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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
152/915

5 落陽の狭間に 壱


 曹操side──


雷華が出掛けて三日目。

私達は毎日と変わらず庭に集まって朝練を行った。


氣の鍛練は制限されたけど肉体の鍛練はいつも通りに行っても構わないから。

まあ、氣の鍛練が無い分は時間は余るのだけれど。

だからと言って鍛練の量を増やしたりはしない。

闇雲に遣れば良いという物ではない事を雷華に最初に教え込まれるから。



「それじゃあ、汗を流して朝食にしましょう」



私は皆が鍛練を終えた事を確認して指示を出す。

普段は雷華の役目。

私自身少しばかり違和感を感じるのも仕方が無い。


因みに──仕事や休日等でズレない限りは私達は共に朝食を摂るのも習慣。

これが意外にも意志疎通・相互理解等、人間関係への良い影響を齎している。

これも雷華の影響。

計算してかは微妙だけど。

何かしらの意図が有っての事は確かでしょうね。



「──?」



思考の海から呼び戻す様に視界に陰が差した。

雲や鳥の類いではない事は翳り方で直ぐに判る。

敵襲──それが最初に頭に浮かんだ可能性。

身構えながら視線を頭上へ向けて──



「──え?」



思わず漏れる間の抜けた声だが仕方が無いと思う。

だって、上空から“馬”が降って来ているのだから。


ズズンッ!、と地を鳴らし丁度、私と皆の並ぶ間へと落下──着地した。

想像よりも余波や土煙等は少なかった。

そして、その正体も直ぐに察しが付いた。

こんな真似が出来る馬など世界中探しても一頭だけ。

私と絶影でも至難の技。

だから、喉の奥には自然と文句が出て来ていた。


しかし、その言う相手──烈紅の背中に負ぶさる様にしていた身体が力無く擦り落ちていく。



「──雷華っ!?」



間一髪、地面に落ちる前に私の両腕が抱き止める。

考えるよりも早く、身体が反応したお陰だ。



『子和様っ!!??』



僅かに遅れて事態の異常に気付いた皆が駆け寄る。

私の腕の中で小さく呻き、雷華が僅かに目を開ける。

苦笑を浮かべているが今の姿からは普段の飄々とした不敵さは感じられない。

額に浮かぶ珠の汗が状態の深刻さを如実に物語る。



「…悪い…暫く…落ちる…

…後を…頼むな…」


「っ、ええ、判ったわ

今はゆっくり休みなさい」



そう微笑んで返すと雷華は小さく笑み──目を閉じて意識を手離した。

こんな状態でも皆を気遣い余計な心配を掛けない様に演じるのは性分ね。

本当に困った人だわ。




一息吐いて、説明を待って此方を見詰める皆を見る。

──が、その前に。



「烈紅、御苦労様」



無茶を遣らかした主を背に運んできた烈紅を労う。

烈紅は小さく鳴き、頷く。

“当然”と言う様な態度にこの子もまた雷華に心酔をしていると感じる。



「翠、烈紅を御願いね」


「…え?、あ…は、はい」


「皆、通常通りに

私の仕事は急ぎの物以外は明後日以降に回して頂戴」



軽い思考低下に陥っている皆に簡単に指示を出す。

茫然としている状態なのは翠だけではない。

皆、信じられないのだ。

雷華の今の姿が。



「で、ですが子和様が!」



それでも、軍師陣の中には直ぐに我に返る者も居る。

声を上げた泉里の様に。



「心配は無用よ

どんなに非常識な人でも、雷華だって人間なのだからこういう可能性も有るわ

そして、雷華の性格を──周到さは貴女達も知ってるでしょ?」


「…こういう事態に対して備えは有る、と?」



自分の乱れた感情を必死に抑え付けて冷静に思考して発言をする冥琳。

古参の者なら雷華の性格も良く理解している。

此処で下手な追及は無闇に不安を煽るだけ。

私達が如何に平常心を持ち過ごせるかが曹家全体──組織としての機能を正常に働かせられるかの要。



「ええ、念の為の事だから私しか知らないけれど」



