参
左慈と何拉が身体と衣装を洗い終えると休憩を終えた他の隊員達と合流。
円陣を組み、甲範に対して皆の視線が集まった。
因みに、感覚の同調は既に元通りにしてある。
「先ず、状況を確認するが先程の二人の声で賊徒にも此方の存在は知られた…
そう考えていいだろう」
その言葉に何拉と左慈へと視線が向けられる。
比率的には2:8位。
大体が左慈を批難している状況だが、仕方無い。
左慈も“俺は悪くねぇ…”とか呟いてはいるが胸中は非を認めていた。
いや、正確には何拉に対し申し訳無く思っている。
行動自体に反省は無い。
「だがまあ、知られたのは“最低でも二人”という事だけなのが運が良い
寧ろ、好都合だからな」
甲範の言葉を聞き、左慈は意図を理解出来ずに眉根を顰めて不思議に思う。
何故、自分達の犯した失態が好都合なのか。
それが判らないらしい。
(この甲範って男…
中々の曲者だな…)
“過去”の事とは言っても目の前にしている状態では“現在”の様に感じる。
それが追体験なのだから、当然と言えば当然だが。
何気無く、人物に対しての評価を下しても意味が無い可能性が高い。
それを思うと惜しむ心と、多少の虚しさを覚える。
仮に存命しているなら宅にスカウトしても良い。
その程度には有能に思う。
本当に勿体無いな。
「今討伐対象となっている賊徒は、最近山中に居ると噂になっている連中だな」
「…北から流れて来たって連中ですか?」
「ああ、恐らくだがな」
特に可笑しな事は無い会話なのだが、“北”と聞いて左慈の思考上に“涼州”と新たな情報が出現した。
思わぬタイミングだったが朗報な事は確か。
稍のんびりと観賞モードに入っていた意識が活性化し集中力を高める。
「この辺りに邑村も少ない
狙いとしては東側の街道を往き来している商隊辺りが妥当な所だろう」
「…そう言えば東に向かう行商人が増えてましたね」
「商人って奴は儲け話には目敏いからな〜」
「新しい“金蔓”か商品が見付かったって所だろ」
甲範の言葉に乗っかる形で皆が交わす何気無い雑談。
作戦行動中──しかも一度失態を犯したばかりなのに部隊の雰囲気は緩い。
悪くは無いが…もう少しは緊張感が欲しい所だな。
直ぐに接敵はしないにしろ護衛と大工達の方に危険が及ぶ可能性は有るし。
尤も、そのお陰で新情報が手に入った訳だから強くは否定出来無いけど。
微妙に悩み所だな。
緩み過ぎて雑談状態の中、甲範の咳払い一つで適度に場に緊張感が戻る。
適度に、締める所は締め、緩める所は緩める。
それだけを見ても、甲範の統率力は判る。
同時に隊員達からの信頼と部隊全体の一体感も。
素直に良い部隊だと思う。
「いいか、よく聞け…
相手は此方の事を知った訳だが、此方が自分達の事を知っている事は知らない
其処に隙が有る」
甲範の説明を聞いて左慈を含めた大多数が今の状況と先程の甲範の言葉の意味を理解した。
確かに此方──この部隊の観点からでは大失態だ。
相手に覚られず奇襲すれば数的不良は関係無い上に、混乱させる事で短期決着が可能だったのだから。
そうすれば此方側の被害も大きく減らせるしな。
しかし、まだ最悪な状況に陥った訳ではない。
甲範が言った様に、相手は此方の情報を殆んどという位に知らないのだ。
警戒するだけ無意味。
下手に慎重になってしまう方が悪循環だったりする。
それを甲範は即座に見抜き最善策を捻り出した。
「先ず左慈と何拉に四人を加えた六名で小隊を組む
その小隊で山中を移動
左慈と何拉は先程と同様に“馬鹿みたいに”無警戒で口喧嘩しながら、だ」
「何気に酷ぇ…」
甲範の身も蓋もない言葉に左慈は不満そうに呟き顔を引き吊らせ、何拉は力無く項垂れてしまう。
だが、作戦としては妥当。
そう遣って態と騒ぐ事で、標的の注意を引き付ける。
左慈達の小隊の役目とは、他でも無い“釣り餌”だ。
