肆
左慈side──
一度退いて于吉と合流し、少しだけ頭が冷えた。
悔しく屈辱ではあったが、今の俺では奴に勝てるとは微塵も思えなかった。
一騎打ちでは勿論として、嫌いな“小細工”をしても全く勝機が見出だせない。
それだけの圧倒的な力量の差が存在している。
そう実感させられた。
だから、遺憾ではあったが“二人で”遣るしかないと判断した。
于吉の言う“切り札”なら確実に一矢を報いられる。
その話を信じてだ。
それがどういう術なのかは俺には判らないが。
ただ、準備に多大な時間を必要とするらしい。
元々、八割方準備は出来て最終調整を残すのみの状態だったみたいだが。
対“天の御遣い”専用って事らしいから仕方が無いのかもしれねぇけどな。
于吉と別れた後、再び一人向かった場所は玉座の間。
于吉が仕込んでいた傀儡が待機している場所だ。
尤も、その仕込みは完璧に無意味に成ったがな。
ある意味、俺も于吉も奴を見下していた。
いや、先の二人の低能さに“どうせ奴も同じ程度”と油断していた。
そして、其処を物の見事に利用されたって訳だ。
(黄巾の件で直に見た時に気付くべきだったな…)
“孵化”したばかりでは、役立たずだと思っていた。
実際、感知されない様にと距離を取って観ていたが、相手になるとは思えない程“雑魚”っぽかった。
だが、実際には奴と力差が有り過ぎただけ。
それを理解し切れなかった俺達が浅はかだった。
それまで尻尾を掴ませずに隠れ続けた“三人目”だ。
そう簡単に全てを晒すとは考えてはならなかった。
既に手遅れではあるが。
今なら理解出来る。
奴は恐ろしく狡猾だと。
到底一人では倒せないと。
二人掛かりでも“絶対に”とは断言出来無いと。
(…本当にアレで“同じ”だと言うのか…)
“天の御遣い”として。
奴は他の二人とは明らかに隔絶している。
とても同じとは思えない。
(現れる“天の御遣い”は常に三人一組だ…
それは間違い無い
北郷・小野寺に加え曹純…
それも確かだと言える)
勿論、他の人間と同じ様に才能や資質に個人差は有り向き不向きも有る。
“異世界”からの来訪者と言っても人間は人間。
“過去”、存在した奴等も例外ではなかった。
しかし、奴は──曹純は、明らかに“常軌”を逸した力を持っている。
──まさか、奴は“人間”ではないのだろうか?
そんな有り得ない考えすら抱かせる程の規格外。
だが、俺達の──延いては“あの御方”の計画自体に多大な支障を来す。
最大の障害なのは確かだ。
玉座の間に着いてみれば、于吉の傀儡と化した張譲と奴が話をしていた。
その時の張譲の有り様には俺は素直に驚いた。
基本的に張譲と接触し事を運んでいたのは于吉だ。
故に、張譲自身は俺の事は何も知らないだろう。
精々が于吉の仲間か部下。
そんな程度の筈だ。
……あの変態の部下だとか思われると考えただけでも腹が立つけどな。
もし、張譲が覚えているのだとしたら、“擬装死”の際に俺が斬った事か。
まあ、あの時には既に死に傀儡と化していたがな。
逆に俺の方は多少とは言え張譲の事は知っている。
基本的に謀略関係は于吉に丸投げしているが。
俺だって“戦馬鹿”って訳じゃないんだ。
最低限の情報は頭に入れて行動している。
一応、以前に張譲に関して于吉からも説明されたし、自分でも見たからな。
その時の印象は“愚図”の典型に漏れない奴だった。
それがどうだ。
視線の先に居る張譲の顔は“他人の空似”だと思える程に見違えた。
“悪い物でも食べたか?”“打ち所が悪かったか?”なんて言いたくなる程に、張譲は変わっていた。
最後に言い遺す事が于吉に対する“感謝”とか。
以前の張譲からは想像すら出来無い事だった。
まあ、于吉への“皮肉”と受け取れない事も無いが。
張譲自身の雰囲気からは、そういう感じはしないから戸惑ってしまう。
一体何が有ったのか。
曹純が何かをした可能性は無い訳ではない。
