27 虎児の巣立ち 壱
━━宛
既に夜の帳は降り、世界は顔を変えている。
大体、二十時頃か。
部屋の窓を開けて見れば、南陽郡の郡都になるだけの規模が有ると街並み。
メインストリートに当たる通りはネオンの役割をする篝火と松明が灯る。
宛ら光に群がる羽虫の様に“欲”に群がる者達が居る事だろう。
「…夜はこれからだ」
──などと、言ってみるが深い意味は無い。
まあ、敢えて言うのならば自分以外は既に就寝。
正確には就寝というよりも“馬車”酔いでダウンした訳なんだが。
振り向けば寝台に横たわる面々が寝息を立てている。
「…悪乗りし過ぎたか…」
既に治療は終えている。
明日以降に影響を残す事は無いだろう。
馬での移動に慣れていても“重力加速度”への耐性は無かったのだろう。
見事に全員が加速度症だ。
自分の動きによる負荷には慣れていても、それ以外の事には不慣れ。
まあ、それも今だけだろうとは思うが。
「直に慣れるだろうしな」
流石に明日、明後日にとはいかないだろうが、然程は時間は掛からないだろう。
彼女達の“順応力”の高さを鑑みても。
「……先、か…」
再び窓の外を見る。
気配を探れば一際強い氣の持ち主が一人。
孫権に似た氣の波長。
恐らくは孫策だろう。
袁術の居城と思われる場所には大した気配は無い。
“程度”が知れる。
(…“流れ”は既に違え、“歴史”は未知となった
孫策の“運命”も不確定な未来の中に埋もれた…
“歴史”は新たに綴られ、“正史”へ至る事だろう)
いつかは訪れる別離。
それを忌避し臆していては進む事は出来無い。
孫権は踏み出し──
俺は手を差し伸べ──
“道”は交わる。
至る“未来”へ向かい。
──夜が明けた。
昨日の一件を愚痴る場面も有ったが、宿屋の隣に有る店で朝食を済ませた。
店を出た所で思う。
街は七時頃にも関わらず、往来も活気も少ない。
夜に賑わう反動か、或いは街全体の風潮か。
まあ、好都合だが。
俺の後ろに皆が並び店先で孫権と向き合う。
「お互いに暫くは会えない立場になる
“忘れ物”が無い様にな」
「ええ、判ってるわ」
決意の固まった、迷い無い良い眼をしている。
「それなら良い…
さあ、行って来い」
「行ってきます」
笑顔で孫権を送り出すと、彼女も笑顔で答えた。
other side──
夜に賑わい、欲に染まる。
それが此処──宛の都。
私も例外ではなく、夜には酒を愉しみ、酔いに浸る。
翌朝の起床は特別な用事が無い限りは遅い。
──いつもなら。
今朝は珍しく、明け方には目が覚めていた。
朝日を拝むのは何時振りの事だったか。
判らない位に久しい。
「…少くとも二年、かな」
前当主である母・孫文台が亡くなって約二年半。
母を疎んじていた連中から有らぬ疑いを受け事により論争となり、闘争に発展し孫家は主と領地を失った。
これを好機と見たのだろう袁術に──正確には親戚や臣下の連中だろうが…
行き場を失った孫家を客分として迎えたいと。
孫家に、当主となった私に選択の余地は無かった。
皆を路頭に迷わせる真似は出来無かったからだ。
当時の私は“仇敵”以外が見えていなかった。
結果、孫家は衰退。
袁術の領内に事実上の軟禁状態で散り散りに。
その上、何の権限も持たず便利使いされる始末だ。
