肆
口火を切ったのは意外にも何拉だった。
目の前に居る──ではなく左斜め前に居る先程左慈の事を“臆病者”と言う様な発言をした男に対して踏み込みながら左腰に佩く剣を抜き放ち──一閃。
左斬上に振り抜いた。
「──は?、な、ぁ…」
後ろへとよろめきながら、膝から崩れ仰向けの格好で地面へと倒れた。
見事に切り裂かれた首筋。
男は戸惑いの声を漏らして血飛沫を上げた。
生暖かく、鉄臭さを漂わせ紅い雨が滴り落ちる。
チラッと何拉の方へ視線を向けた左慈は胸中で密かに称賛を送っていた。
“はんっ、真面目な癖して容赦無ぇ太刀筋だな!”と素直ではなかったが。
そんな左慈を通して見た、“左慈の事を何も知らない奴が勝手な事を言うな”と怒気を纏った背中が物語る何拉との関係に場違いにも心が温まる。
一応、これから殺し合いが始まるシーンなんだけど。
そう思ってしまった以上は仕方無いよね。
予想だにしない光景を前に賊徒達は茫然自失。
思考は混乱と困惑に染まり身体は無防備なまま佇み、行動不能に陥る。
その決定な隙を見逃す様な馬鹿は一人としていない。
何拉に続いたのは左慈。
直剣を鞘から抜き放って、一番手近な男の喉を迷わず一突きにする。
自分で殺る時とは違った、鈍く重い感触が右手を伝い感じられた。
他者の感覚、という普通は理解出来無い事を体感して自分の在る“域”を再認識させられる。
「──ぐぇ、ぁ…」
蛙が潰れた様な声を最後に男の身体は崩れ落ちる。
残る小隊の四人も目の前に居る敵を屠る。
「──っ!?
な、何してやがるっ!
さっさと殺せっ!」
賊徒の頭目と思しき男が、真っ先に我に返ったらしく声を張り上げた。
それを聞いて、他の男達も我に返ると手に手に武器を握り締めて反撃する体勢に入ろうとした。
「──な゛、何で…」
──が、一人のくぐもった戸惑いの声が邪魔をする。
反射的に男達は振り向き、その視界に映した。
仲間の身体を貫いて生える鮮血に塗れた槍を。
ガクガクッ…と震えながら崩れ落ちる仲間の姿を。
そして入れ替わる様にして視界の中に現れた甲範を。
再び訪れた思考の混乱。
それは僅か数秒だったかもしれない。
だが、致命的だった。
機を見計らい一斉に行動を開始した小隊は初手で半数──つまりは、一人一殺を問題無く熟した。
これにより数は粗五分。
仮に賊徒側が数名多かったとしても問題にならない。
後は基本的に一対一を制すだけで戦いは終わる。
それだけの事だった。
「手応えの無ぇ連中だな」
難無く賊徒を討伐し終えて左慈は不満気に呟く。
その胸中に有る苛立ちは、囮作戦の一環として行った何拉との口喧嘩により生じ積もり積もった物。
平たく言えば八つ当たりが不十分で吐き出し切れずに居る状態だったりする。
とは言え、此処で我が儘を言う程に馬鹿ではない。
特に隠す気は無さそうだが部隊を危険に晒す様な事に繋がる真似はしない。
一応最低限の自重と自制は出来るみたいだ。
直剣を振って刃に付着した血を飛ばして落とすと腰の鞘へと納めた。
血が付いたまま鞘に納めて置いて置くと錆びてしまい切れ味が落ちるから。
本当は直ぐに手入れをして綺麗にした方が良いのだが生憎と道具が無い。
まあ、見た感じ業物という訳でもない量産品だから、錆びても困りはしないとは思うけれど。
「…どうだ?」
そう訊ねたのは甲範。
その相手は何拉。
死体を片付ける隊員の傍ら甲範の指示で賊徒の数名の持ち物や衣服を調べていた結果についてだ。
所謂、鑑識のお仕事。
知識や技術的精度等は別に考えても、怪しいと思える点が有れば調べるのは昔も今も変わらないって事。
ただ、名ばかりで位に伴う能力の無い連中が多い中、それが出来るのは高く評価出来るだろう。
本当、惜しい人材だな。
「何れも特に可笑しな点は見当たらないですね
極普通の賊徒の様です」
その声を聞いて左慈が顔を其方らへと向けてくれる。
