捌
「──大した物ね」
「──っ!?」
弾かれる様に顔を上げると肘から先を失った両腕で、腹部から上下に分断された胴体を支えながら佇む姿が目に映った。
確かに断ち切った手応えは有った。
しかし、現実に彼女はまだ存在している。
それは生物としては異常。
しかし、術等の特異要素が加われば有り得ない事ではなくなるのだろう。
分断した胴体は湯気の様な白煙を上げながら治癒──否、再生している。
両腕も同じ様に。
私は一息吐いて、動揺した心を落ち着かせる。
「成る程、そういう事…
私の読みは詰めが甘かったという訳ね」
「あら、もう気付いたの?
立ち直りも早いし…
私にも少しは台詞を回して欲しいわね」
私らしい様な台詞を言って彼女は肩を竦める。
これが他の相手──別の姿だったら苛々している所。
そうならないのは私自身が言っているから。
思考が理解出来るからこそ怒る気にもならない訳よ。
「貴女を倒すには単に攻撃しても無駄なだけ…
氣を使った上での致命傷を与えないといけない…
そう、妖等の人外の類いを倒すのと同じ様にね」
「正解」
復元した両手でパチパチと態とらしく拍手する彼女。
見え透いた挑発。
互いに乗る筈は無い事など承知の上だが…全く効果が無い訳でもない。
多少は、一瞬だとしても、ムッ…とする。
「そうねぇ…それじゃあ、これはどうかしら?」
揶揄う様な、得意気な顔でクスリ…と笑う。
「ねえ、“平行世界”って知っている?」
普通──というか時代的に考えても聞く事は先ず無い単語と言っても良い。
勿論、私は知っている。
雷華との出逢い。
“彼処”の存在に因って。
「…パラレルワールド等の事でしょう?
というか、貴女は私の──ちょっと待ちなさい
貴女、まさか…」
不意に至った可能性。
自らの思考に背筋を冷たい汗が流れ落ちる。
何故そんな事を訊くのか。
“私”なら知っていて当然の事なのに。
では、それを訊くという事にはどんな意味が有るか。
それは私が知らないという可能性の考慮。
“私”なら有り得ない。
つまり、それらの示す事は曹孟徳は曹孟徳で有っても“私”だとは限らない。
抑、鏡に映るのは姿のみ。
中身までが全く同じという事は絶対ではない。
可能性の域を出ない事。
思考の罠、思い込み。
私は目の前に居る同じ姿を見て勝手に思い込んだ。
彼女は“私”なのだと。
此方の失態を見抜いてか、或いは見事に術中に嵌めて得意になったのか。
彼女は北叟笑む。
「フフッ…流石は私ね──と言いたい所だけど…
もし、私が“別の世界”の貴女だとして…
魂だけの存在だとしたら…どう思うかしら?」
──“魂だけ”の存在。
平たく言えば入れる容器の無い宙ぶらりんな存在。
実体としては不完全。
先ず正常な自然環境下では存在しては居られない。
では、どうすれば存在して居られるのか。
その答えは簡単。
入れる容器が有れば良い。
只、それだけの話。
そして、狙われているのは“私”の身体──魄。
近い存在同士なら魂が多少誤差を伴っても他者の魂を入れる様な場合とは違い、問題も少ない筈。
飽く迄も私の推測だけど。
ただ、少し引っ掛かるのは“別の世界”という点。
もし、彼女の言う事が事実だとしたら、一体“誰”が彼女の魂を喚んだのか。
少なくとも雷華の予想には彼女の存在は無かった。
…雷華が言わなかっただけという可能性も有るけど。
彼女が“此方”に来てから魂だけになったのなら特に問題は無い。
ある意味では正しい筈。
しかし、既に魂だけの状態だった彼女が喚ばれたなら問題だと言える。
もしそれが可能なら数多の同異存在が“此方”に──いや、“世界”を渡り廻る事になる。
正直、有り得ない。
異常も異常過ぎる事だ。
「まあ、色々と考えるのも仕方無い事よね」
そう、静かに言う彼女。
その声に思考に沈み掛けた意識が彼女へと向かう。
目の前の現実へ引き戻され私は気付く。
“今は私を見ていなさい”と言わんばかりの彼女に。
…悔しいが、その通りだと私は彼女を見据える。
それを見て満足気に笑みを浮かべる彼女。
…本当に“別人”なのかと疑いたくなるわね。
「私が貴女に勝てば貴女の身体は私の物…
負けた貴女の魂は消え去り私が曹孟徳となる
この世界の、曹孟徳に…
そう──彼の妻にもね」
ピクッ…と、無意識に眉が動いてしまう。
実に安い挑発。
けれど、私自身に対しての侮蔑や嘲笑等よりも遥かに効果が有るだろう。
何しろ、私にとってそれは覇王に至る事よりも重要。
何よりも大切な事。
私が私で在る証。
私が私として歩む証。
私の根幹たる存在意義。
だから、沸き上がる衝動も感情も必然の物。
抑える理由など無い。
それは絶対に譲れないわ。
騒付く感情を感じながらも冷静さを保つ。
「…私と貴女の魂の違いに気付かないと思うの?
