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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
312/916

        漆


一回転して振り抜く。

方天戟は大剣を突き出した事で無防備となった身体を捉える。



「──っ!?」



──筈だった。

しかし、男の身体は其処に存在はして居らず、視界の中にも存在しなかった。


──一体、何処へ?

そう疑問を抱くよりも早く全身の肌が粟立つ。

回転に逆らう事はせずに、その場に深く屈み込む。

膝を折り、腰を折り、深く小さく身体を畳む。

太股と胸が重なる。

頭は更に深く下に。

その頭上──いや、背中を掠める様にして風が鳴く。

ヒュンッ!、と矢が飛んだ時の様な鋭い音。

瞬時に働く思考。

脳裏に浮かぶのは正に矢。

けれど、一騎打ちの場面に矢を射る不粋な輩が此処に居るとは思えない。


ならば、それは何か。

僅かに動かした顔。

その瞬間、視界に映り込む蛇の様な細長い黒い影。


──と、それを認識したと同時に走る悪寒。

縮込まらせた身体を強引に弾かせる様にして伸ばし、地を蹴って飛び退く。


ドガンッ!、と僅かに遅れ響き渡った轟音。

同時に飛び散る礫土。

着地して音のした方向──つまり先程まで自分の居た場所へと顔を向けてみれば男の姿が在った。

その右足が大地を踏み抜き凹ませ、罅割れさせている光景が映った。

もし、あのまま気付かずに留まっていたら自分の頭を踏み潰されていた。

その光景が頭を過る。


しかし、不思議だ。

確かに感じる恐怖。

それなのに求めている。

より激しく、深い恐怖を。


──ああ、そうか。


不意に、場違いな気持ちが自分の中に広がる。

漸く得た答えへの安堵。

何故、自分が戦いを求め、血を求め、死を求めるのか今唐突に理解出来た。


“死”を感じる為ではなく“生”を感じたくて。


死を感じるからこそ自分が生きていると実感出来る。

だからこそ戦う事を望み、今も戦場に立っている。


私の中の“獣”の正体。

それは歪んだ生への渇望と言ってもいい。

私の心の深淵で静かに蠢き燻っていた欲望。

そして、“獣”は目覚め、口角を上げて嗤う。


──さあ、始めよう。

此処からが本当の開始。


──“生と(いのち)”の“争奪(たたかい)”を。

それが戦いの本質だから。


──血を啜り、充たせ。

渇いた身体に命を満たす。


──魂魄を灼き焦がせ。

滾る熱を解き放とう。


目の前に在る生命を喰らい己が渇きを潤す。

その本能のままに方天戟を握り締め、地を蹴った。



──side out



呂布の攻撃を躱し、大剣を突きに放つ。

文字通り、手を離して。


同時に自分は左──呂布の右側へと回り込む。

気配を断ち、呂布の回転に合わせる事で死角に入り、右手から大剣へと繋がった鋼縄を撓らせる。

その直径が2cm程有るから切断よりは鞭撃に近い。

まあ、氣を纏わせれば楽に岩でも鉄板でも切断出来る事は間違い無いが。

とは言え、狙う箇所により致命傷になるのも確か。

普通は殺さない様に避けて戦う所なんだろう。

自陣に引き込む訳だから。

だが、敢えて殺すつもりで攻撃を放った。


理由は二つ。

一つは対外的に見て本気の戦いだと思わせる為。

孫策陣営は抜いてだが。

もう一つは呂布の為。

その裡に飼っている存在を引き摺り出す。

その為には生半可な恐怖や危機感では足りない。

そう判断しての事だ。


呂布は殺気ではなく本能で危機を察知し鋼縄を躱す。

その反応は見事。

だが、それで終わる程度の甘い真似はしない。

無防備になったままの頭に右足を上げ──下ろす。


鋼縄の攻撃から二秒と間が開いていないが躱した。

まあ、これ位は当然か。

呂布が着地する前に鋼縄を手繰り寄せて大剣を回収。

しかし、僅かにだが呂布の視線が動いていた。

鋼縄に気付いたかもな。

別にバレても構わないが。


──と、視線の先で呂布の雰囲気が変わった。



(漸く“出た”か…)