“ナイス♪”と言いたい。
聴覚からの話し声だけでは情報が不足するからな。
振り向いた視界に映るのは同じ方向にきちんと並んで置かれている五つの死体。
些細な事ではあるが何拉の几帳面な性格が判るな。
並べられた死体は、何れも未統一の服を着ている。
見た目には“賊らしい”と誰もが思うだろう格好。
薄汚れ、綻びた服。
汗や血、飲食物等の零れた跡が染みの様に残っている辺りからして擬装している可能性は低いな。
見せ掛けだけだと生活感が欠如する事が多い。
因みに、上手く紛れるにはそういう環境に有る者から衣装を手に入れるのが一番手っ取り早い。
その際に足が付かない様に注意し、細工しておく事も忘れてはならない。
この辺の技術は隠密衆には徹底的に仕込んでいる。
俺の方針上、潜入任務とか一番多いしな。
危険に晒される可能性を、少しでも下げる為だ。
絶対は無いが、可能な限り回避する事なら努力次第で十分に出来るからな。
衣服だけでなく、持ち物も特に変わった物は無い。
それらの事から考えて──
「やはり、偶然か」
「そうみたいですね」
当然の結論に至る。
俺も二人と同じ意見なので反論・異論は無い。
奇妙な点も無いしな。
「…隊長、此奴等片したら一応念の為哨戒に出た方が良いんじゃねぇの?」
そう進言する左慈。
その言い分は最もだ。
だがしかし、現状の俺には左慈の考えが手に取る様に判ってしまう訳で。
“このまま戻っても退屈な護衛任務の再開だ…
だったら、哨戒でもして、運良く賊とか鹿や猪とかに遭遇すれば暇潰しになるし気分転換にもなるからな”という思惑が。
…何と言うか、自分の欲望丸出しなんだよな。
で、そんな左慈の性格等を理解している二人は冷たい視線を左慈に向けている。
“俺って天才だろ?”とか思って自画自賛中の左慈は気付いていないが。
…何で無関係の立場の俺が気不味い思いをしなくてはならないのか。
仕方無い…が、理不尽だ。
「…良いだろう
何拉、他に五〜六人連れて哨戒に行ってこい」
「判りました」
胸中で“おっしゃあっ!”とガッツポーズしているが全く理解していないな。
「左慈、お前は護衛だ」
「──おう!………は?」
あ〜…やっぱりな。
甲範は何拉に命じはしたが左慈を行かせるとは一言も言っていない。
それに先程の戦闘から見て左慈と何拉は部隊の中でも中核の位置に居るだろう。
となれば確認の意味合いが強い哨戒に二人一緒に回す必要性は無い。
少なくとも宅では遣らない事だろうな。
俺か軍将一人が居れば済む話だからな〜。
「ちょっ、た、隊長っ!?
俺っ、俺はっ?!」
「だから戻って護衛だ」
「なっ!?、そんなっ!
提案したの俺なのにっ!」
漸く現実に戻ったらしい。
手遅れな気もするが。
甲範に詰め寄って、何とか哨戒に出ようと掛け合う。
その必死さが鬱陶しい程に伝わってくる。
宅に居たら“特別補習”に御招待している所だな。
まあ、二人が左慈に対して反省を促す為か揶揄う為に遣っている演技だとしたら話は変わってくるけど。
何拉を見る限りでは本気と思えるな。
甲範に関しては微妙。
左慈が信頼している事には疑う余地は無いが、普段の甲範を俺が知らない。
だから判断が難しい。
哨戒、出られるかね〜。
「どうだ、何か居たか?」
「い〜や、何にも」
「此方もさっぱりだ」
「野兎も居ねぇな」
山林の中、腕を組んで佇む左慈の言葉に、二人一組で行動していた三組の各々の代表者が報告する。
遠く離れ過ぎない程度での偵察に出ていた為だ。
「チッ…これ以上彷徨いた所で無駄足になるだけか
しゃあねぇ、戻るぞ」
ガシガシと右手で頭を掻き仕方無さそうに左慈は呟き帰還の決断を下した。
その様子を見て他の面々は苦笑を浮かべている。
左慈の奔放──と言うか、やんちゃな性格を理解した上で信頼を置いている事が読み取れる仕草。
左慈自身は理解していないのだけれど。
