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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
133/915

30 彷徨の果てに 壱


 曹操side──


雷華が御父様の行方を探し出掛けたのが今日の未明。

早いから起きなくても良いとは言っていたけれど妻の立場・沽券という物が有るので見送った。


その後、二度寝しようかと思ったのだけど眠気は無く何をしようかと悩んだ。

基本的に鍛練は雷華の提示している内容を規定量だけする様に言われている。

過ぎたるは及ばざるが如しという事らしい。

また氣の鍛練は雷華が居る場合に限られる。

唯一、許容されているのは練氣だけ。

読書でも良いが面白そうな物は雷華の“影”の中。

表に出せない代物故に。

悩んだ結果、練氣と言語の勉強をする事にした。

今は大宛等で使われている言語の習得中。

普段は使わない言語だけに中々に難しいものだ。

まあ、楽しくは有るけど。


そんな感じで時間を潰し、いつも通りの生活に。

鍛練・朝食・会議・仕事…別段問題も無く夜を迎えて一日が終わる。


自室──普段、雷華と共に寝ている寝室の方ではなく私の私室の方──の寝台に横になって天蓋を見詰めて現状の事を考える。



「…変な感じね」



正式に雷華と夫婦になって仕事や調査等で離れる事は有ったが、自分の親絡みでというのは初めて。

それも長年避けてきた父の行方の調査の為。

複雑としか言えない。



「…御父様…田子泰…」



雷華に聞いた“歴史”上の存在とは違う。

私の父親。

御母様の愛した──いえ、愛する男性。


どんな人だったのか。

興味が無い訳ではない。

ただ、どういう風に訊けば良いのか判らない。

その一因は故人である事。

確たる証拠は無いが、先ず間違い無いでしょう。



「…現金な者だわ」



我ながら軽薄な事だと思い自嘲的に苦笑する。

この事を雷華に言えば多分“悪い事じゃないさ”とか言うのでしょうね。

ずっと否定して来た父親を今になって知りたいと思う薄情で身勝手な娘。

私が自身をそう思っても、雷華は笑うのだろう。

或いは怒るだろう。

所詮、私が思っている事は自己嫌悪でしかない。

いえ、自己満足かしら。

懐く後ろめたさ・罪悪感は後悔からの感情。

自分を“愚者”とする事で責めて赦そうとしている。

“悲劇の主人公”を気取り仕方無い事だと誤魔化して有耶無耶にしようと。

実に小賢しい限りだ。

それを自覚している辺りも質が悪いと思う。

ただ、こうして自分の心と向き合えるのも雷華が居るからだと思う。

その厳しさが、優しいさが教えてくれた事だから。

己の弱さと向き合う強さの大切さを。




雷華が出掛けて一日。

朝、傍に居ない事に僅かな切なさを、寂しさを覚えてしまうのは内緒。

言えば揶揄われるだけ。

まあ、その分甘やかしてはくれるでしょうけど。


着替えを済ませ向かうのは城内の食堂。

普段、雷華や皆が居る朝は邸宅の方で朝食を摂る様にしているが、居ない時には此方で摂る。

雷華が居ると大体は朝食を作ってくれるのよね。

美味しいし。

“餌付け”と言われ様とも気にならないもの。

“恋愛は胃から攻める”と言う説も有る位だしね。

食欲には抗い難いわ。

小さく苦笑を浮かべながら食堂へと入る。



「よっ、おはよう」



──瞬間、立ち止まる。

暢気な口調で、声を掛けて来た相手を見て思わず目を見開いてしまう。

が、直ぐに右手を眉間へと持って行って、俯きながら溜め息を一つ吐く。



「おはよう、じゃないわよ

何時帰って来たの?」



顔を上げ少し睨む様にして訊ねる相手は雷華。

椅子に座り、食卓に乗せた右腕で頬杖を着いたままで此方を見て苦笑する。

雷華の居る卓の向かい側の席に歩いて行き、座る。



「つい、さっきだよ

取り敢えず、朝食を食べて報告するつもりだったし、来るだろうと思ってたから部屋には行かなかった」



私が言外に“真っ先に顔を見せに来なさいよね”とか言いたいのを察して説明をしてくる。

尤もなので言い返せないが文句は言いたい。

言いたい…けど、言っても仕方無いので我慢する。



「私も同じ物を御願いね」


「畏まりました」



私の分の御茶を運んで来た給士の娘に注文を伝えると右手で茶杯を持ち一口。

口を潤して一息吐く。

一旦、胸中に渦巻く感情は置いておく。



「確か、数日は掛かるって言ってなかったかしら?」


「予定は未定だ」


「“言葉遊び”をしている場面ではないでしょ?

