33 深まる季に
十月三十一日。
泱州の新設から二週間。
梁郡・陳郡・魯郡が任地の面々が許昌に帰還した。
郡各々の後任が抜ける分、中央の人材は減る。
一時的に質も落ちる。
しかし、次代や新鋭となる者達を育てる為には絶対に代替わりは必要。
加えて、中央は主力となる面々が受け持つ。
経験を積ませるなら各地に配した方が効率が良い。
まあ、その主力も途上。
これからでは有るが。
「手を動かしなさい」
「…あい」
現在、華琳の執務室。
え?、何をしてるかって?御仕事ですよ御仕事。
華琳じゃなくて机と竹簡とイチャついてますよ。
…言ってて虚しいな。
何故、こんな状況か。
この間の麺麭の一件の話をしたら怒られたんだよ。
そういう話は真っ先に私にしなさいって。
仕方無いだろ。
だって面倒だもん。
結局は許可が出るって事が判ってるだけに。
「それでも必要な義務よ
組織に“ほうれんそう”は必要不可欠でしょう」
御尤もで御座います。
特に上層部が怠っては絶対駄目な事です。
「貴男の遣る事だから害に成りはしないでしょうけど一応は組織の一員なのよ
その辺を察して、少し位は自重して欲しいわ」
有難〜い、御小言です。
──とか考えてたら正面の華琳から睨まれる。
因みに机を向かい合わせにくっ付けている状態なので少し腕を伸ばせば、互いに届く距離に有る。
だが、机が邪魔で抱擁も、キスも出来無い。
…生殺し…だとっ!?
「こうでもしないと貴男は直ぐに逃げるでしょう」
…反論出来ません。
呆れた様に言う華琳だが、その手は止まらない。
流石、と言うか、やっぱり慣れてるな。
俺は現場向きなんだよな。
遣れば出来るけどさ。
「珀花や灯璃、翠辺りにも散々言ってる立場の貴男が遣らないと示しが付かないでしょうに」
…その通りで御座います。
普段から義封達に偉そうに言ってる手前、遣らないと説得力が無くなる。
だから、遣るには遣る。
──んだけど、何と言うか遣る気が出ない。
…燃え尽き症候群かな。
「…はぁ…全く…
この仕事が片付いたら私も今日は暇だから──」
「さあ、遣ろうっ!
この程度の書類仕事なんかちょちょいのちょいだっ!
さっさと片付けようっ!」
仕方無い、と華琳の言った言葉の意味を察した。
と言うか、言質は取った。
自然と遣る気が出る。
目の前で呆然から溜め息を経て苦笑する華琳。
ただ、その苦笑の裏側には喜楽の感情が確かに有り、俄然気合いが入った。
曹操side──
方針関係の話が有るからと楽しみにしながら聞けば、事後報告じゃない。
それはまあ…雷華の方針は悪くないし、結局は許可を出すでしょうけど。
それでもっ!
先ずは私に話すべきだとは思わないのかしら。
私は貴男の妻なのよ。
……そ、曹家の当主という立場なのよ!