ただ、俺が此処に来た時の様子や会話から考えても、着いて間が無いだろう。
それに、曹純が何かをした事によって張譲が変わったのだとしたら、于吉に対し感謝はしないだろう。
皮肉なら理解出来るが。
その事から考えても張譲を変えたのは于吉だろう。
計画が頓挫した事で彼奴は張譲を放置した筈だが。
…さっぱり判らん。
(──だが、何故だ…)
そんな張譲の言葉を聞いて胸の奥が──鈍く、痛む。
ジクジク…と、染みながら広がっていく感覚。
身体を刺された刃等に毒が塗られていて内側から熱が焼いていく様に。
“沸き起こる”感情と違い“何処か”からか滲み出て来ている様な感じだ。
それは酷く不快な感覚。
だが、どうしてなのか。
その痛みを“当然”の様に感じてしまう。
そう在る事が“正常”だと何処かで納得している。
何故そう感じてしまうのか訳が解らない。
…俺は何かしらの術を奴に掛けられたのだろうか。
一体どうしたと言うんだ。
張譲が消滅した事により、于吉が仕込んでいた術式が起動し宮殿が、洛陽全体が大きく揺れた。
しかし、奴は微塵も動じず静かに佇んでいた。
──“無防備”に。
玉座の間を支配する暗闇は自然の物に違い無い。
だが、俺の眼は暗闇の中で奴の姿を捉えている。
“あの御方”から授かった能力のお陰でな。
(…今なら殺れるか…)
この揺れと音に紛れれば、近付く事は容易い。
如何に奴が規格外とは言え要は“人間”である事には違い無い。
ならば、殺す事が出来る。
──いや、殺す事は俺には不可能では有るが致命傷を与える事なら──
「──っ!?」
其処で脳裏を掠めた光景に思わず息を飲んだ。
喉が鳴らなかった事は奇跡だと言えた。
(──何を考えたっ?!
“今なら殺れる”?
馬鹿か俺はっ!?)
雰囲気に飲まれたのか。
或いは、あまりに力量差が有り過ぎて、追い込まれたのかもしれない。
とてもではないが冷静さは有る様で無かった。
(奴が無防備?
そんな訳無ぇだろうが!
抑、暗闇の中とは言え奴が俺の存在に気付かないとか有り得ねぇだろっ!)
見た目に騙されるな。
奴は于吉ですら手玉に取り弄ぶ様な狡猾さを持つ。
武人としても桁違い。
間違い無く“誘い”だ。
俺は静かに呼吸を整えて、揺れが治まるのを待つ。
この中で下手に仕掛けても返り討ちに遇う自分の姿が鮮明に想像出来る。
…悔しくて仕方無いが。
揺れが治まり、態と足音を立てて此方の居場所を教え少しだけ誘ってみる。
案の定と言うべきか。
此方を見る事もしないまま俺の位置を把握していると実感させられた。
それに何なんだ、此奴は。
其処らの暗殺者共が可愛く見えるじゃねぇか。
やっぱり、さっきは下手に仕掛けなくて正解だった。
確実に俺が殺られてたな。
と言うか、どんだけの力を隠していやがるんだ。
確かに奴が言う通り。
“天の御遣い”だから皆が必ずしも清廉潔白な者とは限らないだろう。
だが、“普通”に考えれば“そういう”立場に有ればそういう物だろうが。
何を基準に“天の御遣い”として選ばれて喚ばれるか全く知らねぇけど。
もっと“正義の味方”って感じで居やがれっての。
でないと、叩き潰し甲斐が無ぇだろうが。
…畜生、調子が狂うな。
最大級に厄介な奴だ。
“試してみるか?”という雰囲気を出す曹純。
思わず後退りした。
…足音は出さなかったし、僅かに半歩程度。
だが、下げられた。
闘気も殺気も無い。
只の言葉に気圧されて。
初めての経験だった。
闇の中、睨み付けたい程の警戒心を抑え込みながら、視線から位置を覚られない様に気を付けて移動する。
摺り足で細心の注意を払い曹純の横顔を窺える位置。
同時に己の身体を隠す事が出来る柱の影へと。
「──で、どうする?」
「──っ!?」
足を止めた瞬間だった。
心臓が止まりそうな絶妙な間合いでの一声。
あまりの驚きと恐怖により心身が凍り付いた様になり声や物音を立てる結果には成らなかったが。
