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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
338/915

          伍


木陰に入って直ぐに左慈は他の仲間の無事を確認。

密かに安堵の息を吐く。



(素直じゃないね〜…)



そんな左慈の態度に思わず苦笑してしまう。

知らぬは本人ばかり、とは判っていないんだが。


取り敢えず、雨宿り──と言えるのかは微妙。

左慈達七人が幹を囲む様に木陰に入っても十分に雨を凌げる大きさを持つ大樹。

しかし、その大樹の枝葉を無視するかの様に容赦無く雨は降り続ける。

葉を、枝を、地面を叩いてバチバチバチッ…と激しい音を辺りに響かせる。

既に泥濘──と言うよりも泥沼の様に柔らかくなった地面は、雨粒が当たる度に泥水を飛び散らす。

それは水面と変わらない。



(にしても、凄いな…)



俺が“此方”に来てから、既に一年と二ヶ月の時間が経っている。

その間に天候に悩まされた事は少なくない。

それでも何方らかと言えば水害は洪水や河川の氾濫が殆んどだった。

山なら土砂崩れだ。

勿論、そういった自然災害対策は遣ってきている。

宅──俺の思想・方針上、“自然との共存”が有る為不用意や無闇矢鱈な開発や伐採は禁止している。

故に、災害の被害は比較的少ないと言える。

…華琳達が居たら“少ないという表現は正しいけど、全てではないでしょう”と呆れながら言われる所かもしれないけどな。


兎に角、此処までの激しい雨は経験した事が無い。

環境破壊が進んだ“彼方”での異常気象とは違う。

自然も環境も未だ十二分に存在している“此方”では滅多に話にも聞かない。

それ程の雨粒の大きさと、量と勢いをしている。


左慈は静かに周囲を見回し雨足が弱まるのを待つか、強行して甲範達に合流して下山するか、選択に悩む。



(難しい所では有るよな)



今、一緒に居る仲間達。

その命を預かっているのが他ならぬ自分自身。

最優先に考えるべき事は、彼等の安全だろう。

しかし、この雨が何時まで降り続けるのか。

何時頃弱まるのか、或いは止むのか。

さっぱり判らない状態。

何しろ、普通の雨と様子が見るからに違う。

経験による推測は拙い。

此処で待つ事が安全だとは断言出来無いからだ。


それなら、まだ足元が動く事が可能な状態の内に多少無理をしてでも皆と合流し大人数で居た方が選択肢も増えるだろう。

そう考える事も当然。


何方らが正しい、と現状で断言する事は難しい。

既に“過去”の事だが。


果たして、左慈は何方らを選択するのだろうか。




左慈は知将ではない。

その武勇を持って部下達に意志を示し、士気を高めて戦うタイプの指揮官だ。

最低限の思慮は可能だが、十全とはいかない。

それでも迅速に決断を下し即座に行動に移さなければならないのが現状。

考える時間もまた僅か。

それ故に誤った判断をしてしまっても仕方が無い。

責める事は誰にも出来無い事だろう。

その決断自体が重責を伴い苦渋となるのだから。


仲間達も理解している。

この状況が、非常に判断し辛い物だという事を。

移動か、待機か。

その何方らを選んだとして“最も理想的な結果”には繋がらないという事を。

“何か”を犠牲にするか、危険を冒す事を。

故に、ただ静かに、左慈の決断を待っている。



「…っ…本隊に合流する

全員、途中はぐれねぇ様に距離を開け過ぎんな」



左慈の決断は──合流。

俺個人としても其方の方が妥当だと思う。

この場所に関しての情報が足りないので危険性は未だ定かではないが、留まって待っていても天候や事態が好転するとは限らない。

それなら多少の危険を冒す事になっても、動ける間に本隊と合流する方が良い。

可能性と選択肢の上でも。



「──行くぞっ!」



気合いと共に放たれた声を合図に、左慈を先頭として彼等は走り出した。

全力疾走とはいかないが、この状況下で出せるだろう速度としては十分。

視界は悪いが全く見えないという訳ではない。

濃霧の中や雪山等で起こるホワイトアウトに比べれば遥かに増しだと言える。

左慈達に経験が有るのかは判らないが。


大粒の雨は顔を叩く。

眼と鼻と口に影響を与える意外は我慢出来る事だ。

しかし、雨に濡れた衣服が厄介だったりする。

だが、ずぶ濡れのままで、乾かす余裕は無い。

先程までの暑さが嘘の様に気温が下がっている。

ただ、それ以上に濡れた事により体温が確実に奪われ冷えていっている。

動いている、とは言っても身体が暖まるよりも冷める方が強い。



(…左慈も含め、このまま行動を継続可能な時間は、そう長くはないな…)



