12 雨降りて…
━━夷陵
特に問題も事故も無く船は無事に到着。
時間は予想したよりも早く昼前だった。
男とは降りて直ぐに永安に向かう船に案内し別れた。
因みに、最後の最後に男とバラしたら口を開けたまま唖然としていた。
その後、甘寧達と街に入り昼食を摂って、宿を取り、後は休息──とはならず。
甘寧の話では日没までには戻れるとの事なので二人で“墓参り”に行く事に。
…黄忠?
既に甘寧と話が出来ていたのか留守番。
栗花は颶鵬という旅仲間が出来てか嬉しそうだった。
そんな訳で、森の中。
凌操を探した時とは違い、道が判るからか甘寧の足は軽快に進む。
「大体何れ位?」
「一刻と言った所だ」
二時間…慣れた者で、か。
帰り道は下りになるから、幾らか早いだろうが。
それに、向かっている所は所謂“隠れ里”になる。
正面な道は無いだろうし、外部からの侵入も出来無い様になっている筈。
楽な道程ではないか。
(…其処で“何か”が…)
そう考え、頭を掻く。
悪い癖だ。
一度気になると納得出来るまで事を追究しないと気が済まない。
例えそれが“傷”を抉ると判っていても。
「…聞きたい事が有る
だが、無理強いはしない」
そう切り出す。
足を止めも緩めもしない。
「…里の事だな」
「ああ…」
直ぐに察したらしい。
だが、揺らぎは無い。
「もう十年も前の事だ…
当時はまだ私も幼かったが鮮明に覚えている…」
静かに語り出す甘寧。
余計な口は挟まない。
「今回の様な話ではない
よく有る…特に変わり映えもしない、何処にでも有り触れた話だ…
当時の里は俗世間から離れ自給自足で暮らしていた
常に皆で助け合い、笑顔が絶える事はなかった…
ある日、一人の青年が熱を出して倒れた
医者が居る訳でもないが、大抵の事はどうにかなっていたから楽観的だった
だが、三日後の事だ
男はまるで見えない何かに怯える様に剣を振り回して狂った様に暴れた
その時、十六人が殺され、四十三人が負傷した
男は槍で突かれて死んだ
しかし、それで終わりではなかった…
それが“始まり”だった」
そう言った所で甘寧は足を止めた。
目の前には岩壁が聳える。
甘寧は特に説明する訳でもなく、岩壁の凸凹を使って器用に登って行く。
うん、襦袴を買って置いて良かった。
そう心から思った。
20m程の岩壁登攀を終え振り返ると、綺麗な景色が眼下に広がる。
人は何故、山に登るのか。
「其処に山が在るからだ」
「…いきなりどうした?」
つい、口にしたら甘寧から心配そうに見られた。
「…気にしないで下さい」
敬語で言ったからか甘寧は追究はしなかった。
そのまま山林の中に入り、鬱蒼と茂る中を掻き分けて進んで行く。
足下をよく見れば、過去に山道として使用されていた痕跡が有った。
それは既に、甘寧の故郷の活動範囲内だという証。
「話の続きだが…
男が死んで半月程経った頃
里中で熱を出し倒れる者が相次いだ
そして、僅か五日の間に、五十七人が死んだ
皆、手足を痙攣させたり、もがき苦しんで…な」
其処で言葉切る甘寧。
今度は深い谷が現れた。
谷の両側から身を乗り出す様に伸びた大木の幹を伝い谷を渡る。
その後は再び山林。
「里の大人達は“呪い”だ“疫病”だと大騒ぎ…
里を棄てる棄てないで随分揉めたが…
結局、これ以上の犠牲者が出る前に、と…
里を棄てる事になった
だが、里を出ても行く宛が有った訳ではない」
「その結果として錦帆賊が誕生した──生きる為に」
「そうだ」
成る程、一党の成り立ちが結束や義賊としての矜持に反映されていたのか。
「…三年前、死んだ凌統を私達は此処に埋葬した
私達の中で、誰よりも里に帰りたいと思っていたのが凌統だったからな…」
不意に話す甘寧。