そう言いながら言葉を切り雰囲気を変える様に笑みを浮かべて見せる。



「今日と明日は私も雷華に付くから、貴女達に任せる事になるけれど…

無理は禁物よ

後で雷華が知ったら小言が来るでしょうしね」



具体的な、想像し易い例を出して緊張と気負いを解し同時に注意意識を促す。

雷華がよく遣る手ね。

然り気無く遣ってるけど、結構繊細で大変だわ。

如何に自然に出来るか。

それが効果の出来を大きく左右する要素。

個人の普段の言動とも深く関係するから考慮した形を取らないといけないだけに難しさが有るわね。



「それから──結、貴女は特に無理しない様にね

場合によっては氣を分けて貰う可能性も有るわ

体調は万全で居て頂戴」


「はい、判りました」



これも事前に雷華が想定し用意していた方法の一つ。

私一人の氣で足りない時は結が補助供給役。

その為に雷華は私に皆との同調技術を第一に教えて、出来る様にさせた。

本当、油断が無いわ。



「後は任せたわ」


『御意!』



いつもとは逆に私が雷華を両腕で抱き抱えて寝室へと向かった。




寝室に着くと雷華を寝台に寝かせて部屋の一角に有る収納具“クローゼット”の扉を開ける。

其処には色々と入っているけれど迷わず一つの小箱を手に取る。

黒地に各面に白い十字紋が描かれた箱は曹家内で使う“救急箱”と似てはいるが配色は違う。

そして、その中身も。



「全く貴男は…

こんなに早く使う事になるなんて予想外よ…」



氣を使い開閉する鍵を開け中から直径5cm程の球形の半透明な薄紫の結晶を一つ右手で掴み取る。

これは雷華特製の術具。

名を“洸珠(こうじゅ)”と言い氣を貯蓄して置く事が出来る物──いえ、正確に言うと氣を結晶化した物。

但し、雷華専用に調整され私達の回復には使えない。


私達の回復は雷華がするし“遣り過ぎ”を防ぐ為。

私を含む全員に言える事。

良く理解しているからこそ私達に手段を与えない。

子供に刃物を持たせる様な物だと言っていたわね。

否定出来無いから言い返す事も出来無いけれど。


一息吐いて“現実逃避”の思考を切り替える。

こんな姿を見たくない。

正直な気持ちだが私が──妻が目を背ける真似なんて絶対に出来無い。

だから、現実と向き合う。

先ずは雷華の状態。

疲弊しているが外傷は無く命に別状は感じない。

ただ、左腕は可笑しい事は氣を扱え、感じ、視る事が出来る者なら直ぐに判る。

皆も気付いている筈。

そっと、右手で触れて──即座に手を退ける。

それは、生命として正しい反応だと思う。



「…何なのよ、この左腕の異常な気配は…」



“邪悪”という言葉が正に当て填まる雰囲気。

“死”を強く感じる。

ただ、左腕に巻かれている四彩色の帯が巧妙に隠して感知を妨げている。

氣を使えても、左腕に直接触らなければ判らない。

それは雷華の意思だと言う事も出来る。

あの時、雷華は私に対して“落ちる”と言った。

それは夫婦の間でだけ使う隠語──符丁の一つ。

意味は“舞台裏に退く”で本来なら“裏方に回る”の使い方が正しい。

だけど、今回の場合は少し違うと思う。

多分、雷華の意図としては“目覚めるまでの間を…”という事なのだろう。



「…止めましょう」



頭を過る“最悪”の未来を振り払い、集中する。

そんな事を考えていては、これからする対処に影響が出てしまう。

氣に限らず、精神状態とは様々な影響を及ぼす。

良くも悪くも…ね。




取り敢えず、左腕は無視。

放置する事になるけれど、私には手に負えない。

現状が“安定状態”ならば下手な事をしたら悪化する可能性も高い。

これは雷華を信じ、任せるしか出来無い。



「先ずは氣の補給ね」



雷華の氣の総量は異常。

私や結も桁が違うけれど、枯渇するという状態を想像出来無い。

以前──まだ今程の領域に至る前の頃に冥琳の治療で疲弊した事が有ったらしいけれど不慣れだった時期と雷華が言っていた。

総量も少なかったと。

その頃ならばいざ知らず、今は先ず有り得ない。

その雷華が消耗するなんて余程の事だと言える。

