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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
418/915

       捌



「──っ…ぐぬぅ…」



侮蔑の言葉を向けられて、孫羌の顔が歪んだ。

同時に孫羌の前には兵達が壁と成り立ち塞がる。



「──甘いな」


「──ぅあ?、ぁが…」


『──っ!?』



キンッ!、と一つ、甲高い音色が響く。

孫羌を見据えたまま僅かに動かした石突きが背後から放たれた矢を弾いた。

その矢は放った本人の額を貫いて命を奪い去る。

矢の勢いに押される格好で仰け反り、後ろに倒れた。



「──そ、孫煕ーっ!?」



大声で呼ばれた名を聞き、“ああ、そう言えば確かにあんな顔だった”と冷静に名と顔を合致させ、脳内の討伐対象一覧表に“済”の赤印を押して除外する。

因みに、孫煕という人物は孫羌の長男・孫賁の三男。

私達姉妹から見た場合には従甥に当たる。

但し、孫煕は私よりも歳下だった筈だが、上の二人は私より歳上だったりする。

その理由の一つには孫羌と母様達姉妹が異母兄妹で、年齢差が有る為。

特に珍しい事ではないが。


叫び声を上げたのは多分、孫煕の兄弟の誰かだろう。

父の孫賁、その弟の孫輔とその息子達の姿は無い。

恐らくは別行動中。

孫羌から視線は外さないで行動している為、声の主が孫羌ではない事は確か。

また兄弟以外で呼び捨てに出来る程に仲が良い関係の者は此処には居ない。

…友人が少ない、という点だけで言えば、曾ての私も偉そうには言えない。

今は、違うけれど。


一連の様子を見て孫羌達は声を失った様に口を開けて茫然となっていた。


それ程驚く事でもない。

この程度の事、雷華様から散々遣られている。

…ああ、ええ、そうね。

私達の“普通”は一般的に有り得ない様な事よね。

まあ、曹魏の中でだったら然程でも無いけど。



「不意討ちがしたいなら、もう少し演技が出来る様に成る事だな

一瞬だが垣間見せた貴様の下品な笑みが“何か有る”という事を物語っていた

貴様等の様な下郎の企む事など不意討ち位だろうから読む事も容易い物だ」



“やれやれ…”と辟易した様な態度を態と取って見せ孫羌だけではなく他の者も挑発して冷静さを奪う。


群衆・集団心理という物は実に面白いと思う。

良い例を上げれば開戦前の舌戦や前口上で士気を高め戦意を煽るという物。

悪い例を上げれば過信。

“数が多い”というだけで自分達が強くなったのだと錯覚してしまう事。

勿論、組織され統率された軍隊という物は脅威だ。

だが、ただ群れているだけでしかない烏合の衆に何の脅威を感じようか。

そして、集団で居る事実が気持ちを大きくさせる為、思考を鈍らせもする。

付け加えると、他人任せな思考が働き易い。

故に、集団心理を操る事は私の話術や演技力程度でも可能だったりする。




興奮に一番直結し易いのは憤怒の感情。

但し、ただ怒らせるだけの挑発では理性を奪える程の効果は期待出来無い。

飽く迄、私自身は、だが。


だから、相手の策や得意な事を敢えて遣らせた上で、容易く破る事で屈辱を与え悔しがらせる。

私達も身を以て知っているからこそ断言出来る。

向きになればなる程思考や視野は狭まってしまう物。

自分では冷静なつもりでも気付かない間に、ね。



「おのれ…小娘がぁっ!

弟・孫煕の仇ーっ!」


「っ!?、待て孫安っ!」



だから、失念する。

先程目の前で見たばかりの私の実力という物を。


左斜め後ろから発せられた怒声と共に近付く気配。

怒声を上げた人物は先程の声と同じだった事から見て次男の孫安の様だ。

孫羌は何も言っていない為孫安を止めようとして声を上げたのは長男・孫鄰だと考えて間違い無い。

その孫鄰の声は右斜め後ろから聞こえてきた。

孫煕が真後ろだった訳が…さて四男──末弟の孫績は一体何処に居るのか。

一人として逃がすつもりが無い以上は、戦場(ここ)に居れば確実に死ぬ。

しかし、居なかった場合は少々面倒な事になる。



(まあ、万が一にも姉様に泣き付いて助力を請う事は無いでしょうけど…)



