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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
342/915

        弐


二人が──いや、恐らくは左慈が一人で待っていると思われる玉座の間を目指し進んで行く。

“勝手知ったる他人の家”という訳でもない。

ある意味で熟知しており、全くの他人でも無い。

と言うか、かなり近い立場だろうからな。

先代家主の娘の夫。

現在、相続権を有している正統且つ正当な存在って、結だけだしね。

寧ろ、左慈達の方こそ住居不法侵入の現行犯だな。

…次に会ったら言ってみるのも面白いかも。


コツッ、コツッ、コツッ…なんて映画とかなら足音が響き渡りそうな雰囲気。

だが、生憎と長年の習慣で身に染み付いた無音歩法を自然としてしまう。

これに関しては華琳達から改善要求が出ている。

何気に普段から意識せずに遣ってしまうからだ。

音も無く、気配もさせずに近寄られる。

うん、心臓に悪いよね。

でもね、無理っぽいの。

意識して歩いている時なら大丈夫なんだけど。

四六時中意識して歩くって結構面倒臭いんだから。

まあ、皆が成長してくれたお陰で気にされなくなってきてはいるんだけどさ。



「──っと、到着したか」



特に妨害も罠も無いままに辿り着いた玉座の間。

重厚な扉の片方へと左手を押し合て、右手は剣の柄を握って抜刀しておく。


左手に力を込めると静かにゆっくりと扉を開く。

ギィイィ…と若干の錆びた様な音が上がった。

だが、それは当然か。

碌に掃除も手入れもされず開閉回数も少なくなれば、錆びはしなくても不具合を僅かなりとも起こす。


扉が開いた隙間から外へと向かい冷たく湿った空気が流れ出して行く。

頬を、肌を撫でる様にして擦れ違って行く感触。

けれど、一方で纏わり付く様な気色悪さが有る。

決して暑い夏場で有っても“心地好い”とは思はない不快で嫌な“冷気”だ。


“その手”の物が苦手なら絶対に反射的に扉を閉めて逃げ出しているだろう。

…一瞬、俺がそうしたなら左慈達はどんな反応をして見せてくれるのか。

興味が湧いてしまった。

勿論、遣らないけど。



(…暇が出来たら大規模な“肝試し”とか遣ってみるのも有りかな…)



公式大会として企画すれば民も楽しめると思う。

内容のレベル毎にコースを造って別ければ自主参加・自己責任に出来るし。

後はタイムアタックとかで順位を付けて賞品を用意。

参加賞も要るな。

リタイアしたら罰ゲームに御招待──は可哀想か。

遣るなら対象は宅の軍属の面子のみだな。

まあ、開催は先になるか。

早くても来年の夏だな。

年内は無理だから。




思考を切り替え、扉を潜り玉座の間へと入った。


広がるのは深い漆黒。

陽が沈み、雲が月を隠し、松明や燭台も無い状態では闇が支配するのは当然。

加えて、窓も扉も閉められ宮殿の奥に鎮座する場所。

外部からの光は届かない。

視界は無いに等しい。

夜目、と言っても実際には月明かり等を頼みとしての視界なので、光源を失えば見えなくなるのは必然。

普通、人の目では赤外線やマイクロ派を利用する様な暗視装置の代行は不可能。

出来るのは特異な能力者か術者だけだろう。

氣を使えば視界を確保する事は簡単だが、氣に反応し罠が作動する可能性も有る以上は入る前から継続していない限りは控える。

視界が悪くても気配を探る事で状況等を把握する事は難しくないから。



(まあ、迂闊に視覚ばかり研ぎ澄ますと“目潰し”で遣られ易くなるからな)



