32 狩りにて学ぶ
司馬懿side──
賊徒の襲撃に備えて居れば予想通りに現れた。
まだ私達は周囲の氣を探り感知する事は出来無い。
ただ、気配は判る。
賊の頭目らしき男の言葉に苛立ちを覚えた。
しかし、灯璃と思春を見て冷静になる。
私達だから二人の感情にも気付ける。
相当にご立腹だ。
飛影様も理解していたから二人に任せたのだろう。
私達は“符丁”に従い直ぐ行動を起こした。
景雅達と馬車の安全を確保して掃討を開始。
と言っても、鬼が二人。
次々と敵を屠った。
(実戦で行うのは初めての事でしたが…凄いですね)
“符丁”の利点は確か。
加えて少数精鋭である事が効果をより顕著にした。
私達“軍師”を志す者には驚愕すべき手法。
いや、隠語自体は有る。
運用方法が、だ。
その後の事にも感嘆する。
私達なら殲滅するか数人を態と逃がして後を追う。
しかし、それは敵に此方の存在を教え、迎撃されたり逃亡や証拠の隠滅を許す事にも繋がる可能性が有る。
飛影様の遣り方なら敵には悟られず情報を得られる。
まあ、遣り方は過激だが。
“敵”には容赦無い。
思い返せば私達の時も。
(確かに畏怖を覚えますがそれ以上に惹かれます…)
苛烈で在りながら高潔。
狡猾で在りながら清廉。
それを体現し常とする方が私達のお仕えする主。
「聞いてたな?」
「どう致しますか?」
飛影様の言葉に皆が頷き、冥琳が訊ねる。
「面倒事では有るが無視は出来無いさ
潰すだけなら一人で行く所なんだけどな…」
肩を竦めて見せる飛影様。
何方らも本音だろう。
「信憑性は大丈夫ですか?
嘘の可能性は──」
「それは無い
氣ってのは体調だけでなく精神状態、感情や思考にも影響される
“嘘”は無かったよ」
「では、分かれますか?」
「いや、全員で行く
どの道、洛陽に行く事には変わらないしな」
私の問いに的確に答える。
此処から洛陽までは普通に行って半日程。
少し飛ばせば日没までには到着出来る。
それに賊徒の根城は道中に“寄り道”する形だ。
分かれる方が非効率的か。
「片付けは?」
「問題無く終わっています
直ぐに出発しますか?」
「ああ、時間が惜しい
山道だが強化して走るから気を付けてな」
飛影様の注意を受け全員が馬車内での揺れに対しての気構えをした。
──side out
other side──
百人を超える男達が内外を右へ左へと往き来するのは木造の薄汚れた砦。
掃除など滅多にしないのか埃は積り、蜘蛛の巣が張り異臭もしている。
そんな中に、私は後ろ手に柱に縛り付けられ、口には布を巻かれている。
どうして私はこんな場所に連れて来られ捕らえられているのだろう。
考えてみても判らない。
“全く無い”訳ではない。
思い当たる事は有る。
私の家柄、父の立場…
諍い・争いの理由は幾つも存在しているから。
だから、明確に出来無い。
(我が身の事というのに、拙いです…)
考えるだけで憂鬱になる。
答えを出したくても出せず見えているのに見えない。
まるで空に浮かぶ雲や月を掴もうとする様に。
(今日は良い朝でした…)
思い返してみれば──
今朝は起きた時から身体の調子も良く、お陰で陰鬱な気分も明るくなっていた。
だから私は我が儘を言って外出をした。
街へ出たのは何ヵ月振りになるだろうか。
いつもは窓越しにしか見る事の出来無い景色。
窓からしか感じる事のない風の香と感触。
遠くにしか聞こえなかった人々の活気に溢れた喧騒を直ぐ側に感じる。
恐らく、普通の人には何の変哲もない事。
けれど、私には特別。
何時、失われるか判らない“私の世界”では。
全てが──淡く、儚い。
(あの御店で頂いた御菓子美味しかったです…)
お餅の薄い皮に包まれた、程好い甘さの小豆餡。
掌に収まる大きさで私には丁度良い量だった。
次は何時食べられるのか。
次に食べられるのか。
そんな風に考えていた時、私は見知らぬ男達によって拐われてしまった。
私の我が儘に同行していた侍女の方達には迷惑を掛け申し訳無く思う。
彼女達には何もしていない様なので無事だとは思うが心配してしまう。
(…我が儘を言った私への罰なのでしょう…)
つい、考えてしまう。
今頃は彼女達は消えた私を探し回っているのかも。
そう思うと心苦しい。
私の──我が家の問題に、巻き込んでしまった事も。
砦に居る男達は私を害しはしない様子。
しかし、その理由は単純で“人質”或いは“保証”の為なのだと思う。
(…私はどうな──っ!?)
