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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
389/915

        玖


頭よりも高く振り抜かれた一対の刃は白く煌めく。

散花を思わせる赫い飛沫は青い空を背景として映え、見る者の目を引き付けた。


唐突に訪れる静寂。

それは、この場に居る誰の頭にも浮かんでいなかった光景だったに違いない。

だからこその、沈黙。

文字通り、言葉を失って、唖然としてしまった。


当然だと言えば当然。

一体、何処の誰が、そんな馬鹿な選択をするだろう。

この状況を、己の立場を、理解しているのであれば。

先ず、選びはしない愚行を目の前の男は実行した。


──狂っている。

そう思った者が居ても全く不思議ではないだろう。

これは、そういう事だ。


ゆっくりと、血飛沫を撒き散らしながら倒れて行った“二つ”の人影。

その間に、男は──王門は双刃を手にし、俯いたまま静かに佇んでいた。



「お、王門っ、貴様ぁっ!!

我等を裏切る気かっ?!」



そう避けんだのは見覚えの有る中年の男だった。

確か…郭祖、だったか。

袁紹と同類でありながら、ある意味で袁紹以下。

袁家に仕えている。

それを笠に着て威張る様な典型的な小物だった筈。

総力、と言っても、やはり袁家自体の質は今一つ。

まあ、ついつい比べるのが曹魏相手にだから最初から無理と言えば無理な事。

ただ私個人にとって曹魏は理想だから仕方無いが。


今、郭祖が叫んだ事。

それは、ある意味正しい。

流れからして王門が単独で袁紹に謁見したのだろう。

普通、そこから考えられる可能性は二つ。

先ず、私──主君を見限り袁紹に付いたという事。

或いは、主君の名代として降伏・和睦の使者だ。

だが、高幹達を失った事に気付き怒った袁紹が後者を受け入れる事は無い。

そんな事は袁紹という者を知らずとも理解出来る。

彼等を人質・捕虜としての交渉なら話は別だろうが。

だから、必然的に落ち着く答えは一つしかない。


其処に加えて、王門からの此方の情報の暴露。

一部は真実、しかし残りは全くの出鱈目だなどと誰が疑うだろうか。

敗北必至の戦いを前にして忠義よりも自分達の生存を優先すればこその離反。

情報も一部が真実であるが故に真実味が増す。

演技が出来る様な、器用な性格ではない王門の考えた苦肉の策だろう。


だが、見事に成功した。

私達──私でさえ、離反の可能性が真っ先に頭の中に思い浮かんだ。

次いで、王門の言葉からは“自害”が思い浮かんだ。

王門に付いて来る事なんて絶対に赦さない。

彼奴の家族を思えばこそ、有り得無かった。


そんな状態だからこそ。

王門の真意を、覚悟を──誰一人見破れなかった。


家族を巻き込む事になれど一念を貫き通す。

その、士の心に宿る刃を。




郭祖の声に我に返った様に周囲に居た袁紹軍の兵達は手にする剣や槍を王門へと向けて包囲する様に位置を変えていった。


但し、私達も居る。

此方に背を向ける様な事は流石に恐怖らしい。

だから、私達と王門の間に“隔てる壁”は無かった。



「…“裏切る”?

何を可笑しな事を…」



俯いていた顔を上げながら王門は左へと身体を回し、斜め後ろに居た郭祖を見て静かに呟いた。

何処か、小馬鹿にする様な挑発的な口振り。

それは王門の人と形を知る者であったなら首を傾げて奇妙に思うだろう。

田荘の教育も有るだろうが“そういう”事を口にする者ではないからだ。


──だから、察した。

これは、王門が仕掛けた策なんだと。


今、この瞬間。

最も注目を集めているのは私達ではない。

離反と見せた決死の潜入。

それを遣ってみせた王門に敵味方問わず殆んどの者が視線を意識を傾けている。

つまり、大きな隙が眼前に作り出されていた。



(王門…お前って奴は…)



真意を理解してしまったら思わず目頭が熱くなる。

しかし、此処で私が下手な反応を見せてしまっては、王門の一世一代の大芝居を台無しにしてしまう。

今は我慢すべき時。

そして驚きを顔に張り付け茫然としている振りをして視線だけを密かに動かし、現状を把握してゆく。



「──なっ、貴男御自分が一体何を仰有っているのか判っていまして?!

