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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
419/915

       玖


指揮官を失い茫然となった兵達を回転して一掃。

即座に次なる部隊(むれ)を目掛けて駆け出す。


逃げる事を優先しているが故に兵達を時間稼ぎの為に容易く切り捨てる孫羌達。

その決断は私の中に有った極僅かな慈悲を消し去る。

孫羌は一番最後に殺す。

そう心で密かに決意する。



「待て待て待てぇーいっ!!

調子に乗るなよ小娘っ!

此処より先にはこの俺様が行かせはせんっ!

その首っ、貰ったぞっ!!」



殿の兵達の間を割って私に向かって突出して来たのは見覚えの有る男。

何処までも他人を見下した態度に少し苛立つ。



「…孫偉か」



孫輔の息子で、三人兄弟の末弟にあたる武将。

勇猛果敢だと言われている評判とは違い実際は蛮勇。

腕っぷしだけは有るのだが慎重さや丁寧さは無い。

所謂、“脳筋”な男。

それを物語る様に手にする獲物は蛇矛。

別に蛇矛その物に対しての批判という訳ではない。

ただ、孫偉の持った蛇矛は柄の太さだけで私の二の腕以上も有る。

その上、刃の部分が普通の蛇矛に比べて倍の長さ。

正直、意味が判らない。

…いや、単に自身の怪力を見せびらかして自慢したいだけなのでしょうけど。

もし、普通の規格の蛇矛を扱っていれば幾分か増しな戦いになるでしょうに。

本当、馬鹿な選択よね。


一つ、息を吐いて全速力で突進しながら蛇矛を両手で頭上で回転させる孫偉へと“一歩”、踏み出す。



「──ぬっ!?」



──刹那、孫偉の視界から私の姿は消え去った。

私が“姿を隠した”という訳ではない。

ただ、一歩で孫偉の右後方──私から見て左斜め後ろ側へと“抜けた”だけ。

たったそれだけなのだが、孫偉には理解出来無い。

気配を捕捉する事も。

だから、見失った。


そして、私がただ擦れ違う様に抜ける筈が無い。

そんな生温い教えを受けた覚えも無い。

故に──既に終えた。



「己の未熟さを知れ」


「──っ!?、其処かっ!」



私の声に反応して脚を止め此方へと振り向く孫偉。

しかし、それは叶わない。



「──あ?」



回転していた蛇矛は勢いに逆らう事無く、両手の手首から先を伴って直進。

踏ん張った筈の両脚は己の言う事を聞かず、外側へと各々に開きながら前進。

振り向く為に捻った胴体は独楽が回るが如く滑らかに上半身だけを回転。

一回転と四分の一回程って自重により、停止。

首から上だけは更に一回転近く回って、再び正面へと向いた形で停止。

飛んでいった蛇矛が地面を叩くのと粗同時だった。

孫偉“だった”物が力無く地面へと崩れ落ちたのは。


振り返り確認する事もせず先へと向かって踏み出す。

視線の先には、恐怖に顔を染めた兵達が居た。





「ぅ──うわあぁああぁああぁあああぁぁっっ!!!!」


「ひ、怯むなっ!!

