34 朱に交わる糸
周瑜side──
賊退治が商家の娘の誘拐に変わり、皇女誘拐事件へと発展した。
自分でも訳の解らない事と感じてはいる。
だがしかし、現実だ。
この良く判らない状況も、飛影様の“妻”と名乗った少女も、だ。
(曹孟徳、か…
確か、大長秋・曹騰の孫でかなりの遣り手と聞く…)
実力は目の当たりにしたし実績も有る才女。
飛影様との信頼関係は他の比ではないだろう。
そう感じさせられた。
複雑では有るが今は思考を切り替える。
孟徳殿と皇女殿下の話から経緯が見えてくる。
(商家の娘と間違え殿下を誘拐した訳か…)
誘拐をするのなら下調べを徹底しろと言いたい。
大方、殿下が居たと言った店が商家の物なのだろう。
店先とは言え侍女を従えた気品の有る娘が居たなら、仕方無いのかもしれないが何等かの方法で確認すれば事態は簡単だったろうに。
まあ、今更愚痴を言っても意味は無いが。
飛影様が賊徒の頭目に対し尋問を行った。
結果は見事の一言。
以前から思ってはいたが、巧みに認識や思考を誘導し自分の流れに引き込む。
そして掌握、支配する。
「読んでみな」
そう言って孟徳殿に書状と思しき物を手渡す。
彼女の右脇から失礼をして覗き見させて貰う。
書かれていた内容を見て、つい溜め息を吐いた。
「くだらない争いね」
そう吐き捨てる孟徳殿。
全く以て同感だ。
「まあ、これで此処でする事はもう無いな
“後片付け”は?」
「既に終わっています
直ぐに向かわれますか?」
そう答えると飛影様は少し考えられる。
孟徳殿と殿下が同行する為移動時間を計算しているのかもしれない。
「…ん、それじゃ皆で先に洛陽に向かってくれ
此処の“後始末”をしたら俺も合流する
皇女様、皆と一緒に馬車に乗って下さい
お前も同乗してくれ」
私達に指示し、孟徳殿にも同乗を願う。
まあ、私達は“部外者”で後ろ楯も無い。
その点で正式に捜索命令を受けた孟徳殿が一緒なら、私達も助かる。
それを見越してだろう。
「…そうね、その方が色々都合が良いわ
お互い、色々と、ね?」
「余計な詮索はするなよ?
お前達も話すなよ?」
飛影様が溜め息を吐きつつ孟徳殿と私達へ注意する。
孟徳殿は返事をしない辺り従う気はないだろう。
私も出来れば話をしたい。
今後の為にも。
呆れる飛影様を置き私達は賊の根城を後にした。
──side out
皆を先に行かせ、アジトを片付けに掛かる。
皆が戦利品を回収済みな為文字通りの掃除。
影から偃月刀を取り出し、気を与え冷気を生み纏わせ刃に圧縮してゆく。
「流石に、この規模を炎で灼くと目立つし…
まだ夕暮れにも早いしな」
灼く方が手っ取り早いが、仕方無い。
今は目立って、他の連中の注目は集めたくない。
「しかし、劉曄が拐われて俺が助ける事になるとは…
彼奴も来てたし…
これ…“フラグ”か?」
劉曄は“魏”の臣下。
けれど“此処”では皇女、普通は考えられない。
考えられない…が、どうも嫌な予感がする。
「…釘を刺して置くか」
溜め息混じりに呟き思考を切り替える。
アジトの中央になる位置に移動、圧縮した冷気を纏う偃月刀を横薙ぎに一回転。
水色を帯びた銀の輝きが、円環を描いて広がる。
その中心で鋒を真下に向け偃月刀を掲げる。
「咲き、散らせ」
言葉と共に地面に鋒を突き刺すと大地を凍らせながら一気に広がってゆく。
アジト全てを凍らせるまで一分と掛からない。
そして引き抜いて石突きで地面を一叩き。
罅割れながら蜘蛛の巣状に広がり──高く、儚い音を響かせて砕け散る。
原子レベルまで凍結させて一欠片も遺さずに。
砕け散った氷の欠片は宛らダイヤモンドダスト。
全てを包み抱き、滅す。
残ったのはアジトが建っていた筈の更地のみ。
「おー…想像以上だな
綺麗に消え去ったよ」