無駄な“火種”を残す事に変わりはない。

幸い、と言うのは敵の事と判っていても躊躇われるが孫羌・孫賁・孫輔の三人の妻は既に死去。

後者二人には後妻が居るが此方に恨みを抱く程に夫を愛してはいない。

寧ろ憎んでいる位だ。

理由としては権力を使って脅されて妻にされた為。

だから、特に問題は無い。

従甥等は皆独身。

特定の恋人も居ない様で、此方も遺恨は残らない。


故に、この戦で一人残らず討ち取る必要が有る。



「貰ったぁあぁーーっ!!」



ダッ!、と力強く地を蹴り飛び上がり、上段に構えた直剣を振り下ろす孫安。

孫羌から視線を外す事無く右手から左手へ背面越しに愛槍を持ち変えて、一閃。

クルッ…と軽々と回転した石突きが直剣の刃を下から掬う様に弾き、空中に有り万歳をした格好で無防備と成った孫安の喉元を回転し石突きと入れ替わり現れた鋒が斬り裂いた。



「…ぅ゛…な゛…ぁ゛…」



くぐもった呻き声を残し、孫安の身体は自らが描いた軌跡とは真逆を辿りながら地面へと仰向けに落ちた。

ガヂャン!…と、身に纏う鎧が立てた鈍い音が静かに周囲に響いた。


いつからだったのか。

私の周囲からは音が消えて現状には似つかわしくない沈黙が広がっていた。




少し離れた場所では砂塵が舞い上がり、咆哮と絶叫が谺している。

それなのに、今此処だけは別世界の様に静まり返り、誰も彼もが動きを止めた。


ゴクッ…と、響く音。

誰かが、或いは複数名が、息を飲んだ。

その瞬間だった。

たった一つの音が、思考を現実へと引き戻す。

極限にまで高まった緊張が一気に精神を崩壊させる。



「…ぅ──ぅわぁあぁあああぁああぁーーーっ!!!!」


「ひぃいぃーっ!?」


「く、来るなっ!

此方に来るなあーっ!!」


「た、助けてくれーっ!!」



一人の絶叫を皮切りにして周囲から上がる悲鳴。

これまでは孫羌を中心とし纏まっていた筈の一団が、あっと言う間に瓦解。

軍隊としての機能を失い、見るも無惨な醜態を晒してただただ怯える。


だが、この場から一目散に逃げ出そうとする兵は一人として出ていない。

逃げないのではない。

“逃げられない”と本能が理解してしまっている。

だから、彼等が取る行動は“近寄るな!”と私に対し大きく震える身体のままで刃を向けて威嚇する事。

それだけだった。


しかし、この混乱に乗じて脱出を図る者が居る。

孫羌と孫鄰、そして此方の見知らぬ顔の青年。

いや、少年というべきか。

小柄で、気の弱そうな顔を恐怖で青くした男。

恐らくは彼が孫績だろう。


私が見詰める中、兵の命を“捨て駒”として放り出し自分達だけ逃げ出した。

此方を振り返る事さえせず一目散に離れて行った。



「…屑めが」



自然と口から出た一言。

周囲に居る彼等に対しての言葉ではなかったのだが、聞こえてしまった為に顔を青くして震え出した。

既に抵抗──威嚇する意思ですら残っていなかった。



「仰ぐ主君を間違ったな」



そう一言だけ告げると私は左手に持った愛槍を振るいながら、その場で一回転。

たったそれだけの行動だが今の私には十分過ぎる。

周囲に居た兵達の胴体を、或いは首を真横に寸断して命を狩り取って終わらせ、小さく息を吐く。

気持ちの整理の為に。


救う事は出来無い。

戦意を失ったから見逃す、等と巫山戯た戯言を私達は絶対に許容しない。

それを利害や策等の理由も無いまま感情だけに任せて遣っては、国という組織は確実に崩壊してしまう。

故に、唯一つの例外も許す訳にはいかない。

雷華様や華琳様でも同じ。

その非情なまでの厳格さが強固な礎を築く。




逃げた孫羌達の氣を探り、暫しの間を置く。


──と、私に近付いて来た一団の気配に振り向く。

距離は20m程か。

私にとっては十分に間合いだったりする。



「貴様は──孫権かっ!?」



ガラガラのしゃがれ声。

その為、声が小さい場合は何を言っているのかが全く判らなくなってしまう程。

そんな忘れ難い特徴を持ち自分の事を知っている者は一人しか覚えがない。



「久しいな、袁平…

相変わらずの体型だな

少しは痩せたらどうだ?

