陸
つい、ノリで軍隊風っぽく返したら余計に怒られた。巫山戯てないんだけどな。
通じないんだよね。
華琳は別だけどさ。
お陰で墓に到着するまで、延々と説教された。
“強さ”を知り得た女性は実に逞しい限りだな。
改めて実感したよ。
…身を以て、だが。
現在──目の前に有るのは小川の畔の少し開けた所にぽつん、と存在する石。
パッと見ではただの石だと思っても仕方無い。
しかし、これが墓標。
“江東の虎”の、だ。
誰かの怨みでも買ったか、劣勢な戦況の中でどうにか埋葬だけしたのか…
そんな憶測を抱かせるには十分な要因だろう。
「初めて見ると驚くわよね
稀代の英傑の墓がこんな風だなんて思わないもの…」
「まあな…」
苦笑しながら言った仲謀に短く返す。
だが、その表情は台詞とは真逆に穏やかだ。
漸く向き合えたからか。
良い表情だと思う。
「死んでまで堅苦しいのは御免だって言ってね…
こんな簡単を通り越してる墓になったのよ」
“死んでまで”…か。
個人的には解る気がする。
様々な柵から解放されたいという思いからだろう。
自由奔放な性格だったとも聞いてはいる。
大方の者は“其方”の事で納得出来たのだろう。
だが、今の仲謀なら彼女の真意が判る筈だ。
「…母様は強い人だった
何者にも臆する事は無く、常に威風堂々・泰然自若に笑っていたわ…」
容姿的には仲謀は姉妹でも一番似ていると子魚達から聞いている。
故にその姿を想像する事は難しくはない。
華琳っぽい仲謀をベースにすれば…近いと思う。
…もしも、だが…生まれる時代が違うなら──いや…所詮は“たられば”だな。
どうなるかなんて判る事は無いだろう。
「でも…本当は弱い人でも有ったのよね…」
表面の下に、心の奥底へと秘匿された素顔。
勿論、仲謀達の知る彼女も偽りではないだろう。
ただ、当主・母親としての体裁は少なからず有ったと言っても間違いはない筈。
知っている孫文台の姿。
それは偶像では無い。
しかし、全てではない。
そして、一部は虚像。
特に、彼女の母親・女性の部分は意図的に操作されて知り得なかったのだから。
虚像に隠された真実。
母親として苦悩しながらも必死に我が子達を育て上げ生き抜いた事。
女性としては一途に一人を愛しながら生きていたが、他の一面の為に犠牲にした部分が有った事。
それらを直に知る事は既に不可能ではある。
しかし、想像は出来る。
考え、想いを馳せる事は。
墓標の前に屈み、真っ直ぐ見詰める仲謀。
その表情には様々な感情が入り交じっている事が窺え声を掛ける事を憚られる。
「…ねえ、母様?
母様にとって私達は──」
「──それは侮辱だ」
だが、即座に駄目だと察し仲謀が言い掛けた台詞を、横から遮り止める。
それは言ってはならない。
特に──否、仲謀だから、絶対に駄目だ。
急に俺に止められて状況が判らないのか、呆然とする仲謀の双眸を見詰めながら真意を伝える。
「確かに一面から見たなら柵・枷の様に思える…
しかし、彼女が微塵にでも考えたと思うか?
愛する者との間に成した、自分達の生と想いの証たる我が子達の事を…
仲謀、お前が彼女の立場でそんな風に考えるか?」
「…ぁ…」
想像し──思い至る。
それは先ず有り得ない事。
大切だからこそ。
愛しているからこそ。
彼女は苦悩しながらでも、前へと進み続けた。
それを娘の仲謀が少しでも疑えば侮辱以外の何物でも無いのだから。
まあ、世の中には我が子を道具扱いしたり、邪魔者に思う輩も居るが…
言わぬが華だろう。
「…御免なさい、母様…」
母親の事を思い抱いたが、それは逆の意味を持つ事に気付いて仲謀が謝る。
謝る事も侮辱──とまでは流石に言わない。
華琳になら言うだろうが、仲謀には酷だ。
きちんと謝罪する方が後に痼を残さずに済む。
「…そうよね
私達は母様と父様の生きた証でも有るのよね…」
「家柄や血筋というのは、人を縛る柵にもなる
しかし、親や祖先は自分を形作る上で最も根本的だと言ってもいいだろう
時には一族の過ちや罪など負の宿命も有る…
それでも、全てではない」
否定と悪性を示して区切り想像させ、意識させる。
悪くても強く印象付けて、その後を更に強く刻む。
「孫仲謀は両親に望まれ、愛されて産まれた
それは紛れも無い事実…
今、此処に有るお前という存在が何よりの証…
お前の両親に対する愛情や尊敬の想いが、な」
愛される事が無ければ飢え狂う事も有る。
愛され過ぎて失ってしまい狂う事も有る。