まあ、正確には消費してもいるけれど、回復する事が阻害されている感じね。

原因は左腕でしょうけど。


洸珠を雷華の御腹の上──丹田に置き、拳一つ分程の距離を開け両手で挟む様に構える。

掌に氣を纏わせ洸珠に向け両側から包み込む様にして注ぐと、ゆっくりと宙へと浮き上がる。

私の氣を受けて洸珠が淡く輝きを生み纏う。

結晶化していた氣が静かに解れてゆく。

高圧縮されたままの状態を保つ氣塊を雷華の丹田へと導いて行く。



「……っ……」



そのまま洸珠が丹田の中に吸い込まれる訳ではなく、ゆっくりと流し込んでいく方法の為、道筋を維持しておかなければならない。

これが予想した以上に氣を消耗させる。

何しろ雷華の圧縮した氣が通る路なので生半可な強度では耐えられない。

それを造り、維持するのは非常に困難だったりする。

弱ければ消え、強過ぎれば持続時間が短くなる。

加減を間違えれば無意味に消耗を増加させるだけ。

その状態を一時間は継続し続けなければならない。



「…私以外には無理ね…」



氣の総量や素質も要因には間違い無いが、同調技術の修得・鍛練には心身の完全同調が必要になる。

それはつまり…ま、まあ、そういう事な訳よ。

所謂、房中術の類い。

だから、雷華の妻の私しか現状では修得出来無い訳。


普通の氣の変質・同調とは違うのは対象が雷華の氣で特異という事。

雷華の氣の波調は普通とは違い同調させ難い。

これは“世界”の外の存在だからではないかと雷華は推測している。

確かにその可能性は有ると氣を扱える様になれば納得出来る部分も有る。



「長い一日になるわね…」



一度では氣の回復は終わる事は無い。

恐らくは四〜五時間程度は専念する事になるだろうし気合い入れないとね。




深淵の闇から意識が浮かび五感が戻る。

同時に圧迫感と息苦しさを胸の辺りに感じる。



「…ぅ…んっ…」



両腕が重なっていて其処に左頬を下に頭を乗せる形で寝ている事が判る。

両腕に力を入れ、上半身を起こしていく。

ぼー…としたままで正面に思考が働かない。

視界に映る景色から寝室に居る事は判る。

少し顔を動かした所で──



「──雷華っ!」



雷華の姿を見付けて記憶が一気に甦る。

反射的に声を上げた後で、気付いたから恥ずかしいが私しか判らないから直ぐに割り切れた。

思わず立ち上がったけれど仕方無いと思うのよ。

一息吐いて寝台の脇に有る椅子に座り直す。


雷華の状態を視てみれば、帰って来たばかりの時より氣も呼吸も落ち着いた。

発汗も治まっている。

小康状態と見ても良い。

取り敢えずは一安心。



「…今、何時かしら」



窓の外は既に暗い。

裙の衣嚢へと左手を入れて懐中時計を取り出す。

開いて──直ぐに顔と髪を確認するのは女の性。

常に身嗜みには気を付ける事は大事よ。

“服装の乱れは心の乱れ”とも言う位だもの。

時刻を見れば──意外にも午後7時を回った所。

洸珠を五つ使ったから私が疲労で眠ったのは昼過ぎ位だったでしょうね。

それを考えれば回復時間は半分──とは言えないけど予想の三分の二程。



「…意識不明な状態でも、貴男は貴男なのね」



つい、苦笑してしまう。

恐らくは無意識下で眠った私と氣を同調させ、回復を向上させてくれた結果だと考えられる。

そうでなければ、早くても午後10時を回った筈。

本当に仕方の無い人だわ。


立ち上がると、眠っている雷華に覆い被さる様に顔を近付けて頬に口付けする。

夫婦だからと言っても唇を奪う真似はしないわ。

…正常時なら…まあ…ね。


身体を離すと服装の乱れが無いかを確認して、寝室を後にする。



「時間的には丁度揃ってる所かしらね…」



向かう先は私邸内の台所。

“ダイニングキッチン”と呼ばれる造りで朝夕を皆で取る時にも使う。

今日の流れだと仕事が無い面子は集まってる筈。

大体は雷華か流琉が料理を担当している。

城内の料理人の仕事を奪う真似はさせられないしね。

料理好きも困ったものよ。




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