続けられて…約一時間。

伐採作業場と賊討伐戦場、そして哨戒していた位置。

頭の中に有る大凡の地図で計算すると…今の速度で、直線で駆け抜けたとしたら約三十分だろう。

道なりにならば、一時間を切る事は難しい。

凍死する、という事は先ず無いだろうが、冷えて硬く萎縮した筋肉で無理すれば怪我を誘発するだけ。

そういう知識が無いのなら根性論だろうが。

兎に角、厳しい状況だ。

一つのミスが命取りになるとまでは言わないが状況を悪化させる事には繋がる。


天候の、自然の怖さ。

それを示し諭す様だ。




水煙の立ち込める中を進み続ける事、約一時間。

目的地となる伐採作業場に到着した。

道中、弱音を吐く事も無く足を前に出し続けた事には素直に感心させられた。

左慈の不器用ながらも皆を励ます姿にもな。


だが、目的地に着いた途端嫌な予感がした。

それは俺自身の感覚。

しかし、左慈もまた突然の悪寒に襲われていた。



「…あれ?、何で?

誰も居ねーんだけど…」



一人が周囲を見回しながら人気が無い事を訝しむ。

雨足は相変わらずなのだが元々開けている場所なので人影が有れば見付ける事は難しくはない。



「馬鹿か、こんな雨の中でぼさっと突っ立ってる訳が無ぇだろうが…」


「普通に考えて手近に有る木陰に避難してるって」


「ああ、それもそうだな」


「って事で…隊長ーっ!

何処ですかーっ?!」


「おーいっ!、何拉ーっ!