だが、里の話をした時とは違い、未だ“傷”のままと判ってしまう。
「凌統は何故、里に帰る事を望んでいたんだ?」
「…さあな…
戦う事を嫌っていたから…
平穏な頃に帰りたいとでも思っていたのだろう」
そう言った甘寧だが…
“甘い”と切り捨てる様な台詞とは裏腹に、声色には憂いが滲む。
「…これは飽く迄も個人的見解に過ぎないが…
凌統が里に帰りたい理由は戦いを嫌ってではない」
「…ならば、何だと?」
「恐らくは…お前だ」
「………何?」
甘寧が足を止め振り返る。
その双眸は俺を射抜く様に鋭く睨み付ける。
「お前が言った様に凌統は“あの頃”に帰りたい…
“あの頃”の様に戻りたいと願っていたんだろう
但し、凌統が求めたのは、“平穏”ではない」
「なら…それなら、お前は何だと言うんだ!?」
「…なあ、甘寧、お前──笑ってるか?」
鬱蒼とした深い森の奥。
周辺は草が延び放題だが、人々が生活していた痕跡が“開けた場所”という形で残っていた。
そして、その一角。
其処に小さな泉が有る。
泉の畔まで歩いて行くと、小さな石が有った。
地面より高く盛られた土、その中央に置かれた其れは間違い無く“墓標”…
つまり凌統の墓だ。
「何方に埋葬する?」
あれから黙ったままの甘寧に訊ねる。
「…燕は…凌統は、いつも凌操の左に居た…」
そう呟く様に答える甘寧。
その声は、何かを抑え込む様にか細い。
「そうか、なら…」
空を仰いで、太陽の位置を確認する。
日照を考え、穴を掘る所を決定する。
「此処が良いだろう」
「判った…」
短い遣り取り。
スコップの無い時代。
使うのは壊れた鍬を改造し作った物。
1m程掘り下げる。
作業は会話も無く黙々と。
“慰め”や“同情”を伴う言葉を言うのは簡単だ。
しかし、今の甘寧に必要な言葉は俺には言えない。
それは亡き凌統が。
死んだ凌操や仲間達が。
甘寧の中に“生きている”のなら届く。
俺に出来る事は、見守って待ってやる位だ。
「…これ位で良いだろう
それで、どうする?」
「…凌統は直に埋葬した
土に還っただろうからな…
凌操も土に還してやりたい
用意して貰って悪いが…」
「気にするな
お前がどうしたいか…
それが大切なんだ」
そう言い右手で甘寧の頭を撫でてやった。
手を離すと甘寧は頷いて、骨壺の蓋を取る。
「…凌操、私達の生まれた場所に帰って来た
此処ならお前も落ち着いて眠れるだろう…」
穏やかな表情で甘寧は骨壺から遺灰を移す。
ゆっくりと零れ落ちる灰。
最後の一欠片まで見届け、二人で土を被せる。
土を盛り終わった後、予め用意していた物を出す。
「…それは…」
「穏やかなのは良いが…
少しばかり寂しいからな」
用意していたのは墓石。
二人の姓名と、歌を刻んだ手製の品。
序でに生花と、李の苗木を数本。
骨壺を二人の間の手前側に埋め込み、花立てにして、水を注ぎ、生花を活ける。
苗木は墓の回りに。
日当たり等も考慮して。
最後に手を合わせ祈る。
二人の冥福を。
「…さて、俺は先に戻る
話したい事も有るだろうし遅くならない程度にな」
「ああ…判った」
甘寧を残し、立ち去った。
甘寧side──
飛影が去り、二人の墓前に佇みながら思い出す。
「…なあ、甘寧、お前──笑ってるか?」
「……な、何を…」
「お前と出逢ってからまだ十日足らずだ
だが、大体の性格は解る
責任感が強く、真っ直ぐで一途…
しかし、悪く言えば愚直
しかも自分に厳し過ぎるし余裕も無くし勝ちだ」
私は言葉に詰まる。
それは燕にも言われた事。
「一党を守る、その責任に囚われる余り、笑う事さえ忘れていた…
そんなお前に凌統は笑って欲しかったんだと思う」
「だ、だが、私は…」
「“頭目だから”…
だから何だ?