袁術には“功”を上げれば孫家の再建・復興に助力を惜しまないと取り付けた。
だが、機に恵まれず雑用を命じられる程度。
賊退治も各地に飛ばされた孫家の将兵を使い潰す様に行われた。
そして受けた訃報も決して少なくない。
「…合わせる顔がないわ」
“誰に”など言わずとも、その相手は唯一人。
今の私を見たら何と言うのだろうか。
まだ朝霧の白さが残る空を見上げて思う。
果たして自分は当主として出来ているのか?──
答えが返る訳でも無いし、誰かに言えもせず。
自問自答、或いは結果から判断するしかない。
ただ、それも不確かで。
故に不安に思う事も有る。
それでも、私は当主として進まなければならない。
「此方でしたか」
聞き慣れた声に振り向くと世話役の侍女が居た。
「何よ、その珍しい物でも見る様な顔は…」
「この様に朝早くに貴女が起きている…
それは十分に珍しい事だと思いますが?」
遠慮の無い物言い。
しかし、変に余所余所しい相手よりは好ましいが。
「で?、何か有ったの?」
苦笑しつつ、そう訊ねる。
用が無ければ態々探す事はしない彼女だ。
それに“楽しい事”だ。
私の“勘”が言っている。
早起きも“偶然”ではなく其の為だと。
「孫権様が御見えです」
そして、予想以上に。
──side out
孫権side──
此処に、宛に来るのは実に二年振りになる。
袁術の客分となって半年、一度だけ姉妹が顔を合わす機会が有った時以来だ。
賑やかなのは良い。
しかし、個人的に夜よりも日中に活気が有る街の方が好みでは有る。
(…姉様の酒癖の所為ね)
脳裏を過った記憶に納得し小さく溜め息を吐く。
今は屋敷の一室に通され、侍女が用意した御茶を飲みながら待っている。
「御待たせ致しました」
──と、扉が開けられ声が掛けられ、侍女が一礼。
道を開ける様に下がる。
そして、入って来た。
──懐かしい。
それが率直な感想。
力強く、鋭い眼差し。
肩口程だった昔より伸びた私達と同じ髪。
私も伸びた方だと思ったがまだ追い付けない背丈。
そして、容姿とは対照的な人懐っこい笑顔。
「蓮華っ!」
人目も気にせず抱き着いて来る奔放さ。
間違い無く姉様だ。
「御久し振りです
御健在な様で何よりです」
「ちょっと〜、相変わらず堅苦しいわね
もっと気楽にしなさい」
そう言って、幼子が拗ねる様に唇を尖らせる。
つい、姉様の態度に小言を言いたくなるのを我慢して入り口に目を遣る。
既に扉は閉められ、侍女は姿を消している。
どうやら姉様の──主人の性格を理解している様だ。
「はぁ…相変わらずですね
もう少し御自分の立場にも気を使って下さい」
「大丈夫、大丈夫♪
私もすべき時にはちゃんとしてるから♪」
溜め息を吐く私を他所に、姉様は頬擦りしてくる。
「全く…姉様、取り敢えず座らせて下さい」
「む〜…連れないわね〜」
不満そうな姉様は無視して身体を離し、椅子に座る。
絡んでも無駄と判ったのか姉様も対面に座った。
同時に雰囲気が変わる。
「何か有ったの?」
一転して当主の顔。
私が此処に居る事の意味を解らない訳が無い。
「暗殺され掛けました
仕掛けたのは袁嗣です」
「…やってくれるわね」
私の言葉に姉様が目を細め怒りを露にする。
「私は無事ですが、他に…
特に小蓮の事が」
「直ぐに報せるわ」
姉様に首肯で同意する。
「それで袁嗣は?