活きが良く、無防備な程、“捕食者”は油断する。
本当は何方らが“捕食者”なのかすら気付く事無く。
「残りを二つに分けた上で小隊から離れた位置で追い“食い付いた”所で一気に襲い掛かって仕留める」
軍隊相手なら少々拙いが、戦う相手は賊徒。
しかも、大して知性の無い場合が殆んどだからな。
先ず間違い無く成功する。
失敗する要因が有るならば味方の油断や失態、或いは“天候”等だろう。
後者に関しては“運”次第だとも言えるが。
何処ぞの“諸葛”みたいに天候を操れるなら別だが。
「…隊長、向こうが此方を警戒して動く可能性は?」
「お前等は、馬鹿みたいに声を上げて騒いでいる奴が此方に気付いているなんて“普通”に考えるか?」
『無いっすね』
「そういう事だ」
綺麗に揃った返事に対して苦笑を浮かべる甲範。
まあ、指揮官の立場として部下の考え無しの肯定には頭が痛くなる所だしな。
“頑張れ…”と胸中で肩を叩く様に励ます。
意味は無いんだけどね。
甲範の作戦に従って移動を開始する左慈達の小隊。
指示通りに適当な口喧嘩が即座に出来る辺りに二人の普段からの関係が滲む。
と言うか、この二人。
作戦や演技じゃなくて素で口論しているな。
どんだけネタが有るのか。
つい呆れてしまう。
(しかし、ちょっと意外な場所に居るみたいだな…)
得られた情報から考えると恐らくは益州が濃厚。
東に主要の街道が有るなら中部よりも北になる。
もしかしたら、“成都”の近くかもしれない。
(正確に現在の位置を把握出来無いのは痛いな…)
勢力の移り変わりは有れど主要街道自体が変わる事は滅多に無い。
だから、大凡の位置だけは把握出来るが、其処まで。
詳細に至るには情報不足。
自分の身体ではないから、仕方無い事だけどさ。
若干、ストレスが溜まる。
(それは兎も角として…)
今の左慈を見て思う。
“堕ちる”者の典型だと。
どういう形であれ、左慈が強く、深く、“力を望む”状況に繋がっても不思議は無いだろう。
左慈は未熟で、弱い。
心身共に発展途上。
堕とそうと画策すれば色々手段は思い浮かぶ。
それに楽に叶うだろう。
その真っ直ぐさ故に。
(何とも言えないな…)
“堕ちた”者を見た事など一度や二度ではない。
“堕ちる”者を見た事も。
どうにか止める事が出来た時も有れば、何を遣っても無駄だった事も有る。
ただ、何方らにしても自己満足に過ぎない行動。
“熱”が冷めた時、強烈な無力感に晒される。
“結局は鼬ごっこだ”と。
(…“堕ちる”理由は各々違っていて当然…
“全く同じ者”なんて存在しないのだからな…)
どんなに精巧なクローンを造れたとしても、人格まで再現出来たとしても、結局“別の存在”でしかない。
それと同様に、“手段”も同じではない。
一度成功したから二度目も成功するとは限らない。
一度救えたからと言っても再び救える訳ではない。
先ず各々を理解しなければ始まらない。
けれど、その間にも時間は無情に過ぎ去る。
“時間切れ”も珍しくない結果だったりする。
また助ける事、止める事が必ずしも“救い”になるかどうかも判らない。
より苦しむ時を生きる事を強いてしまう事も有る。
何が正しく、何が最善か。
“救い”に関して言えば、俺は未だに明確な“解”を示す事は出来無い。
恐らく、これからも。
そういう物だから。
作戦開始から約二十分。
内容的には、まだまだ十分大丈夫な口喧嘩でも流石にテンションだけは保てず、愚痴り合いにも見える位の状態へとなっていた。
左慈が“早く出て来いよ、何ビビってんだよ糞が”と胸中で毒吐く。
口喧嘩をしている設定の為怒りや苛立ちが表に出ても問題無いのは良かった。
今も昔も、左慈には演技は無理なみたいだしな。
──と、一人苦笑していた時だった。
進行方向を遮る様にして、道の両脇の茂みから各々に一人ずつ男が出て来た。
『──っ!?』
