伍
私の考えた作戦。
先ずは砦脇の森林に騎馬を潜ませ、敵軍の先頭部分が通過した所に奇襲を仕掛け敵を挑発する。
直ぐに釣れなくても脳裏に私が居ると刷り込めたら、それで十分。
次に道幅の狭さを利用し、進んで来た敵を迎撃。
元々有った広場を、両脇を削って更に広くした。
其処へ誘い込む算段。
広場は外周を大人二人分は有る高さで囲う様に足場を設けて布陣し、弓で射る。
これだけでも十分な戦果を期待出来ただろうが、更に人手間加えた。
広場から砦へと続く道。
その両脇の岩肌の上に潜み姿を見られない様にして、箒を使って砂煙を巻き上げ騎馬の砂塵と錯覚させる。
同時に広場へと進んで来る敵軍の視界を奪う。
その上で、両脇の岩影から弓を射て攻撃する。
この時、近過ぎない場所で攻撃する事が重要。
此方の居場所を悟られない為にもだ。
但し、この策は天候に左右されてしまう。
雨や雪だと出来無い。
その時用に代案は考えては有ったんだけどな。
此処までは予定通り。
此方に被害を出す事無く、敵を一方的に駆逐している状況を作り出せている。
問題は此処から。
視線の先では田楷によって軍将二人を討たれ、それに気付いた兵達は混乱。
逃げ出そうにも左右は壁、前方には敵、後方には砦を発った本隊が迫る状態。
逃げ場は無かった。
其処へ容赦無く降り注いだ矢の雨により、抗う暇すら与えられず倒れ逝く。
ざっと数えても五千以上は居ただろう先行部隊。
それが既に七割以上を失い敗走に近い状態。
数の上では圧倒中だ。
だが、問題は出て来る。
亡骸が増えるという事だ。
此処は平地や平原ではなく道幅の狭い山道。
簡単には岩肌を登ったりは出来無い。
だが、積み重なった亡骸を踏み台に使えば岩肌の上に“逃げ道”を見出だせる。
予想を裏付ける様に一人がその事実に気付く。
しかし、簡単に上に逃がす訳なんて有り得ない。
即座に配置されている中で腕の良い者が動く。
…いや、文則か。
彼奴は宅の中で三指に入る弓の名手だしな。
こういう時は確実に自分で動いてくれる。
けれど、一人二人程度なら問題無いが、次から次へと続く様になると厄介。
其処で再び出番となるのが大盾を持った敵将を貫いた大型弩“峯磊”だったりする。
そのあまりの大きさの為、完全設置型で十人掛かりで使用する事になる。
騎馬主体の宅では使い所が難しいが今回は填まった。
左右に一基ずつ設置された“峯磊”から放たれた槍と見間違える矢が登る敵兵と亡骸の山を貫き壊した。
それを見て、恐怖に竦み、動きが止まった。
その隙を見逃す事無く矢が止めに大量に放たれた。
──side out
高幹side──
畦元進の隊を前衛に置き、高覧を本隊の先頭付近に、自分が本隊の後尾付近に、韓距子の隊を後衛に置いて進軍を開始した。
畦元進を全体の先頭側に、韓距子を後尾側に置く事で常に誰かが即座に判断して指示を出せる様に。
それだけの用心をしながら進まなければならない。
先行部隊が戦闘中だから、ではない。
既に“壊滅状態”だから。
進軍中に山道に谺した声は雄叫びではなかった。
間違い無く、悲鳴。
其処から考えられる事。
兵達が士気を下げただけの事ならば二人が鼓舞等して上げるだろう。
しかし、悲鳴という事実は戦意を失ったという事。
それは二人が倒れたという事実を物語っている。
頭抜けた統率力・指揮力を持っている将が居る場合、兵の統率力は微々たる物。
その将を失えば兵は簡単に統率を失い──混乱する。
一度そうなってしまえば、立て直す事は略不可能。
だが、それだけでは部隊が壊滅までには至らない。
そうなった要因は二つ。
この地形と──敗走兵には成りたくない恐怖心。
そして敵との板挟みにより身動きが出来無くなれば、後は動かない的と同じ。
容易く片付けられる。
その考えを裏付ける様に、先程から悲鳴も消えた。
今は自分達の進軍している雑踏の音だけが響く。
我々軍将だけではない。
兵達も気付いている。
何方らが優勢で、劣勢か。
(…このまま戦うべきか?
