弐
朱然side──
昼までの御仕事──調練を終えて、汗を流す為に自室──ではなく、とある部屋へと遣って来る。
「…あ、あの…」
「しぃ〜っ…」
私が右手の人差し指を立て唇に当てて“静かに”との意を示すと、彼女は両手で慌てて自分の口を押さえ、声を漏らさない様にする。
直後、部屋の外から耳へと届く話し声に集中。
足音と気配から二人か。
「──居たかっ!?」
「いえ…北門の方に行った可能性が高いのでは?」
「御嬢様は城内の事を知り尽くしている
態々自ら“行き止まり”に向かいはしない…
必ずや城内に潜伏中だ」
「はあ…」
名推理だ!、と自信満々な一人に対して、もう一人は呆れ気味な様子。
最初の方が男性、後の方は女性の様だ。
二人の捜索対象“御嬢様”とは私の事ですね。
これでも一応、名家の子女なんですよ。
まあ、その呼び方から宅の古参の人だと判ります。
「取り敢えず、早く見付け出さないとな…
でなければ、矛先が我々に向き兼ねない…」
「司馬懿様からの勅命との事ですが…
義封様──隊長、一体何を遣ったんです?」
どうやら、女性は私の隊士みたいですね。
氣を読め?、駄目ですよ。
今、迂闊に氣を使ったり、消したりしたら絶賛城内を感知中の状態だろう泉里に見付かってしまいます。
子和様程、異常な精密さは無いですけど私達の中では群を抜く精度ですから。
「もう一度東側を見てくる
西側を頼む」
「判りました」
そう言って遠ざかる足音と気配に息を潜める。
泉里の策──陽動の可能性だって無くはない。
でも、今回はしない。
理由が理由だけに。
「あ、あの…珀花さん…
どういう事ですか?」
私の腕の中でじっとしてた彼女──螢ちゃんが小首を傾げながら訊く。
子和様が“妹的だな〜”と口にされるが…成る程。
この小動物的な可愛さには納得です。
「は、珀花さん!?」
「ん〜…螢、可愛い〜♪」
つい、抱き締めてしまう。
一人っ子の多い私達の中で年少組は妹分ですしね。
そんな螢ですが…
驚いて身動ぎするが逃げる様な事はしない。
これは彼女の育ちの影響。
戸惑いはするが心の奥では他者との繋がりを求める。
その意の現れだと子和様は仰有っていた。
それが余計に保護欲や母性本能を擽るのだとも。
本当、病み付きになる位に可愛いのは反則です。
──side out
姜維side──
今日の御仕事は御昼から。
なので、ゆっくりと部屋で本を読んだりしていた。
そろそろかな?、と思って身仕度を整えていた。
すると突然、部屋の扉から珀花さんが入って来た。
…あ、さっき出た時に鍵を締めるの忘れてた。
──なんて、事実確認とかしてる間に珀花さんは中に入って扉を閉める。
ちゃんと鍵も。
何事かと声を掛け様とした瞬間に黙る様に指示されて慌てて声を殺す。
珀花さんに抱き締められた格好のままで居ると扉越しだったので私には全容迄は聞こえなかったのだけれど珀花さんを探している事は理解出来た。
珀花さんの性格を考えると何かしら問題を起こしたと先ず考えてしまう。
それを訊ねたら珀花さんに頬擦りされた。
暫くして解放されたので、身形を整え部屋に有る卓を挟んで二人で椅子に座る。
「…何か、有ったの?」
「聞いてくれる?
ほら、今日ってね、斗詩が子和様と一緒に視察に街に出てるでしょ?
二人だけで遊びに行くとか狡いじゃない?
だから、私も同行しようとしたら御母さんも、泉里も私用に態々仕事作ってまで邪魔するの!
