漆
暫くは俯いて愚痴っていた左慈だが一息吐くと思考と気持ちを切り替えたらしく顔を上げた。
「…フンッ…一度教えると言ったんだ、教えてやる
あの変態爺共はな、俺達と真逆の存在…
つまり、お前達の味方だ」
「…あんまり近くには居て欲しくはない味方だな…」
「…気持ちは判るがな…」
敵に同情される様な存在が味方ってどうなのよ。
近くに居て欲しくない理由自体は複数有るが。
一つは俺は女性相手にしか恋愛感情が無い事。
其方らの趣味は無い。
他を当たってくれ。
二つ目に、あの二人に対し華琳達の反応が予想し辛く嫌な予感がするから。
特に容姿や衣装に関して。
遠目と間近では印象が結構違ったりするしな。
三つ目、俺や華琳達以外に女性陣から反対の声が多数上がりそうだから。
理由的には二つ目と同じ。
四つ、宅の男性陣に被害が出そうな気がするから。
主に“食われる”意味で。
五つ、老若男女を問わず、精神疾患──主にトラウマを民が持ちそうだから。
存在感が有り過ぎる。
──とまあ、そんな感じ。
まあ、単なる味方って存在でもないんだろうしな。
飽く迄も左慈達とは対立の関係に有る事は確か。
広義での味方、だろう。
「彼奴等は俺達とは異なる思想の下に行動している
だが、“天の御遣い”達を害さない訳じゃねぇ…
必要が有ると判断すれば、干渉してくる
基本的には傍観者だったり影で動く俺達の邪魔をする程度だけどな」
そう説明してくれる左慈に胸中で苦笑する。
俺が左慈の立場だったら、絶対に話しはしないな。
そんなに“御人好し”には育ってないから。
ただ、その情報は有難い。
貂蝉達との今後の接し方を大きく左右するからだ。
予想していた通りと言うか貂蝉達の行動の優先順位は“目的”の為に、だ。
つまり、“天の御遣い”が自分達の“目的”に於いて“役に立つ”なら不干渉、或いは守護・助力する。
しかし、その逆の場合には邪魔に成らない様にする為舞台から退場させる。
或いは何らかの形で干渉し“使える”様にする。
そういう事を遣るという訳なんだろうな。
“天の御遣い”的に見れば利用されているという事に変わりはない。
けれど、否定は出来無い。
俺だって曹魏の為なら他を幾らでも利用するからな。
それを“悪”とするなら、政治は須らく“悪”だ。
何を言っても“善”だとは言えないだろう。
必ず、思惑や計算が背景に有るのだから。
全てを背負う覚悟が有って本当に貫ける事。
彼等は“何”の為に背負い歩むのだろうか。
深く一息吐き、左慈が俺を静かに見据えてくる。
その眼差しで言いたい事は十分に理解出来た。
“もういいだろ?、なら、そろそろ始めようぜ?”と真っ直ぐな闘志が伝わる。
タイミングが悪かったか。
貂蝉達の事を訊いた事で、左慈は冷静になった。
まあ、それまでの失態には気付いていない様なので、触れないで置くが。
これ以上は聞き出せない。
そう判断して、一息吐いて戦闘の意志を示す。
左慈を見据える視線。
其処に込められている俺の闘志を感じて左慈が笑う。
純粋な子供が一番楽しみにしている事を目の前にして歓喜している。
そう表現するのが最適だと頭の隅で考える。
「…もう一つ、いいか?」
だからなのか、自分自身も意外な事に口が動いた。
言い切ってから“おいっ、一体何言ってんの俺?”と自問自答する。
既に言ってしまったから、取り消すのも変だしな。
さっきの流れと同じだが、別に必要な事ではない。
寧ろ、完全に私情だ。
故に左慈が拒否してくれる事が今は望ましい。
その左慈も折角の高揚感を邪魔されたからか少しだけ不機嫌になっている。
