5 廻動する風車 壱
other side──
平穏な空模様と同じ様に、戦場から離れた山林の間で争乱を他人事の様に眺め、静かに目を細める。
(そう、それで良いの…
ありがとう、狛綺…
二人の事、宜しくね…)
遠く、小さくなってゆく、その白い姿を見送る。
とても賢く、勇敢な子。
暫く会って居なかったのに“私”を覚えていてくれて信じてもくれた。
本当に、頼もしく育ったとついつい頬が緩む。
出来れば、狛羅に会わせてあげたかったけど機会は孰れ有るでしょう。
生きてさえいれば会う事は不可能では無いのだから。
(良い牡を見付けて貴女も幸せにね…)
一足早く、そういう相手を得た私達みたいに、ね。
そんな母か姉の様な心境で暫く静かに見詰めていた。
その姿が地平の彼方にて、景色に融けるまで。
「──行ったか」
「はい」
視線は地平を見詰めたまま穏やかな声で答える。
声を掛けられても驚く事は全く無かった。
今此処に“私”が居る事を知っている者は唯一人。
王門に“入れ知恵”をした影の傀儡師──我等の主君だけなのだから。
「行かせて良かったのか?
“智葉”──っと今は勤務外だったな」
つい間違えた、という体で仰有られるけれど、貴男がそんな些細な言い間違いをしない事は私達が誰よりも理解していますからね?
それは間違い無く私の事を気遣っての態とした失言。
そのまま乗っても良いけど何と無く、恥ずかしい。
だから、敢えて突っ込まずさらっと流す事にする。
…嬉しいんですけどね。
「其方らは如何ですか?
御自らが態々赴かれて来た手間に見合うだけの収穫は獲られましたか?」
「無かったら、“態々”は来ないだろ?」
「ふふっ…そうですね」
ちょっとした揶揄いに対し察した上で切り返されて、思わず笑い声が溢れる。
本当に負けず嫌いな方。
でも、そういう子供っぽい一面も可愛らしく愛しい。
…“可愛らしい”とか絶対言えないのだけど。
ああ、因みに、ですけど。
先程の“智葉”というのは私の職業上の名──忍び名だったりします。
曹家直属・隠密特務組織・水影組・忍び頭・智葉──それが私の立場。
“隠密衆”は通称です。
序でに言えば、他の四人は火影組・忍び頭・礼花。
金影組・忍び頭・義枝。
木影組・忍び頭・仁実。
土影組・忍び頭・信根──です。
私達五人はお互いの事と、直轄組以外の詳細は知らず全容を把握されているのは御二人のみ。
組織の情報の秘匿・管理は徹底されています。
全ては私達の為に、です。
静かに振り向き、隠密衆の総帥・飛影様──つまりは子和様を見る。
ちょっと真面目な顔で。
「…王門は…まあ、大丈夫だとは思いますけど…
参戦した他の兵達は?」
「全滅…ではないが大して生き残ってはいない
確か…百八十三だったか…
策の都合上“入れ替え”は出来無かったからな…」
…まあ、そうですよね。
策は兎も角、あの戦い自体曹家とは関係の無い物。
全員を助ける事は厳しい。
出来る・出来無い、という話ではなくて。
政治的な問題で、です。
だから、その状況で助けて頂いただけでも大恩。
子和様が気になさる必要は全く以て無い事。
それでも、その命と犠牲を“利用している”と貴男は仰有るのでしょう。
…そういう方ですからね。
「それだけでも生還出来たのでしたら十分です
何から何まで…本当に──有難う御座います」
だから、素直な気持ちだけ“皆”に代わって深く深く頭を下げて伝える。
貴男一人に背負わせる事は決して致しません。
これは幽州の民全てが共に背負っていくべき物。
同じ過ちを繰り返さない為受け継ぎ、繋いで行くべき事なのですから。
「…そうしていると、正に“姫君”って感じだな?」
「──っ!?」
完全な不意打ち。
瞬間的に羞恥心から顔面が紅潮した事を自覚する。
同時に頭を下げたままでは居られずに反射的に素早く顔を上げる。
私の目に映るのは意地悪な笑みを浮かべ、楽しそうに此方を見詰める子和様。
「──し、子和様!?