それとも撤退すべきか?)
脳裏に浮かぶ選択肢。
“今なら、まだ間に合う”という声が聴こえる。
それは自分自身の弱気から生まれてくる声。
しかし、事実でも有る。
敗因は公孫賛を甘くみて、準備も情報収集も怠った。
いや、それだけではない。
袁家の全体が曹魏にばかり意識を向け過ぎている事。
今現在、我々が戦う相手は曹魏ではない。
公孫賛だという当たり前の意識を持っていない事。
(…だが、撤退して業まで戻って再び戦うというのは現実的に厳しいだろうな)
相手は騎馬を主戦力とする公孫賛なのだから、簡単に追い付かれて終わりだ。
準備も無しに騎馬を相手に平地では戦えない。
それに、“外敵”を相手に幽州を長く守り続けている実力も経験も有る。
先ず、勝てはしない。
それでも今、僅かに勝てる可能性が有るとするならば公孫賛を討ち取る。
それしか無い。
そして、それが今の我々が袁紹様の為に出来る事。
退く事は──出来無い。
山道を進んで行くと前方に砂塵が見えた。
一瞬、騎馬の突撃が脳裏を過ったが──可笑しい事に直ぐに気付いた。
突撃した後、どうすのか。
山道はこの道幅だ。
反転するだけでも一苦労。
また騎馬の数を減らしては突撃する意味も無い。
つまり、突撃は無い。
しかし、もしも“有る”と考えてしまったら──そう考えて身震いする。
“見えない敵”に良い様に翻弄されただろう。
考える時間が無かった分、趙叡達は嵌まってしまったかもしれない。
それは総指揮を執る自分の失態に他ならない。
奇襲を受けた時、少数での斥候を出し情報収集を優先するべきだった。
犠牲が出たとしても少数に抑えられたのだから。
だが、全ては結果論。
“たられば”に意味は無く過去は変えられない。
グァーンッ、グァーンッ、グァーンッ、グァーンッ!!
「──っ!!」
山道に鳴り響く銅鑼の音。
四度、打ち鳴らされた。
前方で畦元進が接敵をした合図だった。
しかし、前に行きたくても行く事は出来無い。
下手に動いたら先行部隊の二の舞になる。
焦る気持ちを抑え込む様に強く歯を噛み締め、両拳を握り締める。
──と、その時だった。
顔に“影”が差した。
その影に気付いたのは自分だけではなかった。
何人もが顔を岩肌の上へと何気無く向け──驚愕。
巨大な岩が崖上から此方に身を乗り出していた。
──不味いっ!!
そう、頭が理解した時には岩は破砕音を響かせながら山道へと転がり落ちる。
ガラガラッ、ゴロゴロッ、ズドンッ!、ゴゴドンッ!!
鈍い轟音、揺さぶる震動。
其処に混じる悲鳴、悲鳴、悲鳴、悲鳴、悲鳴…
脳裏に浮かんだのは最悪の地獄絵図だった。
崩落──否、“放落”され道幅を完全に塞いだ巨岩の数々が視界を遮る。
後方に振り向けば同じ様になっていた。
(音や声、震動から考えて此処だけではない…
恐らくは…少なくみくても四ヶ所に落とされた筈…)
位置的に考えて本隊の前後辺り、そして前後衛の中程辺りだろう。
もしかしたら更に二ヶ所は落ちているかもしれない。
ただ、事実として全部隊が分断され、最前後衛以外は確実に四方を塞がれた。
開いているのは頭上のみ。
その状況で敵が次に打つ手となれば──
『ぅわぁああぁぁっ!!!!』
『ぎゃあぁあぁあっ!!!!』
重なり響く高い風切り音と丸太が転がる様な音。
そして悲痛な絶叫が彼等の絶命を告げていた。
どうする事も出来ず。
ただ自分達に訪れる未来に対し備えるしかなかった。
──side out
公孫賛side──
敵のはっきりした兵数まで予想は出来無い。
綿密に情報収集していれば判るのかもしれないけれど生憎と宅には潜入に長けた密偵向きの人材が居ない。
だから、ある程度。
袁紹も袁家の家臣達も私を侮ってはいるだろうけど、兵数は割いてくる。
そう考えて一万〜一万五千程度を想定していた。
実際には更に一万近い数を送り込んで来たが。
