14 空は青く…
少年は“土地神”として、“世界”が閉じる以前から存在している。
しかし、本来は“現世”に留まる事は出来無い。
それを可能にしているのはあの気配だ。
「“世界”が閉じた後も、“現世”に在り続けている要因と思しき存在…
“アレ”は何なんだ?」
「“澱”だよ」
「どういう物だ?」
「名前のまんま
“澱”は“世界”に溜まる“負”の集合体…
いや、“負”より生まれたって言う方が正しいかな
“理”を外れた災厄
“世界”を蝕む存在だよ
元になった“負”によって性質とかは違うけどね」
成る程、と思うが同時に、疑問も浮かぶ。
「“澱”が“世界”に対し逆らえるのは何故だ?」
「“澱”だけじゃ“世界”には逆らえないよ
今、存在して居られるのはボクの様な存在…
“世界”の欠片を取り込み自己を確立させてるんだ」
推測でしかなかった事が、一つずつ結び付く。
「お前は“旧世界”の時に“澱”に取り込まれた
だが、どうして“現在”も存在している?
“世界”が閉じた時点で、全てが無に還る筈だ」
「…キミ、何者なの?」
鋭い眼差しで問う少年。
しかし“早く言え”と目で訴える。
「確かに“世界”が閉じて“旧世界”は消えたよ
でもね“澱”は“世界”の定めた“理”を外れた存在だから残った…
“負”のままなら、還っていたんだけどね」
其処で言葉を切り、小さく溜め息を吐く少年。
「“澱”は“世界”に抗い“理”に属さない
しかし“負”は人に因って生まれた…
だから“澱”は人によってのみ滅ぼす事が出来る」
「…あの子達は抑止力か」
少年は首肯。
“澱”が残ってしまう為、同時に“あの子達”も残す必要が有った。
また“氣”を糧にする事も偶然ではなく必然。
“世界”が新生する際に、“氣”だけを残したのには大きく“世界”に依る事が無い事が理由だろう。
人が扱う事も含めて。
「今の話を聞く限りでは、“負”は“現世”に於いて生じないのか?」
「“世界”が存在を許してないからね
言わなくても判ってるとは思うけど…
“澱”は氣を餌にしてる
氣は全ての生命に宿るから生物の天敵って事だよ
それから、新たな“澱”が生まれる事は無いけど…
“澱”により“負”に近い氣が生じる事は有り得ると考えて置いて」
少年の言葉に頷き、忘れぬ様に胸に刻んだ。
「“澱”の経緯は解った
しかし、今に至る迄誰にも知られずにいた訳は?」
「“世界”が新生する際、“澱”は封印された
そして“理”の管理者──“世界”の代行を担う者、“龍族”により封印は守り続けられてきたんだ」
妥当と言える回答。
しかし、封印が解けた今、何故“龍族”は動かない。
或いは、動けないか、だ。
「封印の楔と条件は?」
「…ホント、こうやって、キミと話してると常識って何だろうって思うよ
普通、封印の説明から順に行くのに…」
少年の愚痴も解るが。
“封印”は対象を封じる術だが、当然“器”と“蓋”が必要となる。
“器”が対象より大きな事など常識。
“蓋”は同時に封を強固にする役割を担う故に“楔”とも呼ばれる。
条件は術により様々なので限定は出来無い。
よって楔と条件を知る事が重要になる。
「“器”は大地
“楔”は石柱とかかな
此奴のがそうだったから
施術の条件は“龍族”専用だから解らない
ただ、封印の効力は千年
きっかりじゃないとは思うけど明確には…」
“龍族”専用ならば開封も粗不可能か。
「封破の可能性は“楔”の破壊以外には?」
「まず無いと思うよ」
「お前の言う石柱…
残骸でも構わないが何処に有るんだ?」
「この湖の底
つまり此奴の下って訳」
確かに見えない場所は一つしか残っていない。
探す手間が省けた。
「最後に…
“澱”と“この子達”だが存在する数は?」
「両者一対で全部で九対
但し、“澱”が消えた後も武具は残るから、現存数は同数とは限らない
また、武具は封印の近くに存在し、解き放たれた時に相応しい主に己を委ねる
その後は、主の血統が続く限り継承されていく
勿論、武具に選ばれないと能力は使えないけどね」
肩を竦めて見せる少年。
だが、次の瞬間には真剣な表情を見せる。
「ボクが見た限り、キミは四つ所持してるよね?
