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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
409/915

       玖


私達が舌戦を始める前まで敵軍の誰が予想したか。

兵達が命令を拒むだなどと考えもしなかった筈。

それは当然とも言える。

しかし、同様に兵達の取る行動もまた当然の事。

“権力者”に逆らったならどうなるのか。

態々言わなくても両者共に理解している事でしょう。

それ故に、命令をされれば有無を言わずに従う。

それが“普通”の事。


しかし、忘れている。

それは一種の“恐怖支配”であるという本質を。


命令を下してくる者。

そして、それとは異なった“恐怖”を齎す者。

二つの存在を前にした時、彼等はどうなるのか。

そう、選択を迫られる。


此処で重要となる要素とは彼等へと与える“恐怖”の程度である。

元々支配していた相手より受ける恐怖が劣るのならば彼等は迷わず命令に従い、戦いに身を投じる。


けれど、それが逆の場合。

相手の方から受ける恐怖が強かった時、彼等は動けず判断を強要される。

正に今、目の前に立ち並ぶ彼等の様に。



「何をしていますのっ?!

ぼさっとしていないで早くお遣りなさいっ!!」



目に見えて焦り、苛立ちを隠そうともしないで只管に喚き立てるだけの袁紹。

熟、愚か者だと思わずにはいられない。



(貴女も人の上に立とうと曲がりなりにも思うのなら命令するだけではなくて、その命令を皆が誇りに思い全てを賭す事が出来る様に己を磨きなさいよね…)



本当に今更なのだけど。


少なくとも、曹魏の軍には恐怖心から従っている者は一人として居ない。

皆、雷華の調練(せんれい)を受け、耐え抜いたが故に軍属を許された戦士。

当然ながら、生温く甘えた覚悟程度では戦場(ここ)に立っていない。

まあ、宅と比べる事自体が無意味であり、皆に失礼な事なのだけれど、ね。


櫓の上から喚き散らすしか出来無い袁紹は放置しても全く支障は無い。

今更、恩賞等(えさ)を見せ士気を上げようとしても、命令に従わせようとしても手遅れなのだから。


杞憂すべき点が有るのなら郭図辺りでしょうね。

ただ、聡いが故に現状での打開策は見出だせない。

もし此処で短気な輩ならば憤怒と苛立ちの感情に任せ手近な者を切り捨てるなり明確な死を見せ付ける事で行動を強要する所。

しかし、成否の鍵は兵数や将師の力量に因る。

そんな愚行を此処で遣れば全ての兵が離反し自分達に牙を向く事になる。

それを理解出来るからこそ迂闊には動けない。


相手よりも多くの兵を以て敵に相対する。

それは戦の“常道”として広く知られている事。

けれど、実際は“質”こそ重要視すべきである。

何故なら、自軍の兵もまた“敵”となる事が可能性が有るのだから。

そうなれば兵数の差など、何の意味も無くなる。


これこそが雷華の仕掛けた巧妙且つ狡猾な罠。



──side out



 張勲side──


私達の方が圧倒的に有利!だなんて、正直に言ったら微塵も考えなかったという訳ではなかった。

けれど、そんな事は、先ず有り得ないと思った。

何しろ、相手は曹魏。

場合によっては本の僅かな勝ち目が有るかどうか。

そういう相手なのだから。


しかし、そうは言っても、こんな状況は私に限らず、想像する事すら無かったと言ってもいい筈。

それ位に“異常”な事。



「……のう、七乃…

何が起きているのじゃ?」


「え〜と、ですね〜…」



呆然としながら櫓の上から今も一人喚き散らしているお馬鹿さんを見上げたままお嬢様に訊かれる。

正直言って私に訊かれても困ってしまいます。

仮に、現状を説明した所でお嬢様に理解出来るなんてちっとも思いませんし。

抑、“何故じゃ?”なんて追及されても私にも何でか判らないのですから説明のしようが有りません。



「どうやら袁紹さんの所の兵の皆さんは袁紹さんには従いたくなくなっちゃったみたいですね〜」



まあ、当然の事と言ったら当然なんですけど。

曹操さんとの舌戦にしても比較にならない位に程度が低い物でしたし。

と言うか、あの人は自分で“私は頭が悪いのですわ!

