弐
取り敢えず、話が進まない事が問題なので要望通りに普通に話す事にする。
「こほんっ…それじゃあ、単刀直入に言うわ
“生け贄”にされた董卓を私達は助けたいの
だがら、力を貸して!」
そう言って頭を下げる。
多分、隣に居る霞も同様に態度で示している。
私達の持つ意志を、決意を伝える方法としては一番の行動だと思う。
「それは無理よ」
「──っ!?」
ガバッ!、と顔を跳ね上げたくなる衝動を抑えながら両手を握り締める。
感情的になっては駄目。
そう、自分に言い聞かせる様に胸中で繰り返す。
「なあ…その理由訊いても構わへんか?」
そう静かに訊ねる霞。
霞は頭を上げているのかもしれないけど、私は上げる事が出来無い。
顔を上げても、月を助ける為の協力を得る術が何にも浮かんでいないから。
無力な自分が悔しい。
「ええ、構わないわよ」
そう答える雪蓮様。
ふと、違和感を感じた。
気付き難い、微妙な感覚。
普段の──月の事になると周りが見えなくなるらしい自分としても可笑しい。
追い込まれた状態で些細な情報も逃すまいと集中しているだけかもしれないが。
ただ、それ以上に彼女だ。
確かに彼女は奔放な性格をしている印象だ。
しかし、軽いのは内輪で。
対外的にはしっかりと主の顔をすると思う。
そんな彼女の今の言葉には言い表せない違和感。
軽いのだけど、“性質”が違う感じがした。
「だって、その董卓はもう助け出されてるんだもん」
『……………………は?』
その言葉に顔を上げて霞と一緒に間の抜けた声を出し瞬きを繰り返す。
無意識に開いたままの口も何を言っていいのか判らず閉じる事も出来無い。
呆然と雪蓮様を見詰めると彼女は苦笑を浮かべた。
「順を追って話すわね
先ず、私達は事の真実──特に貴女達の置かれていた状況や立場なんかは、大凡理解しているつもりよ
その上で、貴女達を助けて保護──麾下に加える為に連合軍に参加したの」
「…言いたい事は判るわ
でも、それって…困難所の話じゃないでしょ?」
孫家の当主として見れば、優れた将師と兵を手にする絶好の機会だと言える。
しかし、そんな理由だけで連合軍に参加するなんて、自殺行為に等しい。
下手をすれば他の諸侯から攻撃されてしまう。
「まあ、そうなんだけどね
色々と有ったのよ」
そう言いながら、雪蓮様は小野寺へと顔を向けた。
「元々ね、祐哉が貴女達を助けたくて動いてたのよ
単身魏に接触して極秘裏に協力交渉を纏めたりね」
そう説明されて、彼を見る両目を見開いた。
苦笑しながら、左手で頭を掻いている姿を見て思う。
“…此奴が?”、と。
正直、武人としては大した力量とは思えない。
まあ、兵よりは上なのかもしれないけど。
かと言って軍師並みの知を持っているとも思えない。
先程見た、右腕を動かして痛がっている姿とかからは馬鹿っぽさしか感じない。
どうしても疑ってしまう。
信じ難かった。
ただ、一方で納得もする。
彼女の立場での単独行動は利害の比率が可笑しい。
しかし、協力者──しかも魏王・曹操が付いているとなれば話は違う。
私達の事を知っているかは定かではないが、公孫賛も少なからず協力者だろう。
尤も、流れに任せた結果で巻き込まれた可能性は否定出来無いけど。
「因みに、その時に祐哉が交渉した相手って、呂布と一騎打ちをしてた高順よ」
「…よう生きとったな…
もうちっと自分の事大切にせなあかんで?」
「あははは…」
雪蓮様の一言に再度両目を見開いて見詰めた。
霞の言う通りだ。
当の本人は苦笑しているが一歩間違えば死んでいる。
あの者──高順は並みの者ではない。
武人としては勿論だけど、人としても優れている。
そう、一騎打ちを見ていて感じられた。
そんな経験は初めてだが、少なくとも自分の感覚故に信じる事が出来た。
けれど、同時に魏に対する“敵”には容赦はしないと直感的に理解もした。
清廉にして苛烈。
そう言える人物だと思う。
「…まあ、ええわ
そんなら董卓は孫家の方で保護されとるんやな?」
──っ!、そうだっ!
