2 備え有れば… 壱
十一月十一日。
日課となった朝の鍛練にて皆を整列させていた。
珍しい事では有るが一様に皆が期待を抱いているのが見て取れる。
俺の正面に立つ華琳を中心にして左右に将師混ざって粗半々に並んでいる訳だが自然と人間関係が出る。
単に仲が良い、気が合う者同士で一緒に居るんだが、公瑾と義封・仲達と公明の様に普段説教されて苦手な態度を見せていても一緒に居る辺りからも揺るぎ無い信頼が有る事が判る。
まあ、説教をされた程度で罅割れる関係ならとっくに離れ離れだろうが。
「…さて、鍛練の前に皆に渡しておく物が有る」
ちょっと予想していた事と違っていた様で皆が驚いた表情を見せる。
まあ、今後の方針だとか、鍛練のステップアップ等を期待していたのだろう。
その中で華琳だけは違った反応をしていた。
想定した幾つかの可能性の中には氣の更なる技法──異形に対する手段の習得も有った筈だ。
ただ、“渡す物”と聞いて一瞬だけ考えた。
考えたが、直ぐに無駄だと結論着けた様子。
細剣等の対器では無い事は華琳自身が一番理解してる事なのだから。
「…それは今後の軍事的に意味の有る物?
それとも日常的に?」
「何方にもだな」
思考を切り替えてから直ぐ的確な質問をしてくるか。
本当、抜け目が無いな。
華琳に答えながら“影”を伸ばし、皆の前に胸辺りの高さにポールの様に立たせ固定する。
華琳が右手を差し出して、受け取る姿勢を取ると皆がそれに倣って動く。
こういう時、阿吽を越えて理解してくれるから此方は本当に助かる。
まあ、其処に胡座をかいて慣れる真似はしないが。
生涯恋愛ですから。
自分の右手も含め皆の手に“影”から目的の物を取り出して渡す。
「これは…鏡?」
「まあ、映らないって事も無いけどな」
確かに、表面を綺麗に磨き上げてるから顔が映る。
各々の手に有る物を動かし不思議そうにしている様を見ていると少し楽しい。
初めて手にする“玩具”に興味津々で好奇心を晒ける子供の様だから。
流石に華琳も外見だけでは解らないらしく、皆程ではないにしても裏をひっくり返して見たりしている。
皆の手に有るのは白銀。
直径7cmの円形。
厚みは1cm。
その一端には突起が有り、真逆の位置には同じ白銀の細鎖が伸び、先端部分には輪っか状の留め具。
現代人なら一目見ただけで何かは判るだろう特徴的な形をしている。
「これは時計だ」
“時計”という言葉を聞き一様に小首を傾げる。
無理も無い。
今の時代有るのは砂時計や水時計──漏刻と呼ばれる類いの物で、手にしている懐中時計などは存在せず、時計の意味合いも異なるし信じ難い事だろう。
まあ、華琳だけは昔教えた知識から“これが…”的な表情で見ているが。
皆に見せる様に右手に持ち人差し指を突起──龍頭に当たる場所に掛ける。
「先ずは俺と同じ様にして持ってみてくれ
利き手で大丈夫だからな」
そういうと同じ形で持ち、俺の方に向けてくる。
その素直さが妙に可愛いと思ってしまうのは男として仕方無い事だと思う。
「お前達は内側──自分の方に向けてて良いからな」
そう、苦笑しながら言うと全員が一斉に顔を赤くして慌てて手を引っ込める。
華琳や仲謀等数名が此方を“先に言って!”と言わんばかりに睨んでくる。
…ふふっ、無駄だ。
今のお前達は可愛いだけでしかないのだからな。
──とか、馬鹿な事遣ってないで先に進める。
「今、指を掛けている所に少しだけ氣を流すと…」
カチッ…と小さな金属音を響かせて突起の方を上側に蓋となる面が開く。
その瞬間、“おお〜!”と小さな歓声が上がった。
そのまま自分の手元に目を落として俺に倣って開き、また歓声を上げる。
やっぱ、子供みたいだな。
「見て判ると思うが数字の12が上に有り、其処から右回りに1から順に並んで一周すると12になる様になってるな?」
造った際にチェックはしてミスは無かったから大丈夫ではあるが、念の為。
あと、曹家の上層部内では普通に数字を使用しており皆も理解している。
数字位ならば世に出しても問題無いが、一応は伏せて使用させている。
「それぞれの数字が時間を示している訳だが…
中心から伸びてる針が三つ有り、各々短い針が短針、長い針が長針、細長く常に動いている針が秒針だ
此処からは時間の説明だが一日は24時間に区切られ1時間は60分に、1分は60秒に区切られる
時計の盤面の数字と数字の間に小さな縦線が四本ずつ入っているだろ?