蓮華が此処に居るんだから死んだのよね?」
「いえ、生きてます
ですが、少しの猶予は作り出せたかと」
「どういう事?」
眉をひそめる姉様。
「私は孫家を離れます」
私の言葉に姉様が硬直。
我に返り何度か瞬きすると小さく笑う。
「やだもう蓮華ってば…
冗談言うなら笑える様な事言ってくれないと〜」
右手をヒラヒラと扇ぐ様にしながら困った様に苦笑。
しかし──
「姉様」
私は真剣な眼差しで姉様を見詰める。
私の声と態度から理解した様子で表情が強張る。
「…本気で言ってるの?」
「私が冗談でもこんな事を言うと思いますか?」
そう答え、暫し沈黙。
見詰め合った状態のまま。
「………言わないわよね」
目を閉じて、深く溜め息を吐いて背凭れに寄り掛かりゆっくりと瞼を開く。
「ちゃんと説明して」
姉様が本気だと理解して、話を聞く姿勢になる。
少しだけ、緊張する。
しかし、想像していたより心は落ち着いている。
「…私は、姉様やシャオが羨ましかった」
「羨ましい?」
「…劣等感、です
私は母様の様に成りたいと思っていました
でも、自由奔放とは真逆、姉様の様な剣の才も無く、シャオみたいに愛嬌が良い訳でも無い…
それでも、私もいつかは…
そんな思いで居ました」
初めて、誰かに話す。
姉様も意外そうだ。
それも当然。
「私は自分を、偽りの姿を演じていたんです」
漸く、向き合えた真実。
それをはっきり口にする。
「私は私でしかなく…
私は私にしか成れない
その事を私に教えてくれた人が居ます
その人と共に生きて行く
それが、私の“道”です」
そう言った時、自然と私は笑顔になっていた。
──ああ、そうか。
はっきりと自覚する。
私は彼が好きなのだと。
恋を、しているのだ。
「………そう…」
姉様が小さく苦笑する。
私の想いに気付かれたかと思うと少し恥ずかしい。
「私が新野を離れる際に、袁嗣に使った方法ですが…
“私達”は袁術の要請で、当主の命によって“補佐”として各地に居ます
ですが、“要職”に在る訳ではない…
そして離れる理由が孫家の問題なら袁家には無関係…
つまり権限を与えない為に縛り切れない訳です
私の場合、人手が十分だと袁嗣の口から言わせる事で押し切りました
二度は使えない手ですが」
「まあ、そうでしょうね」
流石は姉様だ。
直ぐに理解した様だ。
「孫家を離れる私にだから出来たとも言えますが…
兎に角、これで孫家の現状には変化が生じます」
「変化?」
「はい
袁嗣は今回の一件で孫家を今以上に縛り付け様と考え進言するでしょう
しかし、それには皆の事を要職に就けなければならず“全員”は無理です」
「まあ、当然よね
袁家が乗っ取られる事と、変わらないもの
私達には大歓迎だけど」
そう言いながら笑う姉様。
相手も馬鹿ではないのだと判っているからだろう。
「では、どうするか…
袁嗣は今、保身を第一とし考えを巡らせている筈…
姉様とシャオ、他に数名の有力者にだけ要職を与え、其処に他の者達を集めさせ一纏めにするでしょう
孫家の者が集う事に懸念は少なからず有る…
しかし、ある程度の危険は止むを得ない、と…
孫家を自由にさせない事を最優先させる筈です」
「…成る程ね」
袁嗣なら私が姉様に会えば今回の件を報告し対抗策を講じると考え、動く。
自分を守る為に。
「現在の孫家には独立するだけの力は有りません
ならば、これを活かし力を蓄えて下さい」
「…蓮華、貴女は良いの?
孫家を離れる、そして戻るつもりは無い…
なら、場合によっては将来私達と相対する事も有る
私達が力を付ければ、ね」
姉様の目が語っている。
“敵”として会えば容赦はしないから、と。
それでも良いのか、と。
「これが私が出来る最初で最後の事です
“孫家の”孫仲謀として」
だから、私も意志を示す。
私の覚悟を、決意を。
「…少し見ない間に貴女も成長したわね」
そう言って姉様は笑う。
姉様が認めてくれた。
それは素直に嬉しい。
でも、今の私を満たすには姉様では足りない。
私を本当に満たしてくれるのは“彼”だけ。
そう感じ、理解した。
「姉様、今日の予定は?」
「堅物の蓮華を落とす人に会いに行く事ね♪」
「特に無い様ですね」
「ちょっ、酷くない!?」
戯言は無視する。
“堅物”の自覚は有るので言われると凹む。
それに彼等の事は秘匿する様に言われている。
姉様にも言えない。
「今から袁術の所に会いに行きましょう」
「へ?、今から?
あのお子ちゃま、多分まだ寝てると思うわよ?」
「だから、です」
そう、まだ終わってない。
最後の仕上げが有る。
──side out




