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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
34/914

        陸



「…信じる…」



此方を見詰めたまま孫権が静かに呟く。

“拠り所”を得て、双眸に生気が戻る。


だが、それも一瞬の事。



「…何も無いのに…

…私は何を信じるのよ…」



そう愚痴る様に言いながら再び俯いてしまう。



(此処まで来ると“重症”というより強情だな…)



胸中で溜め息を吐く。


“軽くする”程度のつもりだったが…

気が変わった。

本気で遣ろうじゃないか。


皆から文句を言われるとは思うが、知った事か。

此処で退いたら男としての沽券に関わる。


少しだけ上半身を離して、左手で孫権の頭を撫でつつ上向かせる。



「自分を信じられないなら他を信じればいい」


「…貴男を信じろと?」


「そうだ」



孫権の言葉に躊躇無く返し双眸を覗き込む。

不安を宿す瞳が揺れる。



「もしも俺が信じられないのなら──」



態と溜める。



「お前の母親を信じろ」


「…判らないわ

…何故、貴男を信じる事と母様を信じる事が繋がる事になるのよ…」


「いや、繋がっている

母親の形見なんだろ?

それは今、誰を主と定めて誰の手に在る?」


「…それ…は…」



言い淀む孫権。

自ら触れた事により嫌でも理解している。

俺の言葉の真偽を。


しかし、だからこそ認める事を躊躇う。


認めてしまえば楽だ。

しかし、今認めてしまえばこれまでの自分が何だったのかと考えている様だ。



「誰かを頼る事は甘えでも弱さでも恥でもない

自分に出来無いから任せる事も全てが悪ではない」



小さく息を飲む孫権。

感じているのだろう。

自分の“仮面”が罅割れ、露になる事を。


最後の一押しをする。



「泣く事は恥じゃない

涙は弱さじゃない

我慢なんてしなくていい

人前で泣きたくないのなら丁度良い…

この雨の中、一体“誰”がお前を見る?

俺が気になるのなら──」


「……ぁ……」



そう言いながら孫権の頭を胸元に押し付ける。



「こうすれば良い

もう誰かに遠慮する事も、誰かの目を気にする事も、何も要らない」


「…わ、わた…しは…」


「裡に抱えた思い…

この雨に紛れて流せ

それはいつか必ず、お前の糧になってくれる

だから──」



優しく、ゆっくりと右手で孫権の頭を撫でる。



「もう大丈夫…

今まで、苦しかったな」


「…っぁ…ぁ…ぁぁあぁあああぁあぁあぁぁぁ──」



堰を切った様に、心の奥に積もった感情が溢れた。


幼子の様に上がる泣き声は雨の音に抱かれて。




泣きじゃくる孫権を連れて雨を避けて木陰へ。


氣を使い彼女の身体と衣服から雨を拭う事も出来るが敢えてしなかった。

加えて自分の遮断も止め、結果、ずぶ濡れ。


だが、これで良い。

雨と共に涙まで遮っては、元も子もない。


流れ落ちた水滴が濡らした地面は命を育む。

同じ様に彼女の“雨雫”も彼女を育むだろう。


腕の中に抱く孫権の頭を、背中を撫でながら雨空へと視線を動かす。


まだ暫く止みそうにない。

だが、陰鬱さは感じない。


“晴れる”事が解るから。

軈て曇天の向こうに見えるだろうから。


“向日葵”を思わせる様な“笑顔”──太陽が。


だから、今は雨に時を委ね流れに従おう。


全てを包む、この雨に。
















暫しの時が経った。

小降りになったが雨は未だ降り続けている。


孫権は泣き止みはしたが、羞恥心からか不安感からか俺の胸元に顔を埋めて抱き付いたままだ。


まあ、直ぐに意識改革する事が出来れば苦悩してなどいないか。

念には念を。

もう一手打っておこう。



「お前が思っている以上に才能なんてのは曖昧だ

自分の可能性や限界でさえ思っている物と現実は違うなんて多々有る事だ」



孫権の頭と髪を右手で撫でながら静かに言う。



「俺はお前の姉妹は人伝に聞いた程度しか知らない

お前の姉は類い稀な武才を持っていると…

妹の孫尚香も愛嬌が有り、皆に可愛がられていると…

しかし、それらは必ずしも母親と同じとは限らない

否、“同じ”で在る筈など有り得ない

何故なら、孫文台は唯一人だけなのだから」



態と一呼吸置く事により、心へ言葉を刻ませる。

今後の──再発防止の為。

そして、自ら乗り越え行く糧とする為に。



「“誰か”になる事なんて誰にも出来はしない

結局の所、誰も彼も自分は“自分”でしかない…

仮に“誰か”になれたなら“自分”は何処だ?

