肆
郭図と韓距子の“気遣い”により、気分的に楽になり自分自身が緊張をしていた事に初めて気付いた。
正確な事を言えば、それは緊張ではなく“力み”だ。
袁紹様から直々に任された事によって、自分自身でも気付かない内に意識し過ぎ力んでいた様だ。
その事を郭図は見抜いて、韓距子にあの様な言伝てを頼んだのだろう。
全く…“お節介”な奴だ。
だが、そのお陰で任務には支障が出ないだろう。
一応は感謝をしておく。
各隊の編成が終了した後、指示した布陣で予定通りに幽州へ向けて進軍を再開。
懸念していた様な襲撃等は全く無いままに順調に進み幽州へと伸びた道の最北端となる場所を視界に移す。
「アレが例の砦跡?」
「ああ、そうだ」
砦跡──そう呼ぶよりも、“突破された砦”と言った方が正しいだろう。
砦の外壁部分だった石壁は今も尚当時のまま健在。
だが、人の往き来を管理し時には敵の侵攻を阻む為に閉じられる筈の門扉。
それが、其処には無い。
綺麗さっぱり無くなって、通り道が出来ている。
それはつまり、砦としては無意味という事だ。
故に、その砦は破棄されて修復もされていない。
「おぉ〜…見事に素通りが出来る状態だねぇ〜
…ん?、でもさぁ、兄者
あの砦ってば、何で修復もされないで放置な訳?
一応、要所でしょ?」
「その事か…」
高覧の言葉に少しだけ顔を空へと向け、目を細める。
聞いた話でしかないのだが馬鹿馬鹿しく思う。
けれど、その一方で末路に自身の未来を重ねてしまう事も否定出来無い。
ただ、今は関係無い事だと頭の片隅へと追い遣る。
「あの砦はな、元々は秦の時代に築かれた物だ」
「…え?、本当に?
うわぁ…よくそれで今まで形を残してるなぁ…」
私の話を聞き、改めて砦を見て感心している高覧。
呆れている様にも見えるが変な所で素直な奴で意外と感動している事も多い。
言動が軽い印象を受ける為理解されないだけでな。
「正確に言えば少し違う
最初に築かれたのは確かに秦の時代だが、それ以降も何度も修復や再建されて、使われてきたそうだ
砦の存在理由は北方からの侵攻を防ぐ為…
つまりは、古くは匈奴から近代では烏桓や鮮卑から、という事になる
ただ、それも後漢の時代の初期までの話だ
その後、幽州は永きに渡り公孫家によって侵攻を赦す事は無かった
だから、漢の民の手により不要とされ、取り壊されたという訳だ」
「へぇ〜…そうなのか…」
平和に成れば、砦も将兵も不要の代物だろう。
だが、それで構わない。
余計な火種となる位ならば喜んで消え去ろう。
袁紹様の世の為にならば。
「あれ?、でもさぁ兄者
だったら公孫賛を討ったら色々ヤバいんじゃね?
だってさ、幽州を守ってた公孫賛が居なくなったら、烏桓とか絶対に此方に対し侵攻してくるっしょ?