人が物凄く真剣に真面目な話をしている時に言うのは狡いですよ?!」
「もう終わったろ?」
「終わっ──りはしましたけどっ!
そういう事じゃなくて!」
落ち着いて言い返そうとは思ってみても、羞恥心とか色々な感情が入り混じって軽い混乱を引き起こす。
アレですか?、さっき私が流した事に対しての仕返しだったりしますか?
何ですか、その笑顔は?
そんなの狡いですよ?
つい、見惚れちゃうじゃあないですかぁ…
明るく和やかに笑いながら右手で頭をぽんぽんっ…と撫でられる。
この連携攻撃も狡い。
気持ちも落ち着いてくるし羞恥心と一緒に沸いていた怒りも鎮められてしまう。
子和様は“撫で癖”だとは仰有ってますけど、絶対に確信犯な気がします。
曹家女性陣の三割が疑惑を議論したらしいですし。
…でも、そうだとしたら、こんなにまで沢山の女性に好かれませんよねぇ…
天然、なんでしょうか。
本当…判り難い方です。
何度か深呼吸し、気持ちを切り替えて改めて子和様を真っ直ぐに見詰める。
流石に今は茶化す事は無く子和様も私を見詰めて──って、そんな風にじっ…と見詰められたら照れます。
止めて──欲しくはないのですが…ひ、控え目に?
「俺に訊くなって…」
──ですよねぇ…。
子和様が苦笑された事で、雰囲気は一気に緩む。
ええ、もう諦めました。
一応、礼節と思い真面目に対応してしましたけど。
元々、そういう部分を気にされない方ですからね。
“身内”では特に。
「はぁ…まあ、それはもう置いておく事にします
率直に御確認しますけど、公孫家の臣兵達の処遇等は如何なさるのですか?」
「処遇は大袈裟だな
まあ、王門みたいに忠義に厚い者ばかりなんだ
野に放つつもりはない
と言うか、判ってるだろ?
“だからこそ”、遠回しな遣り方をしてたって…」
そう仰有って──笑う。
子供の様な無邪気な笑顔に獰猛で狡猾な狩人の鋭さを双眸に輝かせて。
思わず、胸が高鳴る。
…本当に狡い方ですね。
子和様の仰有った通り。
ただ人材として手に入れる事だけを考えるので有れば袁紹が動き出すよりも早く公孫賛に対して使者を出し曹家へ帰服を促す。
それだけで十分でしょう。
けれど、そうしなかった。
その理由は単純。
今は群雄割拠の世。
決して、“御人好し”では生きては行けない。
だからこそ子和様は民にも確固たる覚悟を求める。
“曹家の民”として。
この戦いは必要な事。
その犠牲は価値有る物。
詭弁ではない。
上辺の言葉でもない。
曹家が、曹魏が、在り続け示し続けてくれる。
決して、時の流れに埋もれ忘れ去られはしない。
その尊い命が、幽州の民に大切な事を刻み込む。
“戦争は害悪でしかない”という事を。
しかし、一方で自衛の為の“戦力・軍事力”は絶対に必要であるという事を。
「それに、だ
“こう”すれば、王門達は蟠り無く曹家に対し忠誠を誓ってくれるだろ?」
「…悪い方ですね」
「嬉しい誉め言葉だな」
そう、心底嬉しそうに笑う子和様ですけど──私達はちゃんと判っています。
だから、私の言葉は単なる戯れ言と同じ。
公孫賛が生きている事。
自分達も含め、生かされたという事。
其処に恩義が生じる。
それは事実です。
ですが、狙いは彼等に一切負い目を残さない為。
“不忠”ではない、という無意識下の免罪符。
何処までも、民達の幸せを考えられているからこそ、そういう部分に先手先手を打ち込まれる。
本当に、御優しい方です。
悪振ってはいますけどね。
「──にしても、田豫か
どさくさ紛れに告白なんて思い切ったよな」
「いえ、寧ろああいう状況でもなければ一生言わずに居たと思いますよ
あれで身分だ何だと余計な事ばかり気にして告白する勇気を出せない“ヘタレ”でしたから」
「…容赦無いなぁ…」
「事実ですから」
苦笑する子和様と一緒に、二人の去って行った方角に顔を向ける。
当然、姿は見えない。
氣を使えば…見えるのかもしれませんけど。
無駄な事はしません。
(全く…世話が焼けるわね
田豫もさっさと告白すれば良いものを…
…まあ、その田豫の好意に気が付かない“姉さん”も姉さんなんだけど…)
そう思って、一つ溜め息を吐いて苦笑する。
漸く告白したのが“戦場で死に掛けて”って情けなさ過ぎる気がする。
自分でなくて良かった。
絶対に色々な意味で、生涯忘れられないし。
「俺が言うのもなんだが、本当に良かったの?
