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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
198/915

        捌


色々と関係の無い事ばかり考えていたからか、或いは子和様の影響力か。

気付けば抱いていた不安が薄らいでいる。

全く消えた訳ではないが、心を縛る程ではない。


そんな中、子和様が蓮華を──私と何故か華琳様まで一緒に呼んだ。

私と蓮華は判るんだけど…どうしてだろうか。

その疑問の答えは子和様の言葉で察した。

多分、華琳様も同じ。

“継承”が有るのだと。


そして、武具の説明。

矛槍だけ実演が無かったがどうしてなのか。

…水浸しになるからかな。


子和様は三つの武器を地に突き立て、下がった。

これからが本番。

嫌でも緊張が高まる。



「その手に掴んで見せろ」



その一言に導かれる様に、背中を押される様に前へと私は踏み出した。

矛槍までは僅かに5歩。

しかし、とても長い。


一歩、踏み出すと胸の中で不安が騒ぎ出す。


一歩、前に進むと頭の中で悪い事ばかりが過る。


一歩、立ち止まりたくなる程に息が詰まり四肢が重く感じてしまう。


一歩、それでも負けないと気持ちを奮い立たせる。


一歩、矛槍の前に立つ。

右手を伸ばせば簡単に届く距離に柄は在る。

それなのに──遠い。

そう感じるのは心の距離。

私自身、母さんに追い付く事が出来たのかどうか。

明確な形の結果が無い故に生じる劣等感。

槍術・体術・馬術、それに氣も含めて母さんより上に居るという自信は有る。

それでも、追い付いたとは思えないのは違うから。

まだ母さんの“強さ”には私は追い付いていない。



(──ぁ…)



不意に子和様の言葉が頭に思い浮かんだ。

その瞬間には心は決まる。

迷いなど微塵も無い。

不安は有って当然。



(私の意志は唯一つ──)



──刃に心に忍ばせて。

それは子和様の持論。

刃を手にする者にとっての心構えの一つ。

今、私は心を示す。

託すべき刃に対して。


真っ直ぐに右手を伸ばし、その柄をしっかりと握る。


──昔、私が幼く母さんが生きていた頃に一度だけ、触れた記憶が有る。

その時の感触は忘れた。

多分、特別ではなかった。


でも、今は違う。

はっきりと伝わる拍動。

それが自分の鼓動と静かに重なってゆく。

膂力は必要無い。

心で掴み、抜き、振るう。

そうすれば良い。

そう感じ取りながら動かす右手に導かれる様に矛槍はあっさりと抜けた。



「──っ!?」



──瞬間、世界が歪む。

閃光なのか、暗闇なのか、ただ視界を染め上げた。





「やれやれ…」



そう呟きながら愛馬の背を下りて川辺りの岩の上へと腰を下ろす。

ゆったりとした服装も有り先程までは判らなかったがぽっこりとした御腹。

見た目にも妊娠していると人目で判る。

つまりは女性な訳だ。

ただまあ、太り気味だとか少し食べ過ぎたとか本人に言われたら“そうか…”と納得してしまう程度。

とは言っても妊婦な事には変わりない。

その妊婦が馬に乗っている時点で普通ならば誰かしら止めている所だ。

適度な運動は良いとしても乗馬はどうなのか。

というか、この場に女性が一人きりなのは大問題ではないのだろうか。

それらを指摘する者さえも此処には居ない。


その当事者はと言えば靴や靴下を脱ぎ去り、小川へとバシャバシャッ…と入り、両足に感じる水の冷たさに気持ち良さそうに笑う。



「ほら、貴女も早く此方に来なさい青燕(せいえん)



