肆
右側の樹の枝に立つ女性の掌に重ねた首飾りの黒晶の朱い紋様が輝き、扉全体へ虹彩の輝きを放つ光の線が蜘蛛の巣の様に広がる。
そして、パキンッ…と一際高い音を響かせた。
封印が解けた様だ。
何故、右側の女性が人間になるのか。
ヒントは中央の陰陽図。
表裏一体を意味する太極は同時に裡に対の存在を宿す必然性を示している。
それは単なる対照性に目を捕らわれてはならない事に繋がる。
対極で有り、同じでも有る存在は──と考えて至ったのがタロットだ。
正位置と逆位置。
対極で有るが、本質的には同じ存在である。
また、タロットに於いての“塔”は“神の家”と呼ぶ事も有る。
神──世界の代行者である管理者という存在の住まう世界は家だと言える。
そして、“アルカナ”とは“秘密”の意。
存在を秘匿された龍族とも共通している。
一方で、樹の枝の上に立つ女性は人間らしさの本質を表している。
樹は成長──即ち可能性を暗示しており、その上へと立つ事は試練や困難を越え辿り着いたという来訪者を示してもいる訳だ。
また“根差す”という性質からの意味で地上の生命を象徴している。
以上の事から右側の女性が人間だと推測した。
結果は見ての通り。
両手を扉に触れ──押す。
何の抵抗も無く。
非常に軽く開いてゆく。
視界の先に現れたのは正に求めてきた存在。
龍族の書庫だった。
壁と一体型の本棚に加え、どっしりとした表裏両側に巨大な棚も幾つも並ぶ。
其処にびっしりと収まった書や本の数々。
つい感動して、ただ静かに眺めていたくなる。
「──と、烈紅も待ってる事だし始めないとな」
街跡か棚田辺りで暇を潰しながら待ってるだろうし、早く済まさないと悪い。
先ずは、この書庫の各所に施された術式の確認。
流石に罠の類いは無いとは思うけどな。
その為の選別の扉だし。
取り敢えず足元から床へと慎重に氣を流してみる。
床・壁・天井と全体を探り判った事は二つ。
一つは遺跡同様に破壊する事が不可能に近い事。
もう一つは特定の対象──この場合は書庫内の品物を扉から持ち出そうとすると出れなくなる事。
「まあ、要は扉から持って出なければ良い訳だ」
“消失”に対して反応はしない仕組みなのは想定の範疇には俺みたいな能力者は居なかったのだと思われる。
まあ、レアな能力だしな。
仕方無い事だろう。
“影”を拡げ、書庫内へと伸ばして本棚から書や本を一つ残らず回収した。
結局二階部分に有ったのはあの書庫だけだった。
規模的には高校の図書館位だっただろうか。
尤も、高校も色々有るから一概に同じとは言えない所ではあるのだが。
それ以外には無い。
ロビーの吹き抜けが二階・三階と貫いているから。
なので三階へ。
有ったのは四つの部屋。
中央に上下階へと続く螺旋階段が有る広間から四方に位置していた。
部屋は地下の装置に対して各々に専用の役割を持った制御・操作室。
東の部屋は天候──気温や風雨・四季環境等を生成・再現したりする。
西の部屋は日照時間。
人工的な太陽と月の運用が可能だった事には驚いた。
南の部屋は浄化作用関連。
全体は勿論、大気・水質・大地等の個別でも可能。
北の部屋は逆に性質関連。
肥沃の具合や成分の内容・比率の調整だった。
但し、南北が微妙に稼働をしていただけの状態だった事には納得。
日照に関しては常時微量の日光が照らしている。
つまり、夜は無い。
通りで植物だけが育ってる訳だよな。
その先の四階──は無くて長い上りの階段が続いた。
途中、小窓から見えた外の景色から古城の中央部分に聳えていた塔内だろう。
フロア──階数的に考えて十階程の高さに到達すると待っていたのは外部からは絶対に判らない場所。
天井は勿論、壁も全方位が完全に透過している。
直径は凡そ7mの真円形。
その中心に高さが2m程、横幅は1m程の石板が鎮座している。
雰囲気的には墓碑・慰霊碑或いは記念碑の様にも見る事が出来るだろう。
──とは言っても石板には何も書き記されてはおらず単なる石の板だが。
「まあ、これも同じ仕組みなのかもしれないけど…」
モノクルを取り出し着けて見てみれば──案の定。