だとしら浅はかね
私が私でないと判れば迷う事無く殺すわよ?」
それが私達の覚悟。
互いの命を背負うが故に、伴侶としての責任。
何より自分の最愛の存在が殺され、乗っ取られている事を知れば放置しない。
間違っても心身を許すなど絶対に有り得ない。
「そうかしら?
曹孟徳の違いを理解しても“必要性”を放棄してまで我を通せるの?
“世界”には必要な存在をその手で消せる?」
ギリッ!、と奥歯が鳴る。
彼女の言っている事は多分試練の先に待つ“災厄”を示しているのだろう。
雷華が失敗するとは微塵も私は疑わない。
でも、私の方は絶対と断言する事は出来無い。
その差は大きい。
雷華の強さは私にとっても誇りでもあり、目標。
だから守られるだけなんて絶対に嫌だ。
隣に並び立つ。
それが伴侶──妻としての尊厳であり、意地。
故に、彼女の言った結末は赦せない事だ。
「…遣れる物ならね
“世界”の為?
そんな物、どうでもいいわ
私の世界は“私”だけの物
私が“私”として生きて、在り続けてこその世界よ」
「ええ、そうよ
己が消滅こそが終焉…
己が死が世界の終幕…
生きている者だけが世界を紡ぐ事を許される
生きている者だけが世界を変える事が出来る
生こそが有、死こそが無…
貴女は貴女の世界の為に
私は私の世界の為に──」
私が右手を大鎌の柄に添え右足前の半身に構えると、虚空から直剣を出現させて彼女も同様に構えた。
「“別の世界”だろうと、貴女が同じ“曹孟徳”なら理解しているわよね?」
「ええ、勿論よ
何方らが勝っても負けても全てを享受する…
お互いに恨みっこは無し」
先程は一切使わなかったが今度は最初から。
氣を練り、全身へ巡らせ、刃へと込める。
『さあ、魂が満ち逝くまで死合いましょうっ!!』
声と共に疾駆。
氣で強化された四肢の生む瞬発力・加速力は桁違い。
僅か一歩で、未使用の時の最高速度を抜く。
普通なら見失う──いや、気付く事も無く死ぬ。
しかし、当然、動体視力も強化されている訳で互いを見失う事は先ず難しい。
騙し、欺き、誘い、惑わし漸く“消えられる”領域。
高みの拮抗した戦いなんて滅多に経験出来無い。
故に全身全霊全力で戦い、最後は私が勝つ。
キギンッ!、ガキンッ!、ギャリンッ!、シャンッ!