ちょっと考え事し過ぎて、溜め過ぎたか。
それとも、俺の練氣の質が向上したか。
何方らでも良いか。
「さっさと追い付くか」
偃月刀を影に仕舞うと地を蹴って木を足場にしながら北へ向かう。
皆の氣の位置を探索。
一応、一時間程“余白”を取ってから始めた。
その分だけ離れている。
“アリバイ”作りする事になるとは思わなかったが、劉曄の手前、必要だった。
(…でも、今回は“澱”は出てこなかったな
“こういう時”に限って、エンカウントしてたが…)
その気配は無い。
残る“澱”は一体。
既に存在してない可能性も有るから絶対ではない。
(まあ、今日はこのままで終わってくれそうだ…)
そう思うと気が楽になる。
色々有ったから腹一杯。
もう十分だ。
何より──
今夜は一荒れするだろうし気が滅入ってくる。
“逃走”の衝動に駆られた事は内緒だ。
劉曄side──
飛影様と分かれ、洛陽へと向かう馬車の中。
皆様の御名を御訊きした。
飛影様の家臣で、御一緒に旅をされているとの事。
旅──その事に羨望の念を抱いてしまう。
私も旅をしてみたい。
そんな“夢”を。
「殿下、急ぐ分揺れますが御気分は如何ですか?」
「有り難うございます
私は大丈夫です
御心配要りません」
黄忠様が気遣って下さる。
でも、それは私が“皇女”だからなのでしょう。
いいえ、本当は違うのかもしれません。
ですが、一度でもその様に考えてしまうと直せない。
(私の悪癖ですね…)
助けて下さった方々なのに疑う様な真似をするなど、恩を仇で返す様なもの。
自分が恥ずかしい。
「そう堅く考えるな」
不意に掛けられた声。
聞こえた方へと振り向けば飛影様が馬車の後方から、飛び乗って来られた。
「ですが──」
「この速度だと洛陽までは二刻は掛かるだろ?
その間、ずっと堅苦しいと宮中と変わらない
今位は気楽にしても誰にも咎められないさ
なぁ、“劉曄”?」
そう言って私の頭を右手で撫でられる飛影様。
先程の言葉──“あれ”は皆様ではなく、もしかして私に言われた言葉では。
そう考えると納得出来る。
反論し掛けた周瑜様は勿論皆様が戸惑っている。
でも、私は自然と微笑む。
「あの…そうして頂けると私も嬉しいです」
何故なのだろう。
彼の言葉は私の心に強く、深く、響いてくる。
「だ、そうだ」
「……はぁ…判りました」
笑顔の飛影様に、周瑜様は深く溜め息を吐く。
皆様も苦笑している。
「ふふっ、私は立場上遠慮させて貰うわよ?」
「ああ、判ってるって」
曹操様と飛影様。
以心伝心とは御二人にこそ相応しい言葉ではないかと見ていて思う。
「さてと…劉曄
お前を助けた“礼”という訳じゃないが頼みが有る」
腰を下ろした飛影様が私を真剣な眼差しで見る。
命の恩人の頼み。
断る理由は無い。
寧ろ、此方から言い出して然るべき事。
「私に出来る事でしたら」
「それで十分さ」
私が答えると笑みを浮かべ飛影様が返される。
「病状──というか原因や治療法は教える
だが、俺が助けた事は勿論そう言った知識や技術等を持つ事を秘密にしてくれ」
飛影様が仰った事はとても意外な事でした。
私だけではなく、皆様にも意外な事らしく馬車の中が静まり返った。
「秘密に、ですか?」
私は信じられない気持ちで訊き返した。
「勿論、父である陛下には口外無用でなら、話しても構わない」
「理由を御訊きしても?」
「単純な話さ
俺は本名を伏せて旅をしているが、それは面倒を避け一ヶ所に留まらない為…
“仕官”の話を受けない為でも有る
知られると目を付けられ、動き辛くなる…
俺自身の意志以外では旅を止めたくないんだ」
真っ直ぐな、嘘を吐く者の眼差しではない。
でも、どうしてだろう。
それだけとは思わない。
そして、その理由はきっと彼女達を想っての事。