正に“獰猛”と称するのがピッタリな荒々しい殺気。

それは彼女の心の闇。

心の深淵に潜む獣。


呂布に限った事ではないが幼少期等に深い心理的傷を負った場合、何処かしらに“歪み”が生じる。

勿論、全員が全員ではなく程度に差は有るし、早期に克服したり、時間が経って風化・劣化して忘却されて表面化しない事も有る。

人各々に異なって当然。

同じ傷ではないのだから。


呂布の場合は歪みが生んだ異常な“生への渇望”だ。

それ自体は悪い事ではなく寧ろ、有る方が良いと俺は個人的に思う。

しかし、呂布の場合充たす為の手段が異常だ。

それは己の“死”を感じ、感じさせた相手を斃す事で充たされる。


昔は自身の事を危険に晒す存在は少なくなかった。

だが、武術を学び、兵法を身に付け、成長すると共に自身を脅かす存在は皆無になっていった。

だから、裡に溜まる。

充たされぬ渇望が。

それは軈て狂気となって、呂布自身にすら御せぬ程の“怪物”へと変貌した。


それが今、解き放れた。

此処からが本当の戦い。

彼女を解放する為の。




方天戟を構え、疾駆。

常人──否、華琳達以外の者の目には姿が消えた様に見えている事だろう。

爆発的な初速と加速。

先程まで数秒を要していた距離を粗一瞬で詰める。


ギィンッ!、と甲高く音を響かせ合う方天戟と大剣。

入れ替わる様に武器を振り抜いた両者の背後──間で火花が枚散る。

端から見れば擦れ違う様に激突したと見えただろう。

だが、実際は違う。

呂布の方天戟は止まらずに全力で振り抜かれた。

大剣を当て往なすつもりで受けたにも関わらず呂布に力付くで押し切られた。



(──っ、これ程か…)



身に届く事こそ無かったが予想を上回る爆発力。

右手だけで受けた事も有り僅かとは言え、衝撃を受け痺れている。

それだけではない。

受け流しきれなかった事で身体にも軽い硬直が生じ、全ての反応が遅れる。


油断、と言わざるを得ない結果だろうな。

両手で柄を握っていたなら万が一も無かった。


気配は知覚している。

背後を振り返れば目の前に方天戟を構えた呂布が居る事だろう。

だが、僅かに遅い。

確実に一撃を貰う。

別に致命傷にはならないし鎧を破壊されるだけの事。

戦場として考えれば痛くも痒くもない事だ。

しかし、僅かとは言っても正体がバレる可能性は摘み取っておくべきだ。


故に、取る行動は回避。

けれど、地を蹴って前へと飛ぶには遅い。

それよりも早く、方天戟が背後から襲う。

なら、真逆の回避をする。

全身の力を抜き鎧の重量と慣性に任せて、前のめりに倒れ込む。

その次の瞬間。

左から右に横薙に方天戟が振り抜かれ、背中を掠めて通り過ぎて行く。


間一髪で躱す事は出来たが何もせず倒れてしまえば、相手の隙を見逃すだけ。

大剣の鋒を地面へ突き刺し右手で強く握り締める。

同時に右足で地を蹴って、身体を前転をする様にして跳ね上げ、左足の踵を顎に目掛けて振り上げる。



(──っ!)



──ガンっ!、と左足へと打ち付けられる衝撃。

空中に踊る身体。

逆さまの視界に映ったのは振り抜いた方天戟の勢いに身体を任せて無理矢理方向転換しながら振り抜かれた左足だった。



(あのタイミングから…)



仕留められるとは思ってはいなかったが、顎を掠るか強引に動きを止めて回避を強要出来ると踏んでいた。

それだけに迎撃された事は驚きだった。




前転していた身体は横から力を加えられ反時計回りに回転しようとする。

無理に逆らうのは悪手。

かと言って、このままでは着地体勢が悪くなる。

一瞬だけ右腕を強く伸ばし大剣の柄から手を離す。

前転していた身体の動きを強制的に捻曲げ、横回転に切り替えながら大剣の傍に着地する。

大剣を挟んだ先には回転し体勢を立て直し、方天戟を再度振り抜こうとしている呂布の姿が有った。

減速した此方に対し彼方は大して失速していない。

後手に回った状況。

普通なら厳しい場面。


それなのに口角は上がる。

兜で見えはしないだろうが状況は好都合だった。



(──もっと来いっ!)