左慈達は男達の登場に対し警戒する“素振り”をして正面の二人にのみ、意識を集中させる様に睨み付けて各々に武器に手を掛ける。
対して、男達は周囲の森に潜んで居るだろう仲間達の存在が有るからか無警戒で余裕綽々のニヤけ面。
自分達の優位を疑いもせず既に勝った気で居る。
何とも御目出度い思考だ。
あまりにも在り来たり過ぎ思わず冷めた目を向けたが仕方無いと思う。
まあ、俺の反応は関係無い為に隠す必要も無いし。
ある意味、楽だな。
「…何だ、手前ぇ等…」
警戒する様に言う左慈だが三文芝居なのが拙い。
とは言うものの、賊徒には判らないだろうが。
左慈に関する情報が無いし罠だとは思ってもいない。
まあ、演技という可能性は“強がり”という意味で、受け取っているかもな。
笑みを浮かべながら一人が一歩前に出て左慈を見る。
完全に侮っているな。
こういう状況下では相手に“自分の方が優位”と思い込ませながら会話を進め、色々と情報を引き出すのが後々意味を持ってくる。
故に、今の連中の感じだと態度と話の遣り取り次第で無警戒に喋ってくれそうな気がするな。
「へへへっ…さぁてな
何だと思う?」
「頭の悪い糞だろ?」
間髪入れず、一切逡巡せず言い返す左慈。
その言葉に男は呆然。
俺は思わず右手で顔を覆い溜め息を吐きたくなった。
今は左慈と同調している為出来無いんだけど。
(と言うか、考えなさ過ぎだからな、左慈…)
…いや、呆れを通り越して逆に清々しい気がするのは勘違いではないだろう。
定石に囚われない発想。
詰めて行く盤上を見ながら“ちゃぶ台返し”で丸ごと引っくり返し、ルールなど無視しての行動。
まあ、大袈裟な風に言った所で全く何のフォローにもならないだろうけど。
少しは空気を読め、左慈。
はっ、と我に返った男達はギリッ…と歯を噛み鳴らし左慈を睨み付ける。
俺が悪い訳ではないのだが感覚的には睨まれている為理不尽な感じがする。
「随分と強気な奴だな
それとも、ただ単に怖い物知らずなだけか?」
「生意気なだけっすよ」
ガサッ、ガザガザサッ…と茂みを掻き分け鳴らして、ゾロゾロと男達が現れる。
それを見ると小隊の面々は背中合わせに円陣を組み、自分達を取り囲む様にして群がってくる男達を見回し警戒する体を装って冷静に人数を確認していく。
その様子を笑みを浮かべて余裕で見ている賊徒。
特等席の観戦とは言っても面白味が無ければ退屈して飽きてしまう。
少しは察しの良い奴が誰か居ないのかね。
「………四十人、かな…」
「…高が六人に四十人か
随分と豪勢な歓迎だな」
何拉の呟きに対し返す様に左慈が皮肉っぽく言う。
これも甲範の作戦の一部。
小隊の中で最も冷静で居て視野の広い何拉が確認役。
加えて、左慈以外の四人が見落としが無いか確認し、追加が有れば発言。
或いは、人数が少ない時も伏兵を警戒する意味で数を口にする様になっていた。
そして最後に挑発を兼ねて左慈が最終的な人数を言い“全員”に報せる。
「──それとも、ただ単に“臆病者”だからか?」
そう言うと、賊徒の御株を奪うかの様に小馬鹿にしてニヤリと笑う左慈。
それまで余裕で笑っていた賊徒達の表情が強張る。
「ああ?、何言ってんだ?
馬鹿か此奴は?」
「…はぁ?、正気な訳?」
「あまりの恐ろしさに気が狂ったんだろ」
「ぎゃはははっ!
そうに違ぇねぇな!」
──と、口々に好き勝手な事を言う賊徒。
男達は気付いていない。
“包囲した”という意識が油断を生んでいる事。
目の前にばかり気が行って周囲への注意が散漫な事。
もう直ぐ側にまで、本当の“捕食者”が迫っており、自分達が獲物だという事。
そして、目の前の居るのは鋭い“爪牙”を隠し持った敵だという事に。
静かに左慈が腰に佩く剣の柄に掛けていた右手に力を込めて握り締めた。
合図も声も必要無い。
小隊だけでない。
部隊全員が時を同じくして各々の武器を握った。




