表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋姫三國史  作者: 桜惡夢
387/915

        漆


田豫の余計な言葉の所為で最後に仕事が増えた。

田楷に関しては田豫が言う通りだったが、田楷自身を納得させて、馬鹿な真似をしない様にするのに手間が掛かった。

田楷だけじゃないが。

ただ、単経の奴も納得した“振り”をして、こっそり付いて来る気だった。

他にも数名が。

それを考えれば結果的には良かったんだが…疲れた。

何気に頑固な奴ばっかりで苦労させたられた。



「元気が有りませんよ?」


「誰の所為だ、誰の…」


「全ては御嬢様の人望故と俺は思いますよ?」



そう言って悪びれもせずに笑っている田豫。

…くそぉ…何気に嬉しくて喜んでる自分が憎い。


ただ、いつまでも疲れては居られない。

一息吐いて切り替える。


最終的に軍将は田豫のみ。

兵達は六百七十三人。

私自身を含めても、七百に届かない矮小な部隊。

けれど、今の私にとっては最高に頼もしい部隊だ。



「ですが…王門殿は結局、姿を見せませんでしたね」


「…そうだな」



王門──字は開士。

今年で三十三歳になる男。

同い年の妻と三人の子供が居るから絶対に同行させる訳にはいかない。

ただ、王門とは出逢いから色々有ったんだよな。



「王門殿にとって御嬢様は命の恩人…

それも自身のみではなく、妻子を含めてですから…

複雑な所でしょうね…」


「ああ…だろうな…」



脳裏に浮かんだ遠い日。

出逢った時、彼奴は野盗で私を脅してきた。

とは言え、手に持つ獲物は刃の欠けた包丁。

ボロボロの汚れた手拭いで顔を隠しただけで、一目で農民と判る服装。

しかも単独犯。

おまけに、身体が小刻みに震えていた。

どう考えても、初心者。

人を傷付けた事なんて無い性根の優しい男だった。


だから、気になった。

農民達を追い込んでしまう原因は施政者に多い。


だから、手を差し伸べた。

まだ手を汚す前なら十分に遣り直す事が出来るから。

賊徒に堕としてしまう前に助けられるから。


最初は怯えていたし物凄く警戒して全く信じて貰えず正直困った。

だから腰に佩いていた剣を目の前に放って遣り地面に胡座を掻いて座った。

“私と話をしよう”と。


そう遣ったら少しは信じてくれたみたいで、ゆっくり話をしてくれた。

体調の悪い妻、幼い子供、不作だった作物、物価高、横行する賊徒の脅威。

様々な要因が重なり蛮行に走ってしまった事。

それを悔いている事。


そんな大馬鹿で真っ直ぐな男だったから私は助けた。

助けて遣りたくなった。

それが、私達の始まり。



「元気で生きてくれるならそれで十分さ…」


「…ええ、そうですね」



その為になら私は戦える。

幽州の民の未来の為に。

この命を賭して。



──side out



 袁紹side──


━━業県



「──貴方…今、一体何と仰有いましたの?」



玉座に座り右手を肘掛けに置いて、左手で髪を弄り、目の前で跪いている兵士に訊ね返した。

よく聞き取れなかったので聞き間違えたのでしょう。

私も色々と忙しい身ですし疲れもしますからね。



「…公孫賛軍により各関は突破され、敵軍は南皮へと向かって行きました

その数凡そ一ま──」


「──そんな下らない事を訊いてはいませんわっ!

何故、彼女が生きて南皮に向かっているのかっ!

それを説明なさいっ!」


「そ、それは…」


「…袁紹様、この者は関に詰めていた兵です

そこまでの事はこの者には判らないでしょう」



そう言い前に進み出た者は軍師の一人、郭図。

確かに高が下っ端の兵士に詳細が判る訳が無い。

郭図の言う通りですわね。



「…判りましたわ」


「御苦労でしたね

下がって構いませんよ」


「は、はいっ…」



私が一息吐くのを見てから郭図は兵士へと振り向いて退室を許可する。

まあ、これ以上居ても何の役にも立たないでしょうし当然の事ですわね。



「袁紹様、南皮の事ですが公孫賛が向かったのならば既に落ちているでしょう

今、袁家の戦力は略全てを此処に集めていますので」


「それは判りますわ…

ですが!、抑の問題としてどうして彼女が生きていて南皮に向かえるんですの?!