それが分と秒を示す
秒針の動きを見れば縦線に合わせて小刻みに右回りに動いているな?
その動きが1秒毎だ
数字の場所も含めて一周で60秒を刻み、頂点に──12の所に戻ると、長針が右へ一つ動き1分を刻む
長針が一周すると60分で1時間になる訳だが短針は長針の動きに合わせて常に緩やかに動いてる
その為、長針・秒針の様な動き方はしないから勘違いしない様にな」
大雑把に時間の説明をして皆を見るが…中々どうして理解が早い様だ。
「で、その時間だが…
時計の上には12までしか記されていないな?
それは“正午”を境として午前と午後に分ける為だ
その正午は12時丁度──中天に相当する
午前が朝、午後が夜だな
対照的に午後から午前へと変わる際の夜中の12時を0時とも呼ぶ
此処までの事で質問は?」
そう言って皆を見るが特に異を示す者は居ない。
それを確認して次へ。
「次に時間の見方だが…
分と秒は長針・秒針が指す通りになる
時間は左側の数字を見る
2と3の間なら2時だ
これは2時台だと考えれば判り易いと思う
盤の中央の右、針根と3の間に太陽の絵柄が有るが、それが午前の印だ
午後は三日月の絵柄になる
例えば、三日月が出ていて短針が3と4の間に有り、長針が2の三つ右、秒針は11の一つ右、この時なら午後3時13分56秒だ
以上を踏まえて──孟起」
「……って、わ、私っ!?」
「今の時間は?
秒は抜いて良いからな」
「え、ええ〜と…
…今は5と6の間で…
…8の二つ横だから………
午前5時…42分?」
自信無さ気に答える孟起に意地悪したくなるが、話が拗れるので自重。
「その通りだな」
そう笑顔で肯定してやると大きく安堵の息を吐く。
そんなに緊張しなくても、間違えてもいいんだがな。
「で、機械──絡繰り故に個体差やズレが生じるとは思うだろうが、この時計はそういった心配は無い
製作内容の説明に及ぶから省略するが、これは永久に動き続ける特殊な構造だ
加えて、この時計は全てが連動している
よって1秒の誤差も無く、全員が同じ時間を把握する事が出来る」
「1秒の誤差も…」
「凄いです…」
騒々と声を上げるのは粗が軍師陣だが数名は将からも声が上がる。
彼女達の想像した通りだ。
予定通りに事が運ぶのなら精密な軍事行動が可能。
一々確認の伝令を出したりしなくてもいいのだ。
手間の省略は全体の時間の短縮にも繋がる為、無駄を少なく出来るしな。
「また、盤の左中央に有る菱形の針の付いてる円盤は方位を確かめる物だ
針の赤い側の先は常に北を指し示す特性が有る
で、赤い先端を円盤に有る子の字に合わせる様にして時計を動かす
そうすると自分の居る所を中心に方位が判る仕組みになっている」
まあ、軍事的に必要なのは以上の二点位だろう。
──と、思ってると華琳が此方を見てくる。
「…この盤の下側に三角に配置されてる数字は?」
「ああ、それは左が気温、右が湿度、中央下が標高を各々に示している」
華琳に訊かれた為、普通に答えたが華琳以外は小首を傾げてしまう。
まあ、仕方無い事だな。
「気温は暑さ・寒さを表す物だが、体感とは季節等で差が有るから注意だ
湿度は空気中の水分量……じめじめ具合を表す物だ
その数字が高い程じめじめしたり、蒸し暑くなる
最後に標高だが、海面から見た高さになる
海抜とも言う
数字が大きい程高い場所になるし、他所との高低差を知る為にも使えるだろう
基準点としている場所は…まあ、今は他領だがな」
最後に“落ち”を着けて、肩を竦めながら苦笑。
変に緊張している雰囲気を和ませに掛かった。
