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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
160/915

         陸


場面転換される事は無く、そのまま一夜が明けた。


それは“今日”という日が特別だという事実。

一晩も時間が有れば十分に“最悪”を想像出来る。

今考えられる縁星にとって一番耐え難い事は一つ。

深蕾を失う事だろう。

彼女の様子から考えても、まだ縁星は子供の存在には気付いていないだろうし。

仲を引き裂かれる場合には良くも悪くも切り札として絶大な意味を持つがな。



(…ああ、ヤバイな…)



過去夢と判っていながら、無力な自分が腹立たしい。

何も出来ず、ただ傍観する事しか出来無い。

その事が忌々しい。

そう思う要因は一つ。

似ている状況だから。

否応無しに重ねてしまう。

かつて“世界”という理に引き裂かれた自分達に。

どうしようもない別離。

変える事も、抗う事さえも出来ぬ絶対の結末。

あの時の痛みをどうしても思い出してしまう。


華琳を泣かせてしまう事、悲しませる事。

それが何よりも痛い。



「──行って来ます」



誰も居ない部屋に向かって掛けられた声に我に返り、戸を閉めて出掛ける深蕾の後を慌てて追った。


彼女が向かったのは昨日も言っていた通り薬草を採取する為の場所。

雪が降り積もった森。

ザクッ…ザクッ…と、雪を踏む音が静寂に響く。

生命の気配、音色が消えた白い闇の様な世界。

次の息吹きへの眠りの季と判っていても不気味に感じ恐怖を抱かせる。



「この辺りだけど…」



一時間程歩いて着いたのは少し開けた斜面。

東西に遮蔽物が無い事から中々良い採取地だろう。

深蕾は手近な場所に屈み、雪を掻き分け始める。

手袋──と言うより料理で使うミトンの方が近い形の防寒具を着けた両手で雪を丁寧に退かしてゆく。



「……っ!、有った…」



雪の下から顔を出した緑。

枯れている様子は無いし、秋〜冬の物だろうか。

彼女の傍らに屈んで薬草を確認してみる。



「──っ!」



見覚えの有る薬草。

同時に、今彼女の直面する問題が何かも理解した。

村人の間に起きているのは食中毒の一種。

白皮(はくひ)病”と言う“此方”でだけ確認された固有の疫病。

先ず軽度の食中毒の症状に始まり、少しずつ体内へと拡がり蝕んで体力を奪う。

衰弱すると共に顔や肌──皮膚が色白になってゆく為名付けられた。

この疫病は人感染する事は無いが一人感染者が居れば百人は未発病感染者が居る可能性が高い。

そして何より厄介なのは、薬草での治療では一時的に改善した様に見えるだけだという事。

完治させる為には別の治療方法が必要となる。




二時間程だろうか。

深蕾は黙々と雪を掻き分け薬草を探し続けた。


それをただ見ている事しか出来無い自分が歯痒い。

採取を手伝えない事も。

正しい治療方法を示す事も何も出来無い。

ある意味で拷問と同じ。

どうやら、この“世界”は意地が悪いらしい。


そう思い空を見上げた。

視界の端、灰色の空の中を白い光が横切る。

縁星が此方に向かって来ているのだろう。


視線を深蕾へと戻した──その瞬間だった。


静寂の中に響く風切り音。

刹那、低く鈍い音が傍らで聞こえた。



「……ぇ…?……」



何が起きたのか判らない。

そんな儚い疑問の声さえもドザッ…と雪を鳴らす音に呑み込まれる。

そして、白を染める紅。

彼女の背中から“生えた”矢を見て事態に気付く。

遠目にだが人影が三つ。

それが犯人だろう。

直ぐに深蕾へと手を伸ばし治療しようとする──が、右手は矢を通り抜ける。



(くっ…そうだった…)



俺は何も出来無い。

あまりの無力さに無意味に右の拳を叩き付ける。

自らが痛みを感じる事も、拳の跡を付ける事も無いと判っているのに。



「………深蕾?」



白い龍の姿のままで縁星が空から降りて来る。

人化する事さえも忘れて、茫然とした様子で彼女へと鼻先を近付ける。



「おおっ、御見事ですっ!

一撃で“獲物”を仕留めておりますなっ!」



──“獲物”だと?

