陸
于吉side──
左慈と別れた後、再び術の準備へと戻っていた。
準備中は一切“外”の事を把握出来無くなる。
その為、左慈の様子などは全く判らなくなる。
「儘ならない物ですね…」
その特性上仕方無い事だと判ってはいる。
けれど、あの者が相手では左慈一人では拙い。
悔しいですが、術者として自分よりも格上。
そう認めざるを得ない。
それだけの力量差を一度の遣り合いで理解した。
──否、理解させられた。
「…何なのでしょうかね、あの理不尽さは…」
自分の“記憶”の中に有る“過去”に存在した歴代の“天の御遣い”達は確かに手強かった。
しかし、それは“世界”が様々な“力の在り方”を、秩序を許容していた為。
勿論、此方も同じ条件下で戦っていた訳ですが。
ただ、如何せん戦力的には“天の御遣い”達の存在が厄介過ぎた。
加えて、無力化は出来難く味方への支援効果も手伝い“過去”の戦いでは何れも後一歩という所までは追い込みながらも最後の最後でひっくり返された。
其処で“あの御方”は一つ策を講じられた。
それが“天の御遣い”達の“弱体化”である。
要するに“世界”の認める力を大きく殺ぐという事。
当然、此方も影響を受け、能力や術等を失う。
しかし、何より厄介なのは“天の御遣い”達ではなく彼等を除いた敵の戦力──つまりは、彼等“以外の”人間達だったりする。
“あの御方”の狙いとは、“天の御遣い”の影響力を極限まで殺ぐ事。
その結果、今の“世界”が誕生している。
“氣”という誰もが持つが誰にでも扱う事が出来無い力のみを許容した秩序が。
「…とは言え、曹魏だけは底が知れませんね…」
あの者の存在を映した様に未だに全容が掴めない。
ただ、逆に言えば曹魏しか脅威には成り得ないという事でもある。
それを考えれば、今此処で“切り札”を使用する事も対象が一人だけしか居ない事も悪くはない。
「私達に“天の御遣い”を殺す事は出来ません…
ですが──」
一人呟きながらも、思わず口角が吊り上がる。
“世界”から庇護を受ける彼等は殺せない。
殺せはしないが、全く何も出来無い訳ではない。
「フフフッ…楽しみですね
貴男方がどんな表情をして狼狽えるのか…」
この“切り札”を使えば、私達の──“あの御方”の悲願は成就されたも同然。
他の二人が“役立たず”で本当に良かった。
あの者──曹純さえ無力化してしまえば良いのだから実に単純な事です。
──side out
左慈side──
両の掌を握り締め、奥歯を噛み締めて──決意する。
もしかしたら、後悔するのかもしれない。
それでも、今はその決断が過ちか正しいか判らない。
いや、本来選択というのは結果が出るまで事の正否は定まらない物だろう。
“正しい”と信じる事も、“間違い”だと思う事も、類似した“過去の経験”が齎す予測でしない。
だったら、自分の思う様に選択した方が良い。
“誰か”の所為にして目を逸らしたくはない。
結果の全てを“自分”で、受け止め、背負う。
それが“選択する”という事なのだから。
「──っ、往くぞっ!」
“恐怖”を意志で捩じ伏せ前へと向かって踏み出す。
勝てないかもしれない。
死ぬかもしれない。
それでも“可能性”だけは消えないと信じる。
「──その心意気や良し」
フッ…と、優しく嬉し気な笑みを浮かべた曹純。
その表情を見た時、何故か胸の奥が暖かくなった。
トクンッ…と、小さな音が心の深淵から響く。
脈拍や鼓動とは違う。
それに比べたら儚く脆弱な今にも消えそうな音。
それなのに──
「──ぉ雄おおぉおっ!!」
──力が沸き上がってくる気がする。
ちっぽけで、脆弱で、儚い簡単に壊れて消えそうな、そんな存在なのに。
踏み込む左足、突き出した右腕に今まで以上の活力が漲っている。
いや、それだけではない。
感じた事の無い高揚感。
けれど、自身の精神を侵し飲み込む様な感覚ではなく何処までも“自分”のまま研ぎ澄まされる。