少しは考えなさいよ。
──という遣り取りの後、雷華に罰として私の仕事を手伝わせた。
…本音を言えば嫉妬よ。
自分が最初では無い事への不満が苛々の主因。
だから、他の娘達には悪いけれど今日は貸し切り。
私も仕事を済ませたら後は二人きりで過ごす。
確か…“彼方”で言う所の“デート”だったわね。
恋人・夫婦が一緒に過ごし色々と楽しんだりする事、だった筈。
此方で言う所の逢い引きが相当するとも雷華が言っていたかしら。
結局は似た様な物だから、何方らでも構わないわね。
──そんな思考と経緯の末現在は雷華と街に居る。
そのままの服装でも問題は無いのだけれど、それだとどうしても公的な雰囲気が残ってしまう。
という訳で、着替えた。
雷華は面倒そうだったけど口にはしない。
その程度には女心も空気も読めるものね。
私の服は白のワンピースに藍色の上着を羽織った形。
雷華の方は上下は黒で白の上着を羽織っている。
髪型は揃って三つ編み。
私が紅、雷華が青の髪紐を付けている。
お互いの瞳の色。
雷華の提案なのだけれど。
こういった然り気無い所で好感を与えるのよね。
雷華の左腕に絡ませている右腕でしっかりと掴まり、身体を預ける様にする。
個人的には歩き難いだろうとは思うのだけど、器用に平然と歩いている。
大した物だわ。
それから公衆の面前で私が堂々と腕を組んでいる事も雷華の配慮が有って。
端から“甘えている”様に見えそうで見えない。
その理由は雷華が私の方に歩調を合わせているから。
なので端から見ると大体は私が連れて歩いている様に見えている。
ちょっとした目の錯覚だと雷華は言うけれどね。
意図的にしている事からも巧妙な偽装・誘導技術だと言えるわ。
まあ、私達の関係が公な事も一因でしょうけど。
夫婦仲が良いのは自他共に認める事実なので今更隠す必要も無いし。
その辺りも利用してるのが雷華らしいわ。
此方の想いを踏み躙ったりする事は絶対しないし。
後は側室問題さえ片付けば文句は無いのだけれどね。
──side out
取り敢えず、初デートって事で街に出た訳だが…
さて、どうするか。
先ず此方で適当に決めても良いんだけどさ。
結局は文句言うだろうし。
華琳の性格的にも主導権を預けっ放しなんて事は考え難いしな。
「何処に行く?」
腕を組んだ姿勢のままで、左隣を歩く華琳に訊く。
折角の初デートなんだし、一緒に考えながら歩き回り楽しむのも有りだろう。
在り来たりな定番よりも。
「そうね…取り敢えず昼食からかしら…
それとも少し遅らせる?」
現在は中天──正午過ぎに当たる頃。
確かに混む時間帯だ。
忙しなく食べるよりは少し時間を外して、ゆっくりと食べたい所だな。
「なら、後者で」
「私もその方が良いわ」
自分も同じと言いながら、然り気無く此方を立てる。
遣りおるな。
男心には効果抜群だ。
「それじゃあ、時間潰しに買い物でもするか?」
「そうね…折角荷物持ちも居る事だし、良いわね」
さらっと決定事項だな。
女の買い物に付き合う男の宿命だから文句は無いが。
「配達して貰っても良いが程々にな?」
「ふふっ、判ってるわ
先ずは、此方からね」
そう言って俺の腕を引いて楽しそうに歩く華琳。
その姿を見ていると自然と此方も笑みが浮かぶ。
普段、当主という立場から軽々しい事は出来無い。
する気も無いだろうが。
その分、こういう時にこそ羽を伸ばして貰いたい。
一人の女の子としての時を大切にして欲しい。
勿論、恋人としてもだし、夫婦としてもだけどな。
──そんな風に自分勝手なヒロイン像を創って語った自分に言って遣りたい。
お前は馬鹿だと。
この時、自分の感傷に浸り酔っていた事を。
確実に後悔するのだと。
「ほら、意見は?」
「…似合って居ります」
くそっ…油断した。
連れ込まれたのは服屋。
その一角に陣取る様にして宅の姫君──否、女王様はサディスティックな笑みを浮かべ此方を見ている。
下着を両手に持って。
最近はずっと新婚モードで従順で純情で可愛らしくて──いや、常に可愛いが、大人しかった為、ついつい忘れていた。
超の付く負けず嫌いで有り悪戯好きな事を。
特に自分が気に入った者を揶揄うのが大好き。
……似た者同士だな。
というか、自業自得。
いや、因果応報か。
昔、散々揶揄ったからな。
…仕方無いか。
曹操side──
“時間潰し”と聞いて頭を過ったのは懐かしい記憶。
それは微笑ましくも有り、羞恥に塗れている。
その瞬間、私の心の奥底に赤い三日月が浮かんだ。
幸い、と言うべきか。
雷華は気付いていない。
表向き──と言っても嘘を吐く訳ではなく本音だけどデートを楽しむ姿を見せて油断させる。
ちょっとでも演技をすれば雷華は感付く。
幾多の死線を潜り抜けて、磨き上げられた嗅覚で。
だから、自然に。
本当の姿でなければ雷華を騙す事は出来無い。
そして、いきなり本陣へと向かう真似はしない。
先ずは警戒心を殺ぎ落とす為に他意の無い場所を巡り普通にデートを楽しんだ。
本屋・雑貨屋・茶屋…
それらを経て目的地である服屋へと入った。
雷華自身、宅の娘達の内の何人かには服を買っている事も有って慣れた様子。
実に好都合だった。
曹家の傘下、私を始め皆も利用する事の多い店なので奥に陣取り、人払いをする事なんて簡単。
勿論、他の客達を追い出す様な事はしない。
そして、漸く始める。
雷華に私の下着を選ばせて反応を楽しむ時間を。
「似合ってる、だけなの?