その台詞と癪に触る声色に思考が急速に冷めてゆく。

ゆっくりと振り向いた先に居たのは中年の男が三人。

此方に近付いていた。

その内二人は御機嫌を窺う腰巾着そのものだった。

道具は二人が持っているが残る馬に跨がった男が矢を射た様だ。



「やはり“人狩り”は良い“遊び”だな

だが、惜しい事をした…

これ程の美しい娘ならば、持ち帰り愉しんだものを」



下卑た言葉を、声を慎め。

耳障りで仕方無い。

叶うなら、この手で殺して遣りたい所だ。


人間以下の糞の様な連中。

こんな奴等の身勝手の為に何故、彼女が死ななくてはならないのだろうか。



「では、記念に首だけでも持ち帰りますか?」


「名案ですな!」


「ふむ…そうするか」



──ブヂッ!、と音を立て何かが切れた。



『巫山戯るなあぁあああぁああーーーっ!!!!!!!!!!』





時を超えた同調の咆哮。


同時に解き放たれた縁星の“力”が男達を──辺りの全てを閃光が呑み込む。


その力の気配に俺は何とか我に返り、辺りを見回せば荒野を超えた砂漠に変わり果てていた。

見渡す限りの砂。

恐らく、あの封印の地──戈壁沙漠の誕生だ。

その中心に二人が居る。



「…深蕾…」



人の姿へと変わった縁星は血が付く事など気にもせず深蕾の身体を抱き起こして胸へと抱き締める。

縁星の姿もまた深蕾同様に青年へと成長していた。

…美形なのに女顔ではない事には少し嫉妬する。

彼女の傍らに有る竹籠には薬草が入っている。

それを見付け縁星が深蕾の両手の手袋を外すと寒さと雪に因って冷え、赤くなり指先には幾つも小さな傷が出来ていた。

薬草探しで、雪を掻き分け続けた結果だ。



「こんなにも手を赤くし、傷付いてまで…

君は本当に優しいね…」



穏やか、暖かな声。

そっと深蕾の手を握り締め慈しみ、労う様に撫でる。

其処には先程見せた憤怒は微塵も窺えない。

どれ程に彼女を愛しているかが伝わって来る。



「…下らない種の為にさえ君は慈愛を向けられる…

でも、私には無理そうだ…

人間を赦す事が出来無い」



独白と共に涙を流す縁星。

その想いは痛い程に判る。

かつては“復讐者”で有り“絶望者”だった故に。

その道を征き、果てに至り知り得たが故に。



「でも、先ずは君を連れて行かないとね…

気に入ってくれるかな?

私の生まれ故郷は──」


「──っ!?」



“此処でなのか!?”というタイミングでの場面転換。

一体、何の意味が有る──いや、そうか。

今の俺では聖地へ行く事は出来無いからだ。


元より抗う事は不可能。

“世界”の意思に身を委ね白の果てに──瞼を開く。


予想通り、目に映る景色は聖地の物だった。

歩いて行く縁星を見付け、直ぐに追い掛ける。


深蕾を抱き抱えたまま歩く縁星を見ると、他の龍族は声を失い、茫然と見送る。

その反応も当然か。

血塗れになった一族の王。

そんな有り得ない筈の姿に混乱・錯乱し許容量を越え思考は停止する。


縁星は気にも留めずに己が屋敷へと真っ直ぐ向かう。

その間に一体どれ程の者がそうなかった事か。


ただ、二度目の来訪。

そして、あの“力”を見た後だからだろう。

今なら判る。

居住区の崩壊はこの後。

堕ちた天龍王──黒龍王に因って引き起こされると。




縁星は自分の部屋に入ると深蕾を寝台へと横たえる。


既に事切れた亡骸。

それなのに何故だろうか。

俺には彼女の表情が悲哀に染まっている様に見える。



「天龍王様っ!!」



バンッ!、と乱雑に開いた扉から次々と──十人程の男女が雪崩れ込む。

そして、一様に二人を見て数歩後退る。



「な、何という事を…」


「…天龍王様っ!、貴男は御自分が何をしているのか御判りなのですかっ!?」


「…何をしているのか?

私は最愛の女性を弔う為に準備をしているが?」



ヒステリックな声を上げた龍族の女性に対して縁星は冷めた声で静かに返す。

“見て判らないのか?”と雰囲気が言外に物語る。

だが、軽いパニック状態の彼等には伝わらない。



「そんな事を聞いているのではありませんっ!