まあ、その様子を見る限り問題が有った訳ではないのでしょうけど…」



雷華の性格からして途中で切り上げたり、中断したりするのならば相応の理由が有るでしょうからね。

報告を後回しにしている事からも、それは無いのだと判断する事が出来る。

焦る事も急ぐ様子も無い。

余裕綽々な態度からしても“終わった”という事。


それが判っただけで自然と緊張している自分が居る。

朝食の後、御母様を交えて雷華から語られるであろう御父様の真実。

期待と不安が入り混じる。




話すと言っている事も有り追及はしなかった。

留守にしたのも僅か一日。

別段変わった事も無いので食事中の会話は他愛ない。

料理の話や街で聞く噂話等日常的な内容。


そんな感じで朝食を終え、私は御母様を呼びに行く。

侍女や兵に命じても良いが事が事だけに公にはしない様に配慮して、だ。

皆に教えるかどうか。

それは私達の判断するべき事ではない。

確かに娘の私ならば無関係ではないけれど。

でも、その判断は妻である御母様がすべき事。

私達はそう考えた。


城内に有る御母様の私室の戸の前で立ち止まる。

ゆっくりと深呼吸。

気持ちを整え、戸を右手でノックした。

御母様の返事を受けて戸を開けて中へ入る。



「失礼します、御母様

御早う御座います」


「おはよう、華琳

今日は随分と早いわね…

何か有ったのかしら?」



丁度身仕度が整ったばかりだった様で御母様は鏡台の前の椅子に座ったままで、身体を此方へ向ける。

いつも通り、大様な様子で訊ねられる。

普段なら緊張感を殺ぐれてしまう所だが、今日だけはそういう訳にはいかない。



「雷華が戻りました」


「…っ…そうですか…」



珍しく、動揺──と言うか緊張した面持ちをされて、静かに返事をする御母様。

あの時は“過去の事”だと言う様に、既に割り切った印象を受けた。

勿論、今でも御父様の事を愛しているのは確か。

だって、母娘だもの。

それ位は判るわ。

ただ、それでも実際に事の顛末──事実を知る覚悟は別物だという事。

全てを受け止め向き合うと決めていても、いざ本当に実現すると複雑な物。

特に十九年もの時を経て、諦めていた──有り得ない事だろうと思っていた事が実現するのだから。

誰であっても、少なからず戸惑うだろう。

御母様だって例外ではないという事。



「雷華は先に邸宅の方に…

何か準備するそうです」


「…気を遣わせてしまったみたいですね」



そう言って苦笑される。

流石と言うべきか。

今の遣り取りだけで雷華と私の配慮に気が付かれた。



「御母様…」


「…大丈夫ですよ」



つい心配して声を掛けたが御母様は笑顔で頷かれる。

こういう時、雷華の性格や察しの良さが羨ましい。

傷付く事を、傷付ける事を躊躇わず踏み込み、本当の意味で支えられるから。



「行きましょう」


「はい」



立ち上がった御母様の声に私はしっかりと頷いた。




雷華が居るのは邸宅に有る広間の一つ。

用途としては宴会場等。

普段は物が無いので室内は殺風景では有るけれど。


扉の前で立ち止まり後ろの御母様を振り返る。

視線で良いかを訊ねると、静かに頷き返される。

扉をノックし、雷華の声を聞いて中へと入る。


視界に入るのは雷華の姿とその後ろに有る物。

本来、室内に有る筈の無い其れは実に不自然に映る。

長さは七尺、高さは二尺程だろう木製の箱。

材質は樫だろうか。

丁度大人一人分が入る位の大きさをしている。

紛れも無い──棺だ。



「御早う御座います」


「おはよう、雷華さん」



笑顔で挨拶を交わす二人。

雷華は兎も角、御母様には緊張の色が滲む。

こうして確と目の当たりにすると殊更に実感が湧く。

…まあ、これで中身が無いなんて落ちはないとは思うのだけど。