それは偶然の偶然。
運が良かったのか悪いのか自分でも判断し兼ねる。
(…どんだけ違うんだ…)
確かに一息吐いた。
だが、覚られる程ではなく氣による感知術の類いにも引っ掛かった感じはない。
と言うか、感知術を使えば闇は関係無くなる。
それを使っていない時点で“手加減”されている事を嫌でも理解している。
氣を扱えるが故に。
けれど、そんな事をさえも気にならなくなる。
無意識にでも僅かながらの安堵を感じていただろう。
それは行動と行動の狭間に生じた微かな隙。
常人には先ず察せない程に極小の“意識の間合い”を曹純は此方を見ずに突いて声を掛けて来た。
見抜いているかの様に。
──いや、事実奴は全てを見抜いているのだろう。
それは氣や能力等の特定の“特別な力”ではない。
底知れない程の“経験”に裏打ちされた駆け引き。
曹純は“本物”だ。
本物の──闘者。
(…っ、糞ったれが…)
理解した瞬間に全身の血が煮え立つ様に沸く。
熱く、熱く、熱く、滾る。
“闘いたい”と。
何も考えず、何も恐れず、何にも囚われず。
ただただ、我武者羅に。
「どうせ、何かしらの術の準備の為の“時間稼ぎ”が目的なんだろ?」
此方の必至の苦労や配慮を嘲笑う様に何気無い口調であっさりと言い当てる。
その慧眼に思わず項垂れて拗ねてしまいたくなる。
「お前達が何をしてくるか興味が有るからな…
付き合って遣るよ
だから──遠慮するな
楽しく“闘ろう”ぜ?」
それは止めだった。
バレているなら隠す必要は何処にも無い。
寧ろ無駄なだけだ。
だったら、“俺の”好きに遣ってしまおう。
結果的に時間稼ぎになれば良いんだからな。
──side out
“闇の中で“暗殺ごっこ”をしても構わない”という意思を少し滲ませる。
威嚇と言えば威嚇になるが雰囲気だけなんだよな。
まあ、どうやら左慈の方はこの暗闇の中でも俺の事がはっきり見えている様だ。
氣や呪具ではいとすれば、“災厄”の恩恵かな。
“あんな物”が入っていて特別な恩恵も無しって事は無いだろうから。
妥当な所では“暗視”だが程度が低過ぎるか。
…いや、人間の能力的には十分かもしれない。
垣間見た“過去”の光景。
科学が発展している感じはしなかったもんな。
(…っと、移動するのか)
左慈は気付いていないな。
視線を切ったってだけじゃ気配は隠し切れない。
相手を“意識する”だけで伝わってしまう事を。
…自分で言うのもなんだが“こういう”容姿だから、視線だけでなく意識に対し敏感なんだよ、俺は。
実際、それが有ったお陰で幼少期のかなり早い時期に“隠れ方”と感知は現在に近い領域に至ったし。
華琳達や隠密衆には如何に“意識せずに見るのか”を教えてあるが、それでさえ俺の方が上手だからな。
…偶に一本取られる場合は俺の油断か“惚れた弱み”絡みだけどさ。
(しかしな、左慈よ
その選択は個人的に言えば悪手だからな?)
暗闇で視覚は訊かないし、目が慣れても見える程度は高が知れている。
俺の様に“闇に馴染んだ”存在にとってみれば暗闇は大した問題ではない。
“視覚に頼らない闘い方”なんて珍しくもないし。
寧ろ今の状態になった事で遣り易くなった。
左慈が入って来た時に扉を閉めた事で、今玉座の間は密室状態になっている。
暗闇の中で一番邪魔なのは“風”だったりする。
音・匂いを削がれるから。
そして、空気の流れを乱し掻き消してしまうから。
だが、密室になれば今度はそれが逆になる。
何しろ空気の流れは僅かな呼吸ですら生じてしまう。
それを氣等も無しに感知し把握出来る者にとっては、この状況は“狩り場”だ。
動いてしまえば、はっきり居場所を掴む事が出来る。
今の左慈の様に。
元の居場所で気配を殺して潜む方が悪くはない。
俺には効果が薄いが。
まあ、左慈の判断云々より“相手が悪かった”って事だろうけどな。




