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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
382/915

        弐


愛馬の“狛綺(はくき)”の元に近付けば、閉じていた目蓋をゆっくりと開けて、私を真っ直ぐに見詰める。

“覚悟は出来たの?”、と訊かれている様な眼差しに小さく苦笑を浮かべながら狛綺の頭を撫で、頬擦りをしてやる。

“大丈夫、心配要らない”という意思を込めて。


単純な歳で言えば私よりも歳下なんだが、狛綺の方が“お姉さん”っぽい感じで私に接する事が多い。

それもまあ、当然と言うか自業自得と言うか。

まだ仔馬だった頃から私が世話をしているんだけど、昔から色々と愚痴ったり、弱音を吐いて聞かせていたからなんだと思う。

でも、甘える時はしっかり私に甘えてくるんだけど。

それもまた、私にとっては大事な癒しになっている。


真っ白な毛並みに合わせて装飾された銀色の兜。

それを被れば、私も狛綺も戦場に立つ戦士。

共に命を預け合う相棒。

ある意味、最も守りたい、死なせたくない存在。

命を共にするからこそ。

生きて欲しいと思う。



「………狛綺…」



静かな声で名を呼びながら狛綺の頭を抱き締める様に腕の中へと納める。

何の抵抗もせず、寧ろ自ら私に身を委ねてくれる。

その信頼が心地好い。

その温もりが愛おしい。


そのまま鬣の生え際辺りに頬を寄せ、目を閉じる。

胸中に渦巻く不安。

それに負けない様に狛綺に勇気を分けて貰う。


抑、馬というのは基本的に凄く臆病な生き物だ。

ちょっとした物音にさえも吃驚してしまう。

そんな子も珍しくない。

そんな馬達が騎馬となって戦場を駆けられる理由。

集団である事も一因だが、人間──特に主への信頼が大きいと言える。


けれど、全てが全てという訳ではない。

馬達を道具や乗り物としか見ない輩も少なくない。

…いや、そういう輩の方が多いだろうな。

嘆かわしい事だが。

だから、普通に考えたなら騎馬は正面に機能するとは思えないだろう。

だが、現実には機能する。

それは何故なのか。


これは人間にも言えるが、集団の中には必ずと言って間違い無い程、その集団を統率出来る存在が居る。

或いは、自然に現れる。

そんな存在が従順になればその相手に対し全く信頼を寄せてはいなくても集団の一部として従う。

其処に個の感情や信頼感は然程必要ではない。

人間も、馬も、群れを成し生きるからこその習性。

それが、現実だ。

冷淡な様でも、な。


まあ、自分達には関係無い事ではあるんだけど。

私も狛綺も、互いに互いを深く信頼しているからこそ遠慮なんてしない。

誰にも見せた事の無い姿も互いにだけは見せられる。

そういう確かな信頼が有り互いを理解しているから。


人間と馬が長い歴史の中で何故共に戦場に立つのか。

その答えこそが、信頼だと私は考えている。





「お嬢様、此方でしたか」



不意に声を掛けられた為、少しだけ身体が震えた。

気付かれる程の事ではないのだが、あまり他の者には見られたくなかったりする姿を狛綺の前で晒している事も有った為、どうしてもビクッ…と反応してしまう事は止むを得ない。


近付いてくる足音にさえも気付かない程、深く意識を沈めていたらしい。

そっと目蓋を開いた先では“仕方無いんだから…”と呆れている様な狛綺。

…悪かったな、臆病者で。

でも、仕方無いだろ?

此処まで色んな物を背負う事は初めてなんだ。

弱気にもなるって。


それでも狛綺の揺るぎ無い信頼の宿る眼差しを見て、胸中の不安は薄れる。

完全に無くなりはしないがそれで良い。

戦場では臆病な者の方が、生き残れるのだから。


一息吐いて、振り返る。

其処に立っているのは声を聞いただけで判る相手。

長い付き合いだけに。

まあ、私を“お嬢様”とか呼んでる時点で親い立場の人間なんだけどな。



「単経、今は“お嬢様”は止めろって…

士気が下がるだろ?」



単経──今の家臣の中でも古参であり、私とは幼少の頃からの付き合いになる。

歳は単経の方が五つ上。

因みに妻帯者で二児の父親だったりもする。

…べ、別に先に結婚されて悔しいとかはないからな。

…ま、まあ、ほ、本の少し…多少………くっ…本当は羨ましいかったよ。

裏切り者めーっ!