怪訝そうに眉根を顰めて、どうするか考えていた。
その様子を見て、胸中では一人納得してしまった。
「…何だよ、言ってみろ」
ぶっきらぼうでありながら“仕方無ぇなぁ…”という人の好さを感じる口調には思わず苦笑してしまいそうになってしまう。
もし仮に、今の左慈の事を第三者として観ていたなら“ツンデレな奴だな〜”と誰かと話し苦笑していても不思議ではないと思う。
彼の性格や言動からしてもこうなる気はしていたから驚く事は無いし、心構えもしっかりと出来ていたから此方の心中は覚られる事は無いだろうが。
「お前達──いや、お前は戦う事が好きな様だけど、“何”を求めて戦う?」
そう訊ねると左慈からしてみれば意外だったらしく、僅かに目を見開いた。
だが、質問の意図を察して真面目に考える──事無く不敵に笑った。
「考えるまでも無ぇな
んなもん、決まってんだろ
“強くなりたい”からだ
それ以外には無ぇよ」
「…そうか」
左慈の迷いの無い答えに、フッ…と笑みが溢れる。
戦闘狂ではあるが、決して精神破綻者ではない。
戦いを望む理由は単純。
ただ飽く無き向上心故に。
彼は紛れもない求道者だ。
互いに浮かべた笑みを消し静かに構える。
既に闘志は十分。
だが、一つだけ互いに悩む要素が有った。
“開戦の合図”である。
野戦や屋外等での一騎打ちならば何かしら代替となる要素が有るだろう。
だが、此処は宮殿の奥。
しかも、俺達の他に誰かが居る訳でもない。
因みに、俺は自分から先に仕掛ける事は少ない。
“狩り”なら別だが。
「──っ、哈あぁっ!」
先に動いたのは左慈。
我慢が出来る方でもないし当然かもしれない。
焦れて、苛立って、考えて──悩む事すら馬鹿らしいという結論に至った結果、“さっさと始めちまえ”と答えを出したのだろう。
別に悪い事ではない。
ただこれを仮に宅の連中が遣ったなら説教物だな。
精神的に駆け引きで負けた事には変わらないから。
ビビって手を出せない場合とは全然意味が違う。
焦って動いてしまう時点で自分の戦い方が出来無い。
そういう意味では、左慈の思い切った判断は悪いとは言わないけどな。
その攻撃が単調でなければ寧ろ評価出来た所だ。
真っ直ぐに突っ込んで来る左慈の姿を見据えながら、胸中では辛口の採点を下しながら僅かに逡巡。
カウンターを当てて一撃で沈める事は可能だ。
まだ左慈の中に俺に対する侮りが有るからだろう。
動きが温い。
本気では有るが、全力では来ていない。
だから、敢えて手加減した一撃を加えて俺とね力量を自覚させてから楽しむ。
それも悪くはない。
そう考えながら、迫り来る左慈が放った右の拳を左に動き、背後へ回り込む様に見せ掛けながら躱す。
その間、左慈の表情からは一切目を離さない。
視線を合わせる事はないが観察されているという事を左慈も理解するだろう。
左慈の表情が苦虫を噛んだ様に歪んだのがその証拠。
前に踏み込んでいた右足で床を蹴って、左慈から見て左へと飛び退いた。
空中で身を捻り俺の方へと向き直りながらの着地。
迎撃・防御・回避・離脱。
瞬間的に迫られる選択から左慈が選んだのは離脱。
その判断から窺い知る事が出来たのは警戒心。
恐らくだが、“望映鏡書”との戦い以外にも、洛陽に入ってからの傀儡達相手の戦闘も見られていたという可能性は高いな。
“遠見”の呪具程度ならば持っていそうだしな。
それ自体は別段不思議な事ではないんだけどね。
ちょっとだけ引っ掛かった事が有った。
体勢を整え、距離を置いて此方を見据える左慈。
その姿にも違和感を覚え、疑問は増してゆく。
(…どういうつもりだ?)
