伍
一瞬の浮遊感の後、意識は光と闇の混じり合う奔流の中を駆け抜け──果てへと辿り着く。
全てが白に染まる。
「驚いた…凄い人間だね」
「ええ、凄い人間だわ」
その声と気配にゆっくりと瞼を開けると暈けた視界が焦点を結び、その声の主の姿を目に映す。
七〜八歳位の背丈の子供が二人並んで居る。
一人は真っ白な癖の無い、ショートカットの女の子。
紫色の双眸、真っ白な肌。
更に白さを際立たせる様な漆黒の和服。
白い帯、白い花蝶の模様も目を引く。
もう一人は真逆の真っ黒なツンツン頭の男の子。
紫色の双眸、褐色の肌。
黒い帯、黒い花蝶の模様の真っ白な和服。
…何故だろうか。
その姿を見て、どうしても他人に思えないのは…俺の気のせいだろうか。
「…姉上、この人間絶対に良い人間だよ」
「訳が判らないわ」
男の子──弟らしい──の言葉に姉の女の子は小首を傾げている。
…判らないだろうな。
この苦労──心の傷だけは同じ傷を持つ者にしか解る事は出来無いさ。
まあ、この子は服装だけで容姿的には普通に男の子と認識出来るだろうが。
…っと、こんな事で時間を無駄には出来無いな。
「お前達が、この“澱”の“核”だな?」
「うん、そうだよ」
「ええ、そうよ」
答えてくれるのは良いが、二人して答えられると少し面倒臭く感じるな。
まあ、此方が妥協する方が当然かもしれないが。
「“観て”いただろうから率直に聞く
先ず一つ目、この“澱”の対器は細剣だな?」
「ええ、その通りよ」
「二つ目、正確に認識しているかは判らないが今から約十九年前に本来の封印は解け“澱”は目覚めた
そして、対器を持つ男性が立ち向かった」
「そう、そうだったね…
もしかして父子?」
姉の方は若干、華琳っぽい感じがするのは恐らくだが性格的に近いのだろう。
弟の方は最初は警戒してる印象だったが、同朋だから気を許した様だ。
…少々、複雑だが。
「義理の、だけどな…
隠す必要は無いから真実を教えて欲しい
その人は相討ちに?
それとも敗れた?」
「……敗れた、と言う方が正しいわね」
「姉上っ!?」
二人は口籠る。
だが、何かを理解した様に彼女が口を開いた。
弟の方は吃驚してるが。
「この人は知っているわ
既に推測から真実へと至り確信を持っているわ」
──訂正。
性格だけじゃない様だ。
姉の言葉に弟は黙る。
主導権は姉の方に有る事がはっきりと判るな。
「正しい、とは?」
「この“澱”は少し特殊で肉体を滅ぼしただけでは、完全には倒せません
貴男であれば、あの浄化の力を宿す炎で可能な事だと思いますが…
あの方は氣の扱いも未熟で対器頼みの戦いでした
命懸けで肉体を滅した所で勝利を確信しました」
「だが、実際は違った
まだ“澱”は存在していて男が戦えなくなったか否か見極めていた」
「そうです
そして、再び肉体を再生し止めを刺そうとしました」
「だが、その事に気付いた者が其処には居た
男と共に戦った“龍族”が──そうだな?」
「はい」
真っ直ぐに互いの目を見て彼女は俺の言葉を肯定。
どうやら、俺の仮説は的を射ていたらしい。
まあ、集めた証拠から導き出した仮説だから、余程の異常が無い限りは大外れはしないだろうが。
「三つ目、急遽の再封印は龍族が行った
対器と──担い手の残りの生命力を代償に」
彼女は瞼を閉じると静かに首肯した。
流石に肯定を口にする事は躊躇われるのだろう。
罪悪感とは違う。
しかし、だからと言って、“世界の為の犠牲”だとは言えない。
言いたくない。
それ故の首肯だろう。
「龍族の封印術は解析して理解している
仕方が無い事だ
寧ろ、状況的に考えれば、最善だと言える
無意味な自己満足の偽善で全てを蹂躙されるよりかは遥かに増しな選択だ」
そう、最善だ。
二人に出来た唯一の選択はそれしか無かった。
「…辛くはないの?