おーっほっほっほっ!”と言っているのも同じ感じがしましたからね。

正面な思考をしているなら“此奴には付いて行ったら馬鹿を見るだけだな”って気付きますよ。



「何じゃと?、七乃よ

それは本当なのかの?」


「はい、お嬢様♪

間違い無いですね〜」



ええ、間違い有りません。

ただそれは、現状の戦いが始まる前に決したって事を物語っていますけど。

さて、どう遣ってお嬢様を連れて逃げましょうか。

幸いにも、今少しの猶予は有るみたいですし。



「ならば妾が袁紹の兵達を指揮して遣るのじゃっ!」


「……………………え?」


「ほれ、何をぼさっとしておるのじゃ七乃!

袁紹の兵達に妾こそが主に相応しいという事を此処で教えて遣るのじゃっ!」


「お、お嬢様っ!?」



ちょっ、本気ですか!?

今、そんな事したら絶対に私達死にますよっ?!

──って、言いたいですが言っても無駄ですよね!

ああもう、こうなったら…仕方有りません。

お嬢様には暫く眠っていて貰いましょう。



──side out



 文醜side──


ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいってっ!!!!!!

滅茶苦茶本当にヤバいっ!!



(有り得ないだろっ!

こんな状況になるとか誰も考えたりしないって!)



ただただ危機感だけが増し強く強くなっていく。

焦った所で、どうにかなる訳じゃあない。

誰一人麗羽様の命令なんて聞いちゃいない。

状況は既に自分達の手から離れてしまっている。

出来る事が有るとしたら、それは形振り構わず此処を離れる事位だろう。



(って言っても、簡単にはいかないだろうなー…)



現実を見詰めると足掻く事自体が馬鹿馬鹿しく思えて逆に冷静になれた。


此処に来て、集めに集めた味方の兵の数が仇になってしまっている。

取り敢えず集めてしまえば戦力になるだろう。

そう考えた為、冀州中から掻き集めた兵は袁家史上で最高となる約ニ十ニ万。

“偉大なる袁家の新時代を築いてゆく私の初陣を飾るのに相応しい数ですわ!”とか言っていたんだけど…

麗羽様、完全に自分の首を絞めてますから。



(ってか、何を以て麗羽様“初陣”って言ってんだ?

疾うの昔に初陣を済ませた筈なんだけどなー…)



どうでも良い事に対し傾く思考は自覚している。

だけど、今は現実逃避でもしていないと気が狂う程に追い込まれている。

寧ろ、正面に思考する方が完全に動けなくなる。

そうなってしまえば助かる命も助からなくなる。



(んー…取り敢えず現状で一番良い選択は、さっさと逃げる事だよなー…)



麗羽様と曹操が仲悪いのは内外でも有名だし。

先ず敗けたら麗羽様の首は胴体と“さよなら”だ。

序でに仕えている将師達も同様の可能性が高い。

当然だが死にたくはない。

だから、逃げる。


…潔く戦って死ね?

いやいや、んな馬鹿な真似有り得ないって。

戦は勝つから楽しいんで、死んだら意味が無い。

敗けて殺される位だったら無様でも逃げるっての。

命有って、なんだしさ。



(んー…まあ、問題が有るとしたら麗羽様が櫓の上に居るって事かー…)



