36 縒り合う志の糸
劉曄side──
飛影様に言われた治療法に悩んでいた。
正確には方法ではなくて、別の理由で。
(飛影様と一緒に居たい)
私の中で募る想い。
まだ御逢いしてから一日と経っていないのに。
別れたくない…
離れたくない…
ただただ、一緒に居たいと強く、強く想う。
(これが“恋”というものなのでしょうか…)
今まで誰かをそういう風に好きになった事は無い。
だから、よくは解らない。
それでも、解る事が有る。
(飛影様の傍に居るだけで胸の奥が温かくなります)
けれど、同時に痛みも伴う事も知る事に。
曹操様と寄り添われる姿を見ると胸が締め付けられる様に痛んだ。
また、私も…と羨む想いが生まれてくる。
それだけで、抱いた想いを“恋”と呼ぶ事は、間違いなのかもしれません。
けれど、他の呼び方を私は知りません。
私の抱いた“この想い”が“恋”なのか…
今はまだ判りません。
ですが、一緒に歩いて行く事が出来れば、きっと…
その為にも私は“何か”をしなくてはならない。
しかし、その“何か”が、判らない。
一生懸命に考えてみるが、何も思い付かないままに、馬車は洛陽へ到着。
門兵の方が直ぐ様に城へと伝令に走られる。
御父様にも報される筈。
残された時間は短い。
その間に“何か”をしない限り、飛影様と離れる事になってしまう。
永遠の別れではない。
それなのに、何故か私には今が“運命の岐路”の様に思えて仕方無い。
此処での私の行動が未来を決めると感じる。
(私はどうすれば…)
城に着き、御父様の部屋へ入り御会いしている間も、ずっと上の空でした。
そして、謁見の時。
御二人が御父様の部屋へといらっしゃいました。
御父様と対等に──いえ、それ以上の威厳を纏われて飛影様は話をされる。
その姿に思わず見惚れても仕方無い事でしょう。
“妻”である曹操様も──そう考えて思い至る。
そう、実に単純な事。
(…私が飛影様の“妻”となれば一緒に…)
そうとなれば行動に移す。
丁度、御二人の話は治療の事で大詰め。
慌てない様に、平静を保ち話に割って入る。
御父様が見た事が無い位に驚かれている。
飛影様──子和様達も。
その子和様と目が合うと、今更に恥ずかしくなる。
ただ後悔はしたくない。
私の“幸せ”は、私だけが感じる事なのだから。
──side out
予期せぬ“求婚”に驚くが即座に立て直しに掛かる。
劉曄を真っ直ぐに見詰め、素直な気持ちを伝える。
「殿下、確かに私と孟徳は祝言を挙げてはいない為に夫婦とは言えません
ですが、孟徳以外の女性を娶る気は今は有りません」
「理解しています
それに…“今は”という事でしたら私も“妻”として迎えて頂ける可能性は十分に有りますよね?」
言葉その物に流されずに、此方の真意を正しく理解し切り返して来る。
お転婆姫な素養が有るとは思っていたが、中々に頭も回る様だ。
「それに…“正妻”に拘るつもりは有りません」
「…妾──“側室”でも、構わないと?」
先に“妾”と言う事で悪い印象を与え様とする。
しかし、劉曄は困った様に微笑みを浮かべる。
「…私は皇帝の娘として、この世に生を受けました
病弱な事、いつ死を迎えるとも判らない身では結婚は無理だと思っていました」
その独白とも取れる言葉の“先”が見えた事に胸中で苦笑してしまう。
表情や態度には出さず。
「ですが、治療法が有り、健康な身となれば継承問題にも影響します
そして、私の意志で相手を選ぶ事は難しくなります」
俺達より皇帝の方が表情を曇らせていく。
まあ、望まぬ結婚など娘にさせたくはないか。
しかし、立場が許さない。
皇帝の娘に生まれた以上は政治等と無関係なままでは居られない。
それが血の業という物だ。
「私が自らの意志で相手を選ぶ機会は此の一度きり…