公孫賛を行かせて…」
「私個人としてなら問題は全く有りません
子和様は如何ですか?」
「俺達としては来てくれて構わなかったけどな
掲げるのが、“天下統一”だったら確実に引き込んだ人材ではあるな」
「“普通”ですよ?」
「それは幾ら“従妹”でも可哀想だと思うぞ?
気にしてる事だろ?」
「冗談ですよ」
そう言って笑う私を見詰め子和様が苦笑される。
“言ってやるなよ”という言外の注意を含めて。
姓名は公孫越、字は升済。
それが私であり、公孫賛は私の従姉になる。
つまり、子和様が仰有った様に私も公孫家の姫。
…姉さんじゃあないけど、“姫”とか呼ばれたくないですけどね。
「──で、本音は?」
さらっと雰囲気を流して、率直に訊ねられる。
誤魔化しが効かないだけに諦めるしかないですね。
…真面目に話すのを嫌って茶化したのに、此方の時は真面目に話しをさせるとか狡いですよ。
…恥ずかしいのに。
それでも話すしかないので一つ溜め息を吐いて意識を切り替えて口を開く。
「これで良かったんです」
僅かに俯きながら脳裏には幼い日々を思い出す。
あの頃は何も知らないから楽しかった。
無知故の気楽さ。
だから、知ってしまったら自責の念を抱く。
自分自身の意思に関係無い事だったとしても。
「姉さんにとって公孫家は大きな誇りで有ると同時に重荷だったでしょうから…
それに全てを捨てられる程器用でも大胆でもないので真面目な分、一人で色々と抱え込んでしまいますから結果として家を離れれば、“解放”されますから」
「…器、か…」
一言で表すのなら、そう。
姉さんは全てを背負うには“器”が足りなかった。
いいえ、向き不向きという点で言っても。
一州の民を背負う立場は、重過ぎた。
「いっそ、継承権争いでも遣った方が良かったのかもしれません…」
「従妹とは言え継承順位は公孫賛の方が上なんだ
結果として当然だろ?
それに抑そうなる事が嫌で家を出たんだろ?」
「それは…まあ…ええ…
そうなんですけど…」
尤もな指摘に口籠る。
従姉妹というより実姉妹に近い認識が有る。
多分、姉さんの方にも。
だから、姉さんと争う事を嫌って私は家を離れた。
表向きには見聞を広める為という事で。
今になって思えば姉さんを離れさせるべきだったかもしれない。
結果論なんですけどね。
「でも、逆だったら二人の立場も逆だったかもな」
「──っ!?」
反射的に顔を上げ子和様に振り向いた。
揶揄う様な笑みが有る。
いや、揶揄っている。
でも、一瞬でも想像した。
私達が逆の立場の姿を。
胸中で燃えるのは嫉妬。
そして、憤怒。
“其処”は私の位置だと。
無実な姉さんに対し敵意が湧いてしまう。
意地悪な方です。
こうして“現在”が如何に大切かを認識させられる。
そして、心の荷を、痼を、糧にしてくれる。
その度に、更に惹かれる。
「まあ、済んだ事ですから今更悩んでも仕方無いので気にしない様にします
それに──家は私が継げば済みますからね
今後とも末永宜しく御願い致します──“雷華様”」
「此方こそ、宜しく頼むな──“杜若”」
自然と浮かぶ微笑み。
季の訪れに咲く花の様に。
想いと共に。
──side out。