そんな事関係無いだろ?
お前だって人なんだ」
「…それ、は…」
飛影の言葉が私の“鎧”を剥いでゆく。
「凌統が言いたかった事
それはな…」
口と喉が乾く。
唾を、息を飲む音がやけに大きく響く。
「お前は“独り”じゃない
自分が、兄が、仲間が…
錦帆賊という“家族”が、一緒に居る
だから、“一人”で全てを背負わなくても良い
そう、伝えかったと思う」
それは頭を殴られた様に、胸を抉られた様に私の心を打ち砕いた。
…チリン…
…ねぇ、思春?…
…もう、いいよ?…
…泣いても…
…いいんだよ?…
…だって…
…一人じゃないんだよ?…
…貴女には…
…一緒に居たい人が…
…一緒に居てくれる人が…
…傍に居る…
…だからね…
…生きて…
…私達の分も…
…生きて…
…そして…
…幸せになってね…
…チリン…
「…ぁ……ぁぁ……ぁ……
…ぅ…ぅぁ…ぅ…っ…ぁ…
うあぁああぁああっ!!!!」
“全て”が溢れ出す。
頑丈な蓋をして心の奥底に圧し籠めていた、気が狂いそうな程の感情の奔流。
それが一気に流れ出す。
渇れていた筈の涙。
忘れていた筈の泣き方。
けれど、今は自然に。
私の“全て”を在るが儘に受け止めてくれる。
包み込んでくれる。
この“温もり”が。
背中を抱く腕が。
安心する懐が。
頭を撫でる掌が。
その全てが。
私に教えてくれる。
“此処”が──
私の居場所だと。
恥ずかしい。
一人の今、思い返しても、恥ずかしくて仕方無い。
なのに──嬉しい。
そう感じている自分が居て戸惑いもする。
まるで幼子の様に泣き喚き飛影に全てを吐露した。
いや、正確には言葉にした訳ではなく…
“心”を晒け出したと言う方が適切だろう。
(…彼奴は私をどう思っただろうか…)
軽蔑や嘲笑はしない。
二人だけの時は揶揄う位はするかもしれないが…
他人に喋る様な真似だけは絶対しない。
そういう男だ。
チリン…と肯定する様に、胸元の鈴が鳴る。
サァァ…と風が吹く。
揺れた草木の葉が鳴る。
目蓋を閉じれば浮かぶ。
幼い日の記憶。
平穏だった里での日々。
燕との日常。
(…ん?…そう言えば…)
ふと、浮かんだ疑問。
飛影は何故“李”の苗木を選んだのだろう。
苗木は他にも有るのに。
「昔の事は話してない
燕の事も…なのに何故…」
以前、鈴に氣を送った時、残っていた燕の氣から読み取った…有り得ない。
そんな事が出来るのなら、態々里の事を聞いたりする必要が無い。
だとすれば何を以て選んだのだろう。
「…後で訊いてみるか」
そう呟いた自分に気付き、思わず苦笑する。
自分の居場所、帰る場所は“其処”だと。
理屈ではなく理解しているのだから。
「…はぁ…」
漏れた溜め息は己に対し。
鈍いにも程が有る。
あの時の“感覚”の答えに漸く気付けた。
「…これから知って行けば良いだけ、か…」
以前、飛影に言われた事。
確かにその通りだ。
知らないなら知れば良い。
知らないまま、判らないと言うより…
知る努力をする。
その方が意味が有る。
確かな実りが有る。
私は知って行こう。
私の知らない世界を。
「燕、凌操、皆…
見ていてくれ
私は精一杯生きる…
生きて“意志”を繋ぐ」
チリン…と鈴が鳴る。
ふっ…と笑みが浮かぶ。
見上げた空は青く。
清々しく晴れ渡る。
止まない雨は無く──
雨は降りて地を潤す。
そして“命”は芽吹く。
小さくとも、決して挫けぬ力強き“命”が。
──side out。