何か予想も出来無い展開に思考が可笑しくなっていたけど、肝心な事がまだだ。
「そうよ!、あの娘はっ?!
あの娘は元気なのっ?!」
反射的に雪蓮様に詰め寄り掴み掛かる勢いで訊く。
寸前の所で霞に肩を掴まれ実際には掴み掛からないで済んだんだけど。
「ちょっ、ちょっとっ!?
落ち着きなさい、詠っ!
ちゃんと話すからっ!」
「そうやで、詠!
無事なんは判ったんやから取り敢えず、落ち着きぃ」
そう二人に諫められながら溢れ出した感情を抑える。
確かに霞の言う通り。
月が救い出されている以上慌てる事はない。
大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせる事にする。
私が落ち着くのを待って、雪蓮様が口を開く。
「先ず最初に訂正するけど董卓は宅には居ないわ
でも、元気なのは確かよ」
「…?、どういう事や?」
私も霞と同じ様に雪蓮様の言葉に小首を傾げる。
しかし、ふと思い出す。
彼女は最初に私達に対して何と言っただろうか。
“だって、その董卓はもう助け出されてるんだもん”──“助け出されてる”。
つまりは、彼女達が助けた訳ではない、という事。
勿論、言い方から考えても臣下の者が助け出しているという訳でもないだろう。
となると、月を助け出した相手というのは──
「──まさか…曹操が?」
そう呟くと“正解よ♪”と言う様に雪蓮様が笑う。
確かに孫家よりも魏に居る方が月は安全だと思う。
そうだとすれば、小野寺は最初から月の事を考えて、交渉をしていてくれた事になってくる。
素直に感謝したい。
ただ、何か釈然としない。
何かが引っ掛かっている。
「…曹操が協力してくれた事は判ったけど…
曹操の利は何?
協力の代償として貴女達は何を支払った訳?」
「まあ、当然の疑問よね」
そう言いながら、雪蓮様は顔を小野寺へ向け、頷く。
彼も頷き返すと私達の事を真剣な表情で見詰める。
「はっきり言うと…
此方の代償って物は無いに等しいかな」
「……有り得ないでしょ」
「そう思うよなぁ…」
自分で言いながらも普通は有り得ない事だと彼自身も理解しているらしい。
その様子から考えると実に意外な交渉だったのかも。
…いえ、あの曹操の臣下が相手なのだから何も無い訳ではないでしょう。
事実、“無いに等しい”と言ったのだから。
とすると、現状一番有力な代償となると──
「…“貸し”、かしら?」
「はっきりと明言をされた訳じゃあないけどな」
「…それはそれで質が悪い代償だと言えるでしょ…」
つい、大きな溜め息が漏れ“やはり早まったわね”と若干の後悔を覚える。
そんな私の反応に皆揃って苦笑を浮かべている。
「元々、俺の独断みたいな交渉だったからなぁ…
実際、交渉中にも高順から色々と指摘も受けたよ
どれだけ自分が感情だけで動いてたか思い知らされて怖くなったしさ
いや本当に良く無事に帰る事が出来たよ、ははは…」
「…笑い事じゃないわよ」
見ず知らずの私達の為に、どうしてそこまで出来るか問い質したい。
でも、それは出来無い。
訊いてしまえば返る答えに感情を抑えられなくなる。
そう感じていたから。
気持ちを誤魔化すかの様に一つ息を吐き、別の事へと思考を向ける。
「それで、どういう内容の交渉をした訳?」
そう私が訊ねると小野寺は雪蓮様を見た。
小さく頭を動かして返すと彼は理解した様で再び私へ顔を戻した。
「交渉内容としては単純で董卓達を助けたい
だから力を貸してほしい
それだけだったんだ」
「…“それだけ”っちゅう事やないやろ…」
「今なら判るんだけな…
まあ、兎に角高順は此方の話を聞いてくれたんだ
それで協力する見返り──利を訊かれた訳だ」
当然でしょうね。
高順が曹家或いは魏国内で何れだけの権限や発言力を有しているのかは不明。