何処に居るんだーっ?!」



仲間が口々に甲範達を呼び叫んでいる中、左慈は一人周囲を見回していた。

視界に入ってくる光景から得られる幾つかの情報。

伐採の途中だったのだろう幹に入った切り込みに斧が刺さったままだ。

突然の事で、そのままにしその場を離れている。


伐採後、一定本数毎に纏め束ねられている丸太。

荷車に積まれてはいないが直ぐに積載可能な状態。

此方も放置されたまま。


その傍らに麻布が掛けられ盛り上がっている場所。

伐採に使われていた道具が置かれているのだろう。


何れも雨が降って来た事と普通に結び付く。

別段、可笑しな所は無い。

それなのに左慈は──否、俺も奇妙な違和感を感じて警戒心を高めていた。



「──隊長おぉーっ!!!!」



腹の奥底から絞り出す様に叫んだ仲間の一人の声。

それは僅かに反響した後、無情な程当然の様に雨音に飲み込まれて掻き消える。

一瞬の大声も、雨の奏でる音色の前では無力。

一つの音に染め上げられた世界は静寂に支配されたと形容する事も出来た。



『……………』



──可笑しい。

左慈だけでなく、他の者も明らかな警戒を示す。

仮に雨宿りに避難していたとしても、これだけ叫んで反応が返って来ない。

その事が示すのは一つ。

“甲範達は近くに居ない”という事に他ならない。




──雨から避難した。

それは判る。

──では、甲範達は何故、“此処”から離れたのか。


その疑問に対し、真っ先に脳裏に浮かんだ可能性。

物の見事に全員一致だったらしく即座に武器を構え、背中合わせに密集した。

先程まで緩んでいた空気が一瞬にして張り詰める。


相変わらず──と言うより激しさを増している雨。

視界は数分前よりも一層に悪くなっている。

開けている分見通せるが、遠近感があやふやになって景色が滲んで見える。

今、矢等の飛び道具で攻撃されれば回避は困難。

相手側も見辛くは有るが、先程までの大声で此方側の大凡の位置は知られている可能性が高い。

勿論、氣を使える相手なら視界不良程度は些細な事。

大した問題にはならない。



「…あの連中の仲間か?」


「どうだろうな…」



一人が誰に向けるでもなく訊いた質問に左慈は静かな声で返す。

現状、敵の正体は不明。

否、存在自体も不確かだ。



「…なあ、確かさ…

“人食い虎”が出るのってこの辺じゃなかったか?」


「おい、変な話は止めろ

と言うか、笑えねぇぞ」


「わ、悪ぃ…」



不安から、単に思い付きを口にした一人を窘める様に別の者が注意する。

しかし、可能性は有る。

左慈は本人の性格も有って噂の類いには疎い様だが、“腹を空かせた獣の襲撃”という可能性は有る。

虎かどうかは判らないが、一度“人の血肉(あじ)”を覚えた獣なら優先的に襲う可能性は高い。

獣も人間と同じ。

“美味い物”を食いたい。

その欲求を持っている。

そして、人間とは違って、“倫理的抑制”は無い。

本能に従って、腹を満たす為に動く事だろう。


左慈は静かに考える。

もし、獣で、単体ならば…居ない可能性も有る。

此処に居たのはそれなりの人数だった。

多くても二〜三人の犠牲で満足して消える筈。

加えて、この雨だ。

人を襲う虎や熊は毛深い。

長時間雨に濡れる事は嫌うだろう。

だとすれば、本隊が居ない理由も納得出来る。

資材よりも命が大切だ。



(再び選択だ…どうする)



此処に残るか、移動か。

但し、何方を選ぶにしても先程の様には動けない。

それを念頭に置いて考え、決断しなくてならない。


賊の可能性は新手も含めて皆無ではない。

しかし、全く痕跡を残さず戦えるのだろうか。

そう、考えた左慈の脳裏に言い表せない恐怖が浮かび上がっていた。


得体の知れぬ影。

それは“死”と称される、全生物の抱く原初の恐怖に他ならなかった。




ゴクッ…と濃い緊張の中、左慈が息を飲んだ。

それは無意識の行動。

“しまった!”と気付いた時には既に手遅れ。

だが、雨の激しさが幸いし誰も気付いた様子は無く、密かに安堵していた。


今、恐怖が伝染してしまう事は避けて然るべき。

冷静さを欠いてしまえば、一人ではなく全員を危険に晒してしまう。

それは回避出来る事。

怠ってはならない意識。



「…周囲を警戒しながら、右手の林に向かって移動

動きは歩くのと同じだ」



感情の起伏を感じさせずに指示を出す左慈。

それに対する反対は無い。

この場で左慈以上に判断の適任者は居ない。

そう、全員が理解しているからだろうな。



「──移動開始だ」



左慈の号令で背中合わせで円陣を組んだまま移動。


…こういう事を考えるのは緊張感に欠けるんだけど、この様子を端から見たなら蛸が歩いている様に見えるかもしれないな。



「──っ!?、お、おい!

ちゃんと一緒に動けよ!」



唐突に動きが止まったら、怒鳴らない様に気を付けて届く程度に声が響く。

その声を出したのは左慈の右隣に居る者。

その言葉と焦り具合からも円陣が崩れている可能性が高いと推測出来る。



「先行し過ぎるな

今は確実な移動が優先だ」


「判ったら戻って来いよ」



左慈の言葉を聞き隣の者も動揺から立ち直ったらしく怒気の消えた声を出す。

──しかし、返る筈の声は聞こえて来ない。

沈黙のままで数秒が過ぎ、十数秒、数十秒──そして一分が経過した。


流石に誰にでも判った。

悪戯や冗談をしている様な場面ではない。

明らかに異常事態だ。


左慈が其処に居る筈だった仲間の方へと振り向く。

隣の奴の後ろ頭が見え──その先には雨が染めている景色が有った。


ドクンッ!、と一際大きく脈打った鼓動を無視して、視線を地面へと落とす。

誰も倒れてはいない。

倒れた様な跡も無い。

“歩いた跡”すらも無い。


──そして、気付く。

視界の中に映っているのは自分以外の“四人”の脚。

つまり、仲間の“二人”が音も無く“消えた”という事になる現実に。

驚怖する左慈達。

まるで雨音が、死へと誘う葬送曲の様に思えた。




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