左手で大剣の柄を掴むと、右腕を大剣の左へ差し込み重心を左へ傾ける。

振り抜かれる方天戟の描く軌跡に下から添わせる様に右腕に乗せる様な格好で、大剣を地面から引き抜く。

同時に腰を落としながら、左足を捻り、踏み込む。

大剣の刃と方天戟が触れた瞬間に頭を低くしながらも膝を伸ばし、腰を上げる。


一本背負い。

柔道を知っている者ならば投げられた者が描く軌跡が如何様な物が判るだろう。

大剣と重なり合う方天戟は進む方向の力を横から上に強制的に書き換えられる。


これが単に弾き上げられただけだったなら呂布は特に困る事は無いだろう。

そのまま降り下ろす。

或いは飛び退けば良い。


往なすか逸らした場合は、先程の様に回転に逆らわず再び攻撃に繋げられる。


だが、これは違う。

通常、一本背負いの軌道は半円を描く。

それは両手で掴んだまま、投げているからだ。

勿論、相手を痛め付けない様に受け身を取らせる為に離さない。

仮に、途中──背負いきり投げた時点で手を離せば、不安定な体勢で飛ばされて相手は顔面か脳天から下に叩き付けられるだろう。

余程受け身が上手ければ、回避は可能だが。


大剣と方天戟。

この二つが重なり合う型で“投げ”が完全した。

しかし、元は別々。

つまり、投げた時点で元の状態へと戻るのは必然。


では、その時、両者の力はどうなっているのか。

方天戟の力は大剣が往なし上に弾かれる。

そして、大剣は方天戟から奪った力を加算する。


その結果、両者の離れ際、大剣は方天戟を撃ち上げて呂布を無防備にした。



「──っ!?」



驚き、目を見開く呂布。

しかし、完全に伸び切った両腕と身体は硬直する。

方天戟を手離していたなら違ったかもしれない。

しかし、それは結果論。

現実は変えられない。




万歳した状態のまま固まる呂布の姿を視界の端に捉えながら右足を前に付く。

前のめりになる身体を無理矢理に立て直し、左腕から一瞬力を抜いて右手で柄を握って大剣の鋒が地面へと触れるよりも早く一閃。

左から右へと振り抜く。


だが、手応えは無い。

一瞬だけ早く、呂布の方が硬直が解けて飛び退いた。

反撃も防御も出来無い。

故に迷わずの回避。


だが、それは当然だった。



「今のお前では届かない」


「……っ…」



約10m程の距離を取り、向かい合っている呂布へと話し掛けると言葉の真意を理解して表情を強張らせ、小さく息を飲んだ。


呂布が回避出来たのは態と俺が時間を与えたから。

殆んどの者の目から見ても態と回避する間を作られたなんて思えないだろう。

しかし、一本背負いの際、膝を伸ばさず、腰を上げず同じ様に呂布を無防備にし回避出来無い間に攻撃する事は可能だった。

左足を捻りながら弾き上げ回転を止めず、右足を前に踏み込みながら縦から横に大剣の軌道を変化。

一閃すれば難無く斃す事が出来た訳だ。


その事に呂布は気付いた。

もし、俺がそうしていたら“死んでいた”のは自分と理解した。

其処に生まれる恐怖。

それは生物の根幹。

だが、呂布の中の“怪物”──いや、“獣”か。

それを目覚めさせた物とは少しだけ意味が違う。

対等、ではない。

明らかな格の違い。

それを前にした恐怖だ。



「“獣”のままでは俺には絶対に届きはしない」



けれど、それで終わっては全てが水の泡。

故に道を示してやる。


既に呂布の戦う理由は己が為だけなのだから。

尤も、此処で敗けを認める程度なら、こんな歪み方はしていなかっただろう。

だから、彼女が止めないと確信はしている。

誰よりも“自分”を求め、目指しているのだから。



「……ふぅ〜……」



方天戟を僅かに下げる。

両肩──否、全身の緊張を一息で解き、入れ直した。



「……ん…」



瞬間、気配が変わった。

“天衣無縫”──その様に思わず形容したくなる。

たった一言。

その一言で成長した。

まだ完全にではないが己の裡に眠っている“可能性”へと手を掛けた。


これだから、面白い。

まだまだ蕾ですらなかった“才花”が育つ。

この時が堪らなく愛しくて仕方が無い。




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