それにさ、彼処の砦だってこのままじゃあ役立たずで意味無いじゃん」
高覧の意外と的確な指摘に感心しながらも、考えない様にしていた問題が脳裏に浮かんで溜め息を吐く。
「…はぁ…判っている
私の個人的な希望を正直に言えば公孫賛には大人しく降伏して貰いたい所だ
そうすれば、幽州を任せて我々は曹魏との戦いだけに集中出来るからな
砦も修復する手間が要らず放置して構わないからな」
「あ〜…確かにね〜」
そう、幽州を取る事自体は意味が有るのは確かだ。
領地が増えれば徴兵出来る兵数も増える。
場所によっては兵糧等でも利を得られる。
だから、価値は有る。
しかし、利の一方では必ず害も出て来る事も確かだ。
特に隣接する勢力によって侵攻を受ける事は何よりも厄介な問題となる。
群雄割拠となった漢王朝の領域内で覇を争う諸侯より外敵の方が危険だ。
大凡の見当が付く諸侯とは戦力が未知数という部分で決定的に違う。
言い換えれば漢王朝領内の制覇が長引けば長引く程に外敵は危険度を増す。
それ故に迅速な天下統一を成さねばならない。
(…だが、その点で言えば曹魏も同様だと言える…)
曹魏の軍事力は未知数だ。
はっきり言って規模的にも最大勢力と言っていい。
仮に幽州や并州、司隷まで獲って対峙したとしても、誰一人として曹魏を相手に“絶対に勝てる”とは先ず言えないだろう。
それ程に強大な相手だ。
しかし、そんな曹魏でも、“絶対”ではない。
所詮は人の集まり。
必ず、何処かに隙は有る。
そして、その僅かな隙こそ今しか存在しない。
連合軍から一時的にでも、曹魏が離脱した要因。
“疫病”こそが、その隙。
疫病の実態は定かではない訳だが気にする事はない。
要は、そうなった事により兵数や士気には間違い無く影響が出ているのだろう。
その証拠が曹魏の沈黙。
もしも、疫病の話が偽りで曹魏が万全ならば、或いは戦力的には問題が無い状態だったとしたら。
既に曹魏は動いている筈。
泱州然り、魏国然り。
曹操は機を逃さずに見極め動いて──結果を獲た。
そんな人物が、先の董卓軍との戦いによって疲弊した諸侯の隙を見逃すとは到底考えられない。
ならば何故動かないのか。
そうしていない理由は一つしかない。
遣りたくても出来無い。
だから、今が好機。
曹魏を倒せる唯一の機会と言ってもいいだろう。
故に逃す訳にはいかない。
絶対に、だ。
念の為に砦跡に出していた斥候が戻って来た。
一度足を止め、将を集めて報告を聞く事にする。
「どんな様子だった?」
「はっ…初見の場所の為、細かな差違は判りませんが特に可笑しいと思える点は見当たりません
何かが仕掛けて有る様子も痕跡も有りませんでした」
まあ、当然と言えば当然。
何時来るかも判らないのに何かを仕掛けても往来する民を危険に晒すだけ。
話に聞く公孫賛の人柄ならそんな真似はしない。
何かを仕掛けるとすれば、此方の動きを察して。
だが、察しているのならば時間稼ぎをする為の小細工よりも迎撃準備をする方が妥当だろう。
故に小細工は無い。
ただ、そう予想していても一応は確認をして置いても損はない。
その為の斥候だ。
「砦の先の様子は?」
「左右は此方側と同様です
山林が広がっていますので通り抜ける事は出来無いと思います
前方は山間部を抜ける道が続いていますが、砦からも黙視出来るだけでも道幅が細まっていました」
「…幅はどれ位だ?」
「…大体、大人が横一列に並んで、二十人が並べるかどうかという所です」
「そうか…御苦労だった
下がってくれ」
「はっ…」
一礼すると斥候に出ていた兵は自分の部隊へと戻る。
姿が見えなくなると皆から小さく溜め息が漏れる。
その理由は同じだろう。
「道幅が狭い、というのは厄介な要因ですね…」
「“大軍”の騎馬にならば不利になる所じゃが…
“少数精鋭”となると逆に有利に働くからのぉ…」
「もし突撃されれば此方は逃げ場が無いから一方的に蹂躙されるだろうし…
かと言って兵数を減らして縦長になれば時間も掛かり反撃も防衛も厳しくなる…
全く以て厄介な地形だね」
呂威興・韓距子・畦元進の言う通りだ。
砦の先は我々には明らかに不利な地形だ。
しかし、進むしかない。
今更回り道などしていては時間を無駄にするだけでは済まなくなる。
迂回している間に此処から南下されてしまえば本拠の南皮まで公孫賛の騎馬軍は駆け抜けてしまう。
それは絶対に避けなければならない事だ。
だから、危険を承知の上で行くしかない。
情報を加味し布陣を変更、韓距子と呂威興を入れ替え前列は各隊八人ずつにして槍兵を置く事にした。
騎馬が相手という事なので連れて来ていた槍兵の数は元々一番多いしな。
最前列に大盾を持った兵を配置して突撃を受け止めてしまえば戦える。
十分に備えた上で砦の中に向かって進軍していく。
「背後からの挟撃が無い分増しでは有るかな〜」
「ああ、そうだな…」
確かに、道幅の狭い場所で挟撃される事は厄介という程度の話ではない。
死活問題だ。
そういう点で言えば高覧の言う通り、多少は増しだ。
如何に将師が優れていても兵の質は変わらない。
もしも、一騎当千の武勇を誇る軍将が単騎で兵達へと襲い掛かれば一堪りも無く蹴散らされて終わりだ。
戦局の状況によっては隊を放棄し、単騎での戦闘へと切り替える事は必要だ。
但し、余程強い信頼関係が存在していなければ軍将は信頼を確実に失う。
隊──兵の命よりも勝利を選ぶ事になるのだから。
だから、単騎での戦闘には賛否両論有る。
有効な一手なのは確かだが軍としては難しい所だ。
──と、考えていた時だ。
前方が騒がしくなった。
嫌な予感がした。
状況が状況だ。
真っ先に思い浮かんだのは敵襲以外の何でもない。
焦る気持ちを気合いにより抑え込み、平静を保つ。
直ぐに自分達や伝令が通り抜ける事が出来る様に間に道を開けて有る。
其処を通って伝令が前から走って来た。
「も、申し上げますっ!