殺れっ!、殺れぇーっ!!」



目の前に迫る恐怖。

明確な死を“目視”した時人間はどうなるか。

死は根源的な恐怖だ。

人間とは生まれた瞬間から死を確定されている。

しかし、だからと言って、容易く受容は出来無い。

故に、懸命に抗う。

“必死に生きる”と容易く言うが意外にも正しい。

必ず死ぬと定められているからこそ、一度の生を命を懸けて生きる。

だだそれが最も難しい事も事実だったりするのだが。


今、兵達は恐怖に染まって自制すら儘ならない状態の者が殆んどだろう。

だが、他者──外側からの命令に対しての反応だけは問題無く出来る。

その中に僅か一人だけでも指示を飛ばせる者が居れば彼等は素直に従う。

その指示の正誤は無関係。

ただ“動かなければ死ぬ”という恐怖心が彼等を突き動かすだけ。

自分ではどうしようもない状況だからこそ他者に頼り従うだけなのだから。

まあ、若干の責任転嫁等の感情や打算も含まれている事だろうけれど。

それでも何もしないままで殺されるよりは増し。


剣を、槍を、斧を、弓を、盾を構えて迫る私に対して迎撃の姿勢を取る。

それが、精一杯の抵抗。

震えを抑える事は出来ず、ガチガチと金属の触れ合う音が響いている。



「…意地を張り貫く程度の覚悟も無く、戦場(ここ)に立った己自身の浅はかさを鑑みる事だ──あの世で」



脚を止めず──突破。

真っ先に駆け抜けて行った私の姿を追い確認する様に振り向こうとした兵達だが視界は赫く染まる。

そして意識は訳の判らないままで途中で絶え、永遠に目覚めない深淵の眠りへと沈んでいった。


最後に私の言葉が聞こえた者は何人居ただろうか。

一人だけでも居たのなら、私としては十分。



「貴方達は愚かだった…

けれど、最後まで戦う姿を貫いた事は認めよう…

そして、戒めとして後世に伝えていこう」



彼等の様に成らない様に、同じ過ちを繰り返さぬ様に“歴史”の真実として。

時の流れに埋没する事無く有りの侭の話を。


大切なのは大局ではない。

重要な出来事や結果でも。

真に語り伝えられるべきは生命を散らした有り触れた悲劇の中に居た彼等の様に名も知らぬ者達の存在。

そんな犠牲を出さない為に私達は繋いでゆく。

遥かなる時の彼方までも。





「──くっ…仕方有るまい

行くぞ孫鄰っ!」


「はっ!」



次々と護衛をしている隊を壊滅させて近付く私を見て先に動いたのは孫賁。

長男の孫鄰を伴って反転。

兵達と共に本隊から離れて即座に陣形を展開させた。

その速度は孫家本来の戦の動きと遜色の無い物。



(…やっぱり、あの二人が一番手強い相手みたいね)



予想はしていた。

孫輔は完全な文官。

軍師と言える程の機知も、指揮能力も無い。

性格は大人しく、猜疑心が人一倍に強い。

その為、身内──直系以外には気を許さない。

ただ、仕事は出来る。

所謂、書類仕事、だが。


対して孫賁は孫家の血筋を感じさせる武将。

しかも高い指揮能力を持ち血気に逸る事も無い。

本当に孫羌の息子なのかと疑いたくなる程に優秀。

人格的にも比較的正面。


そして、従甥の中で同様に一番有能なのが孫鄰。

末弟の孫績は未知数だが。


だから孫賁・孫鄰の二人が私の舞台上での強敵。

そうなるだろう事は事前に予想出来ていた。

ただ、出来れば先に残りを片付けてからが良かった。

主に、戦った後で気持ちが萎えてしまいそうだから。

だって他は“残念”だし。



「ち、父上っ!?」



──とか、考えていた時。

緊迫した中で聞こえてきた孫績の声に耳を澄ます。

叫びは不安を伴っていた。

二人の兄を亡くした上に、父と長兄までも失う未来を想像したのだろう。

或いは、自分だけ戦わずに逃げる事に対しての戸惑いなのかもしれない。

確か、雷華様からの話では今回が初陣らしいし。

この一戦が初陣って事には少しだけ同情する。

勿論、そんな甘ったれた事なんて関係無い。

戦場(ここ)に立った以上は老若男女も無意味。

死になくなければ戦え。

ただ、それだけだ。



「孫輔!、孫績を頼む!」


「ま、待って下さいっ!

父上私も一緒に──」


「お前は生きろっ!

そして血を繋げっ!

