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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
332/916

        玖


内界の水泡達──情報群は概ね時系列に沿って並び、曖昧な物になる程に適当に漂っている訳だが、其処に“道”が存在する。

それは対象者の歩んで来た人生の主軸となる足跡。

故に道を外れない限りは、迷う事は無い。

外れても余程厄介な場合を除いては、道を見失う事は無いと言ってもいい。


そんな訳で左慈の内界にて道を辿っていたのだが──“ある地点”を境として、周囲の様子が一変した。



(──っ!?)



慌てて動きを止める。

周囲を警戒しながら下手に動かない様に気を配って、辺りを観察する。



(…何だ、これは…)



様子が一変したと言っても特に劇的な変化が有った訳ではない。

視覚的には変化は無い。

他の感覚でも同様だ。

感じるのは気配──いや、雰囲気や空気感だ。

例えるなら空気の清濁か。

先程までは清んでいたのが急に濁った、という感じ。

別段、異常や違和感の無い極普通の内界だったのが、今は嘘の様に“重苦しさ”を感じさせる。



(…洗脳や催眠の類いかと思っていたんだが…)



予想と違う事に悩む。

左慈は“今の時代”の生を受けた者で洗脳されている状態か、力によって縛られ操られている状態ではないだろうかと考えていた。

“自我の有る傀儡”という感じでだ。

そう考える理由は左慈との会話等の印象が大きいが、“あの御方”の存在。

左慈と貂蝉達を見た上で、存在自体の感じに違和感を覚えた事も一因では有る。


呪縛という可能性も無い訳ではなかった。

呪縛だった場合には左慈の身体に痕跡が有る筈だが、そういった物は一切無いし奇妙な気配も無かったので可能性は限り無く低い。

そう判断していた。


外界に痕跡・影響を出さず精神や意識を操るとすれば洗脳か催眠となる。

何方らも特別な力は要らず遣り方次第で“誰にでも”出来る事だからだ。

本人の人格等に無理矢理に干渉をしなければ違和感も殆んど感じさせない。

余程しっかりと対象となる人物の事を知らない限りは疑問も抱かない。

寧ろ、“そのまま”を受け入れてしまうだろう。

そして、それらを施術した証拠を見付け出す事は中々難しい事でもある。


故に、洗脳・催眠は内界に潜る事が出来る者にとって“馴染み”が有ると言える事だったりもする。

尤も、その潜れる者自体は多い訳ではないが。


ただ、一つだけはっきりと言える事は、洗脳・催眠の可能性は殆んど消えたのと同じだという事だ。




だが、可能性は無いと言う訳でもない。

飽く迄も“通常”の洗脳や催眠の可能性が消えた。

それだけの話で“特殊”な場合の可能性は残る。



(特に氣を用いた場合だと有り得るよな…)



自分自身も氣を扱える様になってから一年ちょっと。

その理解度や使用・応用の具合は異常だとは思うが、未だに研鑽に励む身だ。

熟練者とは烏滸がましくて言えない。

まあ、華琳達からしたら、上級者ではあるだろうから全くの否定は出来無い。

其処は基準点の違いだ。


取り敢えず、今は現状での情報収支が最優先。

そう思考を切り替えると、辿ってきた“道”を僅かに戻ってみる。

外界で言えば数歩分。

しかし、慎重且つ警戒して実行する。

戻った瞬間に、“何か”が起きる可能性は否めないし急激に変化するのも内界の特徴であり、危険性。

潜るのは簡単じゃない。



(……特に何も無いな)



──が、何も起きない。

一息吐き、安堵する。

折角得た情報収集の機会を失いたくもなかったしな。



(しかしまあ…こんなにも明確に出るものかねぇ…)



静かに目の前の“空間”を見詰めながら考える。

つい先程までは感じていた重苦しい感じが消えた。

今は“通常”の状態。

つまり、目の前に見えない“境界線”が存在している事になる訳だ。



(と言うか、何なんだ?)