好きでも無い方に嫁ぐなら治療をせず死を選びます」
これで皇帝──父親は娘の“策略”の前に陥落。
後は俺次第だろうが…
劉曄は目の前に歩み寄る。
「私の“生”は想いと共に貴男に捧げます」
──止めを刺しに来たか。
今の一言で皇帝が“敵”に回ったな。
「此処まで女に言わせても知らん顔するのかしら?」
──訂正、孤立した。
楽しそうな顔をして揶揄うSっ気全開の孟徳。
これ以上は無駄らしい。
「…はぁ…言って置くが、それは曹家への臣従と同義だと判っているか?」
「はい、構いません
私にとって此処──王宮は鳥籠と同じです
それに何より…
“私も”貴男の傍で御役に立ちたいです」
女の“勘”か“意地”か…
意外と負けず嫌いらしい。
俺は苦笑し、右手で劉曄の頭で撫でる。
そして、皇帝に向き直る。
当初の予定通りに皇帝との“交渉”を始める。
先ずは“手土産”から。
「陛下は御身体が優れないとの事ですが…
其方らが服用なさっている薬でしょうか?」
寝台の脇に置かれた卓上の御盆に乗った水差しと──小さな薬瓶を見る。
「うむ…そうだが…」
「失礼致します」
一言断って、薬瓶を右手に取り蓋を開ける。
中には案の定。
「陛下は“これ”が何かを御存知ですか?」
「それは代々王家に伝わる秘薬だと宮廷医が…」
「秘薬、ですか…
まあ、有る意味ではそれも間違いでは有りません」
其処で陛下へ向き直って、薬瓶を差し出す。
「服用した者をゆっくりと死へと誘う劇薬ですが」
『なっ!?』
話を聞く三人が声を揃えて驚きを露にする。
「驚くのも当然でしょう
これは“水銀”と言う名の液体金属です」
「液体の金属?」
反応したのは孟徳。
だが、今は質問は流す。
「詳細は省きますが…
水銀を体内に取り込んでも少量ならば即死する事にはなりません
しかし、度重なる服用は、猛毒を蓄積するのも同じ…
軈て肉体は蝕まれ死に至る事になります」
その説明に絶句する。
無理もないか。
「水銀は、その見た目から神聖視され権力者の間では“秘薬”と言われ、代々と受け継がれたのでしょう
本来の性質とは真逆だとは気付かないまま…」
「では、御父様は…」
劉曄が悲痛な表情を必死に堪えて訊ねる。
「今直ぐに処置し、今後の服用を止めれば死期は先へ延ばせます」
「…治療は出来無いと?」
訊ねたのは孟徳。
今はまだ時期尚早故か。
「毒の類いによる影響は、高齢で有る程大きい
何より、失った寿命を戻す事など何人にも不可能だ」
冷たい言い方だが事実。
何より“禁忌”を犯す事になる以上、問題外だ。
「余命は長く見ても二年、それも静養に徹して…
今まで通りに生活すれば、一年持つかどうか…」
「…そうか」
しかし、意外にも皇帝には動揺が少なかった。
ある意味では心残りである劉曄の心配が無くなった為覚悟が決まったか。
(…これなら皇帝としての最後の務めも出来るか…)
それを確かめる為に皇帝に訊ねてみる。
「漢の皇帝・劉宏に問う
汝、その身に“皇帝”たる覚悟を宿す者か?」
一変した俺の雰囲気に皆が注視し、息を呑んだ。
劉宏side──
不意に子和の纏う雰囲気が変わった。
皇帝である筈の我が身さえ怯ませ、心の奥深くまでも見抜く様に鋭く。
思わず息を呑む。
だが、何故だろう。
確かに彼は男には見えない美しい容姿をしている。
しかし、似てはいない。
なのに、彼に重なる。
彼女の──比奈衣の姿が。
「…皇帝の覚悟とは?」
どうにか声を絞り出して、彼に訊ねる。
「国を背負う覚悟…
即ち、自らの手によって、此の国の歴史に幕を下ろす覚悟の事です」
返った答えは、先程以上に驚愕する物だった。
「陛下、今の国が如何様な状態か御存知ですか?」
その問いに悩む。
恐らく、自分の知る事など極一部の綺麗事だろう。
宦官達の都合の良い。