そんな不思議な感覚。
しかし、とても心地好く、思考は驚く程に冷静。
放った攻撃は曹純に容易く躱されてしまうが、特には気にならない。
その程度で当たるなんて、今は微塵も思わない。
一手、二手…十手、百手…
気が遠くなりそうなまでに手数を積み重ねても容易に届くなんて思えない。
しかし、だからこそ価値が存在している。
此処に有る俺は紛れもなく“挑戦者”で奴が強者だ。
勝てなくて当然。
負けて当然。
隔絶した実力差が存在し、現在のお互いが立っている“高み(ばしょ)”も違う。
それでもだ。
自分が何も出来無いという訳ではない。
出来る事は確かに有る。
それは“戦う(あゆむ)”事によって“未来”へと繋げ糧とする事だ。
誰かに与えれるのではなく自らが進み、刻む。
己が“生きる”道を。
──side out
気合いを入れ、挑み掛かる左慈を見て微笑を浮かべてあっさりと躱す。
子供相手に教えているかの様に余裕綽々で躱しながら時折攻撃を混ぜる。
“微笑”の下では静かに北叟笑む。
“それ”は左慈の中に確と芽生えた事だろう。
…一応でだが言っておく。
“薔薇色”の物ではない。
散々“変態”扱いはしたが左慈はノーマルだ。
……その筈……た、多分。
有り得ないとは思いつつも皆無とは言えない可能性に思わず反応してしまう。
ギリギリで避けていた所が若干だが長めに距離を開け動いてしまった。
…俺は悪くない。
(まあ、その問題は忘れてしまうとしてだ…)
思い出したくもない事だし必要も無いから破棄。
思考を元へと戻す。
取り敢えず、第三段階まで無事に完了した。
今、左慈の中で静かにだが確かに鼓動しているのは、“本来の左慈”だ。
本能的な恐怖に打ち克つ。
それは“災厄”の支配から逃れる為の第一歩。
その一歩を踏み出せぬ者を救う術は存在しない。
俺は全知全能ではない。
出来る事は飽く迄も本人の“手助け”でしかない。
(死者が相手なら力付くも有りだけどな…)
生者相手に遣るのは本当に面倒臭いんだよな。
遣る以上は頑張るけど。
(兎に角、一安心だ)
左慈任せになるから不安が無い訳ではない。
だってさ、左慈に対しての信頼って高が知れてるし。
まあ、失敗したらしたって開き直ってたけどな。
後、他に懸念していたのは寄生している“災厄”と、于吉だったりした。
“見た”限りでは、于吉は左慈に御執心の様子。
左慈が窮地になれば術式を放棄し駆け付ける可能性も考えてはいた。
“災厄”が赦さないだろうとは思うんだけど。
無いとは言えないから。
しかし、于吉は動かず。
この事から多分于吉の方が左慈より強く染まっている可能性が高くなった。
左慈の様な“利点”の有る根元が無いのか、或いは、方向性が違うかだ。
“災厄”の方は、どうあれ邪魔をしてくるだろう。
当然と言えば当然だな。
だが、だからこそ、其処に油断と隙が生じる。
現時点で左慈の中に現れた“鍵”を壊さない事。
それこそが最大の失敗。
…いや、最初からミスっていたんだろうな。
左慈を完全に染めなかった事こそが過ちだ。
此方は遠慮無く、その点を突かせて貰おう。
相手の“思い通り”に事を運ばせない為に。
左慈side──
強くなる事。
強者と戦う事。
それらを何より自分の中で大事に考えてきた。
ある意味では“あの御方”より賜った使命よりもだ。
しかし、そんな今までが、“何の価値も無かった”と思えてしまう。
それ程までの“歓喜”が、今自分の中に有る。
(何なんだ、これは…)
活気付き躍動する身体とは裏腹に冷静に自分を見詰め戸惑いを隠せない精神。
その困惑は当然だろう。
身体と精神が分離した様に別の状態に有るのだから。
こんな経験、今までにした事は無かった。
その混乱に引っ張られてか僅かにだが動きが鈍る。
今一度、心身を合わせる。
そうしようとするが──
「どうした、疲れたか?
