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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
388/915

        捌


 公孫賛side──


──十二月四日。


━━界橋


冀州は肥沃な土壌を持ち、高い収穫量を安定して保つ領域として知られている。

だが、実際に区分けすると南皮等の東側が平野部で、業等の西側は山岳・荒野が広がっていたりする。

当然、その特徴から州内の位置付けは東側が優位。

しかし、司隷に近い上に、南北の交易の要所でも有る業が代々の州都。

河水の存在も一因だろう。

そんな所で有る以上、当然防備も堅くなる。

だが、攻城戦にはならず、野戦になるだろう。

今回に限っては、だが。


此方が南皮から業に向けて進軍すれば、袁紹軍は逆に進軍をしている。

互いに何も考えずに只管に進軍していれば昨日の昼に衝突していた。

だが、一日遅くなった。

その理由は何方らも十分な休息を挟んでいるから。



(私達は兎も角、彼方まで休息を挟んでくるとはな

まあ、それだけ本気だって事なんだんだろうけど…)



高幹達を差し向けた時とは認識を改めている証拠。

全軍の全力を以て私の首を取りに来ている。

そう思うと身震いする。

だが、恐怖からではない。

不謹慎なのかもしれないが“楽しくて”だ。

小さく笑みも浮かぶ。


“英雄”という器には私は届きはしない。

ただ、それは袁紹も同様。

彼奴が自覚しているのかは判らないが、彼奴が曹操に今の様に喧嘩を売れるのは“袁家の当主”だからだ。

もし、他の家──或いは、劉備みたいな立場だったらそんな真似は出来無い。

いや、抑張り合おうとすら思わないだろうな。

確かに血筋や家柄は一つの大きな武器だと言える。

加えて袁家の莫大な財力に物を言わせている。

つまり、袁紹自身の才覚は殆んど関係が無い。

言い替えるのなら“袁家に生まれただけ”でしかなく同じ条件なら“誰にでも”出来る事だという事。

それが袁紹という存在。


“その者だけ”というのが“英雄”の素養の一つだと言えなくもない。

もしそうだとすれば、だ。

謂わば、私達は“英雄”の引き立て役に過ぎない。

そんな“特別な存在”には至れないからだ。


数年、数十年、数百年先。

今のこの“時代と歴史”を繙いたなら、私達の存在はその程度になるだろう。


だが、それで構わない。

一瞬を彩る為の飾り物でも生きた証を刻めるのなら。

だから、死力を尽くそう。

僅か一文にて片付けられる出来事だったとしても。

誰にも忘れられない戦いを刻み込んでみせる。

散って逝く命の為にも。


そして、示してみせる。

私自身が研磨し続けてきた爪牙(やいば)が、見せ掛けではないという事をな。





「御嬢様、通過しました」



田豫の声に伏せていた身を音を立てない様に起こして右後方へと顔を回らす。

すると、私の視線の先にはピカピカと光る金色の鎧を纏った一団が有った。

言わずもがな。

袁紹の軍兵に間違い無い。

あんな悪趣味で無駄に派手なだけで、実用性に欠けた格好をしている兵達なんて袁家だけだ。

しかも、両方共、だな。

どう考えても目立ちたいが為の無駄遣いだし。

本当、民の事なんて微塵も考えてないよな。



「で、誰の隊だ?」


「旗から見て郭援・張導・蒋奇・何茂でしょうか」


「本当に総動員してるな…

これで十三隊目だぞ…」



小さな林と山陰を利用して身を隠し、進軍する敵軍を遣り過ごす。

不要な戦いはしたくない。

此方が戦えるのは一度。

その一度で決めなければ。


だから、こういう事をして確実に接近するしかない。

幸いにも平野とは言っても遮蔽物が何も無い事はなく森林や山等が有るしな。


