伍
──十一月二十四日。
あれから二時間程掛かって調査を終えた。
どうにか中心点を割り出し其処へと向かった。
「…こう来る訳か」
目の前には結界が存在し、その一部にトンネルの様に通り道が現れている。
俺が開けた訳ではない。
此方が近付いたのを感知し自動的に開いたのだ。
この事から推測出来るのは辿り着ける者は“此処”の存在を認識している者だけだろうという事。
認識阻害と思考誘導に加え意識認証を結界が常時行い作用している様だ。
「罠は無いだろうし…
さて、この先は鬼が出るか蛇が出るか…」
待ち受けるのは正面な存在ではない事だけは確か。
それでも進むと決めた以上今更退くという選択だけは無いと言える。
それがどう転ぶか判らない事ではあるが。
結界内に入ってからは脚を落として慎重に進む。
何処に封印に影響する物が有るか判らない以上下手な行動は厳禁。
周囲を見極めながら進み、一時間程経った頃。
割り出した結界の中心点にかなり近い場所で目の前に新たな結界が現れた。
ゆっくりと近付いてみるが特に変化は無い。
右手を伸ばし触れると──何の抵抗も感触も無いまま通り抜けた。
「これは…指定型か?」
外側の結界とは性質が全く異なる物だろう。
恐らくだが、封印の対象が外に出る事を防ぐ為の物。
指定した以外の存在に対し全く無意味・無効果だが、限定される分だけ拘束力は高くなる。
同時に、結界の先に封印が有る事も濃厚となる。
烈紅と共に結界を潜り抜け二十分程進んだ。
すると再び結界が。
今度の結界も右手は難無く通り抜けた。
どうやら同じ種類の結界と見ていいだろう。
二重に展開されてる辺りに封印対象が“破滅”の名に相応しい事が窺える。
更に進む事、約十分。
また結界が現れた。
但し、今度は結界面の外側──つまり此方側に石造のオベリスクが有る。
近付いて見ると真ん中辺に文字が刻み込まれている。
「宿在南界龍王守護御霊…
“南海龍王・敖潤”の事を指してるのか?」
位置的には此方は中心点の真南になる訳だが。
“界”と“海”の違いなら誤訳や誤字とも言える。
抑、“龍族”は守護者とも呼べるだろう。
そう考えれば繋がる。
固有名に関しては創作だと仮定してもだ。
“宿在”と“御霊”からは南界龍王が自らを“人柱”としたと考えられる。
視力を強化して見てみれば東西北にも同じ様に聳えるオベリスクが有った。
四人の龍王が全てを賭して封印を守っているという事なのだろう。
結界は先の二つと同系統に間違いないが、強度的には此方の方が高い。
加えて、オベリスクからは中心に向かって真っ直ぐに伸びる鎖の様な力の流れが感じられる。
封印に上乗せする拘束術と考えていいのだろう。
封印に直結はしていない。
だから簡単には解けないし影響も無いだろうと考え、オベリスクに右手を伸ばし解析を試みる。
予想通り、と言うべきか。
既に個体としての自我等は全く感じられない。
時間の経過に因る可能性も有るが、最有力なのは術の邪魔になるからだと思う。
余計な思考はシステム上に不必要だからな。
結界は全部で四枚。
一番外側を除く三枚が最終防壁だと言える。
逆に言えば、三枚が破れた時点で四枚目は役立たずになる訳だ。
結界の維持は──
「──っ!?」
それは意外な真実。
結界は何れも問題無い。
維持に必要なエネルギーは四本のオベリスクが備える自己生成機能で十分に賄う事が出来る仕組みだ。
しかし、肝心の封印自体が限界が近い様だ。
「…当然と言えば当然か」
本来、封印という物は主に二つに分けられる。
一つは滅する訳にはいかず然れど放置出来無い為。
もう一つは一般的に封印のイメージである強大な力を有する存在を隔離する為。
