?」
思わず復唱し掛ける。
しかし、其処は女としての本能というべきか。
一部だけに止める。
確かに目の前に居る少女にしてみれば私は歳上だし、そう呼ばれても可笑しくは無いのかもしれない。
………いや、少女が幾つか判らない事を考えれば話は変わってくる。
そう、私はまだ、その様に呼ばれる歳ではない。
「…チビ助めが…
貴様、目上の者に対しての礼儀や敬意という物を主に教わらんかったのか?」
「まだ敵だから礼儀なんて必要無いのだ」
平然と答える少女──否、張飛は本気らしい。
その様子を見るに、正面な生い立ちでは無い様だ。
…いや、それは違うな。
生い立ち如何で人の本質は決まりはしない。
確かに環境は大きな要因に間違いは無い。
だが、結局の所、その者の意識や価値観次第だ。
本質が無礼な者はどれだけ取り繕おうと判る。
張飛は確かに無礼だ。
しかし、性根まで腐ってはいない事も確かだろう。
どれ、少々厳しく“躾”を施して遣ろうか。
此奴等を見ていれば判る。
どうやら、此奴等の主人は身内に対し甘い様だしな。
「やれやれ…対する相手の立場に因って接する態度を変えるなどとは人としては下品の下品…
まあ、所詮は卑淺な主人に仕えている者達だ…
その程度、という事だな」
「にゃにおーっ!
鈴々はお前達の立場なんか見てないのだ!
ただ事実を口に出しただけなのだ!
それよりもお姉ちゃん達の悪口を言う様な事は絶対に赦さないのだっ!」
そう易い挑発をして遣れば簡単に釣れる単純さ。
これは恐らく、知能的には焔耶よりも下か。
此奴等の主人──劉玄徳は組織という物を一体何だと思っておるのだ?
全体の規律や礼儀作法等を疎かにしていては組織とは腐るという事を、漢王朝を見て学んでおらんのか?
熟、愚かな者よなぁ。
「面白い事を抜かしよるわ
我等は貴様等の主人の事は全く以て知らん
故に、そう判断する基準は貴様等の言動だ
判らんか?、貴様の言動の一つ一つが己が主人の事を貶めている事が…
礼儀も持たぬ貴様の主人は同じ様に礼儀を持たぬ、と貴様が言っている事を」
「ち、違うのだっ!
鈴々には、そんなつもりは全く全然これっぽっちも!無いのだっ!」
「そんな事は関係無い
相手がどう思うか…
それを理解しておらぬから貴様は平気で礼儀を欠く
家臣は主君を計る目安…
主人達を愚弄しておるのは──張飛よ、貴様の方だ」
「──違うのだあぁあぁぁあぁあぁぁあっっ!!!!!!」
その事実を前にして。
切り返す言葉も見付からず名乗り合う事もせず張飛は感情に任せて押し流される格好で蛇矛を振り上げて、私へと襲い掛かって来た。
小さく息を吐き前傾姿勢に為りながら腰を落として、張飛に向かって踏み出す。
憤怒とは力を高める。
だがしかし、動きや思考を代償としてしまう物。
単調な動きは読み易い。
それでも本能的にだろう。
大きく跳び上がりはせず、前へと駆け出す様に跳んだ事は隙を突かれない為。
それは評価出来る。
だが、それだけだ。
「──話に為らんわ」
「──ぅ゛に゛ゃ゛っ!?」
確かに隙は小さい。
張飛自身の小柄さを上手く利用している。
しかし、私から見たならば振り上げた事で隙だらけになっているだけ。
せめて、突きで有ったなら増しだったのだがな。
がら空きの胴体を目掛けて擦れ違う様な格好で右膝を突き刺した。
「出直して来い、童っぱ」
息を詰まらせながらも私を最後の力で睨み付けてきた張飛に一言、手向ける。
その成長を楽しみにして。
張飛を地面に転がしたまま焔耶の方に顔を向ければ、丁度決着したらしく焔耶の首筋へと趙子龍の槍の鋒が突き付けられていた。
そして焔耶が負けを認めた事で趙子龍が槍を下ろし、私へと振り向いた。
それを見ながら二人の元に歩み寄っていた為、二人と普通の声量で話をするには十分の距離まで来ていた。
「ふむ…易い挑発に乗って痛い目を見た様じゃな」
「ぅぐ…その通りです…
返す言葉も有りません…」
敗れはしても、今こうして意識を保った状態で居る。
それだけでも大きく違う。
今、敗北した理由や状況を省みる事が出来るからだ。
記憶とは厄介な物で、時が経つと薄れたり曖昧になる事が多々有る。
それ故に、直後の反省では成長へと繋がる良質な糧を得られる訳だ。
慎み励めよ、焔耶。
「さて、これで一勝一敗…
ならば、勝者同士戦い合い決着を着けるとするか」
そう言って趙子龍を見る。
互いに勝利した身。
だが、その疲労の度合いは大きく異なっている。
張飛と違い、焔耶は身体も大きく打たれ強い。
伊達に日頃から私を相手に敗戦を重ねてはいない。
“己の戦い方”を知る。
その一点だけでも大差。
故に、汗を掻き流し、肩で息をしている趙子龍の姿は決して可笑しくは無い。
寧ろ、当然の結果。
確かに相性は悪く、敗れた事には変わりない。
ただ、意味の有る敗北。
これが戦争で有ったならば現時点で趙子龍は一兵卒に討ち取られている可能性も十分に有り得るのだから。
そんな状態でも、退く事の出来無い趙子龍は槍を構え私を見据えてくる。
武人としての意地や誇りが理由ではない。
己が過ちを背負うが故の、忠臣としての覚悟。
死んでも退かぬという。
「…良い覚悟だ
厳文伯、いざ尋常に──」
息も絶え絶えに槍を握り、前へと踏み出す趙子龍。
それに応える様に私は腰に佩いた愛剣の束へと右手を掛けて、握り締める。
そして──静寂の支配する荒野に一つの悲痛な叫声が響き渡った。
──side out。