“自分”を失った者は一体何なのか?

“誰か”の模造品──偽物でしかなくなった存在に、“それ以上”の“価値”が有る訳でもなく、な…」



諭す様に話しながら胸中で苦笑する。

己が言葉の偽善に。

己が都合の良い理屈に。

だが、それでも構わない。



「忘れず、間違うな

孫仲謀はお前しか居らず、お前以外には在り得ない」




雨音だけが支配する沈黙。


しかし、彼女が考えている事は察しが着く。


裡に溜め込む質では有るが感情の起伏は判り易い。

尤も、それは“弱い己”を晒した相手だから取り繕う必要が無いからだろう。


見栄っ張り、ではなく単に強がっているだけだが。


放って置くと、再び迷子になりそうだ。

仕方無く“導”を出す。



「卑怯な言い方だが…

俺が“親”の立場ならば、自分の“意志”は継いでも“幻影”を追い掛ける事はして欲しくはない」



そう言うと胸元の服が強くギュッ…と握られる。

理解出来る故の葛藤。



「我が子の幸せを願うならその“在り方”をどうこう言いはしない

親子、兄弟姉妹…それらは“最も近き他人”だ

だからこそ、親は我が子の“巣立ち”を喜ぶ

自らの意志で歩みを進め、生きて行く事を…な」



実際、心配性な親というと親の方が“子離れ”出来ていない事が多い。

そして、我が子が“成長”した事を知らない。


だから、過保護になる。

親の愛情を勘違いするのは子供なのか親なのか…

まあ、今は関係無いが。



「……私の…意志で……」



ぽつり、と零れた一言。

それを逃さず掴む。



「そう、お前の意志でだ

他人任せの生き方をして、“自分”を見出だせるか?

少なくとも俺は無理だ

自らの意志で歩んでこその人生というものであり──それが“生き方”だ」



ふと、懐かしい姿が脳裏に浮かんだ。

俺を“俺”たらしめる上で欠かせぬ存在。

その背中が。

きっと今の俺の姿を見れば“偉そうに”と言うだろう事が想像出来る。

孫権に気付かれない様に、小さく苦笑する。



「良い事も悪い事も有る

だが、その全てが成長する糧になる

他人任せでは無理な事だ

自らの意志の歩みだけが、確かな足跡を刻む…

お前の、孫仲謀の生をな」



そう言うと孫権の雰囲気が僅かに変わった。


例えるのならば──

全てに怯えていた仔猫が、極限の果てに生き様とする本能から拙いながらも餌を獲る為に踏み出した様に。



「…私は…変われるの?」



顔を上げ、腕の中で此方を見詰める。



「さっき言った様にお前にしかない物も有る

“何も無い”なんてのは、大概が“何も解ってない”というだけだ

お前が望むのなら──」



俺は笑みを浮かべる。

差し出した手を掴むか否か決めるのはお前自身。


今が、この選択が変化への“一歩”になるかを。




 冥琳side──


一時、小降りになった雨も再び強くなっている。

夕焼けに染まる筈の空も、雨雲に覆われ、いつもより早く夜が訪れていた。


漸く、飛影様が戻られた。予定よりは稍遅いが。



「降られましたね」



ずぶ濡れの飛影様に紫苑が手拭いを差し出す。

「ありがと」と言いながら受け取られる。

拭われるのは顔と両手。

衣服を含めた他は氣を使い乾かす。

“便利だな”と思う反面、“非常識な”とも思う。

尤も、自分達も孰れは其の“非常識”が“普通”だと思う様になるだろうが。



「たまには雨に濡れるのも悪くはないさ」



そう言われる飛影様。

その微笑に見惚れながら、ふと疑問に思う。


──何故、濡れていた?