前者の場合、術者と対象の力関係は術者が勝る場合が大半を占める。
しかし、後者は逆に粗全てだと言える程に対象の方が圧倒的だったりする。
では、そんな存在を封じた術式は恒久的な物なのかと言えば絶対に否だ。
“半”恒久的にする事なら可能では有るだろうが。
基本的に、どんな封印でも最大耐久が有る。
年数だったり、封印対象の力の影響だったりで正確な数値には出来無いが。
兎に角、此処に有る封印は間も無く壊れる。
「…持って一ヶ月か」
それも長く見て、だ。
実際にはもっと短いだろうとは思うがな。
封印自体は勿論だが維持に使用していた龍脈が完全に枯渇している。
現状はどうにか蓄えた分で継続しているに過ぎない。
通りで“彼方”の同地区と比べても砂漠化が進んで、酷い状態な筈だ。
幸いなのが支脈だった事。
影響は最小限で済む。
しかし、こうなってくると“悪縁”では済まないな。
何の因果なんだか。
「まあ、今更何を言っても遣らないといけない事には変わらないんだけどね…」
大切な存在を守る為に──共に有る未来の為に。
絶対に、終わらせる訳にはいかないのだから。
オベリスクの傍の結界──即ち最内の結界を潜り抜け中心部に踏み込む。
一歩──たった一歩。
それだけで感じ取れる。
この地に封印された存在は本当に危険な存在だと。
「…行けるか?」
そう烈紅に問うと頷き返し中心点を見詰める。
本能的な恐怖を感じているだろうが、先の封印対象と戦った経験が好奇心を掻き立てる様だ。
まあ、その気持ちも欲求も判らなくはない。
いざとなれば避難させれば済む事だからな。
歩を進めるだけで普通なら生命力も精神力も蝕まれて削り取られる様な威圧感。
それは近付く程に強まり、重く、苦しくなる。
その中でもしっかりとした足取りで進む烈紅は本当に大した物だな。
凡そ5kmの砂の道を進み、その地に辿り着いた。
草一本生えていない砂漠の真ん中に忽然と現れたのは高さ20mにもなるだろう巨大なオベリスク。
周囲には視界を遮る存在は何も無い。
そのオベリスクを中心に、直径30m程の真円を描く泉が存在している。
白い石材によって組まれたその造形は、ヴァチカンの“サン・ピエトロ広場”を彷彿とさせる。
違うのは地面の部分が水で有るという事。
オアシスではないのだが、場違いな美しさ。
濁りも、澱みも、穢れも、微塵も無い。
調べなくとも判る。
それは真に無垢。
内に余分な成分の全く無い自然界には先ず存在しない“三昧真水”だ。
通常の司氣では生み出せぬ超高等技法の一つ。
純水や浄水・聖水等とも、全く違う存在。
「…確かに封印の楔として適役ではあるが…」
その発想は兎も角としても実行した事には感心しつつ呆れてしまう。
まあ、その分、この封印の解き方は直ぐに判ったが。
烈紅から降りて泉の辺りに立つと右手で腰の裏に佩く曲剣を抜き、袖を捲り上げ左腕を出して手首へと刃を当てる。
そして、ス…と刃を引いて皮膚を斬り裂く。
グッ…と左手を強く握ると傷口から血が溢れ手首から肘へと伝い流れ、珠となり水面へと落ちる。
ピチャンッ…と鳴り響いた水音と共に広がる波紋。
最も純粋な生命の証で有り穢れでも有る──血。
滴り落ちる深紅は泉の中に湛えられた三昧真水に宛ら絵の具の様に溶け広がり、穢し、濁らせる。
純粋だが穢濁。
交じり、混じり、重なりて血は血と成り得る。
血とは生命の根源。
幾重にも連綿と続く系譜。
矛盾の系統樹。
──ドクンッ!、と大気が脈打つ様に震える。
次の瞬間、水面が沸騰する様に泡立ち、黒く染まる。
ボコボコッ…と熱いコールタールの様な粘着質と化し黒煙を上げ出す。
ピシッ!…とオベリスクに罅が入ると大地が揺れ出し──邪気を感じる。
「──っ!?、烈紅っ!