何故この聖地に、その様な“穢らわしき物”を持って来られたのかと──」


「──穢らわしい物?」


『──っ!!??』



室内に居た龍族が息を飲み大量の汗を流す。

その圧倒的な気配。

それが黒く、深く、鈍く、禍々しく変わってゆく。



「…何が“穢らわしい”と言ったんだ?

何を“物”だと言った?」



ゆっくりと男女に振り向き訊きながら歩み寄る。

その様子は宛ら幽鬼か亡者を思わせる。



「貴様等に何が判るっ!

所詮は貴様等も彼奴等同様下らぬ種という訳かっ!?

消え去れええーっ!!!!!!」



縁星の咆哮と共に先程より邪悪さを増した力が放たれ黒い閃光に包まれる。

だが、流石と言うべきか。

縁星の力に対して反射的に氣の防御壁を展開した。


しかし、最悪のシナリオを紡いでしまう。


周囲に対し放射状に広がる力の一ヵ所に一瞬だけでも壁が出来てしまうと流れは反対側、或いは他方向へと変化する。

そして、その力は奇しくも安全な筈の深蕾の亡骸へと向いてしまった。

黒い閃光が龍族の男女も、深蕾も呑み込んで弾ける。



「…………深蕾?」



爆煙が晴れ、瓦礫が離れた場所へと散らばる真ん中で縁星が周囲を見回す。

しかし、どれだけ探しても彼女はもう居ない。

自らの力が消し去った事に縁星は気付かず──



「…深蕾?…深蕾?…あ…ああアあア亜ア阿亜亞アあア嗚呼鐚あアAAH──」



悲痛な慟哭を上げながら、その身を堕としてゆく。

白から黒へ、聖から邪へ。

存在を変質させる。

此処に天龍王は死に絶え、黒龍王が声を上げる。

悲哀と絶望、憤怒と憎悪に満ち溢れた産声を。




再びの場面転換。


だが、これが多分最後。

理由は単純。

後に人間が戈壁沙漠と呼ぶ場所にて黒龍王と龍族達が目の前で対峙している。

しかし、かなりの劣勢。

正直、黒龍王を封印可能な状態まで追い詰められると思えない。



「──くっ…何故だっ!?

何故、堕ちた筈の天龍王が聖龍のままなのだっ!?」



“聖龍のまま”という事は物理的干渉が不可能。

龍族でも干渉出来無ければ力を削ぐ事も無理だ。

それに対し、黒龍王の放つ黒炎は龍型の龍族さえ灼き滅ぼしてゆく。



(…まだ魂が宿っていて、完全に堕ちていないのか)



本来は堕ちた時点で龍族の魂は消滅するらしい。

縁星の魂が残存する理由は“世界”の半身だからか。


──と、考えていたが気が付けば走り出していた。

黒龍王──縁星の元へ。


それは彼の元へ向かう光を目にしたから。

恐らくは俺以外には誰にも見えていない光。

しかし、直ぐに判る。

その光は彼女だと。


俺が傍らに着くのと同時に光は深蕾の姿に変わると、首筋辺りに抱き付く。



「縁星、私は此処です」



その声に共鳴する様にして黒龍王は哭き──身体から縁星の姿が現れた。



「嗚呼、深蕾…深蕾…」


「御免なさい、縁星…

私の為に貴男を苦しめて」


「謝るのは私の方だ…

私は君の守ってきた人達、無辜の生命を…」


「縁星、私ね…貴男の子を授かっていたの…」



驚いた様に縁星が目を開き深蕾を見詰める。



「………本当に?」


「ええ…でも守ってあげる事が出来なくて…

生んであげられなかった」



その言葉に縁星は俯く。

最愛の妻も、奇跡と言える子供も守れなかった事に。



「…私、知ったの

龍族の魂は“世界”に還り人間の魂は輪廻の輪に…

私達は離れ離れになるわ」


「…その通りだよ」


「でも、この子は存在さえ“無かった”事にされる…

だからね、縁星…

私と貴男で、この子の魂を守りましょう」


「…どうやって?」


「私達の魂をこの子の魂に同化させて──別の世界へ送り出すの

この世界の理の外へ…

そうすれば、ずっと私達はこの子と共に在り続ける

子を守るのは親の役目…

そうでしょう?」


「…そうだね、守ろう

私達の大切な子供を──」





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