麗羽様を見捨て逃げる方が自分の助かる──生き残る可能性は高くなる。

それは間違い無い。

でも、それは出来無い。

それだけは──絶対に。


見上げる櫓の向こうに有る空が眼に映る。

そうだ、あの日の空も確かこんな風だった。




祖父母に両親、兄が三人、弟が二人、自分を含めると計十人の大家族に生まれ、故郷の村は田舎だったけど平穏でのんびりとしていて大人も子供も笑っていた。

裕福な家ではなかったけど餓えを覚える程に貧しくもなかった。

それは子供の自分にとって当たり前の事だったけど、実は結構、恵まれていた。


その事を理解出来たのは、全てを失った後だった。


何気無い、特別代わり映えもしない日常は、ある日、唐突に奪い去られた。

何処かから流れてきた賊の理不尽な欲望によって。

いとも容易く、呆気なく。


そして、失った物は二度と戻らない事を知った。


偶々村を離れていた。

たったそれだけの理由で、一人だけ生き残った。

たったそれだけの理由で、独りだけ置き去られた。


生き残れた事を“幸運”と人々は口にした。

でも、本当にそうなのか。

少なくとも天涯孤独となり頼る人も助けてくれる人も居なかった自分にとっては一緒に死ねなかった事が、何よりも辛かった。

どうして、自分一人だけが残されたのか。

その事自体を憎んだ。


時としては、死ぬ事の方が“救い”となる場合も有るという事を知った。

こんなにも生きている事が苦痛だという知った。


それでも、自殺する真似は出来無かったのは…

独りで死ぬ事を怖れたからなんだと思う。

独りは…本当に辛いから。


男ばかりに囲まれて育った事も有ったのか。

腕っぷしには自信が有り、力仕事等で食い扶持を稼ぐ事が出来たのは助かった。

正直、細かい作業は苦手で性格的にも飽きっぽい。

辛抱強さや我慢強さが居る仕事には向かないから。


ただ、全く何も問題も無い日々が続く訳でもない。

以前遣った、ちょっとした失敗が原因で自分ではない失敗を押し付けられた。

幾ら“違う”と言っても、全く信じては貰えなかった理不尽さと苛立ちから──感情に任せて手を出した。


当然、仕事は失った。

だけど、出逢いが有った。



「…何を騒いでいるのかと思えば下らない事を…

宜しいですわ

要らないと言うのであれば私が貰い受けましてよ

文句は有りませんわね?

では、行きますわよ

おーっほっほっほっ!」



いきなり現れたと思ったら突然自分を貰うとか言って勝手に話を進めてしまい、馬鹿みたいに高笑いをして歩いている後ろ姿を見て、不思議と笑顔になった。


自分の悩みが、生き方が、とてもちっぽけに思えた。

人生、生きて楽しんだ者の勝ちなんだと知った。


その日見上げた空は青く、曾ての様に晴れていた。





「ちょっと貴方達っ!

私の声をはっきりくっきり聞いていましてっ?!

よぉー……っくっ!

お聞きなさいっ!

今直ぐに!、一斉に矢を!お射ちなさいっ!!」



懐かしい、大事な出逢いを思い出していたのは刹那の事だったのだろう。

相変わらず麗羽様の甲高い声が頭上から響いている。

まあ、事態も変わっている様子も見られないが。

其処は出来れば良い方向に変わっていて欲しかった。

…無理だとは思うけど。



(…まあ、しゃーねーか)



諦めた訳ではない。

ただ、自分が此処まで来る事が出来た理由は麗羽様に拾われたから。

それだけは間違い無い。


麗羽様が大陸に覇を唱える事が出来る器かどうかとか自分には判らない。

興味も無いし。

そんな事、正直に言ったらどうだっていい。

でも、一つだけ、心の芯に決めている事が有る。

もし、自分が独身のままで死ぬのなら、麗羽様と命を共にしようと。

結婚してたら別だけど。


だから、此処で死ぬのなら麗羽様だけ死なせない。


ただ、そうは言ってもだ。

死ぬと判っていて無意味に死のうとは思わない。

負け戦に固執する理由とか自分には無いのだから。


それに生きてさえいれば、まだ“終わり”ではない。

可能性は残る。



「どうせ戦争(馬鹿な事)を遣るのは変わらないんだ

だったら、誰にも計れない麗羽様(稀代の大馬鹿者)に賭けるってのが大勝負って感じだよなっ!」



麗羽様(本人)の前では絶対言えない事だけどさ。

やっぱ、博打をするんなら一発逆転が醍醐味だ。

ちまちま手堅く勝つなんて性に合わないし。

麗羽様も派手好きだしな。


ニッ…と笑って空を見る。

あの日と同じく、見上げた空は青く晴れ渡っていて、“良い予感”がする。

だが、それを否定する様にゾクゾクッ…と全身を駆け巡ったのは危険な快感。

相反する感覚。

分が悪い賭けだって事は、百も承知だ。

だがしかし、だ。

こういう時に勝負してこそ真の博打。

遣らずして後悔するより、派手に散ってこそ“華”が有るってもんだ。

さあ、勝負と行こうぜ。



──side out。



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