抑の疑問。

空気の変化は確かだ。

けれど、踏み込んだだけで此方に危害を与える事ではないのだろう。

それは先程の行って戻った行動で証明出来る。

“何もしなければ”だが。

まるで地雷みたいだ。

それが率直な感想。



(…これは迂闊に見るのは危険って事か…)



もし、あの空気が感知機の役割をしているとしたら、無闇矢鱈に水泡に触れてはならないだろう。

“絳鷹”を顕現させる事で自身の安全は確保出来る。

だが、外界に弾き出される可能性が高い。

そうなれば“あの御方”の情報は得られなくなる。

尤も、その為に一定領域に仕掛けられている可能性も十分に考えられるが。


しかし、俺にとって問題は其処ではない。

下手をすれば左慈の人格が崩壊する可能性が有る事。

最悪の場合は死ぬ。



(敵ではあるんだが…)



出来れば死なせたはくないという気持ちが強い。

それは単に同情や憐れみの感情からかもしれない。

けれど、少なくとも左慈が利用されている。

その可能性が高い。

先ず真実を確かめなければ断定は出来無い。

その為に左慈の命を危険に晒さなければならない。

その事に、どうしても考え悩んでしまう。




暫しの逡巡。

しかし、長く考えていても仕方が無い。

悩んだ末、決断する。



(左慈には悪いが、絶好の機会を見逃せない)



秤に掛ければ悩む理由などちっぽけな物。

俺にとっての最優先事項は華琳達であり、曹魏だ。

その為にならば、あらゆる存在を犠牲にする事も俺は厭わない。

その結果も、責任も。

全てを背負う。



(…ったく、平穏ってのは本当に厄介な物だな)



平穏である事を、悪いとは言わない。

ただ、時期や状況によって齎す影響は違ってくる。

特に今の様な時代の中では無意識下の“気の緩み”を引き起こしてしまう。

華琳達や文武官、兵や民は大丈夫だ。

無縁とまでは言わないが、戦場には影響しない。

俺が、指摘し正すから。

しかし、俺自身は違う。

現状、“頂点”に立つ身の俺に対して指摘出来る者が居ないからだ。

勿論、華琳なら可能だとは俺は思う。

だが、俺の性格が邪魔だ。

長年の習性として根深くに染み着いた“秘密癖”が、華琳の直感すら躱す。

…いや、今の華琳の域では俺の感じている“問題”が些細過ぎるのだろう。

“普通”なら気にしない程小さな事なのだから。



(…或いは、意外に神経質になってるって事か?)



そう考えて──苦笑。

無い無い、有り得無い。

“センチメンタル”なんて俺には似合わない。

と言うか、そんな風に俺は出来てはいないし。

以前、颯にも訊かれたが、俺は“常在戦場”を体現し地で行く質の人間だ。

“たられば”話も少ない。

非情な現実主義者。



(──だったんだけどな)



そう考えながら深々とした溜め息を吐く。

色々な物を背負ったからか“丸くなった”様だ。

決して悪い事ではないが、時期尚早だろう。

まだ最大の難所を前にした途中なのだから。

“鞘”に収まるのは早い。

今暫くは“刃”で有り続け鋭くなくては。

鈍になるのはその後だ。

…華琳達が成らせてくれるのかは判らないが。



(今は進む事が最優先だ)



思考と意識を切り替えると甘ったれた理想を追い出し現実を見詰める。

出来もしない理想よりも、確実に成さなければならぬ現実に集中する。

まだ、左慈に害が及ぶとも決まっていないのだから。


不安や悲哀は消し去る。

左慈の言う“あの御方”の情報を得る為に、目の前の“境界線”を越えて先へと踏み込んで行く。




不用意に水泡に触れる事は避けたい所では有るのだが如何せん見てみない事には何れが価値の有る物なのか判断が出来無かったりする状況なのが面倒だ。

文句を言った所で変わる訳でもないが。



(取り敢えず手近な物から見てみるしかないか…)



そう思いながら適当な水泡へと右手を伸ばし触れ──掛けて手を止める。

水泡に映った左慈の姿。

それを見たからだ。



(…どういう事だ?…)