此奴の対を除いても、既に三体は対の“澱”が居ない事を証明してる
血統に関しては、ボクには判らないけど…
一人の元に集まってる事を考えると絶えたか…
或いは見限られたかな」
そう言っていたかと思うと唐突に目を見開く少年。
思わず、大貝が起きたかと氣を探ったが…違った。
「成る程…
キミは“じょうおう”か」
此方を見詰めながら何かに納得した様子で一人頷き、少年は静かに呟いた。
まさか“御霊”にまで女に間違われるとは。
まあ、経験は有るが。
「“女王”って…
俺は“男”だからな?」
溜め息を吐きつつ、訂正を促す。
「そんなの判ってるよ
ボクが言ったのは女の王の“女王”じゃなくて…
万象浄め成す皇
“浄皇”の事だよ」
仰々しい名に、思わず眉を顰めてしまう。
それを見て少年は苦笑。
「ボクが土地神になった時古参の土地神から聞いた話だけど…
“世界”の定めし理を外れ歪みし存在を然るべき姿へ還し帰す者、ってね
真偽は定かじゃないし…
前が在った訳でもないから只の迷信だと思ってた」
「…俺がそうだと?」
「飽く迄可能性だけどね
ただ、そう考えると色々と頷けるでしょ?」
振られても困る。
大体、そんな者にされても迷惑なだけだ。
小さく溜め息を吐いた──その時、異変を感じた。
「──っ、起きたか!」
「──ぅ、ぐぁあっ!?」
少年を包む球体が脈動し、黒く染まり蠢く。
同時に感じる禍々しい氣と殺気と怒気。
それは少年を呑み込まんとしている。
「直ぐに片付ける!
意地で負けるなっ!」
そう叫び、絳鷹を顕現させ精神世界から離脱。
現実へと戻ると周囲に有る肉塊が波打つ様に動く。
辺りの粘液の様な透明な物は触手へと姿を変える。
大太刀を“影”に仕舞い、“影”から翼槍を取り出し氣を与え炎を顕現。
粗同時に触手が迫る。
「灼けっ!」
声に答え炎は逆巻く。
続け様に“影”から鉄扇の片方を取り出し、風を。
「風を喰らいて猛よっ!
我に仇為す如何なる全ても灼き滅ぼせっ!!」
風と融け合い炎は燃える。
単体の時よりも強く激しく眩い輝きを放ちながら。
殻は硬く炎も風も遮った。
だが、今は自らを守るとは逆に追い詰める。
逃げ場の無い密室。
其処で猛威を振るう炎に、大貝は抗う術は無い。
暫くして、殻が透け始め、燐光となって崩れ出す。
大貝が力を失った様だ。
その証拠に、少年が眼前に姿を現した。
だが、既に声は聞こえず、彼もまた逝く時を迎える。
彼が両手を前に突き出すと燐光の一部が其処へ収束をしてゆく。
そして淡いミルク色に輝く金属質の塊と成る。
それと共に、スライム状の半透明な塊も生じた。
先日の少女と同様。
彼の“御礼”だろう。
差し出された、二つの塊を受け取ると、少年は笑顔で頷き光に融けた。
少年と大貝が消え、辺りを包んでいた霧が晴れ始めた事を見て曲剣を取り出し、幻霧を発生させる。
今少しの時間が必要な為。
上空に留めた湖の水もまだ大丈夫だ。
翼槍と鉄扇を仕舞い手早く済ませる事にする。
大貝が在った場所。
その中心付近に壊れた姿を晒す石の塊を発見。
少年の言っていた石柱かと思われる。
近寄り、右手で破片を拾い上げて観察する。
僅かにだが、氣の痕跡。
「…これは…人払いか」
痕跡から感じる気配。
何処か、懐かしさを覚える“それ”には記憶が有る。
仕事の際に御世話になった人払いの術。
それに酷似している。
“楔”は物理的に破壊可能ではあるが、残り続けた。
その訳を“楔”に施された人払いの術とすれば辻褄が合ってくる。
また自然界の動物は人間と違って自ら禍々しい気配に近寄りはしない。
地震や地崩れ等の自然災害だけは弱点だが。