端から観ている一般の者が此処に居たら、剣戟が響くだけしかしない部屋を見て異様に思う事だろう。
そういう領域の戦いを私は今繰り広げている。
…尤も、こんな事を考える余裕は無いと言える戦況。
しかし、今はこんな事でも考えながらでないと正面に攻撃を通せない。
「小賢しいわねっ!」
「お互い様でしょっ!」
文句を言う彼女だが実際は同じ事をしているのだから他人の事は言えない。
思考し、動く。
それは武に於いて己自身を完全に制御下に置く事。
無駄を削いで、洗練された動きは一つの極みと言って過言ではない。
しかし、雷華に言わせれば“極みなど何処にも無い、有るのはただ、果てし無き高みのみ”らしい。
…貪欲過ぎでしょ。
幾ら人間の本質が“欲望”だとしてもね。
それで一体私達が何をしているのかと言うと攻撃とは関係の無い思考をする事で動きを読ませない様にして戦っている。
制御と反射を織り混ぜての高次元での攻防。
(とは言っても今のままで続くと此方がじり貧ね…)
彼女の体力・氣の総量にはある意味限界が無い。
先程の再生の際感じていた消費が無くなった。
つまり、白紙に戻されたと考えられる。
そうすると私の勝利条件が如何に狭い道か判る。
確か、こんな内容の状態を“無理ゲー”とか言ってた気がするわ。
私と雷華、後は他二組しか解らないでしょうけど。
「──っ!?」
ガギィンッ!、と刃の腹で放たれた突きを受け流し、円の動きで斬り返す。
元より一撃離脱するつもりだったらしく力に逆らわず位置を入れ替えた。
「今のは惜しかったわね」
「そうかしら?」
強がって見せるが実際には際どかった。
あと本の少し反応するのが遅れていた受け流す事さえ出来ずに左の首筋を半分は切り裂かれていた。
戦っている間に判った。
私の方が制御の質は上。
しかし、彼女の方が反射や本能的な反応動作は上。
一概に何方らが有利不利と言えないが、私にとっては少々相性が悪い。
(単に力押しや一撃頼みの“野生型”なら楽だけど、理屈家の技巧派の野生型は厄介なのよね…)
それでも不可能ではない。
そして、私と彼女の違いも見えて来た。
勝ち切る為の手札は有る。
後は仕込みと切り時。
それさえ間違えなければ、必ず勝てる。
既に戦いが始まってから、一時間は経過している。
彼女の獲物は直剣を壊して曲刀を新たに手にし、また壊れたら手斧。
その後も弓矢・鞭・鉤爪・方天戟・蛇矛・鎖鎌・棍・“日本刀”・偃月刀・槍と変わって今は──細剣。
本当、舐めてるわ。
此方は大鎌を壊さない様に頑張ってるのに。
無い物強請りをしてみても意味は無いし、思考の隅へ追い遣っておく。
彼女は持久戦に持ち込めば勝利は確実。
それでも油断せず此方との間合いを崩さない。
だからと言って私が守勢に回れば攻めてくる。
彼女とて此方の自滅を誘う陰険な戦いより、己の手で決めたい筈。
其処に勝機が有る。
「──っ!?」
「──っ!」
戦いの中、態と自分で床に作った小さな凹み。
普通なら大した隙を生みはしないだろう。
しかし、超高速での戦闘で足場の悪さ、一瞬の崩れは命取りでしかない。
当然、彼女も見逃さない。
態と作った隙。
けれど、伴う危険性は今の領域の戦闘では変わらず、文字通りに命懸け。
彼女が床を蹴って接近。
その一瞬を狙う。
「──哈あっ!」
「──っ!?」
右足に貯めた氣を糧として生み出した氣炎が地を駆け彼女へと迫る。
空中なら防御方法は一つ。
氣での面の収束強化。
私の読み通り、彼女は防ぎ勢いを相殺され、僅かだが空中に浮く。
其処を逃さず追撃。
左足に貯めた氣で次は氣氷生み出し、床から生え出す氷の槍が彼女を襲う。
「ぅくっ…」
身を守る為に盾にしたのは氣で強化した細剣。
そして、それは砕け散り、彼女は丸腰になる。
新たな武器を手にするには僅かだが間が有る。
単純な武術・器術でならば間合いを取れば済む。
だが、氣を使う戦いならばその間は致命的だ。
「──詰みよっ!!」
大鎌を手離し、両手に有る異なる氣を融合させる。
掌で蒼と紅が混じり合い、紫が迸る。
──司天。
平時なら使用禁止の技。
まだ未熟な制御。
だが、今は関係無い。
全力で撃ち放つ。
「──っ!?」
──その瞬間。
紫電の先に、赤い三日月が浮かんでいた。
──全てを染める白。
それは司天の相殺の証。
「──そう、貴女のね」
私が手離した大鎌を拾った彼女が右手を振るった。
──ごめんなさい、雷華。
私は己の死を受け入れた。