「…何故でしょうか

今、妙な“言い掛かり”を付けられた様な…」


「こういう状況なんだ

言い掛かりの一つや二つは向けられて当然だろ?」



ビクッ!、と反応しそうな身体を気合いで抑え込み、尤もらしい事を平然とした表情で言って誤魔化す。

しれっとした顔を作り無実──な筈の敵に責任転嫁。

…まあ、実際に言ってても可笑しくは無いけどな。

ただ、その場合は単経より私に対してだろうけど。



「…まあ…そうですね」


「そうそう、そんなの一々気にしてたら切り無いだろ

放って置けって」


「はい、判りました」



素直って言うか、信頼した相手は疑わないんだよな。

だからまあ、煮え切らない単経に業を煮やした結果、奥さんに押し切られる形で結婚したんだけどさ。

幸せそうだから良いんだがあの逞しさは私も見習った方が良いのかもな。

…出来そうにないけどさ。

恋愛って難しいよなぁ。




ちょっとばかり逸れていた思考を戻す様に、私の耳が遠くに足音を拾った。



「…来たみたいだな」


「…その様ですね」



単経も同様に気付いた様で同じ方向を見詰める。

…まあ、一本道なんだから当然なんだけどさ。

気分って奴だな。



「全員配置に付いたな?」


「はい、問題有りません」



問題無い、か。

順調な時ってのは勢いとか有るから小さな誤差なんて一々気にもしないだろうし物ともしない。

だけど、冷静な状況下では順調な時に小さな誤差とか気になりだしたら駄目だ。

思考が一気に狂いだす。

軍師を務める位の才能や、百戦錬磨の猛者って事なら切り替えられるのかもな。

ただ、生憎と私は心配性で小心者なんでな。

其処は仕方が無い。

素直に諦める事にする。

無理な物は無理。

そう結論付ける事によって“切り捨てる”為に。



「…なぁ、単経…」


「何でしょうか?」



ふと、頭に浮かんだ事。

本当ならば“こんな事”は現状の様な時に口にする事ではないだろう。

だけど、だからこそ。

私は敢えて口にする。



「お前は私に仕えて長い

私の歩みを誰よりも近くで見てきたと言える

田壮──爺やを除いたら、お前と過ごして来た時間が最も長いしな

それこそ私にとってお前は“兄”も同然の存在だ」


「…勿体無い御言葉です

お嬢様の御成長を間近にて見て来れた事は私にとって誇りと言えます」


「──で、本音は?」



畏まった言い方をしている単経を見て笑みを浮かべて揶揄う様に訊ねる。

すると、単経は一息吐いて表情を崩して苦笑する。



「あの泣き虫で甘えん坊な“お嬢ちゃん”が、随分としっかりした物だな、と」


「ははっ、確かにな」



そう、昔の私から考えたら本当に成長したと思う。

何を遣るにも“爺や”とか“兄さん”と言って甘えて泣いていたのだから。

随分と増しになったよな。



「…お前はさ、私に仕えて後悔してないか?」



笑っていた表情から静かに微笑へと変えながら問う。

正直、そこまで思い詰めて訊いている訳ではない。

飽く迄も、何と無く、だ。



「…後悔、とか言える程に悪い事は無かったな

良い事も平凡なんだが…」



尤もな言葉と“落ち”に、私は苦笑を返す。



「──でもな、俺にとって公孫伯珪は世の中で誰より尊敬する主君だ

俺の──自慢の“妹”だ」


「──っ!……そっか

なら、その想いにしっかり応えないとな」


「さあ、参りましょう」



ああ、天下に示すさ。

私の家臣達は天下一だって見せびらかして遣る。

だから、力を貸してくれ。


この命尽き果てる時まで。



──side out



 呂威興side──


砦を抜け、兵数を三千まで減らしてからの進軍。

二隊分だから総数は六千。

道幅を考えれば十分な数。

今度は横撃を受ける事など有り得ない。

何しろ、両側面は岩肌。

後ろから来る事も無い。

仮に有っても砦に待機する本隊を破って、砦を抜けて来る事になるのだから先ず不可能に近い。

少なくとも公孫賛は一人。

