拾
全てが白に融けて、意識も感覚も薄れた。
何れ位経ったのか。
それは僅か一瞬の事なのか或いは長かったのか。
定かでは無い。
ただ、意識と感覚が戻り、閉じていた目蓋をゆっくり開くと映った景色は何処か懐かしさを覚える。
「“彼処”と似た原理の術で創られてたからだな」
心を見透かす様に私に対し声を掛けてきたのは雷華。
成る程、と納得。
施行者の思念・想像を元に具現化するという特性なら大規模な仕掛けも出来る。
体感時間も似た様な物なのかもしれないわね。
ただ、普段なら直ぐに振り向いて切り返す所だけど…
今は少し気不味い。
「…まあ、言いたい事なら少なからず有るが…」
「──っ」
静かに近付いた気配に対し無言のまま緊張しているとぽんっ…と優しく頭に掌が置かれる。
「身に染みた分、理解した様だから今回は赦すが…」
「…ええ、判ってるわ
もう二度と、絶対に…」
そう言うと私の頭を左手で撫でる雷華。
“我ながら甘いな”という苦笑を浮かべている。
確かに身内に対しては甘い事は間違い無い。
しかし、逆にこういう事は身内に対しての方が遥かに厳しかったりする。
…まあ、そういう雷華故に皆も信じて鍛練も真面目に取り組むのだけれど。
「──さて、待たせたな」
そう言いながら手を退け、雷華は身体を向ける。
私も倣いながら、先程から感じていた気配の主の姿を視界に映した。
銀の長い髪、紺碧の双眸、白い肌の歳は二十代後半と思われる綺麗な女性。
奇妙な様子は無い。
着ている衣装は“和服”に近いのが気になるけれど。
「…仲が良いのは結構です
ですが、その…人目を少し気にして下さい」
などと言いながら頬を赤く染める彼女は恋愛未経験な雰囲気が滲み出ている。
主や王としての体裁以外で気にする程、イチャついた行動は無かったしね。
雷華も同じ考えらしく肩を竦めて見せる。
「…こほんっ…
異界の“力の担い手”よ、“命の宿り木”よ…
よくぞ、幾多の試練を越え辿り着きました
我々は貴方達を誇りとし、未来を託します」
「…随分と偉そうな物言いなのだけど…せめて私達の目を見て言って頂戴
台詞も台無しだわ」
「ぅっ…そ、それは──」
「言い訳する前に深呼吸
先ず貴女が落ち着きなさい
でないと大事な話も正面に出来無いでしょ?」
「…す、すみません」
何度か深呼吸して落ち着き漸く真面目に話が出来ると思える雰囲気になった。
「自己紹介の必要は無いと思うが…どうする?
“管輅”──いや、最後の“龍族”の民よ」
──と機を見計らった様に雷華は言い放つ。
それを聞いた彼女は驚き、直ぐに警戒する様に視線を鋭くした。
管輅と言えば予言を流したとされる占い師。
雷華曰く実在しない存在、或いは実在していた存在の名を使ったのだろうと。
管輅は施行者の造った幻、或いは自身の写し身。
確かに探っても素性が何も判らず、それらしい情報も確証を得なかった様だし、当然の見解よね。
気になるとしたら“龍族”という言葉、初耳ね。
「…貴男は何者ですか?