義理とは言え身内の犠牲を受け入れられるの?」
「…知っている筈だ
あの二人は、その場凌ぎで再封印をした訳ではない
次代を──生まれ来る命を信じて託した
なら、その遺志を受け継ぐ事こそが報いる事になる
そうだろ?」
『──っ!』
託された次代の一人として──とは正確には言えないかもしれないが、それでもその遺志を無視し無駄には出来無い。
「…そうでしたわね」
「…そうだったね」
二人が呟きながら笑む。
それは何処か晴れやかにも見えるのは…気のせいではないのだろう。
二人は永い時の中で多くの犠牲を見て来た筈だ。
それ故に抱く想いも多く、複雑だったのだろう。
だが、思い出した。
人間という存在の本質を。
「人とは弱くとも強き者
全ての者が、という訳ではないですが時として世界に影響を与える存在…
不完全故の可能性ですね」
「四つ目、龍族は封印後はどうなった?」
「…亡くなったわ
既知なのか気付いたのかは判らないけど…
貴男の思っている通りよ
龍族の最後は…」
「そうか…」
“管理者”という立場から考えても死後は人間と違い輪廻転生は無い。
この子達と同じ。
“世界”に還るだけだ。
「五つ目、龍族に関しての情報──主に有無や所在で知っている事は?」
「…彼女の言葉が偽りでは無いのだとしたら…
あの時、既に彼女しか存在していない事になるわ」
…彼女、か。
少なくとも子供が居たなら最後とは言わないか。
まあ、混血の可能性も無い訳ではないが。
「それから所在──聖地は結界の中だった筈だよ
正確な位置は判らないけど人間の中には龍族と契約を交わしてた者や一族とかも居たらしいからね
何かしら、手掛かりになる情報は残ってるかも」
ちょっと意外な話。
だが、直ぐに思い出すのは伯約から譲り受けた木箱。
まだ開けてないから中身は不明のままだが。
伯約の祖先には少なからず繋がりが有る様だ。
直接か間接かは不明だが。
「六つ目、元の方の封印の“楔”は戦闘で失われたと思っていいのか?」
「ええ、本来なら欠片位は残る筈だけれど…
御覧の通りの戦闘の痕跡よ
一つ残らず消失したわ」
「因みに、両者の力の衝突によって出来たんだよ
あの人は貴男の様に技量は高くはなかったけど対器を上手く使ってたからね
もう半年…ううん、三ヶ月猶予が有れば相討ちになる事はなかったかもね…」
「只の希望的な話だわ」
「そうだけどさぁ…」
弟の甘い“たられば話”をバッサリと切り捨てる姉。
思考的には中々にドライで現実主義な事だ。
心根は真逆だろうが。
ただ、二人の遣り取りが、あまりにも身近な関係との酷似に、ついつい苦笑してしまう。
まるで鏡を見ている様な。
幼い日の記録映像を見てる様に錯覚するから。
端から見ると自分達は普段こんな感じなのだろうな。
そんな風に思わせる光景に自然と目を細めた。
「…何かしら?」
「いや、別に?」
やはり、流石と言うべきは“女の勘”か。
彼女は気付いて拗ねた様に睨んで来た。
まあ、この程度は誤魔化し慣れているけどな。
…言ってて、自分の思考に苦笑してしまう。
それを“日常”と思う事、悪くないと思う事。
自分もまた、華琳達により染められているのだと実感してしまうから。
「これが最後だ
お前達から見て、俺の事はどんな風に映る?」
これには幾つか意図が有り返答・反応で一度に複数の情報を得られる。
そういう風にしてある。
「どんな、とは?」
明確な意図が読み取れずに彼女は眉根を顰める。
その反応から考えてみても仮説は間違っていないか。
以前、大貝の核だった者と会った時にも感じた疑問。
世界の中で“異物”の筈の自分の存在が何故、当然の様に存在出来るのか。
そして“世界の欠片”たる者が気付いているのか。
前者に関しては、召喚との関連が有るから推測出来る事では有る。
しかし、後者は気付かない事の方が異常だろう。
彼女達は俺の事を異物──この世界に在らざる存在と認識してはいない。
先ず間違い無くこの世界の人間だと思っている。
それを疑っていない。
その理由は定かではないが追究しても無駄だろう。
彼女達は知らない。
だから、気付かない。
「以前、お前達と同じ様に“核”となった者に接触し話をした際の事だが…
俺の事を“浄皇”とかいう存在だと称してな
気になっていたんだ」
誤魔化す様に言うが言葉に嘘は無い。
事実で有り、滅多と情報を得られない疑問だ。
「え?、あれって実在する存在だったの?