敵の奇襲ですっ!」
伝令の一言により、周囲の兵へと緊張が走る。
予想通りではある。
だが、状況が判らない。
此処で浮き足だってしまう事は自滅に繋がる。
「静まれっ!」
遠くを見る様に顔を上げて一喝すれば騒々としていた兵達の声が収まってゆく。
混乱したりしていない分、すんなりと片付いた事には小さく安堵する。
だが、肝心なのは此処からだったりする。
目の前に居る伝令へと顔を戻して話し掛ける。
「状況を詳しく説明しろ」
「はっ、はいっ!
前衛部隊が砦を通り抜け、十列程進んだ時でした
右手の森林から白馬の騎馬十数騎が飛び出し、横撃を受けてしまいました
その十列は略壊滅…
騎馬隊は攻撃をすると脚を止める事無く山間の道へと向かい駆けて行きました
怒った趙叡様が即座に追撃をされようとしましたが、呂威興様が諫められまして高幹様に指示を仰ぐ為に、自分が出された次第です」
想像していた展開とは違い少なからず焦りが生まれ、両手に力が入る。
しかし、此処で感情任せな行動は絶対に厳禁。
「…どうするんだ兄者?」
「…趙叡・呂威興の両名は各隊から兵三千だけを率い予定通りの体形で前進
但し、血気に逸って敵へと突撃する事は厳禁とする
接敵した場合は直ぐ銅鑼を鳴らす様に、以上だ」
「はっ!」
指示を聞き、伝令は直ぐに前衛へと駆け戻る。
奇襲による此方の犠牲数は八十足らずではあるが…
決して馬鹿には出来無い。
「…伝令」
「はっ…」
「韓距子と畦元進は直ぐに前に来る様に伝えろ」
「はっ!」
直ぐに伝令が後衛に向かい駆け出して行く。
前衛が再編をしている間に二人は到着するだろう。
取り敢えず、それからだ。
(…やはり諸侯の公孫賛に対する評価は低かったか)
この奇襲一つ取って見ても“平凡”とは言えない。
恐らくだが、公孫賛自身は参加していない。
これは“挨拶”だろう。
此方が宣戦布告もしないで先に州境を越えたのだから何も文句は言えない。
だから、待っていた。
公孫賛には“敵軍の侵攻”という理由が出来た。
此処で退けば、我々が──否、袁紹様が悪者。
元より退くつもりは無いが嵌められたのは確かだ。
認識を改めねばな。
「敵襲だそうじゃな?」
──と、声を掛けられ顔を向ければ韓距子達が居た。
前衛が発っていない事から既に此方に向かっていたと考えるべきだろうな。
「ああ、して遣られた」
韓距子の言葉に対し思わず溜め息を吐きながら言う。
弱音ではない。
相手の力量を認めなければ勝てる戦いも勝てなくなる事を知っている。
必要な事だ。
「それでどうするんだい?
一気に攻めるのかな?」
「いや、趙叡達に各三千を率いさせて進軍させる
余る千ずつをお前達の隊に残りを本隊に吸収する
接敵した合図の銅鑼が鳴るまでは砦で待機だ
土地勘や地の利は向こうだ
隙を突いて砦を抜けられる事は赦されない」
「それが妥当じゃな
儂は異論は無いぞい」
高覧達も首肯。
開戦の時は近い。
──side out。