貴男は私へと忠誠を誓って彼女の軍の情報を、策を、私に伝えましたわよね?!

それなのに此処に来て今更裏切ると仰有いますの?!」



今にも金切り声を上げて、自棄になりそうな雰囲気で袁紹が王門に問い質す。


その言葉の一部が私の中で引っ掛かりを覚えた。

忠誠を誓う──この王門が嘘でも遣る訳が無い。

だとすれば、そんな感じで袁紹が勝手に思い込む様に仕向けた可能性が高い。

王門だけの考えじゃない。

“誰か”が入れ知恵をした事は間違い無いだろう。

ただ、宅の中に此処までの策を思い付く奴が居るとは私には思えなかった。

宅の中には、な。



(…全く利が無いって訳はないんだろうけど…

こんな遠回しな真似よりも直接的に動くよなぁ…)



数名──いや、勢力的には一つなんだが、心当たりが無くもない。

だがしかし、普通に考えて意図が解らない。

確証らしい確証も無い。


ただ、その入れ知恵を今は“天祐”と考えよう。

そして、活かそう。

王門と、その家族の意志を無駄にしない為にも。




激昂し、苛立ちを隠さない袁紹とは対照的に、王門は一人だけ他人事の様な体で非常に落ち着いている。

その姿は異様に映る。


だからこそ、普通に考えて恐怖を感じてしまう。

“此奴は一体何なんだ?”という思考と共に。

袁紹の怒声にも全く動じず宛ら多くの感情や恐怖心が欠落しているかの様にさえ見る者を錯覚させる程に。


敢えて、沈黙していながら袁紹を見据えたままなのは袁紹達の視線を自分だけに向けさせる為。

私を袁紹達の意識の外へと追い遣る為だ。


憤怒という物は人の視野や思考を狭めてしまう物。

その事を、先の一戦を含め南皮で痛感させられた。

だから、この意図が判る。


本当に憎らしい程に深く、“人の心”の事を理解し、巧みに操っている。

この策を考え出した人物は世界屈指の曲者だな。



「フフッ…御目出度い頭をしていらっしゃる方だ…」



不適に笑い、あからさまに袁紹の事を馬鹿にしている言葉を口にする王門。

一度、僅かに俯いて視線を切って間を置いた。


──私への合図だ。

そう、察した瞬間、右隣に控えている田豫に一瞬だけ視線を向けた。

気配か雰囲気で察したのか示し合わせていたかの様に田豫も私に視線を向けた。

だから、本の一瞬。

敵味方問わず、私達以外に誰も気付きはしなかった。

そして、それで十分。

積み上げて来た信頼と絆が意志疎通を可能にする。


ゆっくりと顔を上げながら王門は僅かに左肩の方へと頭を傾けた。

右手に持った剣の腹で肩を叩く様に二〜三度動かし、静かに右腕を下ろしながら傾けた頭も共に戻す。


人を小馬鹿にした態度だ。

だが、其処に意味は有る。

私達だけにしか伝わらない大きく大切な意味が。



「一体私が何時、何処で、其処の“行き遅れ”に対し忠誠を誓ったというのか…

寧ろ私の方が詳しく教えて頂きたい位ですよ」


「──なっ!?、行きっ──キィイィイイィッ!!!!!!」



肩を竦め、呆れた様に言い更に袁紹を煽る王門。

確かに効果覿面な言葉だが地味に私も傷付くぞ?

