参
──十二月十六日。
報せが有った日の夕方には袁術から使者が来た。
伝えられた内容は予想した通りの者だった。
其処で、私は使者と一緒に袁術の下へと向かう。
その一方で、“仕込み”を実行に移した。
「久し振りね──と言う程会ってない訳じゃないし、挨拶は省くわよ、袁術」
「うむ、構わんぞ、孫策」
玉座に座る袁術はいつもと変わらずに無駄に偉そうな態度を取っている。
“そうして居られるのも、今の内だけよ”と思うけど声や態度には出さない。
尤も、袁術自身は兎も角、その傍に控えている張勲が厄介だからだけど。
何気に張勲は裏で袁術派の実権を握っている。
実際、古参の連中が好きにしている様で肝心な部分は張勲が動かしているしね。
詰めが甘い所も有るけど、他の連中よりは有能。
露骨な手段も使うしね。
「先日はご苦労様でした♪
同盟戦(今度)もまた宜しくお願いしますね♪」
上辺だけでしかない労いの言葉なんて要らない。
そんな事を言う位だったら物品とかで感謝や労い等の意思を示して欲しいわ。
まあ、無理でしょうけど。
最初から、そんな気持ちは無いんだろうしね。
まあ、今回は此方もだからお互い様なんだけど。
「その今回の使者を出して伝えてきた件なんだけどね
私達は動けないわ」
「……………………え?」
あまりにもあっさりとした私の言葉に呆然としながら張勲は思考する。
私の言葉を反芻し、考え、理解して──気付く。
「え?、ちょっ、ええっ!?
ど、どういう事ですか?!
参加出来無いだなんて話は聞いてませんよ?!」
「それはそうでしょうね
今初めて言ったんだから」
“何を当たり前の事を…”という感じで、呆れた様な態度を取って見せる。
実際には呆れているよりも笑いたい衝動の方が強く、堪えるのが大変なのよね。
こんな“茶番劇”を本気で信じてるんだから。
…あ〜でも、そう考えるとそんな相手に不本意だったとは言っても、頼らざるを得なかった曾ての私自身が情けなくて泣きたくなってしまってくる。
切羽詰まった状況だったと言ってもね。
本当、思い出したくはない己の若き日の拙さね。
「な、何じゃとっ!?
孫策っ!、それはどういう事なのじゃっ?!」
──なんて内心でこっそり浸っていると、漸く事態を把握出来たらしく張勲より僅かに遅れて袁術が大声を上げて訊いてきた。
蓮華の時にも思ったけど、袁術って対面しているだけだったら必要以上には喋る事はしないのよね。
基本的に言う事は誰かから用意された文言だけ。
自分が興味を引かなければ面倒臭そうな棒読み状態で応答するだけだし。
“遣り方”さえ理解すれば結構簡単に踊らせられる。
もっと早く気付けていたら良かったのに。
そう、悔やむ気持ちを胸の奥で噛み締める。
「どうもこうもないわ
南側──つまり私の預かる長沙郡は大丈夫なんだけど武陵・零陵・桂陽の三郡が不安定なのよ
簡単に言えば反乱の兆しが見えるって事ね」
「は、反乱!?」
その一言を聞いて、即座に自分の身の危険を理解する辺りは憎まれているという自覚が有るのかしら。
………いや、無いわね。
単純に“反乱”って聞いて危険だと思っただけ。
“黄巾の乱”という歴史的大事件が起きているが故に民の反意による脅威という物は理解している筈。
尤も、十分に理解するなら善政を敷くでしょうけど。
袁術に其処まで思慮深さは無いんだけどね。
袁術には、ね。
チラッ…と一瞬だけ視線を向けた先では張勲が表情を強張らせていた。
袁術とは違い、その情報が事実だった場合に何れ程の影響が出るか考えているのでしょうね
尤も、この反乱騒動自体は私達が独立に向けて各地に仕込んでいた事。
元々の使い方とは少し違う形では有るんだけどね。
其処は祐哉の策に伴う。
「──じゃっ、じゃったらお主はこんな所で何を悠長にして居るのじゃっ!?