飛影様ならば、濡れる前に氣で防げた筈。

この雨の中、傘も挿さずに濡れていないのは不自然な事は確かだが…

それでも外套だけで良い。

ずぶ濡れの必要は無い。


だとすれば──



「…“たまには”、ですか

本当にそうですか?」



拗ねた様な──いや、実際拗ねているのだが──顔で泉里が訊ねる。

それは軍師としてか…

或いは“女の勘”か。

何方らにしろ、同じ結論に至ったらしい。


飛影様も直ぐに“真意”を察したらしく苦笑。



「“何方”かは訊かないが“いつも通り”の事とだけ答えておこうか」



笑みを浮かべ、揶揄う様な態と焦らした物言い。

しかし、私達自身の経験を振り返れば判る。

個人の事情を他人に簡単に話す物ではない。

こういう事は本人が語って然るべき。

そして、そういう事を常と出来る方だ。

何気無い言動に垣間見えるその魅力が心を掴む。



「ず、狡いです…」



頬を赤らめながらの泉里の抗議も形だけ。

“惚れた弱味”とは上手く言ったものだ。



「まあ、明日になれば判る

楽しみにしてな」


「…楽しめません…」



小さく頬を膨らませて呟く泉里を見て苦笑する。

競争相手──恋敵が増える可能性が高いのだ。

楽観視出来無くて当然。



(…だが、その一方で私は喜ばしく感じている…)



飛影様という主の下に集う同志が増えるからか…

同じ男性を愛するからか…

その両方だからか。

はっきりとは解らない。

だが、そう感じているのは私だけではないだろう。


泉里も、紫苑も、皆が。


相反す感情を抱きながら、けれど心地好く──笑む。



──side out



一夜が明けた。

悪夢の様な一夜が。



「…うぅ…あ、頭が…」


「…気持ち…悪…」



振り返ればゾンビが二体。

義封と公明が青い顔をして卓に突っ伏している。


既に日は高く、十時頃。

茶屋にて遅い朝食を採る。



「酒は飲んでも呑まれるな

良かったな?

機せずして身を以て教訓を学べたじゃないか」



笑顔で、そう言うと二人は目を逸らした。



「自業自得だ、馬鹿者共」


「御酒に逃げるからです

食べ物に留めないから…」



公瑾と仲達が追い打ち。

というか仲達、自棄食いも誉められないからな。



「…大丈夫ですか?」


「問題無い」



儁乂が興覇を心配する。

興覇の足元がいつもよりは心許ないのは言わぬが華。

後で治療してやるか。



「……貴女は大丈夫?」



漢升が儁乂に訊ねる。



「私ですか?

特には…寧ろ調子が良いと言えますね

あまり強くない様で途中で眠ってしまったのか…

記憶が有りませんが」


「そう…それならいいの」



小首を傾げる儁乂。

…覚えていない、か。

その方が互いの為だな。



「漢升、公瑾、仲達」


「…解っています」


「彼女には二度と…」


「…飲ませません」



充血した目で、真剣な声で三人が意志を固めた。


昨夜は…大変だった。

酒に酔った四人が絡んで、公瑾達が引き剥がす。

興覇だけは抱き着いたまま寝たので問題無かったが、儁乂が暴走した。

軽い乱闘に発展。

その巻き添えを受け仲達・義封・公明はダウン。

最後は氣で落としたが。

“貞操”の危機だった。



「酒乱、でしょうか?」


「単に飲み過ぎだ」



疑問に思う漢升に溜め息を吐きながら言う。



「自棄酒だった事に加えて調子に乗った義封と公明が飲ませ過ぎたのが主因だ

単に飲み慣れてないだけで弱くはないだろ…

二日酔いも無い様だしな」



三人が儁乂を見て納得した様に頷いた。




(箍が外れたんだろうが…

垣間見せたポテンシャルは非凡だったな)



まあ、騒がしい夜だったが収穫が有っただけ良し。

そう締め括った。


その直後だった。



「…来たか」



俺の声に皆の視線が茶屋の入り口へと向かう。


射し込む陽光の中に現れる人影を見て、自然と笑みを浮かべていた。




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