貴男の中からは私達と同じ気配を感じます」
「何者と訊かれても俺は俺としか言えないな
ただまあ、敢えて言うなら“黒龍”を喰らった者、と言って置こうか」
揶揄う様にはぐらかして、悪戯をした子供の様に笑うけれど色々と言いたい。
尤も、今言った“黒龍”は左腕絡みでしょうね。
ただ、彼女にとってそれは意外過ぎたみたい。
驚いたけど、案外早く我に返っているし。
「…俄には信じられない事ですが唯一の納得出来る話でもあります
だからこそ、もう一度だけ御訊きします
貴男は一体何者ですか?」
真っ直ぐに見詰めて問うが雷華は肩を竦め苦笑。
彼女には悪いけど、雷華に答える気は無いわね。
「俺の事よりお前と孟徳の“縁”に気付けよ」
「…それは私が彼女に逢い“願い石”を渡した時の事でしょうか?」
「それ以前だ」
私と彼女の接点。
それは“願い石”以外には存在しない筈。
彼女も同じ様に思い当たる節が無いらしく首を傾げて考えている。
「今から十九年前…
お前が“澱”を封じた際に共に闘った人間の男…
田子泰は孟徳の父親だ」
『──っ!!』
雷華の言葉に弾かれる様に私達は互いを見詰める。
御父様の最後を知る者。
初めて聞く単語も有ったが今はそれよりもその真偽を確かめたい。
雷華の言う事だから、先ず間違い無いでしょうけど。
「…そうでしたか
貴女があの方の…
縁とは不思議な物ですね」
そう呟く彼女の眼差しには優しさと申し訳なさが入り混じっている。
…多分だけど、父娘揃って相当厄介な事に関わったのでしょうね。
そして、此処に来て漸く、雷華が私達をこういう事に関わらせたくない気持ちも解ったわ。
──side out
俺の正体──というか存在自体は今は微妙と言える。
“何方らの存在”なのかと訊かれたら、俺は迷わずに“此方だ”と答える。
しかし、それは正しいかと訊かれると難しい。
だから、今は何も言えない状態だから誤魔化す。
というか、話を逸らす。
「…その事実を知っているという事は貴男が?」
「ああ、アレも含め残りは全て“還し”た」
「…そうですか」
全ての“澱”が消えた事を告げると彼女は俺に深々と頭を下げた。
「一族と皆を代表して私が言わせて頂きます
本当に有難う御座います」
その様子を見て、隣に居る華琳が“全く、貴男は”と言いたげな視線を向ける。
いつかは話すから。
ゆっくりと頭を上げ姿勢を正した彼女を見て訊ねる。
「幾つか訊くが…
先ず、“天の御遣い”達は“此方の世界”を基とした分離世界の住人…
それも別々の世界のだ
分離後、似て非なる歴史や文化を形成し、各々が独立世界へと至った…
故に互いに干渉は出来ず、存在の認識も出来無い
が、唯一“此方”からだけ干渉が可能だった
それは基点としての特権と言っても良いだろう
勿論、無闇矢鱈な干渉など赦しはしない
その為の龍族だ
そして、この“召喚”には様々な制約や条件が有り、“鍵”が存在する──否、存在したが正しいか…
恐らくは“三種一体”の物だろうな
そうでないと“招き手”と結び付く存在を選んで召喚出来無いからな
それを別々の分離世界へと送り込み、“候補者”達を召喚していた…
つまり以前にも“此方”に来た者達は居た筈だ
本来、その“鍵”は喚んだ者達が亡くなると直ぐか、期間を空けて再構成されて使用可能になる…
しかし、それは龍族が在り初めて可能な事で、龍族が滅びた今となっては不可能だと言える
俺なら出来そうでは有るが…多分無理だろうな
永い間、回数は限られても存在し続けた事も有って、“鍵”自体が劣化し再構成その物が限界…
よって、俺達が最後だ」
俺の言葉に何度も驚きつつ言い終えるまで待っていた彼女だが呆れた様な空気を纏っている気がするな。
…どうしてかねぇ。
「…もう貴男の事で追及は致しません
“そういう”存在だと思う事にします」
「賢明な判断ね」
そう言って頷く二人。
何解り合ってるのかな?、お前等は…いやいや、俺が此処で腹を立てたりしたら負けな気がするな。
此処は流しだ。
「で、どうなんだ?」
「…仰有った通りです
鍵──“三天の召器”とは“命の宿り木”たる者達が最も望む理想的な異性像を基準とし“別天津地”より選び出し召喚する神器…
そして選ばれた者達の事を“力の担い手”と言います
本来、召喚の儀式と同時に後継役の龍族の者が神器の再構成の為の術を施行する訳ですが、私以外に龍族が居なかった為に出来ず…
神器も限界でした
また、神器の消失は召喚が不可能になるだけではなく世界間の繋がりも消失する事を意味します
つまり召喚は二度と行えず世界間での繋がりは完全に消滅した事になります」
“二度と戻れない”と全く言わない辺り、最初っから“彼方”に行く方法なんて無いのだろう。
抑、向こうの世界へと導く要素が無いしな。
「試練に関してなんだが…
“力の担い手”の候補者を成長させつつ篩に掛けて、此処へと至らせる事が目的なんだろうな
勿論、対の存在──俺達、“異物”を世に存在させる為の“命の宿り木”達にも成長等は求めるが…
でだ、失敗した場合に何か罰みたいな物は有るのか?