そう呼ばれた愛馬は主たる女性に抗議する様に鳴くが笑顔で手招きされ続け──溜め息を吐いて諦めた。

女性の身を気遣う様に側に歩み寄りながら耳は周囲の音を拾える様に動く。

その様子を見るだけでも、両者が只の主人と馬の関係ではない事が判る。

まるで姉妹の様な雰囲気。

…何方らが“姉”なのかは言わずもがな。



「ほらほら〜♪

気持ち良いでしょ〜♪」



そう言いながら両手で水を掬い上げると青燕の身体にパシャパシャッ!と掛けてあっと言う間に濡らす。

遣られ慣れているのか…

青燕は微動だにしない。

目蓋だけを閉じ、されるがままになっている。


一頻り幼い子供の様に遊びはしゃいでいた女性は岩に腰掛けて一休み。

青燕も小川から出て座り、身体を草の上で乾かす。



「…ねぇ、青燕

母親になるって思っていた以上に大変なのね…」



空を見上げながら呟く。

その声には不安が滲む。



「でもね、愛する人の子を産めるのって女だけの特権だって思うのよ

だからね、この子が元気で産まれてくれたら、私達はそれだけで十分なの」



そう言う女性は屈託の無い笑顔を見せる。

その言葉に嘘偽りは無い。



「──あ、でも、そうね…

出来れば早く私の孫の顔を見せて欲しいわね♪」



子供の様に無邪気な笑顔で気の早い願いを口にする。


──ひらり、と風に舞って水面へと波紋を生む一片の木の葉を見て女性は笑む。








 








 恋と愛で育むのよ、翠






──side out



 孫権side──


漸く、この時が来た。


一歩、また一歩と進む中で今までを振り返る。

長かった様で、短い。

濃密な日々を過ごした。

実質的には丸五ヶ月経っていないのだから驚き。

それだけ、振り返る必要も無い位に愚直に進んだ。



(…あの日からね)



全ては子和様と出逢った、あの夏の日から始まった。

思い返してみれば不思議な縁でしかない。


あの日に限り、私は何故か母様の事を思い出した。

子和様は一人きりで修練に来ていた。

私達だけではなく、他にも動きが有った。

それら全てが重なり合い、今へ続く始まりとなった。



(こうなる未来を一体誰が想像出来たかしら…)



悪い意味は無い。

全て、良い意味でだ。

私自身でさえも今の自分を想像し得なかった。

…いえ、想像はした。

ただ、それは孫仲謀としてではなく“孫文台の娘”の孫仲謀として、だ。


今の私は私が理想とした、追い求めた自分に近い。

大きく違う事が有るのなら“恋愛”関係だと思う。

当時の私には他人に感心や興味を抱く余裕は無くて、周囲とも壁を作っていたし恋愛なんて非現実的な話と言ってもいい状態だった。


人生、何がどうなるか。

本当に判らない物だわ。


翼槍の前に立った時、私は自然と笑みを浮かべた。

開き直っている訳ではなく本当に自然に、だ。


曾て、拒絶を味わった。

あの時の絶望感・失望感・喪失感・虚無感…

それらは今でも忘れられぬ体験と記憶だ。

しかし、どんなに辛くて、痛く、悲しく、苦しくてもそれらを消し去りたいとは不思議と思わない。


確かに、あの頃の私自身は様々な面に於いて稚拙。

汚点とさえ思っていた。

勿論、今でも未熟だったと思っている。

それでも、そんな私も含め“私”なんだと言える。

胸を張って──は言えない事では有るけれど、隠しも捨ても偽りもしない。

そんな私が有ったからこそ今の私は有るのだから。



(私が示す事は一つ──)



右手を翼槍の柄に伸ばし、心のままに掴む。



(私が“私”で在る事──私の存在が私の世界よ!)