それは多分、郭図だろう。
曾て一度だけ顔を合わせた事が有るが、他連中と違い私を冷静に見ていたし。
“食えない奴だ”と印象を抱いた覚えが有る。
それでも、まだ範疇。
最大三万までは対応出来る算段になっていた。
それ以上は地形的に無理。
亡骸が多くなり過ぎて道に溢れ返ってしまえば、逆に此方が危うくなるしな。
最初の“釣り”で削って、残りは縦長になって山道を進む所を、巨岩を落として道を塞ぎ分断。
逃げ場を失った敵に対して頭上から丸太を落としつつ矢も射掛けて殲滅。
軍将が居なければ略確実にそれで片が付く。
だが、そうでない場合。
つまり、軍将が居る部分は最終的には一騎打ち。
分断した箇所は四つ。
結果、五つに分割されたが中央以外は全て敵の軍将が入っていた。
敵ながら見事だと思う。
尤も、此方としては前後に別れて固まっていてくれた方が良かったが。
それでも勝ちは揺るがない事を断言出来る。
前方には田楷・王門。
二番手に田豫・鄒丹。
中央には文則・厳綱。
四番手には私。
そして後方は砦脇の森林に止めの為に潜み、待機する白馬義従本隊を率いている関靖・季雍・范方。
敵兵は無力化したも同然。
後は、各々の決着のみ。
私は眼下に居る男を見る。
見知った顔──高幹だ。
その周囲には丸太によって押し潰されたり、矢により死んだ兵達が倒れている。
高幹自身も身体に幾つもの矢を受けている。
それでも、奴は両の足にて立っていた。
立って、私を見据える。
側で矢を番え、構える兵を手を伸ばして制す。
無言のままでも十分。
立場的な事を考えると私は遣ってはならない事だが、今は無理な相談だ。
本当は無用な危険を冒さず射殺すべき。
頭では理解している。
けれど、私の心が叫ぶ。
“自らも手を血に染めろ、それが背負う者の責任だ”──と、嘆きながら。
狛綺の背中を降り、岩肌を滑る様にして崖下へ。
田壮が居たら大目玉確実。
本当、愚行だよな。
下に着くと敵兵達の亡骸と絡み合う様になった丸太の上に飛び乗った。
足場の確保でも有るけど、亡骸を踏む気にはなれない事が一番の理由。
戦場では抱いてはならない“甘さ”だけどな。
「…よお、久し振りだな
こんな形で会う事になると思わなかったぜ、高幹」
「…ああ、此方も同様だ
正直な所、こうして応じて貰えるとは思わなかった…
何しろ…馬鹿でない限りは意味が無いからな…」
「酷い言われ様だな
まあ、否定は出来無いが」
似つかわしくない会話。
だが、腹の探り合いなどは一切介在しない。
只の、世間話と同じ。
何気無い物だ。
「…高幹、一つだけ訊く
彼奴は私を殺す気か?」
「…明言はされなかったが恐らくは…な」
「そうか…」
判ってはいたが…全く。
この期に及んで未だに私は“もしかしたら…”なんて幻想を期待していたのか。
我ながら女々し過ぎだな。
「最後に言い遺す事は?」
「…“平凡”な輩程、侮り対すと痛い目に遭う様だ」
「はっ…言ってくれるな
だったら先に逝った連中に地獄でよく教えて遣るんだな」
「そうするとしよう…」
互いに獲物で有る剣を抜きゆっくりと構えを取る。
小さく呼吸を整え、静かに私は声を出す。
「いざ──」
「──参るっ!!」
応じた高幹の声で動く。
足場の悪さ、高さの違い、身体の状態。
それらを感じさせる事無く私に向かって駆ける高幹。
田楷と戦った二人もそう。
恐らくは残る三人も。
これが“最後”と理解して死力を尽くしている。
──たった、一撃。
それで決着する戦い。
仕方が無い事ではある。
こうして動ける事が奇跡。
いや、多分“武人”の本能なのだろう。
だからこそ、応えよう。
私に出来る全力で。
束を握る右手に力を込め、更に前へと踏み込む。
──交刃の瞬間。
高幹の浮かべた笑みを私は忘れる事は無いだろう。
精一杯に生きた一人の士の生き様と共に。