“彼に”臣従している志を尊重して、と。
「…判りました
貴男方の事は決して他言はしないと約束致します」
私が“貴男方”と言った為彼が苦笑を浮かべる。
間違ってはいなかった様で何故か喜ばしい。
「本題に入るが…その病は正確には“体質”だ」
「体質、ですか?」
「氣を知ってるか?」
「人伝に聞いた程度は…」
「それで構わない
お前は氣の総量が人よりも遥かに多い
この場で俺を除けば一番、群を抜いてると言える程に莫大な量を有している」
そう言われ思わず両手へと視線を落とし見詰める。
想像した事も無い事実。
「しかし、それが原因だ
氣は全ての生命が宿す根源たる力──体力・活力とも言える
本来、氣は循環しながら、消費されていく
だが、お前の場合は器たる肉体の消費量より内包量が多過ぎる…
本能的に己を守る為に氣を消費しようとする
身体の倦怠感や発熱などが症状として出るだろう
当然、身体に掛かる負担は大きくなる
幼少時から病弱というのも氣の差が理由だ」
「知りませんでした…」
「それは当然だ
病弱と言っても、必ずしも氣が理由とは限らない
そして、氣を扱える者でも気付けはしない
基本的に氣が自らを害する事は無いからな」
飛影様に会わなければ私は死んでおり、真実を知る事もなかったという事。
「病でないのなら治す事は出来るのでしょう?」
曹操様が訊ねられる。
私もそれが気になる。
「方法は二つ…
一つは俺が定期的に処置を行い続ける事…
もう一つは──」
飛影様に見詰められ思わず息を飲んだ。
「劉曄自身が氣の扱い方を身に付ける事だ」
──side out
劉曄への説明を終えた後、馬車の中は少しばかり重い雰囲気が漂った。
まあ、仕方も無い。
現状で“指導”出来る者は俺か華侘しか居ない。
正確には“俺は知らない”だが、大差は無い。
氣の存在は知っていても、一般的に確立・体系化され認知されてはいない。
つまり、その知識・技術を持つ者が稀少な証拠。
行方の判らない華侘よりも俺に話が来るだろう。
だが、俺は留まらない。
故に生じる困惑だ。
「どうするつもり?」
俺の左肩に寄り掛かる形で身を寄せている孟徳が他に聞こえない様に訊く。
「定期治療なら請け負うが留まる気はない
何よりお前と再会した以上“他所”へ旅をする理由も無いしな」
「そう…でも、今夜は色々詳しく聞かせて貰うわよ」
“覚悟してなさい”と目が必要以上に訴えて来る。
どうやら逃げ道は無い。
“一人”の追及で済むなら良しとするか。
「お前が洛陽に居た理由は“裏交渉”か?」
「…何故そう思うの?」
「単騎で動く以上、連れて来た兵は少ないんだろ?
しかも、それを動かしては居ないんだ
“目立ちたくない”と見るのが妥当…なら、表立って出来無い事と考えられる
内容は…そうだな
州牧の地位…違うか?」
「…はぁ…相変わらずね
その非常識な“読み”は」
「非常識は余計だ
これが──」
「“俺の普通だ”でしょ?
判ってるわよ」
揃って笑みを浮かべる。
時が過ぎても薄れていない感覚に懐かしさ、喜びと、愛しさを感じる。
抱き締めたい、その衝動に駆られたのは互いに。
その温もりを、その存在を感じ合い、確かめたい。
けれど、今は抑える。
空気は読めるからだ。
「洛陽に着いたら宿は西の“尚草庵”に取りなさい
曹家の息の掛かった商家の店だから“安全”よ」
孟徳が皆にも聞こえる位の声で話し掛ける。
後半は互いの現状の立場が危ういと言う警告。
洛陽でも気を抜く事は無いだろう。
(やれやれだな…
そう簡単に、のんびりとはさせてくれないか…)
洛陽に着くまで後一刻程。
一寝入りしたい所だが…
今したら色々と厄介な事になるのが目に見える。
胸中で溜め息を吐きながら馬車に揺られた。