ただ、言った様に擦れ違い通り過ぎた敵部隊は十三。

しかも一部隊三千は居る。

現時点で約四万。

高幹達の連れていた兵数を含めれば約六万五千。

勿論、まだ居るだろう。

十万は間違い無く越える。



「…何れだけの民を私欲で犠牲にするつもりだ…」



既に二万以上の命を奪った私が言える事ではないが、“巫山戯るなっ!”と叫び殴って遣りたい。


曹魏との大決戦ともなれば仕方無いのかもしれない。

それ程の相手なのだから。

しかし、曹操が容赦する姿なんて想像出来無い。

だけど、曹操なら犠牲者を極限まで減らせる。

そう、確信にも似た信頼が私の中に有る。

不思議な物だけどな。


まあ、私が此処で、袁紹を刺し違えてでも討ち取れば犠牲者は確実に減る。

それも確かなんだけどさ。



「…御嬢様、先程の部隊が山陰に入りました」


「よし、出るぞ

出来るだけ砂塵を上げない様に気を付けてな」



中々に無茶な注文なんだが其処は流石に精鋭。

しかも騎馬の、だからな。

人馬共に上手く移動して、実行してくれている。


確かに宅は騎馬が主力だが単に騎馬を重用してるって訳じゃあない。

代々、烏桓辺りとの戦いを騎馬で熟してきた。

その技術・経験を受け継ぎ昇華してきたんだ。

其処ら辺の騎馬とは年季が違うんだよ。

…まあ、平野なのも大きな理由では有るけどな。


さて、それよりも何処まで見付からずに行けるか。

其処が問題だよなぁ。





「──くっ、おのれーっ!

逃げるか公孫賛っ?!」


「ああっ、逃げるさっ!」



一々戦ってられるかって。

よく“逃げるが勝ち”って言うだろうが。

無闇矢鱈に戦えば良いって物じゃないんだよ。

回避・撤退も戦略だ。


先頭を切って駆け抜けると遭遇した敵部隊を易々躱し脚を落とさずに離脱。

相手は歩兵ばっかりだし、例の金ピカ鎧が重いらしく動きが鈍重で助かる。

逃げ場が無い位に並ばれて囲まれたら厄介だろうが、今の私達とは相性が良い。

相手は最悪だろうけど。



「──御嬢様っ!

左前方に敵影ですっ!」


「──っ!、やっぱ楽には通り抜けられないか!

全騎っ!、遅れるなよっ!

此処からは止まれないから置いてくからなっ!」


『応っ!!』



背後から響く良い返事。

士気に問題は無いな。


だが、少しだけ気になった事が頭の隅でチラつく。

最終的には見付かったが、今ので“十八”隊目。

前向きに捉えれば此方側の技術等が優れていた為、と考える事も出来る。


しかし、逆の場合は?

もしもこれが、罠だったとすれば狙いは“誘導”だ。

何処へ?──とか訊くだけ野暮と言う物だ。

そう──袁紹の前に。

それ以外には無い。



(どの道、見付かった以上駆け抜けて突っ込む以外の選択は無いしな…

寧ろ望む所だってのっ!)



意思は固まっている。

それなのに…何だろう。

変な胸騒ぎが消えない。

しかし、今は余計な思考に構ってはいられない。

突き進まなくては。




一隊、また一隊と遭遇し、時には二隊を躱す。

先へ、先へと突き進み──都合二十七の部隊を躱して辿り着いた。

狛綺の脚を止め、後に続く仲間達も一旦止まる。

小高い丘の上、派手な形の馬に跨がり、私を真っ直ぐ見下ろす視線と重なる。



「随分と遅かったですわね

──“公孫賛”」


「ちょっと待たせた程度で目くじら立てるなって──皺が増えるぞ、袁紹」



軽い挨拶代わりの一言。

しかし、互いに向けている敵意は剥き出し。

真名を預けた友人ではなく明確な殺意の対象の証。



「ああ、忘れていましたわ

実は貴女に紹介したい者が居ましてよ?」



心底愉快気な笑みを浮かべ袁紹が言った後、丘の前に展開する部隊の陰から一人進み出た者が居た。



「──なっ!?」


「ど、どうしてだ…

何故お前が其処に居るっ?!