石板に文字が浮かぶ。
「今回は3D眼鏡風か」
浮かんだ文字には陰が全く無い事からモノクル越しに出現していると判る。
実際に刻印されてはおらず表面に浮き上がる仕組みになっている様だ。
ふと思う、素朴な疑問。
何故、統一しないのか。
術者側としては面倒でしかないだろうに。
…此方としては飽きなくて良いんだが。
テーマパークじゃないし、構わない気もするんだよ。
というか、扉で失敗したら此方にも反映される仕組みかもしれないな。
俺ならそうするし。
そうまでしても秘匿したい理由が有るなら、だが。
…有るんだろうな。
気を取り直して石板の上に浮かび上がった文字へ目を向けて読んでいく。
使われている言語が日本語なのは何故なのだろう。
読み易いけどさ。
内容は次の通り。
此処に我等は記す
人間の罪と世界の業を
断ち切る事の出来ない
悲業の果てを
我等は切に願わん
悠久の安息と
永遠の眠りを
決して触れてはならぬ
破滅の化身に
決して戦ってはならぬ
世界の半身と
知らぬ事が正しく
知る事が過ち
我等はただ口を閉ざす
生命が尽きるとも
我等はただ見守るのみ
明日の訪れを願い
然れど、託してみよう
真に奇跡が有るのなら
訪れし人間よ
生命の墓場へ往け
其処に破滅は眠る
だが、心せよ
目覚めはただ一度
再び眠る事は無い
汝が道の果て
訪れるのは終焉か
或いは奇跡か
我等は守護者
世界の安寧を願う
──以上だ。
「物騒な単語だな…」
“破滅”って何だよ。
文字通りの脅威だって事は嫌でも伝わるけどさ。
というか、出来ればもっと具体的に書き記して置いて貰いたいんですけどね。
…まあ、愚痴ってても何の解決にも成らないけど。
“眠る”は封印されている事を示しているのだろう。
そして、その封印は解けば再封印は不可能。
ミッションに失敗すれば、“The End”って事なんだろうな。
どんなエージェントだって拒否るだろ。
“世界”をチップにしての超ハイリスクなベット。
それに対し自己満足程度の超ローリターン。
だって、誰も知らない所で遣る事になるんだし。
バラしたりしたら世界中がそれだけで大パニック必至だろうしさ。
本当、馬鹿馬鹿しい。
──なのに知ったからには無視出来無いのが憂鬱だ。
…帰ったら暫く仕事放棄で華琳とイチャつこう。
それ位の御褒美が有っても良いじゃない。
「で、生命の墓場、か…」
思考を元に戻す。
普通に考えると──砂漠が妥当な所だろうか。
“戈壁沙漠”──烈紅達と出逢った場所。
あの時調べたのは南東部の本の一部でしかない。
“何か”が有るとしても、不思議ではない。
それに、それ程の存在なら封印に莫大なエネルギーが必要だろうし、封印後にも維持する為にも必要だ。
当然、周囲に影響が出る。
“砂漠化”が封印の影響と考えれば繋がるしな。
古城を後にすると、烈紅と合流し岩山の広場へ。
門を潜って再びあの回廊を抜けないと戻れない。
「──訳なんだが…」
烈紅を隣に控えさせたまま静かに門を見詰める。
その理由は簡単。
あの遺跡と同様の可能性が存在している為だ。
「まあ、流石に自爆・自滅するとは思わないが…」
この異界へ来る事は二度と出来無いだろう。
それは惜しい。
この世界の植物群は未知の可能性を秘めている。
“彼方”にも無かった物に好奇心も疼く。
見す見す見逃すには本当に惜し過ぎるのだ。
「人間の性だよなぁ…」
それは底無し、節操無し、際限無しの貪欲さ。
故に技術・学術等は進歩と進化を続けるのだから。
「…取り敢えず出来る事は“別の出入口”を用意して置くって事だけか…」
考える・言う事だけならば簡単なんだが。
これが中々に面倒な作業で時間も掛かる。
懐から懐中時計を取り出し見てみると、現在の時刻は午前11時…もう十分程で正午なんですが。
「欲って恐ろしいねぇ…」
空腹も眠気も全く感じずに過ごしてました。
不意に烈紅の方を見たら、“やっと気付いた…”って感じの呆れた雰囲気で深く頷かれましたよ。
…宅の愛馬達って、本当に頭良い子ばかりだよな。
だから、主側が弟妹感覚で見られてる様な気がしても可笑しくないよね?