何やかんや有ったが左慈は無事に哨戒に出られた。
予想通りと言うか、何拉は護衛任務に戻った。
戦力のバランスを考えれば当然の事だな。
で、当の左慈はと言うと、一度意識が別の事に逸れた事も有ってか、溜め込んだ苛立ちが薄れていた。
完全に無くなったという訳ではないけれど、任務中に身勝手な行動をする真似はしないだろう程度に冷静な状態を保てるレベル。
熱くなり過ぎて暴走、とか愚行もいい所だしな。
部隊を──皆の命を預かる立場に有る者が、誰よりも戦場で熱くなってしまえば犠牲者が増えるだけ。
“自分を殺せ!”とまでは流石に言わないが、自制と自律は必要不可欠。
一人、思うが侭に戦いなら一騎駆けの猪をしていれば事足りるだろう。
そんな者には部隊を率いる資格は無いからな。
尤も、それが最善策であり必要な場面という事ならば話は別になるが。
後は宅みたいな場合とか。
(何にしても良い事だな)
これは甲範の意図が見事に填まったという事だ。
左慈の思惑を上手く利用し態と別の事に意識を向けて感情と優先順位を擦り替え僅かな会話で左慈を冷静にコントロールした。
高が部隊長という立場には勿体無い人材だ。
軍将が務まる器だぞ。
こんな逸材を埋もれさせて気付いていないのは何処の馬鹿なのか。
直接会えたとしたら甲範を引き抜いた後から、散々に皮肉って遣るのに。
「──ん?」
──と、不意に左慈が顔を上げて空を見詰めた。
何が有っての行動なのかは感覚を同調している俺には理解出来た。
と言うより、俺も同じ様に反応した事だろう。
「……チッ、雨か」
静かに差し出した上向きの掌へとポツッ、ポツッ…と水滴が落ちてきた。
視界の空もまた、黒く厚い雲を捉えていた。
思っていたよりも遅い。
──が、仕方の無い事だ。
今の俺が得られる情報とは“左慈の感覚”が基本。
視覚情報は左慈自身が見た全てなので、左慈が気付く事が無かった事だとしても俺が気付く事は有る。
他の感覚にも言える事では有るのだが、視覚以外では左慈の感じ取った感覚が、そのまま伝わるだけ。
なので、追加情報を得る事自体が困難だったりする。
加えて、自分の思う通りに動く事も出来無い訳で。
そういう状況下での正確な天候予測は無理難題。
一瞬見ただけの空模様から推測出来るのは精々良くて“雨が降る”という程度。
どんなに優秀な気象学者や気象予報士でも情報無しに予測は出来無い。
全ては情報が有ってだ。
「うげっ、最悪だな…」
左慈の言葉と行動を見て、他の面々も空を仰ぐ。
今にも泣き出しそうな顔を見せている空。
とてもじゃないが涙を流す程度では済みそうにない。
その様子を見て、顔を顰め心底嫌そうにしている。
「とっとと戻ろうぜ!」
「隊長達、気付いて撤収を始めてれば良いけどな〜」
「その辺は大丈夫だろ」
「そうそう、隊長なんだし何拉の奴も居るんだ
判断と仕事は早いさ」
口々に言葉を交わしながら全員が駆け出す。
言葉遣いからも判る様に、左慈や何拉と隊員達の間に変な溝や隔たりは無い。
年齢差は存在しているが、互いに皆が気安い態度。
その雰囲気は宅や孫策の所なんかに似ている。
「──って、おいっ!?」
「嘘だろっ!?」
──暢気な会話を掻き消し驚愕の声すらも飲み込んでザザザザザアァーッ!!、と激しく降り注ぐ雨。
バケツをひっくり返したと例えるのに相応しい勢いに全員、あっと言う間に全身ずぶ濡れになってしまう。
豪雨と呼ぶ事にも迷わない雨量は濡らすだけではなく視界を奪い、妨げる。
水幕と光の乱反射により、白と灰に霞む世界。
「だあぁーっ、畜生がっ!
全く前が見えねえぞっ!」
「全員居るかっ!?
取り敢えず近くに居る奴を掴んで左手の大木の木陰に急いで入れっ!!」
声を張り上げて尚、雨音が勝る状況に左慈は進む事を危険だと判断。
一旦、木陰に避難する事で皆の確認を優先させた。