氣を扱えない事や資質等を失う事は確認したが…」
「罰という物は有りません
しかし、貴男が言った様に本来は“世界”には異物と認識される存在を肯定し、定着させるには相応の力や要因が必要です
全ての試練は貴方達の様に“結魂”させる為です」
「結婚なら試練よりも前に私達はしたわよ?」
意外な単語を聞き反応する華琳だが…多分違うぞ。
「いえ、その結婚ではなく“魂を結ぶ”という事…
“魂結いの儀”と言う方が解り易いでしょうか?」
「要は俺達の魂を同調させ共存させる訳だな
そうする事で、俺の存在を世界が認識・許容する」
俺の言葉に彼女は頷く。
簡単に言えば、世界という国の永住権を結婚して籍を入れて得る様な物だな。
概念が無いと理解するのは難しいだろうな。
「でも、それだけではなく試練には恩恵も有る
例えば──伴侶・妻の氣の資質や総量増加とか」
「それって…」
「…私、必要ですか?
本気で泣きますよ?
私の最後の役目なのに…」
むぅ…読み過ぎるのも時に空気が読めないのか。
此処で彼女に臍を曲げて、拗ねられても困る。
まだ訊きたい事は有るし、確認しないといけない事も少なくない。
取り敢えず、御機嫌取りに専念するか。
…多少は慣れてるしな。
深淵から浮かび上がるのは自我と感覚。
それらが四肢を満たして、俺は現世へと在る。
左腕に感じる確かな重みと温もりへと顔を向ければ、安らかに眠っている華琳。
起こさない様に頭を動かし壁の時計を確認する。
午前0時、1分未満。
正確には27秒を過ぎた所だったりする。
「一瞬にも程が有るわ…」
呆れた様に声を出す華琳。
どうやら本の僅かに遅れて目が覚めたらしい。
少しだけ不機嫌そうに身を寄せ、くっついて来る。
華琳さん、柔らかいです。
「…結局、貴方一人だけが“適格者”な訳ね」
「まあ、良いんじゃないか
解り易いし、遣り易い
今後、事を運ぶにもな」
「それはそうだけど…
“天の御遣い”の名だけを利用されるのもね…」
そう言って不満気に漏らし少しだけ拗ねる。
面倒事を押し付けられて、苦労するのは俺達だけ。
他は蚊帳の外。
だから、良い所取りの様に感じるんだろうな。
「遣らせて置けばいい
それに対しての“結果”は必ず生じてくる
良くも悪くも必ずだ」
「…悪い方が嬉しいわね」
ちょっと捻くれてるな。
…あれか?、劉備に対する憤怒ですかね。
新年早々、それが最初ってどうなのよ。
もっと正面な事を考えたり期待しましょうね。
「なら、貴男が二人目以降娶る事に期待ね」
そう良いながらクスッ…と笑い声を溢す奥様。
…これ、仕返しに襲っても良い所だよね?
男なら遣る所だよね?
まあ、今はしないけど。
…それは後で、だ。
「…それなら大丈夫だ」
「……………………え?」
俺の言葉に驚き──先ず、額同士を当てて来るのってどういう事かな?
「………熱は無いわね」
「よし、取り敢えず先ずは華琳を愛そう、それはもう全力で、夜明けが来ようと知った事じゃないね」
「ちょっ!?、雷華っ!?
こらっ──んっ、ちょっ…ま、待っ、ぁんっ…まっ、わ、私が悪かっ、んんっ、あや、謝る…からっ!」
ぷちっ、とキタので華琳を問答無用に抱き締める。
え?、謝罪してる?
聞く耳持ちませんな。
「初志貫徹
今年最初の目標は耐久力の向上と行こうか」
「嘘でしょっ!?、と言うか耐久力って何の──っ!?」
慌て口を塞ぐ華琳。
だが、もう遅い。
口は禍の門。
その好奇心と探究心が故に果てを知るが良い。




