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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
451/915

11 傀儡の操糸 壱


 Extra side──

  /小野寺


建業の城で待っていたのは劉表ではなく、王粲という老人と四人の男性。

その内な一人は、俺と歳が近そうな印象を受ける。

多分、服装からして武官の可能性が高いかな。


で、王粲という人。

雪蓮とは顔見知りという事みたいけど…誰だろう。

こういう時、“原作”外の歴史的人物の知識の無さが大いに悔やまれる。

勉強って意味有るって事を熟痛感させられるよな。



「王粲、率直に訊くわ

劉表と黄祖は何処なの?

庇い立てするなら貴男でも容赦はしないわよ?」



そう言って王粲という人を睨み付ける雪蓮。

だが、一つ引っ掛かった。

今、“貴男でも”と雪蓮が言った部分だ。

べ、別に嫉妬してるとか、そういう事じゃないから。

純粋に気になっただけ。

本当、それだけだから。


何故か、ツンデレてしまう自分の思考を破棄。

深呼吸し小さく息を吐いてリセットする。


雪蓮が戦う事を望まない。

それはつまり、この王粲は悪政を敷く様な人ではないという事なんだと思う。

敵という立場には有っても少なからず認められる程に正面な人なんだと。



「…庇い立てするつもりは微塵も有りはしませぬ…」


「だったら──」


「──ですがな、口を割るつもりも有りませぬ」


「──っ!」


『──なっ!!!???』



王粲の言葉に驚いたのは、雪蓮だけではない。

俺を含む、今この場に居る祭さん達も同じだった。

はっきりと言ってしまえば雪蓮が認める様な人だ。

この状況が理解出来無いだなんて思えない。

だとすれば、如何に劉表が悪人だったとしても一度は仕えた主君に違いはなく、それに対する忠義を貫いて命を懸けている。

そういう事なのかも。


王粲の事が判らないから、静観するしか出来無い俺と違って祭さんは今にも手を弓矢に掛けそうな雰囲気。

正に一触即発の状態。

緊迫した、重々しい空気が支配する。

その中で雪蓮と王粲だけは互いに睨み合ったまま。

一言も喋らずに対峙する。


あまりの二人の剣幕に対し祭さんですら額に汗を掻き引き下がる始末。

出来るなら、今直ぐにでも此処から逃げ出したい。

嫌な汗が首筋を伝い流れ、口腔内は渇き、唾を飲もうとしても音を立てる事さえ躊躇われる状態が暫く続き──先に雪蓮が動いた。


一つ、ゆっくりと長い息を吐くと一度俯く。

そして、再度顔を上げると王粲を真っ直ぐに見て──



「──貴男達五人の家族が人質になっているのね?」


『──っ!!』



忌々しそうに言った言葉に俺達は息を飲んだ。

そして、王粲は言葉を肯定する様に静かに目蓋を閉じ僅かに俯いた。



──side out



 孫策side──


劉表達が既に建業に居ない事は確実でしょうね。

ただ、無闇矢鱈に探しても見付かる可能性は低い。

此方の警戒網を掻い潜って逃げているのだから。

だからこそ、王粲に訊く。

それが一番確実で、無駄の無い方法でしょうから。


──とは言うものの、私も目の前の男が食えない事はよく知っている。

自らが“口を割らない”と宣言した以上、脅した所で全くの無意味。

だからと言って王粲を斬り他の四人を脅して喋らせるという事も多分、無理。

この四人は王粲を信頼し、完全に命を預けている。

それは一目で伝わる。

この状況で微動だにせず、ただ静かに瞑目している事なんて普通では出来無い。

それ程までに四人の王粲に対する信頼は強く、深い。


だから、見抜くしかない。

それも、たった一度で。

彼是言ってみて探れる様な生易しい相手ではない。

言った所で無駄なだけ。

寧ろ、余計に喋らなくなる可能性の方が高いと思う。

故に多少時間を掛けてでも正確に見抜く事が重要。

全容を見抜く必要は無い。

大事な核心さえ掴めれば、それで十分な筈。

恐らくは、私は今、王粲に試されているのだから。



(…とは言え、考えられる可能性は少ないわよね…)