──ドクンッ…と裡に響く拍動は私以外の物。

けれど、それは嫌な感じは全くしなくて、私の鼓動に融け合う様に響く。


その鼓動に導かれる様に、促される様に引く。

信じられない程に容易く、軽く抜き放たれる。



「──っ!?」



──瞬間、視界が暗転。

全てが白に染まった。





「ねぇ…私は貴女にとって良い母親だと思う?」



そう寝台に横になっている女性は、枕元の左側に居る眠る赤子を見ながら静かに訊ねる。

そんな不安そうな声に対し赤子は“気にもしない”と言わんばかりの熟睡。

まあ、赤子だから仕方無いのかもしれないが。


そんな無防備な寝顔を見てふっ…と女性は微笑む。

細めた眼差しは優しくて、とても深い愛情に満ちて、穏やかな物だった。



「…ふふっ…そうよね…」



“貴女には関係無いわね”なんて拈くれた事を考える様子は無い。

というか、そんな風にしか受け取れないなら親としてどうかと思う。


安心しているからの熟睡。

自我さえ芽生えていない、産まれたばかりの生命。

世界で最も無垢な存在。

そんな赤子が自分の傍らで泣きもせず眠っている。

それは本能的な信頼。

自分の事を“母親”として認めてくれている事の証に他ならない。

無言の回答。

それが堪らなく愛しい。



「将来の貴女はどんな女性になるのかしらね…」



そう話し掛けながら右手を伸ばして赤子の頬に触れ、人差し指で少しぷにぷにと押してみる。

余程熟睡しているのか全く起きる様子は無い。

嫌がる素振りも無い。



「お姉ちゃんとは大違いね

貴女は大物になるわ」



クスクス…と女性は笑う。

女性の脳裏に浮かんだのは赤子より四つ歳上の長女。

つまりは赤子の姉。

彼女が産まれた時には指を払い退ける力が無いから、頭を動かしたり、ぐずって嫌がったのが懐かしい。

今では“お転婆娘”の名に違い無い問題児だが。

“一体誰に似たのか…”と苦笑し溜め息を吐く。

それでも我が子。

愛しさに違いは無い。



「…どんな道を歩いても、それは貴女の自由よ」



そう囁きながら頭を撫で、赤子に語り掛ける。

その様子は第三者の視点で見ていると当たり前の事の様に思えるだろう。

しかし、本人の意志に全く関係無く生まれ持った業が少なからず存在する。

家柄や家業、権力や財力、地位や名誉…柵とさえ言う事が出来る。

この赤子もそんな業を持つ一人として生まれた。



「でも、一つだけ…

これだけは忘れないで…

私達は貴女を愛している」



それは親の無償の愛情。

飾らない真実の想い。



「いつか貴女も恋をして、愛を知る時が来たら──」



世界は白み、解ける。









 







 愛してあげてね、蓮華






──side out



 曹操side──


地面に突き立てられた細剣──曹家の家宝・倚天青紅へと向かって歩く。


雷華の考えが読めない。

まあ、私達に害を成す事は絶対に無いでしょうけど。


解らないから考える。

皆は知らない事とは言え、私も蓮華・翠と同じ。

受け継ぐに相応しいか否か自分では判らない。

だからこそ、雷華に判断を委ねていた。

今、こうして皆の目の前で行うという事は私達三人は雷華から見て十分合格点に達したと思って良い筈。

だとすれば、こうする事の意味は最後の問い。

能力・力量・知識…等々、そういった類いではなくて根幹的な“強さ”を示す。

多分、そう言う事。



(本当…厳しいわね…)



他の娘達みたいに単に渡す事だって出来た筈。

それでも、態々私達を皆の前で試す様な真似をして、その上で手にさせる。

私達自身に対する戒めで、皆に対する訓示。

大きな“力”を手にする者にとって、御す事は絶対に必要な責任だと。

その責任の無い者には手にする資格は無い。

そういう事だ。

尤も、私達でさえ失敗する可能性は有るし、なったら現段階では渡されない。

私は勿論、二人にとっても重圧であり、精神的に追い詰められる。

そうやって自覚させるのが雷華の常套手段。



(そうして身に付けた事は本当に身に成るのよね…)



それだけに文句も言えず、逆に感心してしまう。

今回の件もそうなる筈。

となれば、余計に失敗する訳にはいかなくなる。

常に完璧に、十全に。

そういう風に思いはしてもとらわれはしない。

向上心と意固地は違う。

どんな素晴らしい人間でも欠点・弱点・苦手・不得手などは有るもの。

有って当然。

それを履き違えてしまえば傲慢でしかない。

自分は完璧だと思う者とは真に“高み”を知らぬ者。

己こそが至高だと疑わず、驕りだと知らぬ愚か者。

己の未熟さを認められる者だけが高みを目指せる。

飽く無き欲求の果てに。



(さて、雷華の言葉の通りだとすれば示すのは心…)



細剣を目の前にして思う。

“強さ”には色々有る。

その理由にも。

それでも自分が示すのなら唯一つしかない。



(私が生は想いと共に!)



そう心に示し、右手で柄を握り締める。




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