…くそっ…私だって縁さえ有ったら今頃は幸せに──って、違う違う。

集中しろ、今は集中だ。



「それとも──あの程度の言動で、せんな風に勝手に思ったのでしたら…

随分と滑稽な物ですね」



言い終えると同時だった。

袁紹の苛立ちと憤怒が遂に限界へと達したのは。




だが、袁紹が全軍に命令を発するよりも一足だけ早く王門が仕掛けた。

最初から狙っていた様な、絶妙な間合いでだ。


一歩、袁紹に向かって前に踏み出した様に見えた時、王門の身体は大きく右側へ傾いており──弾けた。


確かに宅の連中の名前とか武勇は有名じゃない。

私と白馬義従が殆んどだ。

しかし、その実力は決して低いという事は無い。

寧ろ、高いと言える。

それこそ、高幹達と比べて遜色無い実力だ。

万全の状態で戦っていれば勝負は五分五分。

相討ちの可能性が最も高く思える位にだ。

だからこそ、作戦を用いて戦ったのだから。

故に、何等不思議な事では有り得なかった。



「──ぁ、が、がはっ…」



兵達が取り囲んでいる状況だからこそ“攻撃して来る馬鹿は居ない”“もし仮に攻撃しても雑兵では自分に届く訳が無い”等の油断が有ったのだろう。

だから、迂闊で間抜けにも前に出て来ていた。

最前列の敵兵の直ぐ後ろの位置にまで。


だが、王門は敵兵を難無く斬り捨て、その愚か者──郭祖の首を一閃。

切り裂いた傷口から鮮血を噴き出させながら仰向けに倒れて行った。


郭祖の返り血で身を染め、王門は左手の剣の切っ先を袁紹へと向ける。

“ヒィッ…”と小声ながら悲鳴を上げて袁紹は表情を恐怖で強張らせた。



「我が生命っ、我が魂魄は“あの日”から伯珪様へと全て捧げているっ!!

敵味方も!、汚名も罪も!

私には一切関係無いっ!

我が望みは唯一つっ!

我が主・公孫伯珪様の為に“道”を切り開く事っ!!

如何なる者であれ伯珪様の邪魔はさせんっ!!」



そう、啖呵を切ると王門は袁紹に向かって駆け出し、当然の様に袁紹を守る為に周囲に居た敵兵は王門へと群がっていく。

唐突に始まった乱戦。


冷静に考えるのであれば、私達を無視する真似なんて絶対に出来無い。

遣ってはならない。

しかし、今の王門の気迫と先程まで見せていた異常さ故に“恐怖の優先順位”が完全に入れ替わっていた。

私達よりも袁紹(あるじ)に近い場所に居て突貫をする王門は私達をどうこうして止まる気はしないだろう。

だから、より危険な存在と判断した王門を排除する為敵兵達は反応した。

それは当然の事だろう。

しかし、誰も冷静な判断が出来る状況ではなかった。

ならば、その当然の反応が“正しい事、ではない”と気付きはしない。


其処に──“道”が開く。




王門が敵兵を引き付けつつ次々と斬り捨てている中、王門が押し込まれる格好で少しずつ右へと外れる。


それを見て、袁紹は僅かに恐怖と緊張を弛緩させた。

袁紹だけではない。

この場に居る敵将も敵兵も誰一人気にしない程度の、些細な事だった。


それが普段ならば、だが。



「──総員っ、突撃っ!!

王門殿に続けえぇーっ!!」


「「「「「「「「「「「「

雄雄雄雄雄雄雄雄ぉおぉおぉおおぉおぉっっ!!!!!!!!

」」」」」」」」」」」」


『────っ!!!!!?????』



田豫の声に反応し、今まで忘れ去られていた勇士達が咆哮を上げ、突撃する。


驚いたのは敵軍。

当然だろう。

今の今まで一時的にだとは言っても、本来迎え撃つ筈だった相手を意識から外すなんて事は有り得ない。

だが、外された。

名も無き“影”の手により完全に操られて。

そんな事に気付きはしないだろうし、考える余裕すら無いんだろうけどな。



「──み、皆さん、殺っておしまいなさいっ!!」



袁紹の必死の命令。

まあ、自分の命の危機だ。

必死にもなるだろう。


だが、誰も気付かない。

一瞬とは言え、田豫達へと意識が向けられた瞬間。

姿を眩ませた存在に。



「──っ!?、い、居ない!?

奴は何処に行ったっ?!」


「──うぐぁあっ!?」


「──ちょ、張南様っ!?」



気付いた時には遅い。

騎馬に乗っていないが故に騎馬戦を意識したと同時に視線は自然と上向く。

その僅かな隙を利用すれば容易に姿を隠せる。

陰に潜み、敵将を討つ。

これも偏に長き騎馬戦術の研鑽の賜物だ。


そして、もう一つの効果。

下から上へ、上から下へ。

考える暇を与えず瞬く間に移り変わる視線と意識。

其処に致命的な隙を生む。



「──邪魔だああぁっ!!」



視線と意識が外れた所への騎馬の強襲。

不意を突かれ、反応は愚か堪える事すら出来無いまま敵兵達は蹴散らされる。


確かに槍兵は騎馬に有効。

正面からなら、な。

乱戦・混戦になった場合、槍兵が多いと互いに動きを邪魔し阻害し合う。

本当、手抜きの無い策だ。



──side out。



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