「御義母様、朝早くの事で申し訳有りません」


「いいえ、此方こそ貴男に面倒を掛けます」



若干、だが御母様の口調が堅い気がする。

いえ、寧ろ御母様の立場で考えれば必然か。

如何に娘婿だと言っても、直接の関係は無い。

しかも私が産まれるよりも前の事なのだから御母様が申し訳無いと思う気持ちは当然だと言える。



「さて、本題ですが…

長々と説明をしても憶測の域を出ません

ですから簡潔に言います」



一旦、言葉切る雷華。

御母様だけでなく私自身も緊張から息を飲む。



「…調査の結果、田子泰と思しき遺骨を発見…

傍らには曹家の宝剣らしき剣も有りました

此方が、その剣です」



そう言いながら両手で布に包まれた剣を取り出す。

目の前で開かれた布の中に有ったのは御母様に聞いた通りの宝剣の姿。

青を基調に、紅い蔦の様な紋様が施された美しい鞘。

全長は三尺四寸程か。

抜き身ではないので正確な事は判らないが鞘の形状を見る限りでも先に行く程に細まるのは細剣の特徴。

何より、言い表せない程の不思議な雰囲気を纏う事が“普通”ではないと私でも理解出来る。

雷華が言っていた通り。

あの二槍と同じ様に特異な存在なのだと。

思わず見入ってしまう程に惹き付ける何かが有る。

これも血筋だろうか。



「…間違い有りません

宝剣・倚天青紅です」



御母様の言葉に我に返り、細剣から雷華へ視線を戻し訪れる瞬間に拳を握る。




雷華が細剣を再び布に包み一旦片付ける。

そして、私達の前から横に退ける様に移動する。



「この中に発見した遺骨を安置して有ります

既に白骨と化していますが衣服等は汚れは有るものの原形を留めています

御義母様、御確認を御願い出来ますか?」


「…はい」



雷華の言葉に答えると棺に向かって足を進める。

その足取りに可笑しな所は見られない。

それなのに錯覚する。

僅か十歩にも満たない筈の距離なのに非常に長く遠く感じてしまう。

それは私に限らず御母様も同じなのだと思う。

私以上に、そう感じている事だろう。

僅か数秒が長い。

僅か数歩が遠い。

けれど、歩みを止める事は決してしない。

止めてしまえば二度と先に進めないだろう事を私達は理解している。

今、この時が最初で最後の選択の時なのだと。


漸く、といった感じの中で棺の側へと辿り着く。

棺の幅は二尺程。

御母様の方を見れば俯いてじっと棺を見詰めている。

雷華の話からすれば遺骨は亡くなった時のままの姿と考えてもいいだろう。

となれば、御母様にとって最後に見た御父様の服装をしている事になる。

勿論、遺骨が御父様だったとしたらではあるけど。


今、御母様の視線の先に、その瞳には何が見えているのだろうか。

在りし日の御父様の姿か。

或いは最後の夫の姿が。

まだ、子供の居ない私には判らない感情だとは思う。


フゥッ…と、一息吐かれて私の方を見る御母様。

その眼差しに“開ける”と意思を感じ、頷く。

棺の蓋に両手を掛けて力を込めて持ち上げる。

いつの間にか対面に移動をしていた雷華が落下しない様に蓋を支えて床に置く。


棺の中には、人の形をした真っ白な布の塊。

この包まれた布の中に私の父親が居る。

そう思うと心が揺れる。

ただ、躊躇ではない。

ずっと否定し、拒絶して、忌避してきた存在。

その存在との対面に様々な感情が胸中に渦巻く。

それでも、今一番強いのは喜びなのかもしれない。

御母様には申し訳無いとは思うのだけど。

私は父親の存在が目の前に有る事に安堵している。

自分という存在を成す中で唯一曖昧だった事を実際に確かめられる。

その事を喜んでいる。

例え、父親との初の対面が遺骨であっても。

私は現実を受け入れられるのだろう。




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