まあ、痩せた所で年老いた貴様には無意味だろうな

戦場(ここ)に立っていても獣達の腹を満たす(えさ)にしか成らないだろう

…いや、獣達も腐り過ぎて喰らう気にもならないか」


「減らず口を…」



開口一番で皮肉を言う。

多分、雷華様達が見たなら吃驚すると思う。

だって、今は演技ではなく素の自分なのだから。

実は個人的に昔から色々と言われていた事も有って、積年の恨みを晴らして遣ると決めていた。

主に“口撃゛で。

ただ、いざとなると上手い言葉が出て来ない。

我ながら自分の悪口の才の無さが憎い。



「こんな所でどうした?

袁術を傀儡としていた筈が今回は囮として捨てられたといった所か?」



そう笑みを浮かべて訊けば苦虫を噛み潰した様に顔を顰めて此方を睨む。

沈黙は肯定に等しい事だと知らないのかしらね。



「ああ、そう言えば確か…

今回の一戦に際し反対した実弟の袁隗を暗殺してまで強行したのに残念な結果に終わってしまったな?

向こうで袁隗が貴様の事を待ち侘びている事だろう

今、送って遣ろう」



言う事も無くなり失敗する前に会話を終わらせる。

変な失態は要らないし。



「──っ!?、や、殺れぃ!

殺ってしまえぃっ!」


「残念だったな、袁平

その台詞は既に袁嗣が先に使ってしまっている」


「知った事かぁっ!」



思わず雷華様と灯璃の様な事を言ってしまった。

それに対して怒鳴る袁平。

まあ、尤もな意見よね。

私としては、せめて最後の台詞位は個人個人の趣旨を凝らした物を聞きたい。

だって、同じ事ばかりだと飽きてしまうもの。

こうして、最後に言い残す時間をあげているだから、折角の配慮を無駄にせずに有効に使って欲しい。

そう思ってしまう。




袁平と護衛役に付いていた兵達を片付けて、放置した孫羌達の元に向かう。

すると、視界に入ったのは先程より数を増した一団。

予想通り、孫賁達の部隊と合流してくれたみたいね。

これで一気に叩ける。



「──っ!、来たぞっ!

射てっ!、射てぇーっ!!」



部隊の後列に位置している兵の一人が声を上げる。

特に隠れている訳でもなく接近速度も“一般的”より少し上という程度。

寧ろ、自分の存在を相手に見せる為の行動。

だから何の不思議も無い。


指示により後列より僅かに内側に位置取った弓兵達が一斉に矢を放つ。

飛来する矢の雨に向かって躊躇う事無く前進。

──否、加速する。


眼前に迫った矢の群れ。

一振りの下に全て薙ぎ払い“断ち”墜とす。



「──なぁっ!?

やっ、槍を構えろーっ!!」



それを見て驚愕しながらも即座に対応を指示する兵に敵ながら感心する。

混乱をしそうな状況だが、我を見失う事も無く出来る最善手を打っている。

例えそれが、私にとっては無意味な事だったとしても評価出来る事。


その兵の声が動きを止めた他の兵達を我に返らせると指示に従って動かす。

突進している私の真正面に槍の鋒の壁が出来た。

飛び越えてしまえば簡単に回避する事が出来る。

加えて空中に舞っても矢で射墜とされる様な間抜けな事にもならない。

だが、敢えて突っ込む。


それは指示を出す兵に対し敬意を表して。

単なる“掃除”ではなく、真っ向から倒す。

他の誰よりも真っ先に。


距離を縮める私に合わせて進路上に槍の鋒が集束され宛ら巨大な槍が現れた様な光景に見えた。

その巨槍の鋒に対して己が愛槍の鋒を真っ直ぐに突き出して──穿つ。


構えていただけでしかない槍の群れは容易く押し負け呆気なく──破砕。

そして、人壁を突き破って指示を出した兵の正面へと私は到達する。

瞬間、視線が交わる。

驚愕──だが、即座に我に返って腰に佩く剣へ右手を伸ばす。

だが、剣を抜くよりも先に私の一閃が命を狩る。


失態が有ったとしたなら、襲撃に備え己が剣を抜いていなかった事だろう。




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