早く鎮圧するのじゃっ!」
“あらっ?”と思わせる程意外な一言が袁術の口から出た事に素直に驚く。
こういう時の大概の反応は凄く慌てたり弱気になって張勲に対して意見を求める物だったりする。
それだけでも珍しいのだが何よりも意外にも的を射た発言だった事。
別に袁術(自分)との対面の場を“こんな所”と言った事にではない。
確かに、それも真実と言う事も出来無くはないが。
私の言った事が事実ならば“私が此処に居る事”自体可笑しい──という事。
袁術自身は完全に無意識に言った事でしょう。
まさか自分の発言が真実を射抜いているだなんて全く理解してはいない。
恐らく、想像ですらも。
でも、傍に居て聞いていた張勲は違う。
先程の袁術の発言を聞いて明らかに表情が変わった。
強張らせていた筈の表情が一転して余裕を孕んでいる笑みを浮かべる程に。
(…まあ、私が張勲の立場だったとしても同じ様には考えたでしょうけどね…)
だからこそ、理解出来る。
今の張勲の考えや気持ちはまるで手に取る様に。
これからの話の流れの中で張勲が如何に動くのかも。
そして、それらが祐哉達の立てた筋書き通りだなんて張勲は気付かない。
常に主導権を握って私達を便利使いしてきたからこそ自分達が踊らされている。
既に立場が逆転している。
それらの事実に、ね。
「まあまあ、お嬢様…
此処は落ち着きましょう
孫策さんにも“何かしら”考えがあるんでしょうし」
──と言って興奮している袁術を宥めながら、視線を此方へと向けてくる。
“そうですよね〜?”とか“判ってるんですよ〜?”だなんて言外に語り掛ける視線をね。
苛っ…とする態度だけど、我慢するべき所。
可能だったら全部バラして罵って大笑いして遣りたい衝動に駆られるけどね。
そう、もう少しの我慢よ。
「…む…まあ…そういう事じゃったら仕方無いのぉ…
ならば、その考えとやらを説明するのじゃ」
「だそうですよ〜♪」
態と袁術に要求させる様に仕向けて置いて、白々しい態度と笑顔で私に話を振る張勲を見て殴りたくなる。
勿論、我慢はするけど。
想像するのは…自由よね。
「──ひゃうっ!?」
突然、身体を震わせながら小さな悲鳴を上げる張勲。
両手で自分の身体を抱いて左右を見回す。
途中、私と視線が合ったが私は訝しむ様な態度を取り小首を傾げて見せる。
勿論、無用な警戒を張勲にさせない為の演技。
勘が働いたのか、或いは、私の殺気が漏れたのか。
理由は定かではない。
ただ、それが僅かとは言え張勲を牽制し慎重にさせる事になったのは事実。
良い事なのか悪い事なのか現時点では言い切れないが私の個人的な見解としては悪くはないと思う。
あまり余裕を持たれ過ぎて袁術に話されたりするより増しだからね。
それにほら、鬱陶しいのも軽減されるだろうし。
「どうしたんじゃ七乃?
急に変な声を出して…
何か有ったのかのぉ?」
「い、いえ…別に、何でも無いですよ、お嬢様♪
気にしないで下さい
…ちょっとだけ寒気がしただけですから…」
若干引き吊り気味だったが笑顔を作って見せ誤魔化す張勲に胸中で拍手する。
後半は袁術には聞こえない様に顔を逸らして言ったが私には聞こえた。
もしかしたら揺さ振る為に態とかもしれないけど。
だから一応無視して置く。
余計な事言わない為にも。
まあ、寒気程度済むのなら大した事ではないと張勲も判断するでしょうね。
明らかな殺気を出してたら此方にしても言い訳なんて出来無いけど。
証拠は無いものね。
小さく一息吐いて、思考を切り替えて袁術を見る。
「考えって言われても私も困っちゃうんだけどね〜」
そう言って肩を竦めて見せ軽い挑発をする。
“小馬鹿にされた”とでも受け取ってくれると此方も嬉しいんだけど。
…そうそう都合良くなんていかないものよね〜。
袁術が袁紹並みに馬鹿で、目立ちたがり屋で、無駄に自尊心が強かったら今ので楽に釣れるんだけど。
現実的には難しいみたい。
私の挑発すら理解出来ずに袁術は首を傾げている。
尤も、こういう袁術だから“御輿”としては最適だと言えるんでしょうけど。
(袁紹は歳を取ってる分、多少なりとも余計な知識を身に付けているものね…)
操れなくはないが、袁術に比べてしまうと自分勝手に事を運ぶ可能性も高い。
担ぐ連中からしてみれば、思い通りに出来無い輩より出来る輩の方が良い。
だから、袁家の古参連中は袁術に付き、担いだ訳だし当然と言えば当然。
加えると馬鹿で居させる為余計な知識を与えない様にしてきたでしょうしね。
取り敢えず、袁術の反応が期待した物ではない以上、間を置き過ぎるのは危険。
張勲から突っ込まれる前に先に此方から仕掛ける。
「確かに不安定な事自体は私も把握していたのよ
だってほら、州牧が貴女に代わって大体半年よね?