いざと言う時、自分の目で視認出来無いのは痛い。

視覚情報を失うという事は単純に“見えなくなる”訳ではないのだから。

視界の中に存在する小さな情報を見逃してしまう事に直結している。

将棋やチェスの様な規定の範疇でのゲームとは違い、戦場では常に変化している“生きた情報”を得る事が何よりも重要となる。


時代・文化・風習・種族を問わず至上・不動の価値を持つ物は何か。

そう訊ねられたとしたなら理解している者は誰しもが同じ事を口にするだろう。

それは“情報”だと。


情報戦を制する事こそが、戦争では最も意味を持つと言っても過言ではない。

極端な話をすれば、戦争は起因となる理由が無しには起きる事はない。

宗教戦争は虚しいだけで、何も生まないが。


もし国土が痩せ細っている事で侵略をするなら、先に民の暮らしを保証した上で降伏勧告を大々的に出して示せばいい。

兵士とは民だ。

戦わずに、死なずに済むと判れば無能な施政者達には従う事はしない。

数の絶対数が違うのだ。

反乱して施政者達を殺し、降伏した方が被害は少なく簡単なのだから。

必要なら“入れ知恵”してやればいいだけの事。



(ミサイルやら戦車やらで大量殺戮しても禍根を残し“因縁”を生むだけ…

最も賢く、強い者は武力を行使する事無く勝利する

時に武力が必要になる事も有るのは確かだが…)