目の前の水泡に映っている左慈の姿は時系列通り。

多分、時期的に見ると俺が“此方”に来る前。

但し、目の前の左慈の姿は官軍の一兵士の格好をして剣術の訓練をしている。

その場景は直ぐに消えて、“最初”の場面へと戻る。


水泡の表面に映った場景は謂わばダイジェスト。

一区切りとなった情報群の一部が現れているに過ぎず飽く迄も目印の様な物だ。

故に仕方が無い。


それはさて置き。

見た限り、その動き自体は決して悪くはなかった。

だが、あまりも違う。

違い過ぎている。

“境界線”を挟んだ反対に存在している左慈と。


先程までの──俺と戦った左慈は俺達にこそ及ばない力量だが、俺が関与しない存在の中では最上級。

あの呂布と戦っても勝てる力量だと言える。

氣抜きの真っ向だと負ける可能性が高いが。


対して、今見ていた左慈は素人に毛が生えた程度。

他よりも素質や可能性こそ感じさせるが、未熟としか言えない力量だ。


飽く迄も、俺の見解による予想だが“境界線”を挟み存在する二人の左慈。

その変化の間は僅か一ヶ月にも満たないと言える。

それは明らかに異常だ。

身体的には劇的と言う程の変化は見られなかったが、それでも身体の“出来”は違っていた。

勿論、それだけだったなら異常とは呼ばない。

一ヶ月で可能な肉体改造の範疇だからだ。

しかし、氣に関してだけは納得が出来無い。

確かに華琳達の例も有るがある程度の時間は掛かる。

一ヶ月足らずで今の左慈と遜色無いレベルに至るのは不可能に近い。



(…可能なのか?)



可能性、と呼べる方法なら無いとは言わない。

それはあまりにも冷酷で、外道な方法だろう。

正直に言って考えただけで虫酸が走る位に。

だが、それしか説明出来る方法が無いのも確か。


断定するには情報不足。

もっと深く──事の核心に近付かなければならない。

危険を冒す事になっても。




更に奥へ──そう思って、足を進め様とした時だ。


ふと、何かが引っ掛かる。

“何が?”と訊かれても、直ぐには答えられない。

それは単なる直感。

根拠など無いにも等しい。

しかし、経験則に基づいた本能的な能力でも有る。

故に無視は出来無い。


足を止め、水泡に触れない様に気を付けながら周囲を見回してみる。

すると、一つだけ違和感を感じる事が有った。



(…于吉が居ない?)



改めて見渡して確認するがやはり于吉の姿は何処にも映っていない。

全くと言っていい程に。

“境界線”より向こうでは殆んどと言ってもいい位に于吉と行動を共にしているにも関わらず、だ。


“境界線”よりも此方では二人に接点が無い。

別に、絶対に昔から一緒に居るとは思わない。

ただ、その割りには二人の関係──慣れ親しんだ様な感じが奇妙に映る。

勿論、仮説とした方法なら説明出来無い訳ではない。

寧ろ、納得出来る。



(…がしかし、そうなると何が切っ掛けだ?)



新たに抱いた疑問。

てっきり、于吉との接触で左慈は“豹変した”のだと考えていただけに予想外と言ってもいい。

いや、抑、于吉の方が先と思い込んだ俺が悪い。

それだけの事だ。



(一旦、落ち着こうか…)



ゆっくりと深呼吸し思考をリセットする。

下手に継続するよりも一度破棄した方が見えなかった事が見える様になる場合は珍しくないので。


先ず、情報を整理する。

左慈──多分于吉も──は“あの御方”と呼ぶ黒幕に仕えている様な立場。

その何者かは“災厄”とも深く関わっている可能性が高いという事。

左慈──于吉は不明──は何らかの方法によって突如豹変させられている事。

左慈の、ある時期以前での過去の記憶上には于吉との関係が窺えない事。

しかし、左慈と于吉の間に存在している信頼関係は、“刷り込み”等の方法では考え難い物だという事。


細々と上げれば切りが無い状況だけど、差し当たって必要な事はこれ位だろう。

付け加えるなら貂蝉達との関係辺りだろうか。



(依然として疑問の答えは見えない状態だが…

一つ、判った事が有るな)



それは此処から先の水泡の殆んどは俺にとって無意味な情報群だという事。

左慈の“道”を辿っても、求める情報は無い可能性が高いという事実だ。




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