警戒して距離を取る事には可笑しな所はない。
戦場で“危機感”を失えば死以外の結末は無い。
一時、死線を潜り抜けても軈て必ず至る事になる。
それが原因となって。
だから、正しいと言えば、正しい事だと言える。
しかし、それは“普通”の場合での話だ。
今、俺と相対しているのは“世界”の行く末を懸けて戦っている存在。
“慎重になっている”でも説明としては納得する事が出来無いと言える。
また左慈の性格からしても面倒な小細工等をしてくる可能性は低く、真っ向勝負してくる筈だしな。
端的に言えばらしくない。
──いや、抑、それ以前に先程の初撃も可笑しい。
洛陽での戦闘では兎も角、“望映鏡書”との戦闘では多少なりとも手の内を晒す事になっていた。
他でもない“咒羅”と氣を使う所を観ていた。
なのに何故、俺を前にして全力ではないか。
それ自体が異常だろう。
決して、強がりや意地での行動とは思えない。
だとするなら、考えられる可能性は絞られる。
その中で最も濃厚な可能性となると──
「時間稼ぎのつもりか?」
「──っ!?」
ビクッ!、と身体を震わせ目を見開いた左慈。
反射的に、ゴクッ…と息を飲んだ音が室内に響く。
ツツー…と額から頬を伝い首筋へと流れ落ちる汗。
動揺を隠せないまま視線が左右に揺れている。
実に判り易い反応だ。
もしこれが“演技”ならば俺は素直に完敗だと認めて左慈を褒め称えよう。
“彼方の世界”に居れば、名優になれるだろう。
いや、“この世界”ででも可能かもしれないな。
舞台役者になれば良いし。
「…ナ、何ノ事ダ?」
完全な片言状態は見ていて自然と気分が冷めてくる。
一対一の状況だから、まだ増しかも──違うな。
他に誰も居ないからこそ、冷めていく空気は異常な程居心地が悪くなる。
多分、状況が状況でないのだとしたら、今直ぐにでも“馬鹿ーっ!”と泣き叫び逃げ出したくなる所だ。
…左慈、哀れな奴め。
「…な、何だよ?
何なんだよ…その眼は?」
思わず視線に感情が出たのかもしれない。
左慈が顔を引き吊らせて、ジリッ…と後退する。
寒さに苛まれるかの様に、小刻みに身を震わせながら視線は俺を見詰めたままで頭を左右に振る。
「そ、そんな眼で俺の事を見るんじゃねえーっ!!」
半泣き状態になりながらも左慈は向かって来ない。
彼の性格からは想像し難い行動だと言える。
とは言え、俺も左慈の事を完璧に理解しているという訳ではない。
趣味や嗜好とか判らないし女性の好みもしらない。
…男色ではなさそうだが。
(…意外な展開だな〜…)
此処で泣き叫びながらでも攻撃して来そうな感じだが実際には違っている。
寧ろ、左慈みたいなタイプだったら逆ギレして此方に突っ込んで来るだろうに。
本当に予想外だ。
(…“学習”したのか?)
一度情報を引き出す目的で挑発して上手く乗せた。
その時小馬鹿にされた事で免疫が出来たのだろうか。
…可能性としては無いとは言い切れないない。
しかし、納得出来無い。
その程度で学習した上に、自制が利くなら最初っから挑発には乗らない。
仮に乗ったとしても途中で気付いて、態々“本当”の情報は与えないだろう。
勿論、俺が真偽を見極める事が可能だとは考えているとは思えないし。
普通、敵の言葉を鵜呑みにする事なんて無い。
俺自身適当な事を言われる可能性が高いと思ってたし会話の中で真偽を選り分け情報収集するつもりだった位だからな。
だから、左慈の素直さには驚いたと同時に“興味”が湧いたのも確かだ。
(ん〜…そうなると…)
貂蝉達の存在か。
背後から攻撃してきた時も“天の御遣い”の特定法の説明後も左慈からは確かに強い闘志を感じた。
だが、今の左慈は開戦前の闘志が“見せ掛け”だった様に薄れている。
苛立ちは感じる。
だが、“仕方無い”という妥協と自制心も有る。
あの質問で彼等を意識し、自分達が成すべき事へ対し優先順位が移動した。
そう考えるべきだろうな。
我ながら何という初歩的なミスだろうか。
もう少し、質問の影響力を考えるべきだったな。
(軽率だったと言わざるを得ないだろうな…)
華琳達に知られたら散々に言われるだろうな。
本当、言い訳なんて出来る事じゃないし。
知られなくて良かったよ。
(さて、そうなってくると遣るべき事は一つか…)
左慈に気付かれない様に、小さく息を吐く。
思考と意識を切り替える。
左慈、悪いな。
どうやら“お遊び”は此処までの様だ。