故に首を振って否定する。
彼は見透かす様に頷く。
「御考えの通り…
此の国は既に死に体も同じ
国を侵す“病”は至る所に蔓延しております
そして、それらは取り除く事が出来ても無意味…
何故だと思いますか?」
「…権力者が私利私欲しか考えず政を仕切る故か…」
「確かにそれも間違いでは有りません
しかし、それよりももっと根本的な事です」
「…それは一体?」
聞き返しながら息を呑む。
彼の、施政者以上の慧眼が何を見ているのか。
何を見定めたのか。
「民が“現状”を受け入れ抗う気が無い事…
つまり──“家畜”扱いを当然としている事です」
その言葉に対し両手を強く握り締めた。
漸く──漸くだ。
此処まで言われて初めて、言わんとする事が解った。
「…その様な国にしたのが皇帝ならば、幕を引くのも皇帝の責務、か…」
何故、彼に重なったのか、今はっきりと判った。
此の国を、民を…
愛し、守って下さいね
そう、彼女の最後の言葉は私を信頼する物だった。
(何故、私は大切な言葉を忘れてしまっていたのだ)
彼女は私に託して逝った。
それなのに私は何を遣って来たのだろう。
後悔と不甲斐なさから頬を涙が濡らしてゆく。
「すまない、比奈衣…
夫としても、父としても、私は愚かだった…」
つい、漏れたのは弱音。
だが、これが最後だ。
もう、弱音は吐くまい。
「“最後”の皇帝として、その天命を全うしよう」
涙を拭い、彼を真っ直ぐに見詰め返して答える。
私の命懸けの“誓い”を。
──side out
無事に皇帝との“交渉”を終え、宿へ向かって歩く。
「皇女まで口説くなんて、とんでもない女誑しね」
「味方した奴が言うか?」
「あら、私は恋する少女の想いを尊重しただけよ?
“娶れ”なんて一言も口にしてないわよ?」
隣を歩く孟徳が此方を見て実に“良い”笑顔で言う。
確信犯だけに質が悪い。
「妬いてるのか?」
「何?、妬いて欲しい?
私が独占欲を身に滲ませて他の女を威嚇して?」
言われて想像してみるが…似合わない。
というか、絶対に相手より俺に矛先が向くだろうし。
「…ごめんなさい」
「判れば良いのよ」
そう言って、左腕を取って身体を寄せてくる。
彼女なりの“アピール”と判っている分、嬉しい。
嫉妬もしない訳ではなく、“寛大”なだけ。
いや、時代の“価値観”と言うべきか。
一夫多妻、正室・側室…
“向こう”では一部のみの特殊な観念。
しかし“此処”ではそれが庶民にも普及している。
だから、なのだろう。
孟徳にしろ、劉曄にしろ、皆にしても“共有”意識が有る理由は。
「それにしても大胆不敵な“交渉”だったわね
皇帝相手にあれだけ啖呵を切れる者は居ないわよ?」
「まあ、そうだろうな…」
自覚は有る。
客観的に見れば、無礼では済まない事だ。
「だが“皇帝”が甦った
これなら“色々”と期待が持てるだろう」
この国に寄生する老害共や私腹を肥やす豚共も簡単に動けなくなる。
牽制と共に“時間”を稼ぐ事が出来る。
「貴男は何処まで“先”を見通しているのかしら?」
「“先”を見通してなんていないさ
俺はただ“筋書き”通りに事を運んでいるだけだ」
「同じ事でしょう?
“先”を見越して問題点を予測・考慮し、それに対し対処する策を講じる…
先見の明が無ければ出来る事ではないもの」
「そう言われればそうだが何と言うか…堅いだろ?
柄じゃなんだよ…」
「はぁ…相変わらずね
貴男のそう言う所…
もう少し“らしく”したらどうなの?
あの娘達の為にも…」
「お前の為にも、か?」
「ええ、そうね
“妻”に恥を掻かせない様しっかりして欲しいわ」
「…善処します」
こういう掛け合いをしても男に勝ち目はない。
女を立てて潔く退く。
それが、いつの世も通じる“円満”の秘訣だろう。