だけど、主君や自国に利が無ければ交渉自体を受ける事はしないでしょう。
「当然だけど、俺個人にも孫家にも曹操を納得させる事が出来る利は無い…
でも、董卓達なら別だ」
「…そう…そういう事ね」
そんな風に説明されたなら判らない訳がない。
そして、“私達”に払える対価と言えば一つ。
「つまり、人材、な訳ね」
「そういう事になるかな
勿論、どう遣るのかとかは互いに干渉しないけど」
──と、其処で疑問。
今、彼は確かに“互いに”と言った。
それを言葉通りに受け取り考えるとしたら、曹操側は私達全員を麾下へと加える気はないという事になる。
当然だけど孫家側が私達を欲しても優先権は彼方。
交わされた交渉は“対等”ではないのだから。
「曹操側はどうして全員を望まなかったの?」
そう訊くと小野寺は表情を強張らせた。
そのまま私達を見詰めて、悩む様に逡巡していた。
暫くして、一息吐くと意を決した様な顔をする。
「俺との交渉時、高順から対象として挙がったのは、董卓と呂布の二人だけだ
その理由として先ず全員を取れば色々と問題が出る
それは判るよな?」
「…ええ、曹操──魏でも無用な“火種”は懐の中に入れたくはない
そういう事でしょうね…」
私達からしてみれば別々になってしまう事を悲しいと思うけど、曹操の立場なら当然の判断。
実際には臣下の高順だけど理由は変わらない。
元々、“他国”である以上必要以上の干渉は良い事と呼べないだろうし。
私がその立場でも同じ様に考えたと思う。
だから、納得は出来た。
「で、次に戦力の偏り
呂布・張遼・華雄…
この三人の武勇は連合軍の諸侯にも知られている
特に呂布の実力は頭抜けて目立ってるからな
呂布一人か、他二人か…
まあ、呂布と対峙をしても曹魏以外に勝ち目は無いし異論は無かったよ」
「…悔しいけど事実やな」
その理由も納得出来る。
諸侯からの“やっかみ”を最小限にする為には最善の判断だろうし。
呂布を取った時点で諸侯は文句を言えないから。
「で、最後に董卓は取るが賈駆は取らない…
二人が一緒に居れば諸侯に色々と怪しまれる
董卓だけでなく、董卓軍の全員が無事に生きて戦闘を乗り切る…
その為には、こうするしかなかったんだ」
申し訳無さそうに説明した彼に対して頭を横に振る。
彼等は何も悪くない。
寧ろ、感謝しても足りない大恩だと言える。
言われてみれば当然の事と理由する事が出来た。
私は月に一番近い。
その私が一緒に居る事こそ何よりも月を危険に晒す。
何て皮肉な事なのだろう。
思わず笑ってしまいそうになってしまう。
「まあ、董卓が曹操の所に居るっちゅうんは判った
んで、何で元気やって断言出来たんや?
其処まで考えとるんなら、ウチ等は勿論、両陣営共に接触はせぇへんやろ?」
霞の言葉に“そう言えば”と雪蓮様の言葉を思い出し彼女へと顔を向けた。
すると、何処か楽しそうに笑みを浮かべた。
「簡単よ、自分の眼で直接彼女を見たんだから」
『………え?』
「曹操はね、董卓を曹家の古参の文官として連合軍の一番最初の軍議の場に堂々と連れて来たの
“同姓同名同字”って事で迷惑してるって言ってね」
…何て事をするのだろう。
大胆不敵にも程が有る。
でも、確かに有効。
月の容姿は連合軍の諸侯に殆んど知られてはいない。
私達が不用意に接触しない限り身の安全は確かだ。
「…とんでもないな」
「だけど、そのお陰で私も貴女達を堂々と迎え入れる事が出来た訳だしね
曹操には感謝してるわ」
そう言いながら話を纏めに入っている雪蓮様に最後の質問をする。
「残る華雄と陳宮は?」
「あ〜…陳宮は色々と問題有りって事で放置ね
華雄の方は少しズラして、接触する予定よ」
「あ〜…成る程なぁ…」
ねねの問題なら恋絡み。
確かに厄介な事だから迎え入れたくはないわよね。