結界外まで走れっ!!」
烈紅の背に飛び乗り即座に強化を施す。
一瞬で理解出来る。
あれはヤバ過ぎる。
人間の手に負える類いでは有り得ない。
完全に“世界”側だ。
背後からはオベリスクが、泉が、大地が砕け散って、顕現する力の気配を嫌でも感じ取れる。
5km程という距離が幸いし強化された烈紅の脚ならば十秒程で結界を抜けた。
直後、土煙を上げて減速・方向転換した烈紅。
互いにの視界に“それ”は確かに映っていた。
先程まで其処に在った筈のオベリスクや泉を飲み込み結界内の大地を覆い尽くす漆黒の焔。
闇の様に揺らめく姿からは火の性質は窺えない。
ただ、形容する言葉が他に見当たらない為。
そして、その中心に在り、黒焔を纏う──否、その物だと言える存在。
「…黒龍…」
東洋龍の典型的な蛇龍型。
しかし、鱗や皮膚は無く、龍の形をした黒焔。
そして、赫い双眸が暗く、鈍く、妖しく──耀く。
“黒龍”と言えば中国では悪龍ともされるが日本では神としても見られる。
不動明王の倶利伽羅龍でも知られる存在だ。
視界に映る黒龍は何方らも正解だと言える。
邪神──そう呼ぶ事が最も相応しい気がする。
だが、倒す──滅する術は無くはない。
しかし、それを実行する事は出来無い。
“世界の欠片”やこの地の龍脈に触れたから判る。
黒龍は“世界”の半身。
消滅は即ち“世界”の死を意味する。
だから、龍族は封印した。
封印するしか無かった。
「だが、それでも託すしか無かったのも事実…」
封印が解けた後、待つのは滅びでしかない。
故に、可能性に──人間に全てを委ねた。
“世界”の未来を。
「…どうなっても結果的に俺は同じ選択を迫られてただろうけどな…」
何も知らずに封印が破れ、黒龍が世に解き放たれれば結局は訪れる。
そして、選ぶ答えも。
「行って来る」
右手で烈紅の頭を一撫でし結界の中に踏み入る。
絳鷹を顕現し、“影”へと曲剣を仕舞い翼槍を右手に取り出して握り──疾駆。
結界の中心へ向かい黒焔を切り裂きながら進む。
まだ四龍王の拘束力は有り黒龍は動けない様で身体を捩り暴れている。
消滅が不可能な以上取れる選択は唯一つ。
封印しかない。
しかし、大地に封じるには此の死んだ地では役不足。
かと言って今から別の地を選定する猶予は無い。
まだ起き抜けだから十分に力を奮えていない。
しかし、半日と経たぬ内に十全な状態に至るだろう。
そうなれば三枚の結界など物の役にも立たない。
それに、封印しても結局は問題の先送り。
何より──後世に俺以上の存在が居る保証は無い。
「左腕一本で済めば儲け物だろうな…」
帰ったら華琳や皆に説明をするのが憂鬱だな。
封印の器は俺自身。
補助抑制装置として四本のオベリスクから龍王の力を抜き取って、封印術に組み合わせて使用する。
後は──俺が黒龍を喰らう事で問題は解決する。
幸いにも黒龍は力の塊。
残留思念の類いが形を成す基盤だろう。
それに勝ち、力を御せれば一段落だ。
まあ、俺の存在か血筋かが“世界”の半身という役を担う事になるが。
それは後回しだ。
「──チッ!」
此方に気付いた黒龍が口を開いて集束した黒焔の塊を撃ち出してくる。
翼槍に浄炎を収束させ刃を形成して薙ぎ払う。
足を止める事無く中心──黒龍の身体の下へ潜り込み“影”に翼槍を仕舞う。
左腕を黒龍の尾に突っ込み氣を媒介に強引に連結して自分の裡へと引き摺り込む様に黒龍を引っ張る。
「──ぅぐっ…」
経験した事の無いレベルの力の奔流が身体を駆け巡り破裂しそうになる。
だが、幸か不幸か。
俺自身の元々の氣の波形が似ている。
そのお陰で想定より負荷は少なくて済む。
飲み込まれる事に気付いて足掻く黒龍が此方に向かい噛み付く様に迫る。
「四界を統べる龍王よ!
古き盟約を破棄し新たなる理の元に力を生め!
大禍なる存在を縛り戒め、鎮める枷と成れっ!!」
俺の言霊に従いオベリスクから四龍王の力が抜け出し四彩の光糸と成って黒龍を絡め取り動きを封じる。
断末魔の叫びを上げながら黒龍を封宿し終えた左腕を光糸が包み封帯と化す。
瞬間、身体を襲う疲労感に抵抗も出来ず倒れる。
しかし、烈紅が受け止めてくれたので最後の力で背に身体を乗せ、後を任せた。