酷い話だよね!?」
…当たり前と言うべきか、珀花さんが悪いです。
抑、遊びにではないです。
御二人とも御仕事です。
ただ、珀花さんの気持ちも判るので強く言えないのが私の本音です。
でも、それだけの理由では珀花さんが追われている事には結び付きません。
…珀花さんの性格だと多分何かしたのでしょうね。
邪魔をされた事に対しての意趣返しを。
「…何を?」
「ん?、ああ、まあその…
ちょっと、泉里が楽しみに取ってた御菓子をね…
譲って貰ったの♪」
“美味しかったな〜♪”と笑顔の珀花さん。
それは…怒りますよ。
絶対、譲って貰ってなんていないですよね。
勝手に食べたら泉里さんが怒るのも当然です。
「…謝らないと駄目です」
「そうなんだけどね〜…
此処で謝ると何て言うか、負けた気がするのよ」
「…意味が判りません」
冥琳さんを始め華琳様も、珀花さんは中身が凄く子供過ぎると言われる。
子和様は“善悪を区別する自我が無い分、子供の方が時には質が悪い”との事。
多分、だけど…私の一件を指しての言葉。
無垢な事、無知な事。
それは罪ではない。
しかし、自らの意を肯定し他者に示すのならば責任を伴うと言う事。
例え、それが子供でも。
子供だから、は言い訳。
免責の理由にはならないと言う事だろう。
ふと、気になった。
私は子和様の事が好き。
勿論、珀花さんも。
でも、その理由は違う。
皆、各々に。
「…あの…」
「ん?、どうしたの?」
「…珀花さんは子和様の…何処に…惹かれたの?」
興味を抱いて訊いて見るが好奇心で訊いて良い事かと少しだけ躊躇う。
その分、ちょっと拙い風な喋り方になってしまう。
曹家に来たばかりの頃より増しでは有るけれど。
「何処に、ね〜…」
一瞬、きょとんとした様に瞬きした珀花さん。
でも、私の方を見て笑顔を浮かべると瞼を閉じる。
そのまま天井を見上げた。
「…私はね、自分の生まれ持った立場が嫌だったの
勿論、御母さんや家の皆の事は大好きだよ?
家の事も血筋も誇りだし
でも…私は朱家の跡取り、朱君理の娘…
その価値でしか見られない事も多かった…
それが堪らなく嫌だった」
思い掛けない独白。
普段の明るい珀花さんでは想像出来無い様な一面。
それに私が聞いて良いのか正直、悩みます。
…今は黙って聞く事しか、出来ませんが。
「そんな私にとって冥琳は大事な大親友…
本人には絶対言えないけど凄く、感謝してる…
もし、冥琳が居なかったら私は潰れてたから…」
昔を思い出している様で、苦笑を浮かべる。
普段の遣り取りから二人の信頼関係は伝わる。
でも、意外な本音。
失礼かもしれないけれど。
「その冥琳の命を、心を、子和様は救ってくれた
それに私自身も危ない所を助けて貰った…」
それで、惹かれた。
多分、私達の大多数は同じ感じの理由だと思う。
直接ではなくても感謝する気持ちは本物だから。
「だけど、惹かれる理由は子和様の作る雰囲気ね…」
「…雰囲気?」
珀花さんは顔を私の方へと向けて瞼を開き、笑む。
それは何時になく穏やかな優しい微笑み。
歳相応な深い包容力の有る女性らしさを纏う。
「私が嫌だった事は冥琳や華琳様にだって少なからず有り得る事…
ただ、私は自分の一部にも関わらず、目を逸らしてただけなんだけどね
子和様の傍に居ると自然と受け入れられる
その上で、私は自分らしく在る事が出来る
私だけじゃなくて冥琳も、蓮華も、泉里も、皆…
華琳様だってそう…
有りの侭の私で居られる
子和様の傍でならね」
言われると思い至る。
それがどんなに素晴らしく大切な事なのかと。
──side out
朱然side──
螢の部屋に潜伏──避難し雑談していると、ちょっと真面目な話になった。
個人的には苦手な空気。
でも、螢の人柄、というか聞き上手な性格の為なのか思ったより本音が出た。
かなり恥ずかしい。
「そういう螢は?