てっきり与太話か迷信だと思ってた…」
弟は心底吃驚した様子で、俺の事を見てくる。
というか、お前達の間での与太話や迷信って何だ。
一個人──個体の興味とか価値観での信不信なら別に文句は無いが。
彼奴もそんな感じだったしいい加減過ぎだろ。
全知全能では無いにしても人間とは違い妄想・創作かどうか位は判るだろうに。
どういう事だよ。
「不思議に思われる事だと思いますが、仕方の無い事なのです
抑、“浄皇”は世界により預言された存在…
ですが、その存在が現実に現れる事は一度も無いまま“前世界”は終焉を迎え、新生しました」
「だから、真偽不明なんだ──って、姉上っ!?
そんな事言っても──」
「大丈夫、問題無いわ
既知の事なのでしょう?」
「ああ、理解してるよ」
「……二人共、非常識だ」
俺と姉の示し合わせた様な意志の疎通振りを見て弟は大きく溜め息を吐く。
失礼な事を言うな。
言っとくが人間から見ればお前も非常識な存在だって事を忘れるなよ。
まあ、後の事が面倒なんで口にはしないが。
「“世界の預言した”って事は創世記か何かに記され伝えられたのか?」
「いいえ、違います
“浄皇”は私達の様な者の間にて口伝される存在…
人間の思想・文化に存在は愚か、その名称ですら全く登場しません」
…何だ、その秘匿性は。
まあ、世界に直結する様な存在だから仕方無いのかもしれないが。
「なら、この世界では?
“管理者”たる龍族になら伝承されていても可笑しくないとは思うが…」
「…それは私達には答える事は出来ません
ただ、龍族は“管理者”と言っても人間よりは近く、私達よりは遠い存在…
この口伝さえも知らないと私は思います」
「…成る程な」
確かに一理有る意見だ。
世界が新生し、閉じた事で役割は大きく変わった。
故に、彼女達が知っている事だとしても、龍族が必ず知っているとは限らない。
勿論、逆の可能性も十分に考えられるが、今回の件に関しては知らないだろう。
知っているなら“浄皇”を探している筈だ。
例え、その情報が限り無く少なかったとしても。
「お前達から見ては?」
「う〜ん…“そうだ”って断言は出来無いけど…
でも、そう言われても十分納得は出来るかな
それ位に貴男の力や気配は常人離れしてるよ」
微妙な所だが、それだけに正直な意見だと判る。
あと常人離れしてる自覚も有るしな。
「…私は少し違うわね」
「え?、姉上は違うって、考えてる訳?」
「早とちりしないで
私も彼は“浄皇”と呼ぶに相応しいと思うわ」
…相応しいんですか。
何を根拠に言い切るのか、じっくり訊きたい所だ。
「だけど、それだけだとは思えないのよ…
何かこう…“浄皇”と言うだけに留まらない…
それ以外の──それ以上の何かを秘めている…
そんな風に感じるのよ」
「…随分と曖昧だね」
全く以て同感だ。
ただ、気にはなるな。
「そう感じる理由は?」
「女の勘ね」
「…さいですか」
これは何だ、あれか。
俺の人生に於いての命題は“女の勘”なのか。
悉く付き纏うな──っ!?、もう時間か。
「…どうやら御別れね」
「何か言う事は?」
「そうね…貴男と同じ時を生きて見たかったわ」
そう言って微笑む彼女。
全くの他人に思えないから始末が悪いな。