威厳なんて無くて良いよ。
信頼関係が確かなら。
「取り敢えず食事しながら術式組むか…」
“影”から食料を取り出し適当な場所に座る。
烈紅の方は食事済みらしく踞って休息体勢に入った。
…いや、本当、だらしない主ですみません。
適当に用意して“影”内に放り込んでいた物の内からおにぎりを二つ程取り出し口に運ぶ。
ん…豚の角煮だ。
…鰹節や昆布の生産を早くしないとなぁ。
“元”日本人にとっては、意外に切実な所だ。
仕事で世界中飛び回ったしサバイバルも経験したけど時々欲しくなるんだよな。
郷土の味って。
そんな事を考えつつ食事をしながら作業を続けた。
──凡そ三時間後。
どうにかこうにか座標軸の解析を済ませ固定と設定、空間結合等の術式の設置し終えた。
終わった時には、暇な上に待ちくたびれた烈紅が横になって爆睡していた。
…まあ、信頼されてる証と言えるんだけどさ。
何か何方が兄か弟かなんてどうでも良くなった。
気にする方が阿呆らしくて苦笑が漏れた。
十一月二十三日。
本日も既に残りの時間は、一時間を切りました。
ええ、辺りはもう真っ暗で月も星も綺麗です。
「何故だ…何故、裏切ったブルータスっ!?」
…そんな可哀想な物を見る様な目をするな烈紅。
人間って生き物は時として馬鹿になる物なんだよ。
…多分、だけど。
まあ、なんだ。
要は戈壁沙漠に入ってから既に六時間以上彷徨ってる事になるんだよね。
予想外って言うかさ。
地図は当然だしモノクルも納得出来るよ。
でもさ?、頼みの首飾りも反応しないって何よ。
どんな意地悪ですか。
新手の虐めですか。
「…分体が使えたら全方位ローラーで一発なのに…」
嗚呼、術者の職業病って、本当に厄介だわ。
手詰まりになるとついつい術頼みの思考をする。
ある意味では悪癖。
困った性分だよ、全く。
「…まっ、下らない思考で凹んでいるよりも手立てを考える方が建設的だな」
多少、愚痴を溢したお陰で気が晴れたし、思考を切り替えて考える。
施された封印は田躊の時の空間歪曲式・空間隔離型と同系統──いや、より高度だろうがな。
あの時の結界は龍族一人が施した物だったから探知・感知する事が出来た。
しかしだ、此方は如何なる存在も近付けない事が前提条件の術式だ。
“方法”も無ければ道筋も用意されてはいない。
寧ろ消されている。
「…何も無い?」
いや、それは有り得ない。
其処に存在している事には変わり無いのだから。
必ず、至る道は有る。
でなければ、託す事なんて出来はしない。
「全方位ローラー、か…」
形式は違うが、遣ってみるだけの価値は有る。
具体的な方法は次の通り。
現在、戈壁沙漠全体で見て東側の三分の一は対象から排除する事が出来る。
残る領域の外周を一回りし大地の状態を確認する。
その状態から“死んだ”と思われる範囲を割り出し、中心点を測定する。
封印の維持の為に大地から氣を吸い上げている以上、大地は死んでいる。
だから、その影響の出方を見れば封印の中心が判り、必然的に道の算段も付く。
かなり強引な方法になるか辿り着いた先には“扉”が用意されているのか。
その為にも、先ずは中心を割り出さないとな。
烈紅を促し駆けた。