「…話や“澱”の状態から考えると何方らも封印から目覚めて間もないか…」
活動時間が短いから被害が出ていない事も頷ける。
「そうなると…
大蜘蛛の対は曲剣…
大貝の対は大太刀か」
二つは姿を晒していた。
それは“主”を待つが故と考えられる。
共に“澱”の解放に伴って俺の元へ来たとすれば筋が通る話だ。
翼槍・双鉄扇・羽衣は己を閉ざす様に姿を変えていた事から対の“澱”は滅び、主の血統に寄り添っていた可能性が高い。
絶えたか、見限られたかは定かではない。
“訊けば”答えてはくれるだろうが…必要無い。
この子達が自ら話して来る時まで待てばいい。
それよりも気になるのは、“浄皇”の事だ。
「そんな話に縁はないが…
偶然とは言え符合する点が有ると無視出来ないか…」
“絳鷹”は浄化の力を宿す俺の魂が形成した存在だ。
浄化対象は俺自身。
俺を守護する──俺が俺で在る為に俺を害する全てを浄化する。
在るべき姿へ還すと言えば限定的だが合っている。
まあ、それだけだが。
「残るは“龍族”か…」
新たな謎。
だが、手掛かりは少ない。
全く無い訳ではないが未だ仮説と呼ぶにも拙い。
今は考えても無駄と判断し石柱の破片を回収。
“影”の中へと仕舞うと、地を蹴って上空へと跳び、要にしていた鉄扇を回収し留めていた湖の水を静かに元へ戻す。
最後に幻霧を消し、曲剣を仕舞って完了。
夷陵へ、と思った時だ。
「…忘れてた」
苦笑しながら、“影”から助けた女を出す。
横たえると、胸元に右手を置いて氣を流し入れる事で“蘇生”する。
氣が巡り、脈動を始める。
前に“実験”していた為、不安は無かった。
ただ、一時的に殺すという感じが好きではない。
「さて、と…
彼女をどうするか…」
顔を見られた以上放置する訳にはいかない。
とは言え、身元不明。
下手すれば拉致・誘拐。
それは嫌だ。
取り敢えず観察してみる。
整った顔立ちに、膝に届く藍色の長い髪…
今は閉じられているが瞳は赤紫色だった。
背丈は黄忠と同じ位だが、歳は甘寧に近いだろう。
外套に半身を失った鞘。
稍厚手の衣服。
格好を見るに旅人か。
それなら、連れて行っても大丈夫だろう。
「……まだ近いな」
甘寧の氣を探すと、里から少し離れた所に見付けた。
まだ帰路の途中だ。
彼女を背負うと甘寧の所に向かった。
「……はぁ……またか…」
開口一番、盛大な溜め息を吐かれた。
あと“また”って言うな。
「で?」
「取り敢えず連れて帰る
起きるのを待ってると…」
そう言って空を仰ぐ。
甘寧も同じ様に。
「……一雨来るな」
「だろ?
多分、明日の明け方近く迄降ると思うから…」
「雨晒しは可哀想か…
まあ、私も黄忠も拾われた身だから文句は無い」
そう言う甘寧。
“さっき言ったのは?”と突っ込みはしない。
そのまま二人で夷陵へ向け山を下って行く。
「…これは、まあ戯言だ」
「…?、何だ唐突に…」
訝しむ甘寧。
右手で“影”からある物を取り出し見せる。
「これは…茸か?」
「里近くの山中で採った
斑草岩茸と言ってな
所謂、毒茸だ
見た目が占地に似ている為誤って食べる事が有る
食後二刻程で症状が出る
発熱・嘔吐は軽度
重度になると意識の混濁・昏倒・痙攣・呼吸困難…」
「まさか…」
「もう一つ、此奴は厄介な特徴が有ってな
秋に飛ばす胞子を吸い込むと幻覚・錯乱を引き起こす事が有る
発熱・昏倒の数日後に」
「…そうか」
呪いでも、疫病でもない。
毒茸による中毒。
それが真相だ。
「全く…とんだ戯言だな」
そう言い顔を逸らす甘寧。
その目尻には光る物が有り口元には微笑み。
見上げた空は、青かった。