王粲は実直では有る。

主君が悪人・暗愚であれ、見捨てる真似はしない。

忠義を貫くでしょう。


けれど、その主君が戦わず逃げ出したとなれば、話は変わってくる。

王粲が貫く忠義は逃げずに己が責任を背負う者にのみ捧げられる筈。

劉表が住民を人質に使って非道な謀略を用い様とも、逃げず戦う姿勢を貫くなら共に散る覚悟で手を汚し、誇りを捨てでも戦い抜く。

王粲とは、そういう男だ。


だから、劉表が逃げた今も私達を謀り、欺くのなら、理由は存在する。


一番単純なのは人質。

私自身、身内を人質にされ扱き使われていたからこそ人質の効果は身に染みる程知っている。

でも、私と王粲とでは積み重ねてきた“経験”が違い過ぎると言える。

この老獪な男が己の家族を人質にされた位で従うとは到底考えられない。

寧ろ、家族ですらも王粲と命を共にする覚悟の筈。

人質にする価値は低い。


となれば、“他”と考える事が必然でしょう。

差し当たっては、今王粲の両脇に並ぶ四人。

その家族が妥当な所。


累が及ぶのが自身や家族の範囲だけならば揺るがない王粲だが、他人の犠牲には黙っては居られない。

施政者・官吏の鑑と呼べる王粲だからこそ。

有効な手段だと言える。




私の言葉を聞いて、王粲は小さく息を吐いた。

暫し、俯いたまま沈黙し、軈て顔を上げた。

そして、重い口を開く。



「……………もしそうだとすれば、どうすると?」


「人質となっている家族を助ける為に協力するわ」



やはり、素直には認めないでしょうね。

頑固者だ、石頭だと母様が笑いながら言っていたのをよく覚えているし。


でも、私は迷わず答えた。

此処で王粲達を断じる事は非道でしかたない。

人質を取られるという事が如何に苦痛であるか。

私は知っている。

だから、助けられるのなら助けたい。

そう思ってしまう。



「……無駄に人情深い所は親にそっくりだな…」



呆れた様に溜め息を吐くと王粲は私を見ながら呟くと僅かに俯いた。

ただ、その口調は意外にも砕けた物だった。

端から見たなら私に対して気を許した様にも見えない事もないと思う。

しかし、私自身は誰よりも理解している。

それは私に向けられた言葉ではないという事を。


何処か遠く、懐かしむ様な色が眼差しに滲んだ。

今、王粲の脳裏に浮かんだ光景は在りし日の母様なのかもしれない。

娘──子供という立場では少々擽ったい気がする。

あと、照れ臭い。

“そっくりだな”だなんて言われて微妙に嬉しく思う自分が恥ずかしいから。


そんな私を現実に引き戻す様に王粲の視線が再び鋭く私に向けられた。



「…確かに、私達は劉表に家族を人質にされています

その事自体は、間違いでは有りませぬ」



そう言い、言葉を切る。

含みを感じる言い方。

まあ、何と無く続く言葉は判った気がする。



「しかし、だからと言って助けを求めるという真似を私達は致しませぬ」



ほ〜らね、やっぱり。

一筋縄では行かない相手な事は判っているもの。

人質を取られているという事実は、飽く迄も真実への取っ掛かりに過ぎない。

過度な期待は禁物。


海千山千の強かさを相手に私みたいな“小娘”が口で勝てるとは思わない。

そんな自信なんて無いし、根拠の無い開き直りも今は出来る状況ではない。

一つ一つ、ゆっくりでも。

確実に歩みを進める事。

それが、この場に於いては求められている。


…ある意味、私が最も苦手にしている事なのよね〜。

本当、大変な仕事だわ。




さて、どう攻めようか。

そんな風に考えていた私の思考を中断させる様に深く息をした音が聞こえた。

何かを決意した。

そういう様な印象を受ける息遣いだった。



「…あの、良いですか?」



私と王粲だけが話す中で、声を発したのは祐哉。

私と王粲だけではなく皆の視線が祐哉に集まる。

尤も、王粲の両脇の四人は意識だけを向けている感じみたいだけど。


それでも驚く様子も無く、真剣な眼差しで真っ直ぐに王粲を見詰めている。

普段、こういう場面なら、視線を逸らしたり黙って、我関せずな姿勢を取るのに不思議と重要な時には必ず自分から首を突っ込む。