私は今、それを訊いているのですわっ!」



南皮が無防備な事は当然。

無防備なのは南の州境以外全てなのですから。

だから、攻められれば碌に抵抗も出来無いでしょう。

その結果、一刻と掛からず落ちても可笑しくはない。

下手に抵抗して城に被害を出す位なら無抵抗で降伏を選んだ方が賢い。

納得の出来る事ですわ。



「…袁紹様、私が幽州へと後発隊を出したのは覚えていらっしゃいますね?」


「ええ、勿論でしてよ」


「私は世間の評価よりも、公孫賛を高く評しています

ですから、万が一もと思い後発隊を出しました

…ですが、公孫賛は生きて南皮に攻めて来ました

当然の事ですが高幹殿達が見逃す事は有りません

啄郡を囮に南皮を急襲した可能性は有りますが…

南皮に向かう途中で敵軍が抜いた関を考えると易県を通るしか有りません

そして、幽州から易県へと続く道は一つしかなく…

其処は高幹殿達が幽州へと向かった進路です

つまり…考えられる答えは高幹殿達が公孫賛によって討ち倒された…という以外考えられません」





──郭図?、貴男にしては珍しく冗談を言いますわ。

でも、笑えませんわよ?



「袁紹様、信じたくはない御気持ちは理解出来ます

ですが、その可能性が最も高いと思われます」



じっ…と見詰めている私の心を読む様に郭図は言い、静かな声で告げる。

そう言えば郭図は高幹とは昔から仲が良かった筈。

何方らからも、そういった話を聞いた記憶が有る。

だから、私の気持ちが判るというのも頷ける。


ただ、それでも簡単に納得する事は出来無い。



「敗北した、という点では私も納得出来ます

ですけど、討たれたという以外にも有り得ますわ

寧ろ、捕虜になっていると私は思いますけど?」


「…それは有り得ません」



“どうかしら?”と笑みを浮かべてみせた私に対し、郭図は辛そうな表情をして左右に首を振り、告げた。

完全に否定する言葉を。



「もし、高幹殿達が敗北し捕虜となっていたのならば公孫賛は袁紹様に対しての使者を出して来る筈です

公孫賛は高幹殿の立場等を知っている訳ですから…

袁紹様と“交渉”する事が可能な事は判るでしょう」



そう、それですわ。

彼女とて平凡では有っても馬鹿では有りませんもの。

私と戦っても勝てるなんて考える訳が有りません。

ですから、可能性としては高幹達を人質として私との同盟、或いは不可侵交渉を行う筈です。

だから、生かして置く。



「ええ、ですから…」


「ですが、公孫賛は南皮に攻め込んで行った…

少なくとも袁紹様を含め、我々が業に居る事を知らず動いたと見て良いかと

使者を出す気があるのなら高幹殿達に居場所を訊けば確かめられます

使者に関しても同様です

軍将の内の誰か一人を──それこそ兵でも構いません

敗北を知る此方の者を返し使者を出す代わりにすれば安全に話を進められます

しかし、そうしなかった

その事実が物語っています

公孫賛は捕虜を取る真似は一切していない、と…」


「──っ…」



メギッ…と右手の中で鈍い音がして何かが潰れた様な感触が有った。

しかし、関係無い。

そんな些細な事は無視。



「郭図、全軍に通達を」


「…如何様に?」


「──全力を上げ公孫賛の首を討ち取りなさい」


「…御意」



伯珪さん…いえ、公孫賛。

貴女が何をしたのか。

貴女自身の死を以て教えて差し上げますわ。



──side out



 郭図side──


謁見の間を退出し、各人に通達を出す為に己の執務室へと向かって歩く。

自分の足音だけが妙に響き少しだけ気分が悪くなる。


このままでは駄目だ。

そう思って、足を止めると通路の端に寄り、ゆっくり空を見上げた。


自然と眦から溢れた雨粒が頬を、顎を伝い、落ちる。

止められなかった。

止める術がなかった。

袁紹様の痛みと悲しみを。

この胸の痛みと悲しみを。


正直な事を言えば私自身も未だに信じられない。


敗北という可能性は絶対に無かったとは言わない。