ドクンッ!、と大きく胸の鼓動が跳ね上がる。
同時に強く締め付ける様な痛みが襲い呼吸を阻む。
何も言えず、声も出せず、私の意識は薄れてゆく。
──side out
山林の中、馬車を止める。
栗花達は頭が良い事も有り係留の必要性が低い。
街中は建前上必要だが。
現在地から敵の根城までは約1kmと言った所だ。
此処からは徒歩で行く。
「栗花達は此処で留守番な
直ぐ片付けるから良い子にしててくれな」
そう言いながら、栗花達を撫でてやると、素直に聞き分けてくれた。
皆に向き準備が整っている事を確認する。
「全員でさっさと片付けて洛陽に向かおう
漢升は仲達、仲謀は公瑾と離れずに指揮を執れ」
「…私は護衛役?」
不服そうな仲謀。
まあ、売られた喧嘩だし、前に出たいんだろう。
「剣を使えば賊徒ごときは相手にならないが…
折角の機会だ
槍を使って実戦での感覚を養っておけ
それに乱戦だから槍や弓は動き難くなるしな」
納得して頷く仲謀。
まあ、防衛等の耐久戦闘も覚えて貰わないとな。
「興覇と義封、儁乂と公明で組んで行動する様に
俺は人質と頭を確保する
質問は?」
そう訊くが沈黙。
無いという事だ。
「よし、行こう」
駆け出す俺に皆が続く。
時間短縮の為、氣で強化し戦闘力を上げておく。
1分と掛からず視界の中に木造の外壁を捕らえた。
「容赦する必要は無い…
数は凡そ三百、一人残さず狩り尽くせっ!」
『御意っ!』
右手で背中の翼槍を掴み、炎を生み纏わす。
「その命、貪り喰らえ!」
駆けながら逆袈裟に一閃。
外壁を切り裂き、発火。
切り口は衝撃で吹き飛び、其処から侵入。
巻き込まれた数人が倒れ、突然の事に呆然と佇む者を擦れ違い様に斬る。
「……っ!?、て、敵──」
見張り台に居た男が敵襲を報せ様としたが僅かに声を出しただけに終わる。
漢升が撃ち抜いたか。
掃討は任せ、奥へと急ぐ。
敢えて皆に言わなかったが妙な氣の持ち主が一人。
しかも全く動かない。
その事から誘拐された娘と考えて良いだろう。
(視た事の無い氣だな…)
気になる──が、考察するのは後回し。
先ずは身柄を確保する。
「だ、誰──」
「手め──」
出会い頭に遭遇する賊徒を次々と屠る。
本陣だけあって中の人数も多いが、大半が外へと誘い出されていて楽だ。
「其処か…」
眼前の扉の向こうに目標を見付け、翼槍で斬り貫き、飛び込む。
酒を飲んでいたらしい男が此方に気付いた。
other side──
鈍い、何かが壊れる音。
大きいのか、実はそうでもないのかも判らない。
けれど、その音に誘われる様に意識が戻った。
「誰だ手前ぇっ!?」
朦朧とする意識の中、耳に聞こえたのは、砦の主たる男の怒声だった。
(…誰、か…居…る?…)
声を荒げているという事と先程の男の台詞から此処に“部外者”が居る可能性が脳裏に浮かぶ。
「お前が頭目か?」
「だったらどうしたっ!?