「それから気付いてるとは思うが、蓋の内側には鏡を着けてある
手鏡代わりに使ってくれ」
身嗜みを気にする女性用の付属品で俺のには無い。
大して気にしないし。
「少しは気にしなさい…
貴男の立場も有るのよ?」
華琳が呆れ顔で言うと皆が同意とばかりに頷く。
無駄に良い連携するな。
「それから最初に氣を使い開けたが、これは他者では開かない様にする為だ
製作者の俺と各々の持ち主以外では氣を同調させても開かない様になってる
また鎖の先の留め具も同じ仕様だから忘れずにな
この時計は懐中時計と言い衣服などの衣嚢に仕舞って持ち歩く事が前提だ
軍師なら上着の内側にでも軍将なら腰元に着けられる様にしてある
今後は、忘れずに携帯して役立てて欲しい」
そう言うと皆、しっかりと頷き返してくる。
「公明、無くすなよ?」
「私だけ名指しっ!?」
慣れたノリ・ツッコミ。
苦笑と共に、皆の雰囲気が和らいでゆく。
他者が扱えないと言っても無くしたりしたら面倒だと理解しているだろうけど、念には念を、だ。
「他に説明は有るの?」
「そうだな…
耐久性・耐熱性・耐圧性は勿論だが、完全防水だ
元気溌剌な火口にうっかり落としても無事な一品♪
御求めは下記の番号まで」
「そう、激しい戦闘中でも問題無い訳ね」
あっさりスルーの華琳。
意味不明で“?”を頭上に浮かべる皆は…なぁ。
電話なんて無い時代だし、通じないよね。
他に機能は有るけど現状はロック掛けて停止中だから必要ないか。
遣る気も殺がれたし。
曹操side──
朝の鍛練で珍しく整列とかさせるから何事かと思って期待と緊張をしていたけど拍子抜けだったわね。
いえ、時計自体は時代的に画期的──革新的な物ではあるのだけれどね。
(これが五つ…いえ、三つ有るだけでも十分よね…)
優秀な指揮官──将師なら連動して動く事自体は然程難しくはない。
しかし、時計が手に有れば時間を決めて連動する事が可能になり、それは能力で劣る者でも動きを合わせる事が容易くなる。
有利ではある。
しかし、広まってしまうと此方に害悪を生む可能性も少なからず内包する。
雷華が氣による使用制限を設けたのも、そう言った事からでしょうね。
如何に優れた技術や知識も人の在り方・世の流れ等を見極めた上で広めなければ必ず破綻と破滅を招く事を雷華は知っている。
“歴史”という形の一つの果ての“答え”を。
(尤も、聞いていた話から考えても、この時計の様に完全に同調するというのは難しいでしょうけど…)
限定的・一時的なら可能な事だとは思うが、恒久的な同調というのは至難。
“彼方”の知識には乏しい私でも考え着くのだから、恐らくは間違いない。
まあ、それだけ雷華の持つ技術は異常なのだけれど。
(その異常さ──危険性を誰よりも理解しているから私も安心出来るのだけど…
我ながら安易よね…)
雷華の説明が終わった後、皆が思い思いに時計を見て和気藹々と話しているのを眺めながら、気付かれない様に苦笑する。
理由も確証も無い。
それは無垢にして矛盾。
根拠の無い信頼。
それでも、それを疑う事も捨てる事も、消す事も…
私は絶対に無い。
夫婦として、恋人として、何より──彼と並び立つ者としての誇り。
必然とも言える本能。
故に理由は要らない。
信じている、信じられる。
それだけで十分。
(…ふふっ、これは本当に厄介なものだわ)
理屈・理論屋の自分が全く逆の事を肯定する。
単にこれも雷華の所為。
“惚れた弱み”故に。
何より困ってしまう事は、胸の中に湧き広がり満たす暖かさが優しい事。