もっと“具体的に”言ってくれないの?」
「…くっ…」
想像力が高いだけに容易に下着姿を思い浮かべられて私の肢体を知っている分、より生々しくなる。
他の男に想像されるなんて御免だし絶対に嫌だけど、雷華ならば真逆。
女としての歓喜が有る。
何より、他の娘達相手では平然としている雷華だけど“妻”に対しては弱い。
意外、と言うと誤解されるだろうけど、雷華は実際は照れ屋で初なのよね。
普段は絶対に見せないから“女の勘”でしか気付けはしないでしょうけど。
紫苑辺りは気付いてるし、言わずに楽しんでる辺りも中々に強かよね。
「ねぇ…どうなの?」
思考を戻し、今を楽しむ。
態と下から見上げる角度で顔を覗き込み訊く。
然り気無く、身体の輪郭を見易くしてあげる。
因みに“趣味が悪い”とか文句は言えない。
だって、昔雷華自身が私にさせていた事だもの。
当時は衣装だったけれど。
まあ、恥ずかしかったけど楽しくもあったわね。
見知らぬ衣装を着たりしてお洒落出来たし。
…婚礼衣装の参考資料には日常的な衣装は無かったし別に持ってるのかしら。
…持ってそうだし後で問い詰めてみましょう。
ふふっ、楽しみだわ。
──side out
長い──長かった一日だが漸く、夜を迎えた。
寝室の寝台に俯せに身体を投げ出して寝そべる。
香る、お日様の匂いが妙に安心感をくれる。
その感覚に身体を委ねると自然と緊張が緩む。
「…疲れた…」
「だらしないわね〜」
台詞とは裏腹に御機嫌だと判る明るい声。
クスクスッ…と漏れている笑い声も有るし。
此方は今日一日で蓄積した精神ダメージでテクニカルノックアウトだ。
「誰の仕業だ…」
「さあ?、誰かしら?」
しれっと言いながら華琳が寝衣に着替えている。
何で判るかって?
衣擦れの音がするし時間と場所を考えれば、な。
結局、あの後華琳がノリにノってしまい昼食も抜きで夕方まで続いた。
満足気な肌艶の良い華琳が実に印象的だった。
…ちくせう。
買い物の方も、きっちりとしていたし。
しかも、俺が関係してない所で選んだのが八割。
…完敗です。
「ほら、いつまでも拗ねて居ないで着替えなさい」
「拗ねてないもん…」
「そう、なら早くなさい」
鰾膠もなくスルー。
無言の中、心でムクッ…と沸き立つ感情。
その感情に従う。
ギッ…と音を立てて軋んだ寝台に腰を下ろした華琳を背後から抱き締める。
「ちょっ、こら──」
「華琳の責任だからな」
言いながら華琳の首筋──右側の鎖骨へと唇を這わし啄む様にキスをする。
不意打ちなので嫌がる様に小さな抵抗。
無駄だとは判っているが、一応の御約束の行動。
──と、華琳の身に付ける下着が目に入った。
淡い、紫色。
過度な装飾はなくデザイン自体はシンプルで、草花が両カップにワンポイントであしらわれている。
個人的に気に入った品。
自然と華琳を見た。
目が合うと頬を──耳まで赤くする華琳。
でも、視線は外さない。
明確な華琳の意思表示。
意図された予定調和。
だが、関係無い。
今はただ、全てが恋しく、愛しくて堪らない。
あしらわれた花に忍ばせた華琳の想いが嬉しい。
それは秋の花・杜鵑草。
花言葉は──
──永遠に貴方のもの。
長き時を経て、花は咲き、深く季を刻み、実を結ぶ。
世界は廻る。
新たな蕾を育んで。
二章 泱興ノ伝
了
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