手前ぇどうやって此処まで入って来やがったっ!?」
落ち着いた、綺麗な声。
男の耳障りな声とは違い、透明感の有るその声は耳奥へと染み込む。
どうやら侵入らしい。
もしかしたら、助け出しに来てくれた人だろうか。
「探す手間が省けたな」
「何言って──」
唐突に男の声が途絶えた。
次いで、ドサッ…と何かが地面に落ちる音。
状況を把握しようとするが身体に力が入らない。
僅かでも呼吸出来る事が、意識が戻った事が奇跡。
今、己が“死”を感じる。
ずっと、覚悟していた。
いつ、息が止まるのか。
いつ、その時が来るのか。
判らない恐怖の中で。
残された絶望の命で。
生きていられる一日一日に感謝して。
生きて迎える朝が来る度に歓喜して。
この世を去る、その時を。
(……せ…めて……)
しかし、心残りが有る。
家族との別れ…
侍女達への感謝…
何より──私を看取る人の顔も名も知らない事。
その人に対し感謝の言葉を伝えられない事が。
「これは…ちっ!
おい、しっかりしろっ!
意識を強く持てっ!
直ぐに助けてやるっ!
だから──死に抗えっ!」
“死”に抗う──私の心をその一言が強く穿つ。
同時に溢れ出す。
“死にたくない!”という抑え続けた想いが。
縛り付けられていた身体が解放され倒れるが、誰かに抱き止められた。
次の瞬間、私の身体の中に感じた事の無い──けれど優しく穏やかな温もりが、広がり満ちてゆく。
ゆっくりと、ゆっくりと…
私を染めてゆく。
私を蝕んでいた苦しみが、嘘の様に薄れ始める。
そのお陰で意識がしっかりしてきた。
重かった瞼を開けていくと私を見詰める真紅。
血の様で、炎の様に美しい紅に見惚れる。
「もう大丈夫、安心しろ」
不意の然り気無い微笑みに生きていると実感し──
涙が頬を濡らした。
──side out
賊の頭を気絶させ拐われた娘へと近寄った。
其処で漸く気付いた。
感じていた氣の違和感に。
生命を蝕んでいると判り、直ぐに手を打つ。
声を掛け、意識を揺さ振り生きる気力を出させる。
処置を施し始めて数分。
呼吸も安定し、目を開けた事で一安心。
死を覚悟していたらしく、涙を流していた。
間に合って良かった。
「飛影様」
暫くして処置を終え彼女も落ち着いた所へ、都合良く皆が遣って来た。
外も片付いた様だ。
「其方らが拐われた孟斉殿の娘さんですか?」
「…あの、失礼ですが…
私の事でしょうか?」
漢升の言葉に彼女は丁寧な言葉使いで訊ね返す。
その反応に疑問を抱く。
「私は飛影、旅の者です
失礼ですが、貴女の御名を御聞きしても?」
「飛影様、ですね…
助けて頂きまして有り難うございます
御挨拶が遅れました
私は劉子揚と申します」
礼儀正しく一礼し名乗るが其の名に軽い目眩を覚えたのは俺だけではない筈。
「まさかとは思いますが、“皇女”殿下様で?」
「……はい…」
俺が訊ねると寂しそうな、困った表情で頷く。
やだ、可愛い──とか馬鹿言ってる場合じゃない。
皆も困惑しつつ俺に視線で訴え掛けている。
「…あ〜、その、ですね
付かぬ事を御聞きしますが貴女以外に拐われた者は…御存知ですか?」
「私の他にも拐われた方が居らっしゃるのですか!?」
その反応を見る限り確定と思っていいだろう。
皆も心当たりが無い様だし拐われたのは一人だけ。
公瑾に視線で合図すると、小さく溜め息を吐く。
お前だけじゃないからな。
「御安心下さい
他には誰も居ませんでした
今のは飽く迄確認です」
公瑾が冷静に説明。
こういう場合は後から来た者の方が説得力が有る。
「そ、そうでしたか…」
大声を上げた事に対してか早とちりした事か、彼女は恥ずかしそうに俯く。
大体の経緯は読めた。
後は気絶させた男を締めて吐かせて確認しよう。
「取り敢えず──っ!」
“馬車を”と言おうとして言葉を切り、右手で曲剣を抜き放ちながら、皆の間を抜けて入り口の方へ走る。
刹那──
ギキィンッ!、と金属音が部屋の中に響いた。