私は自分の受け持っている長沙郡を無事に統治すれば良いから楽だけど…
貴女の場合には州牧として荊州全体を新たに統治する必要が有るでしょ?
元の領地は南陽郡だけだし他は全て前任の劉表が統治していた訳だから移行にも色々と手間取るわ
つまり、はっきりと言って時間が足りないのよ」
なんて言ってはみるけど、本当に遣る気が有ったなら半年有れば領民から信頼を得る事は十分に可能。
政策等の成果・結果が出るには厳しいでしょうけど。
それが出来ていないのは、偏に怠慢でしかない。
まあ、実際には南側の郡は全て私達が統治していると言っても良いけどね。
…太守や都尉?
元々、劉表が支配していて全てが息の掛かった連中で占められていたのよ。
劉表と一緒に消えたわ。
黄巾の乱で死んでたしね。
で、新たに着任した面子は劉表・袁術とは無関係。
しかも正面な見識を持った人物ばかりだった。
だから、私達が口説いて、孫家の方へと抱き込む事も可能だった訳なのよね。
表向きには袁術に従う様な振りをして貰ってるけど。
知らぬは袁術ばかりなり〜って事よね。
「…確かに全領地の把握は中々に難しい事です
でも、孫策さんの言う様に反乱が事実だったとしたら孫策さんは此処には来てはいないと思いますよ?」
“難しくて長い話をすればお嬢様だけは誤魔化せると思いますけど私の方までは無理ですからね?”とでも言う様な眼差しを向けて、思いっ切り踏み込んで来た張勲に対し──私は胸中で北叟笑んでいた。
狙い通りに食い付いてきた獲物の間抜けさに。
私の最初から狙いは張勲。
袁術は引っ掛けなくても、自分から網に掛かってくるでしょうから。
張勲を押さえれば尚更。
袁術の事は放って置いても一緒に捕獲可能だしね。
「まあ、そうね
そう思うのも当然だわ
私だって貴女の立場なら、疑っているでしょうし」
だから、敢えて肯定する。
それを聞いた張勲は思わぬ展開に“…………え?”と間抜けな表情をする。
此処で間を置かずに一気に畳み掛けていく。
「抑ね、私が反乱の動きを知ったのは此方に向かって来ている最中の事よ
実際、私も襲われたしね
貴女の出した使者も一緒に居たんだから訊いてみれば直ぐに判る事よ」
その襲撃も此方の仕込み。
身軽な者を選んで扮装させ道中で襲撃させた。
因みに、本当に殺した様に見せ掛ける為に魚や動物の血を皮袋に入れて服の下に身に付けてさせ、私が剣で斬ったら血が出た様に映る仕組みになっていた。
祐哉の話だと“天の国”で結構よく使われる演劇用の技術だとか。
まあ、側で嗅ぐと臭い等でバレるから移動中にして、さっさと離れる様に促して事実に見せ掛けたけどね。
「私が引き返さずに此方に来たのは報せる為よ
使者だけだったら此処まで辿り着けないでしょうし
勿論、長居はしないわ
話が終われば直ぐに長沙に帰るつもりよ
ただ、この際だから私から直接言って置こうと思って来てあげたのよ
聞く気が無いなら帰らせて貰うけど、良いわね?」
「ま、待って下さい!
今直ぐに確認します!」
「早くして頂戴ね」
そう言う事で考える時間を奪い去ってしまう。
引き返せない様にね。