それは、そういう事態へと至らせてしまった事こそが最大の失敗だろう。

そうなる以前に予測自体が出来無い訳がない。

予測が出来るのなら事態に備える事も出来る。

二手三手遅れている理由は施政者達の怠慢以外の何物でもない。


尤も、それが理解出来無い暗愚な施政者しか居ないが故に戦争・紛争が地上から消える事は無いだろうが。




そんな闇の中に、僅かだが衣擦れの音がした。

捉えたのは“静寂だから”という訳ではなかった。

単純に集中し過ぎない程に耳を澄ませていただけ。

此方も視覚と同じで爆音等によって麻痺しない為。

視覚と聴覚には自分自身が認識する以上の情報を得る事が可能な分、常に万全な状態を保ちたい。


その音が聞こえた方向へと意識を向けるが、全方位に注意しておく。

音や視線は陽動の基本。

そして最も効果的。

単純な物程に破り難いのは進化への皮肉だろうな。


足を止める事はしないまま玉座へと近付いてゆく。

確かに深い闇ではある。

しかし、決して、全く何も見えないという訳ではなく一定の範囲内ならば視認は可能だったりする。

“真の闇”とは違うから。


黒い霧の中に薄らと浮かび上がる様に影が生じた。

闇の中に影、と言うと変に思えるかもしれない。

だが、闇と影は別物。

闇にも影は生じる。


霞みながら現れたかの様に影は形をはっきりとさせ、記憶上に有る見取り図とも照らし合わせる事で、影は玉座の物だと確信する。

どうやら、その玉座の上に“誰か”が座っている。

しかし、気配がしない。

その事から左慈達ではなく傀儡か死体の可能性が高いだろうと推測。

一歩、また一歩と近付く。



「…成る程、張譲か」



3m程先には玉座に座り、虚ろな眼差しで床を見詰め微動だにしない。

──死んでいる。

そう思っても可笑しくない様子だと言える。

けれど、一見しただけでは判らないが冷静に観察して見極めれば異常だ。

この時期、遺体が腐乱して異臭を発するまでの早さは気象や環境にも因るが一日有れば十分だろう。

それなのに全く臭いがせず蝿の一匹も居ない。


真っ先に脳裏に浮かぶのは于吉による傀儡化。

だが、素直に飲み込むには違和感を感じる。

抑、現状で張譲の傀儡には何の価値も無い。

仲潁の身代わりとするなら其処ら辺に無駄に腐る程に転がっている賊徒を狩って“悪政者・董卓”に仕立て上げた方が良い。

張譲みたいに無駄に面割れしていると使えない。

張譲が“真の黒幕”だと、示すなら別だが。

左慈達には無意味な事。

遣る理由が無い。


となると、何かしら意図か意味が有るのだろう。

罠としては拙いしな。

さて、どうなるのかね。




 張譲side──


一体、何がどうしたのか。


それが意識が戻った瞬間の素直な気持ちだった。

自分が居たのは宮殿の奥の玉座の間の玉座。

確かに、孰れは自分が座る椅子では有ったが、流石に外敵や内部に反対派が居る状況では迂闊な真似はする訳がなかった。

だから、判らない。

何故、目が覚めた時自分は玉座に座っているか。

何故、動こうとして身体の自由が利かないのか。


取り敢えず、状況を知る為記憶の糸を手繰る。

しかし、はっきりとしない曖昧な記憶。

賈駆を呼び出して、洛陽に向かい進軍しているらしい袁紹(ばか)共を討伐させる様に命令した。

其処までは覚えている。

だが、その後の事は何一つ思い出せないでいた。


身体は動かないが頭だけは一応動かす事が出来る。

呼吸も、話す事も、瞬きも問題無い。

けれど、一定以上の声量を発する事は出来無い。

まるで“大声を出すな”と言われて従っている様な、そんな感じがした。


訳が解らず、ウンウン唸る私の前に唐突に現れたのは他でもない、あの優男。

名を于吉と言った。

ただ、一つだけ以前までと違う点が有るとしたなら、于吉の眼差しだろう。

以前は私に全てを任せて、世の行く末を傍観する様に“遠い目”をしていた。


だが、今ははっきりと私を見詰めていた。

何処までも愚かで馬鹿な、体の良い壊れた“玩具”を見ている様な眼差しで。

感情の読めない、不気味な笑顔を張り付けてはいるが冷めた双眸は寒気がする程恐ろしく思えた。

“此奴は人の命など微塵も考えてはいない”と直感で理解出来た程だ。



「貴様…私に何をした?」


「フフッ…いえね、貴男にちょっとした“贈り物”を差し上げたまでです」


「…贈り物だと?」



自分で訊ねて置いて何だが訊かなければ良かった。

そう、本能が叫んだ。



「ええ、そうです

過去、数多の権力者が望みながらも実現し得なかった“妄執(ゆめ)”…

“不老不死”ですよ」



于吉の言った言葉は俄には信じられなかった。

もしも、自分が“不老不死になった”と言われても、何れだけの者が信じられるだろうか。


だが、現実は残酷だった。

于吉は嘘は吐いてはおらず事実を語っていた。

ただ、その代償として私は自らの意志に関係無いまま奪い取られた。

二度と取り戻す事の出来ぬ唯一つしかない物を。




訝しむ私を見ながら于吉は愉しそうに嗤った。



「まあ、その変わりとして貴男は死んでいますがね」


「…私が、死んでいる?」



“此奴は何を言っているのだろうか?”と思った。

──と、自然と右手が動き自分の首筋を握る様にして掌を開いて触れた。

意味が判らない。



「どうです?、首筋に有る脈を感じないでしょう?」


「──っ!」



そう言われて気付いた。

確かに、指先には脈を全く感じない。

加えて、非常に冷たい。

とても生きた人間の身体と思えない程に、だ。



「後、私の“操り人形”になってしまった事ですね」



死んでいるのに意識は有り身体は自由が利かない。

そういった“悪夢”の様な現実が不思議と于吉の言う事は事実だと思わせた。



「…最初から私を操って、国を自由に動かす事が狙いだったのか…」


「国?、そんな物に興味は有りませんよ

と言うか、まだ貴男の意識を消さずに残して有るのは余興としてですよ」


「…余興?」


「ええ、余興です

次に目覚め、暫く待てば、“御客様”が到着している事でしょうからね」


「何を言──」



其処で、意識は途切れた。

視界が闇に飲まれ行く中で最後に映したのは、直剣を振り抜いた于吉と似た様な白装束を纏っている青年の姿だった。




そして、次に気が付いた時再び玉座に座っていた。

あの青年によって斬られた筈の身体は無事。

何事も無かったかの様だ。

だが、やはり動けない。


そんな私に許された事は、ただただ“考える”事だけしかなかった。


思い浮かぶのは、今までに自分が歩んできた人生。

“人として生きた”足跡。

何処で間違ったのか。

それを考えても判らない。

もしかしたら、自分の存在その物が過ちかもしれないとさえ思えていた。


皮肉と言うべきか。

死んでから漸く気付いた。

自分が如何に他者の命を、人生を踏み躙ったのか。

後悔しても遅いが。




そう思い至ってから暫し、誰かが扉を開け入って来て目の前に現れた。

久し振りに自分の名を呼ぶ声が嬉しかった。

それが、あの曹操の夫で、劉曄の夫である、ある意味憎むべき怨敵の一人の曹純だったとしてもだ。



──side out。



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