全く…頼もしくないのか、頼もしいのか。

私達も評価に困るわね。

信頼はしているけど。


チラッ…と私を見た王粲に“私は構わないわ”という意思を込めて頷き返す。

すると、王粲は祐哉の方に顔を向けて、見据える。

並みの──戦場では勇猛な武将ですら怯む程の王粲の眼差しを正面から受けても全く動揺しない祐哉。

そのまま私の右隣へと並ぶ様に歩み出て来る。


一つの思考に集中している時の祐哉は実に雄々しいと感じてしまう。

…恋人贔屓なのかしら。

自分では判らない事ね。



「…何でしょうか?」


「俺には政治とか戦争とか難しい事は判りません…

だけど、家族が大切だって事だけは判ります

俺にも大切な──護りたい人達が居るから…

だから、判りません

どうして、協力を拒むのか俺には判りません…

だから、教えて下さい

貴男にとって家族は大切な存在ではないんですか?」


『──っ!!』



祐哉の言葉に反応したのは王粲の両脇に居る四人。

憤慨して立ち上がったり、叫びを上げ声を荒げたりは勿論、目蓋を開ける事さえしなかった。

其処は流石だと言える。

しかし、膝の上に置かれた両手は強く、強く、今にも爪が肉に食い込み血を滴り落としそうな程に強く拳が握り締められている。

手の甲の色が白くなる程に強い感情。

奥歯を噛み締める為に張る頬の変化も窺えた。


やはり、本音を言えば誰も本意ではないのでしょう。

人質を取られて無理矢理に従わされているのだから、当然と言えば当然だけど。



(…本当、劉表が屑だって熟思い知らされるわ…)



判っていても尚更に。

劉表に対する憤怒と嫌悪・憎悪が増してゆく。

そして、改めて誓う。

何が遇っても劉表だけは、必ず私の手で殺すと。




思い沈黙と緊張感の中で、祐哉と王粲は対峙する。


果たして、私の言葉を聞き彼等は先程の様に動揺する素振りを見せただろうか。

恐らくは…否。

私の言葉で彼等が動く事は無かったと思う。

もし仮に私が祐哉と同様の台詞を言っていたとしても反応は違っていた筈。

私と祐哉の立場は違う。

その点だけでも、先ず私はあんな事は言わない。

言えないでしょう。


祐哉だから、言えた事。

祐哉だから、意味が有る。

祐哉だから、伝わる。


それは小さな子供の言葉と同じなんでしょうね。

真っ直ぐ、他の事を考えず愚直に向けられているから何故か心を揺さ振る。

可笑しな物だけど…ね。


王粲も例外ではない。

視線を一度祐哉から外すと私を一睨みしてきた。

“厄介な奴を出しおって”という抗議が籠った視線に心中で苦笑を浮かべる。

孫娘が居る歳だけあって、どうやら、こういう相手は苦手みたいらしい。

思い掛け無い祐哉の手柄。

本当に助かるわ。



「…大切ではない事など、有る訳が無いでしょう…」



諦めた様に、苦々しく言う王粲を見詰めながら密かに一人で納得する。

やはり、自分の家族以外が巻き込まれているからこそ王粲が従ったのだと。



「だったら、どうして…」


「私一人の事ならば家族の犠牲も厭いませぬ…

しかし、この者達の家族も犠牲になるとなれば従わぬ訳にはいきませぬ…」



ええ、そうよね。

劉表に仕えながらも、常に民の事を思い尽力してきた貴男ならば、そう。

彼等が王粲と同様に家族の犠牲を覚悟しても、決して見捨てたりはしない。

そういう人だもんね。



「なら、尚更に──」


「──私達が従わなければ“誰か”が新たな犠牲者に代わるだけの事…

それだけの事なのです

特に、その立場の弱い者に矛先は向くでしょうな…」


「──っ!」



その言葉で祐哉が気付く。

王粲が護っているのは何も彼等だけではない。

他の武官・文官達、或いは多く兵や建業の住民達。

その家族だという事に。


王粲達は自らを犠牲として責務を果たしている。

施政者・官吏として一番に背負う事になる役目を。

そして、戦っている。

刃を持たず、心に忍ばせ、己を犠牲に──今も尚。




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