──王門っ!!」



驚く田豫や兵、私を他所に王門は静かに感情の見えぬ表情で私を見詰めた。



──side out



 袁紹side──


──十二月三日。


郭図の予想に従い南皮から此方へと向かっている筈の公孫賛を界橋で迎え撃つ。

その為に移動していた。

先に布陣する意味も有り、急がせていた。

しかし、全く休息無しでは戦いに影響する為、暫しの休息を取っていた時の事。

私に謁見したいという者が来ていると知らされた。

それも、公孫賛の将が。



「──それで?、私に何の御用なんですの?」



天幕の中、私を前に跪いて頭を垂れる男──王門へと静かに訊ねる。



「既に御存知と思いますが今此方に向け、公孫賛軍は進軍しております」


「そうらしいですわね

まさか、私に彼女を殺すなとでも仰有るおつもり?」


「いいえ、戦争と言えども親い方を亡くされれば憎悪・憤怒は当然でしょう」


「…では、何をしに?」


「兵は命令には叛けません

ですが、幽州の民な誰一人戦争を望んでは居りません

私にも妻子が居ります

ただ、平穏に暮らしたい

それだけなのです」



そういう王門の顔を見れば嘘を言っている気はせず、立ち合う郭図達を向いても同じ意見の様子。

つまり王門は公孫賛以外の者の助命が目的。

…いいえ、“悪人”公孫賛から助けて欲しい。

そう言っている事になる。

彼女に相応しい結末。

思わず笑みが浮かぶ。



「宜しいですわ

ですが、その為に公孫賛の動きを教えて頂けます?」


「南皮に向かった軍は全て騎馬で構成されております

その数、一万五千…

精鋭中の精鋭です」



その言葉に小さく騒付くが直ぐに郭図が黙らせる。



「──ですが、別隊が遅れ南下しております

少数の騎馬で此方に向かい隠れながら本隊に近付いて態と逃走、油断させた所に北と西に回り込んだ別隊が奇襲を仕掛け…

更に混乱した所へ後方から騎馬の大本隊の突撃を…」


「小賢しい真似を…

ですが、それならば此方が利用するまでですわ」


「それでしたら半数の隊を北と西に向け先に攻撃し、陽動隊を態と懐に引き込み擦れ違った部隊は逃げ道を塞ぐと同時に本隊の突撃を遮る壁となる…というのは如何でしょうか?」



自ら献策する王門。

どうやら、公孫賛を完全に見限っていますわね。



「貴男はどうしまして?」


「…叶うならば、本隊にて最後の挨拶をしたく…」


「フフッ…宜しくてよ」



彼女の到着が待ち遠しい。

一体どんな無様な顔を私に見せてくれるのかしら。

本当に愉しみですわ。



──side out



 公孫賛side──


訳が判らなかった。

何故、王門が袁紹の軍内に一緒に居るのか。

ただ、呆然と見詰めるしか私には出来無かった。



「数日振りです、伯珪様

この様な形になってしまい申し訳御座いません」



そう言って頭を下げる。

“何を謝っているんだ?”そう訊きたい衝動を理性が無理矢理に抑え込む。

返る言葉を聞きたくない。



「貴女は決して認めてなど下さらなかったでしょう

ですから、私にはこうする事しか出来ませんでした」



王門は愛用の対剣を抜くと静かに両腕を下げた。

俯いた為、顔が見えない。



「フフッ…残念でしたわね

貴女の策略は全て御見通しでしてよ?」


「──っ!?」



袁紹の言葉が正しいのなら王門が全てを伝えたという事になる。

そして、それは──



「態と遅らせて北と西へと回り込ませた別隊も今頃は投降しているでしょう」



──────────は?

……今、何て言った?



「あらあら、随分とまあ、間の抜けた顔です事…

全て、知っていますのよ?

こそこそ隠れながら此方の部隊を躱し、私へ近付く

本来ならば、この状態から逃走する振りをして私達を誘き出した所に別隊による奇襲を仕掛け、混乱に乗じ後ろに控えている大本隊の突撃にて一気に畳み掛けるおつもりですわよね?」



…そんな訳が無い。

別隊なんて存在しないし、大本隊なんて物も無い。

確かに、隠れて敵を躱して袁紹に辿り着くって部分は間違いないんだけどさ。

何だよ、その出鱈目──



「──って、王門っ!?

お前っ、まさか最初っからこうするつもりで──」


「──伯珪様」



私の言葉を遮る様に静かに声を発し、顔を上げた。

其処に浮かんでいたのは、曇り無い笑顔。



「貴女に出逢えなければ、私達家族は存在する事さえ赦されませんでした

今日まで本当に、御世話になりました…

有難う御座いました」


「王門ま──」


「──これが、私達家族の“応え”ですっ!」



陽光に照された刃が瞬き、青い空に花弁を散らす様に鮮やかな赫が舞った。




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