つまりは、何方らかにしか存在しないのだから。

故に我々が警戒すべき事は前方からの騎馬による突撃一つだけになる。

流石に無傷・無被害でとは行かないでしょうが。

この道を抜ける事は十分に可能な筈です。


一列を各隊五人、計十人に変更して、先程よりも動き易くして有ります。

また、最前列から数えると二十列目に指揮を執る私達二人が位置取っています。

いざと成れば趙叡に単騎で当たって貰う事で、体勢を立て直す時間を稼げるし、後方から前線へ兵の補充も出来るでしょう。

現状では最適な形です。



「そう言やぁ、呂威興

公孫賛の所にも一応将師は居るんだよな?

どんな奴等なんだ?」



隣を進む趙叡から訊ねられ頭の中で情報を探す。

しかし、思う程、公孫賛の家臣の情報は無かった。



「…私が知っているのは、古参の田壮という公孫賛の御目付け役だけですね」


「はぁ?、何だよそれは?

公孫賛以外に名が知れてる奴がお目付け役って…

そんなに人が居ねぇのか?

それとも公孫賛って奴には人望が無ぇってか?

何方にしても楽勝だな!

あっはっはっはっ!」


「全く…貴男は…」



あまりにも楽観的な思考に溜め息が溢れる。

もう少し位は考えて慎重に動いて欲しい。



「だが、事実だろ?

結局の所、公孫賛一人しか有力な者が居ねぇからこそ名も広まんねぇんだよ

次に出て来る名が公孫賛のお目付け役ってんだから、間違い無ぇだろ」


「まあ…そうですが…」


「手前ぇは考え過ぎだ

深読みし過ぎて縮こまって動けなかったら馬鹿だろ

考え過ぎずに勢いに任せて動く事も悪かねぇんだ

気楽に行こうぜ!」



…珍しく一理有る事だけに反論も出来ませんね。

まあ、気負い過ぎていても良い事は無いですからね。

見習ってみましょうか。




警戒はしながらも、静かに行軍は順調に進む。

ザッ、ザッ、ザッ…と響く足音だけが谷間を染める。

会話らしい会話も無い為か士気が微妙に下がっている様に感じられる。

自分達の足音だからする事自体は当然。

けれど、規則正しく響いて聞こえるだけに単調に感じ気持ちに“慣れ”が生まれ緊張感が薄れてしまう。

周囲が岩肌で見易いという事も一因と言える。

これが森林の合間とかなら緊張感を保てるのですが、無い物強請りでしょうね。


しかし、此処で変に気合いを入れても、相手に対して此方の位置を教えてしまう事になる。

今は、これ以上に気持ちが萎えない事を祈るのみ。

何も出来無いという事程、嫌な事は無いですね。



『──っ!?』



──と、何の前触れも無く前方から矢が飛んで来た。

私達二人は視界に捕捉する事が出来た。

けれど、兵達は違う。

最前列に居た大盾を持った兵達は気付いた時には既に身体を貫かれていた。



「──ぇ?…ぁ…え?…」



真っ先に生じるのは混乱。

崩れ落ちる最前列を含んだ前線の兵達の姿が視界から急に消えた事に戸惑う。

だが、兵達にはそれが何を意味するのか。

直ぐには理解出来無い。


しかし、現実は無情。

時が止まる訳ではない。

考える時間も与えられず、自ら判断を迫られる。

迫られるが──出来無い。

指示を仰ごうと後方に──此方に振り向く者も居た。

けれど、そこまで。

振り向いたまま矢に貫かれ地面へと倒れて逝く。


自分達に何が出来たか。

捕捉出来た。

ただ、それだけだった。



「──っ、ぅ雄雄雄ぉおぉおおぉおぉーーっ!!!!!!」



それでも、本能に弾かれて前線へと飛び出した趙叡の姿に自分も行動を起こす。



「銅鑼を鳴らせっ!!」



半身の体勢を取って後方に顔を向けて短く叫ぶ。

“自分達だけで十分”とか“舐められてたまるか”等微塵も考えなかった。

その理由は唯一つ。

自分達の想像しているより敵は強敵だという事実。

今、“獲物”となったのは自分達の方なのだと理解し生きる為に判断した。

このままでは敗けると。




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