子和様の何処が良いの?」
“何処が”なんて自分でも言っておいてなんだけど、馬鹿馬鹿しいと思う。
結局、それは後付けの理由でしかない。
実際には訳も解らないまま気付いたら惹かれている。
それが“恋”と私は思う。
最初から理由のはっきりとしている物は“恋”だとは私は思わない。
だって、理由に有った物を探している時点で何もかも自分に都合が良い様にしか考えていない証拠。
そんな打算的な物を恋とは呼びたくはない。
良い事も、悪い事も全てが恋の一部。
全てを含めて恋だと。
私は子和様と出逢った事で知った。
私の恋をして。
「…え、え〜と…」
「ほら、私も言ったんだし言っちゃえ〜♪」
螢を抱き締めながら明るく戯れ付く様に言う。
私は真面目過ぎる雰囲気は苦手だから。
さっさと壊すに限る。
でも、螢や皆に自分の恋の価値観を押し付ける真似はしたくない。
絶対にしない。
その逆も同じ。
だって、これは私の恋。
私だけの恋だから。
「…は…めて…から…」
「ん?」
螢の声に気付く。
無理矢理に雰囲気を壊しに掛かっていたから少しだけ危なかった。
螢を抱き締めてなかったら聞き逃していた。
「…初めて…だから…
…私を…認めてくれた人…
…家族以外で…初めて…」
ずっと迫害されてきた。
それでも道を外れる事無く真っ直ぐに生きてきた。
だから“強い”、と勝手に思い込んでいた。
でも、そうじゃない。
この娘も“弱さ”は有る。
ただ見え難いだけで。
本当は飢えていた。
人の温もりに。
人との繋がりに。
人らしい生き方に。
子和様や私達が抱き締めて言ても逃げないのは素直に嬉しいから。
ずっと求めていたから。
でも、同情するのは違う。
それは螢への侮辱。
彼女の歩みを汚す事だ。
「んー、ちょっと違う」
「…?…」
小首を傾げる螢。
本当、可愛いなぁ。
子和様の様に笑って見せ、想いを言葉に重ねる。
「だって、家族でしょ?」
「──っ!」
「ね?」
そう返しながら思う。
これも好きになった人から受けた影響だろうな、と。
──side out
令明と一緒に城に戻ったら走り回る兵が居た。
何事かと訊けば仲達勅命で義封の捜索中だとか。
公瑾(監視)の眼の無い所で何を遣らかした。
隣で令明も呆然としてる。
取り敢えず、俺の権限にて取り消して通常の状態へと戻らせた。
非番では無いが、抜けても大事無い人員を回している辺りは仲達も流石か。
で、令明と仲達の所に話を聞きに行った。
まあ、多少本人──令明の前だから言い方は暈したが簡単に言うと、俺と一緒に出掛けたいと抗議するので無理矢理仕事を宛がったら楽しみにしていた御菓子を取られた、と。
子供の喧嘩だな。
権力を持つ人間同士だけに質が悪いが。
で、仲達を令明に任せて、義封探しへ。
まあ、直ぐに伯約の部屋に居るのを見付けたが。
…タイミング悪過ぎ。
なんて会話してるんだ。
とは言っても、義封の方が雰囲気を嫌ってるか。
彼女らしいな。
その意図に乗っかる様に、部屋の扉をノックする。
中からビクッ!と反応する気配が二つ。
「あー、窃盗犯に告ぐ
直ちに人質を無事解放して投降しなさい
然もなくば、汝は明日以降当面休み無し、甘味無しの日々を過ごす──」
「──投降します」
ガチャ…とも鳴らす事無く扉を開けて俺の目の前にて跪いて居る義封。
部屋の中では椅子に座った伯約が呆然としている。
まあ、そうだろうな。
義封のポテンシャルは普段判らない位に高い。
発揮出来無いだけで。
「ったく、食い物の怨みは一番怖いってお前が誰より知ってるだろうが?」
「だって〜…」
「取り敢えず、仲達の方も遣り過ぎたと言ってるから互いに謝れ
仲達には今度時間を作って何か奢ってやれ
判ったな?」
「…はーい」
やれやれ…もし仮に此処に公瑾が居たら大目玉だぞ。
…ああいや、居たら端から遣りはしないか。
「伯約、仕事は仲達の所に行ってからだな?」
「……ぁ…は、はいっ」
「なら、先に御茶にしよう
お土産に“句江甘”の新作饅頭買って来たからな」
「子和様っ!!」
伯約に言ったのに食い付く義封には苦笑。
天然で“落ち”を着ける。
その額に右手でデコピン。
痛がる義封と心配しながら笑いを堪える伯約。
その変化に此方も笑む。