しかし、そうなる前に──いや、抑、全滅したという事の方が釈然としない。

あの能天気な趙叡でさえ、部隊を守る為であったなら自らを犠牲にしてでも兵を撤退させる筈。

高幹殿達ならば尚更。

そうなる前に撤退を決断し実行出来る。

其処等に転がっている様な出世欲や自己顕示欲の為に部隊を危険に晒す事なんて絶対に遣らないでしょう。


しかし、現実は違った。

詳細な情報を入手出来た訳ではない。

だが、袁紹様に話した様に他には考えられない。


もしもこれが他の部隊なら敗残兵は逃げ出したままで戻っては来ないだろう。

だが、彼等の部隊は違う。

一人でも生き残ったのなら我々に全てを伝える為に、必死になって戻って来る。


勿論、同行していた兵達の全てがそうではない。

それでも決して少なくない数が居た事は確か。

その全てが死亡したのなら公孫賛の頭に捕虜や交渉の可能性は全く無いという事になるだろう。



(…甘く見てはいなかった

しかし、それでも尚我々は公孫賛を計り損ねた…)



公孫賛は決死の覚悟だ。

そうでなければ高幹殿達を捕虜として交渉に持ち込む方が安全なのだから。

無意味な犠牲も出ない。


荒事・争い事を嫌うという公孫賛らしくない行動。

しかし、そうさせた理由は間違い無く我々に有る。

“宣戦布告”も無しに進軍してしまった事も悪手。

そう、“絶対に勝てる”と思い込んでいた。

だから、敗北の可能性すら見失っていた。



「…最初から我々は選択を誤っていたのですね…」



大きな犠牲を支払って得た答えは、あまりに無情。

比べるまでも無く、大きな代償となった。


しかし、引き返せない。

これは戦争なのだから。

もう、進むしかない。

何方らかが、倒れるまで。



──side out



 陶謙side──


袁紹の麾下に入る事になり多少の時が流れた。

共に居た張超殿・劉陶殿は相変わらず“打倒曹操”に執念を燃やしている。

そして、そんな二人の事を袁紹は甚く気に入った様で二人の方も非常に協力的になっていたりする。


しかし、私自身はと言うと三人を見ながら身の危険を日増しに覚えていた。

“死”が常に脳裏を過り、夜も安心して眠れない。

だがそれは、曹操に対する恐怖などではない。

復讐に取り憑かれた人鬼が側に居るからだろう。

あまりにも深く暗い感情に恐怖しているのだ。


けれど、簡単に逃げ出せる状況でもない事も確か。

此処に居れば死ぬ。

しかし、逃げ出せば死ぬ。

私はまだ死にたくはない。

だから、動けない。


──否、動けなかった。



「…本当に宜しいので?」



そう訊ね返すのは以前から私に仕えている青年。

気紛れで拾っただけだが、その恩義に忠実な性格故に色々と助かっている。

手勢を失った私にとっては数少ない手駒だ。



「うむ…最早私には彼等に付き合う理由が無い

復讐に身を焼き尽くされる憐れな末路は御免だ」


「…判りました」



そう言うと馬車を引く馬の手綱を握り、走らせる。


全軍を上げて公孫賛討伐。

その様な伝達が来たのは、正に幸運だった。

あらゆる者の目が、意識が公孫賛へと向いた。

曹操──曹魏の様な圧倒的存在とは違う。

だから、戦功が脳裏を過り私の存在を消してくれた。

今更、私一人が消えた所で気にもしないだろう。

いや、気付く事ですら件の戦いが終わった後だろう。

所詮は、その程度の事。


しかし、敵前逃亡となると意味が違ってくる。

特に曹操が相手では。

そんな者が一人でも出れば士気に関わる。

本の僅かな物だとしても、決して小さくなくなる。

そういう相手なのだ。

曹操という存在は名だけで他者を平伏させる。


だから、逃げ出す事は先ず不可能に近かった。



「公孫賛、直に会った事は無いが感謝しよう…

その愚かさと蛮勇に、な」



小さく笑みを浮かべながら久し振りに安心して眠れる気がした。



──side out



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