動きが鈍っているぞ?」
ニヤニヤと揶揄う様に笑い声を掛けて来た曹純。
見え透いた挑発。
だが、頭では判っていても行動とは噛み合わない。
厭らしいまでに隙を与えてはくれない。
「──っ、まだまだっ!」
(──誘いに乗るなっ!)
反射的に挑発に乗っかって曹純へと飛び掛かる身体。
これは自分の身体だ。
その筈なのに──どうして思い通りにならないのか。
まるで──“別の自分”が存在している様だ。
そう、考えた瞬間だ。
(──ぐっ!?)
ズギンッ!!、と頭痛を超え鈍器で殴られた様な痛みが“内側”から生じる。
同時に胸元を握り潰す様な息苦しさを覚える。
巨大な掌に捕まってしまい身動きが取れず、為す術も無いままに殺される。
そんな自分を幻視する。
(…どう、なってる?…)
それなのに身体は無関係に曹純に向かって行く。
先程鈍っていた動きは戻り更に速く、鋭くなっているではないか。
信じられない位に。
自分の事の筈なのに。
だが、さっぱり判らない。
何がどうなっているのか。
(…俺が、悪いのか?…)
何気無く思い付いた事。
今、考えている事が。
今、感じている事が。
今、存在している事が。
全てが、間違いなのか。
そう思ったら、どうしてか苦しさが薄れた気がする。
圧し潰す様に感じていたが一転して温かく優しく包み込まれる様に感じる。
“さあ、目蓋を閉じて深く静かに眠ろう”と語り掛け導く声が聴こえる。
(──あぁ、そうか…
そうすれば良いのか──)
「──なあ左慈、“また”お前は逃げるのか?」
(──っ!?)
不意に掛けられた“声”が闇へと沈み掛けていた筈の意識を叩き起こした。
はっきりとした意識の中、双眸が映したのは今まさに戦っている曹純。
──ではなかった。
見覚えの無い、男だった。
身の丈は六尺程の細身。
歳の頃は三十前後。
良く鍛えられている事が、手足や身体の動きで判る。
角刈りの黒髪と鋭い目には頑固そうな印象を受ける。
(……誰、だ?……)
“知らない”筈だ。
なのに──懐かしい。
何故だか、そう感じている不思議な自分が居る。
そんな今も、身体は男へと拳撃を、蹴撃を放つ。
(──止めろっ!!)
反射的に叫ぶ。
意志が通じたのか僅かだが自分の身体が動きを鈍らせ身を強張らせた。
ただ、一瞬の事だった。
身体は“何だ今のは?”と首を傾げる様にしながらも再び攻撃へと移る。
そんな“自分”を他所に、俺は戸惑っていた。
どうして“止めろ”なんて思ったのだろうか。
──見知らぬ相手に攻撃をする事を嫌ったから?
いや、それはない。
今までだって遣ってきた。
今更そんな事を気にしたり躊躇したりはしない。
──曹純ではない事に対し戸惑ってしまったから?
…可能性としては無いとは言い切れない。
だが、しっくり来ない。
「──聞いてんのか左慈?
お前は、また“あの時”と同じ様に逃げるのか?」
男は攻撃を躱し捌きながら“俺を”真っ直ぐに見詰め問い掛けてくる。
“手前ぇ、何訳の判んねぇ事言ってんだよっ!”、と“自分”が叫ぶ。
“その通りだ”と思いつつ完全に肯定出来無いままの“俺”が此処に居る。
(──“あの時”?)
男の言うのは何の事か。
“身に”覚えはない。
だから、素直に苛立つ。
けれど、“俺”は違った。
闇の奥底に感じる違和感。
俺は“記憶”を覗き込んだ。
チリチリッ…と焚き火跡の残り火の様な微かな輝き。
“それ”が求めている物と直感的に確信した。
疑う事は全く無い。
しかし、辿り着こうとする意識を闇が妨げる。
水底に沈む“小石”を拾う為に潜ろうとしても水面に押し戻される様に。
それでも諦めはしない。
“それ”を掴まなければ、何もかもが有耶無耶になる気がしている。
そして何より邪魔されては簡単には引き下がれない。
“負けて”なるものか。