我等の生きた証を後の世に遺してくれっ!」


「──っ!!」



いっそ自分も此処で一緒に戦って散りたい。

そんな感じの滲んだ孫績の子供の様な自己満足の声を孫賁の言葉が遮った。


その言葉の意味を、重さを理解が出来無い程に孫績は愚かではなかった。

声を飲み、歯を食い縛り、拳を握り締めて堪える。

その意志は、尊い。


ただ、もう遅過ぎる。


何故、母様が亡くなる前に孫賁は孫羌に対して言ってくれなかったのか。

そうすれば私達の、孫家の現在(いま)は違っていたのかもしれないのに。

そう思った、私の気持ちと同じ様に。




少数とは言え、鶴翼の陣を敷いてくる辺りは強か。

自分達を餌にして懐の奥に誘い込んで包囲して一気に畳み掛けるつもりだろう。

当然、此方が意図を読んで避けて突破する事も十分に考えている筈。

それでも鶴翼を選んだのは私が一人も逃がすつもりは無い事を察して。

もしも今、此処で私が二人ではなく孫羌達の本隊へと真っ直ぐに向かったのなら二人は迷わず逃げる。

更に二手に分かれた上で。


それは先程の孫賁の言葉が物語っている。

自分達の内、誰か一人でも生き残る事が出来たのならそれで良いのだと。

全員が生き残る必要なんて有りはしないのだと。

はっきりと宣言している。



「ふぅ…厄介な決意だな」



私は孫賁・孫鄰と対峙する形で一旦脚を止める。

“翼の内側”には入らない僅か一歩手前の位置で。

そして、一息吐いてから、二人に対して訊ねる。



「貴様等の信念は何だ?

我等が母を、孫家の当主を裏切って尚恥を知らぬ体で生きている理由は?

まさか“家族の為”等とは言わぬだろうな?」



そう言って睨み付ける。

二人を同時に視界に納め、殺気も出して威圧する。



「…叔母上の事に関しては我等に弁明の余地は無い

だが、敢えて答えるなら…信じられるかは判らないが父の愚行に気が付いたのは叔母上の死後の事だ

袁術の早過ぎる行動こそが何よりの証拠だからな…」



そう語った孫賁には一片の偽態も窺えない。

真実、なのだろう。


と言うより、敢えて今まで雷華様は私に真相に関して語られなかった。

ただ、今回の一戦で自分で確かめる様に言われた。

孫賁・孫鄰に対して。


判っていて、確認させた。

私自身によって。

そうする事で本当の意味で過去に決着を付けさせる為だったのでしょうね。

何処までも厳しい方だわ。



「そんな我等には信念等と呼べる物は無い

だが、もしも生き恥を晒し続けてきた理由と呼ぶ物が有るとすれば──」



そう言いながら孫賁は腰の剣を静かに抜いた。



「──死に様を求めて

ただ、それだけだろうな」



そう言い切る孫賁の表情に一切の翳りは無い。

何処か晴れやかで有り──“漸く、だ…”と長き間、待ち侘びた様に見えた。


それはきっと私の気の所為ではない。

彼等もまた、私と同じ様に背負っていたのだろう。

囚われていたのだろう。

今日──この時まで。





「随分と身勝手な物だな」



理解は出来ても、簡単には納得出来無い事は有る。

私は聖人ではない。

ただの普通の人間だ。

感情も、好き嫌いも有る。

だから、口から出てしまう言葉も正直な気持ちだ。


それでも──何故だろう。

母様が笑って手を振る姿が脳裡に浮かんでいた。



──まあまあ、蓮華。

そんなに堅く考えなくても良いんじゃない?

私は大して気にしてないし気楽に生きなさいよね。

ほら、笑って笑って♪



──そんな事を宣って。

嗚呼、あの頃の母様は一体何処に行ったのですか?

…まあ、それ自体が母様の仕組んでいた印象操作策に思いっ切り嵌まった私達が勝手に抱いていた偶像。

序でに、私の場合は色々と拗らせて美化されていた。

多分、母様から言わせれば“何を勝手に…”だ。


ですが、一言だけ。

“目標・理想の母親像”は貴女ですからね。



「…否定はせんよ」



静かに呟いた孫賁の言葉に我に返る。

その顔には苦笑が浮かぶ。

…気付かれた?

ちょっと恥ずかしくなってその右側、三歩程下がった位置に立っている孫鄰へと視線をズラす。

誤魔化す様に様子を窺った訳なんだが…

やはり此方も目蓋を閉じて静かに俯いているといった現状に相応しくない態度。


本当に…全く。

これでは何の為に此処まで演じてきたのか。

そう思ってしまう。

勿論、意味は理解しているからこそなのだけれど。

少しは愚痴も出る。



「訊くが…自害するか?」



正直、面倒になった。

何なら自害してくれたって構わないとさえ思う。

無いとは判っているが。



「此処に来てそれは無い

面倒かもしれんが…

せめてもの情けと思って、付き合ってくれ」


「全く…図々しい願いだ」



そう愚痴りながらも愛槍を構えて、静かに深呼吸。



「孫伯陽っ!」


「孫仲謀っ!」


『いざ──参るっ!!』



奇しくも従兄妹同士。

そして、初めて刃を交える事を思い出す。

それが、こんな形な事を、少しだけ残念に思った。




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