だが、仲謀は違う。
真っ直ぐに、不器用にでも道を外さず歩いている。
愛され、正しく諭されて、育った証拠。
母親としての孫文台の愛が結実している証拠だ。
孫権side──
本当に…この人は狡い。
優しくして厳しくする。
厳しくして優しくする。
でも、それは利己的な事で有りはしない。
全ては私の為に。
決して、弱いままでなんて居させてはくれない。
でも、それは私が、私達が望んだ道でも有る。
守られるだけの女になんて成りたいとは思わない。
互角に、なんて簡単に口にするのも烏滸がましい。
それでも私達は望む。
彼の──愛する男の隣に、並び立つ事を。
主従としては勿論。
女として、妻として。
だから、彼は導く。
示し、諭し、顕して。
「いつかは、お前も愛する者との間に子を成し母親に成る時が来る…
その時、お前は祖母の事を何と伝える?」
その相手が“誰か”なんて無粋な真似はしない。
普段ならば私でなくても、食い付く所だけど。
まあ、ある意味確定事項と言っても良いのよね。
他の相手になんて全く興味無いのだから。
そんな事を思考の片隅へと追い遣りながら思う。
在りし日の母様の姿を。
私の中に確と刻まれている母様の全てを。
脳裏に、心に、映す。
「…とても強くて勇敢で…
孫家を僅か一代で名実共に名士へ繁栄させた英傑…」
愛馬に跨がり、鎧に身体を包み込み、腰に家宝である南海覇王を佩き、愛用した朱き翼槍を手にする姿。
その双眸は遥か先を見据え凡庸な思考では計れない、器の違いを醸し出す。
それは、今までの私の抱く母様への印象。
そして、同時に世間一般の孫文台の印象。
けれど、もうそれだけではなくなっている。
双眸の先に有った事は常に私達姉妹の事。
勿論、家臣や友人、民達の事も有っただろう。
それでも一番は不動。
そう、理解出来る。
いつも、どんな気持ちで、何を思っていたのか。
母様の口から直接聞く事は叶わないけれど…
想いを巡らせ、考える事で感じる事は出来る。
それはきっと、姉様よりも小蓮よりも強く、深く。
同じ不器用な私だからこそ真意に近付ける。
理解出来る事。
「だけど──それ以上に、深い愛情と強い意志を持ち生き抜いた女性だった
私の自慢の母親だと…
貴方達の自慢の祖母だと…
そう、伝えるわ」
知り得た事。
でも、それは実は最初から知っていたりする。
姉妹を分け隔て無く愛し、厳しさと優しさを不器用な中で注いできた。
強くも弱く、それでも強く在り続けた。
それが孫文台という女性の何よりの素晴らしさ。
その事を誇りに思う。
──side out
──良い、答えだ。
素直にそう思う。
ただ一点、“貴方達”って然り気無く言ったよな。
それはあれか?
何気に“子供は二人以上”って催促ですか?
いや、相手が俺だとは──ああ、そうですよ。
仲謀に限らず、他の連中も他の男は眼中に無いよ。
判ってますよ。
……いや、訊かないよ?
訊く訳が無いでしょ。
触らぬ女神に祟り無し。
今は“ヘタレ”と呼ばれて構わないさ。
「さて、墓参りに来たんだ
ちゃんとしないとな」
そう言って“影”から街で買って来た物を出す。
白酒、饅頭、香…その他に数種類の花と水桶と杓。
花を活ける竹筒など。
まあ、日本式なのは勘弁をして貰いたい所。
この時代は滅多に墓参りはしない事が多いらしい。
そりゃそうだ。
いつ自分が墓の下に言ても可笑しく無い御時世。
そんな先行き判らない位の中で好き好んで危ない所へ行く馬鹿は居ない。
まあ、街や村とかの一角に有るなら別だが…
それも縁起を考えたりとか土地の問題で少ない。
だから、墓参りの慣習自体珍しい事だ。
花を活けたり、線香を焚き捧げたりは日本人の風習が強く根付いているからこそ印象深いのだと思うが。
「仲謀はその竹筒を墓石の前側に左右に立てて置いてくれるか
俺は水を汲んでくる」
「…これを?」
「ああ、頼んだ」
まあ、見慣れない物だから仕方無いか。
それでも、疑心ではなく、好奇心なのは信頼か。
こっそりと笑みを浮かべて小川で水を汲む。
花壇等で使う小型サイズの竹製の園芸用スコップにて穴を掘り竹筒を埋める。
其処へ水を注ぎ花を活けてお墓らしくする。
…らしくって言い方も変な気がするけどな。
実際に墓なんだし。
「…ねぇ、貴男が掃除してくれたのよね?」
「ああ、そうだけど…」
答えながら説教を思い出し僅かに身構えてしまうのは仕方無い事だろう。
「…有難うね」
だが、意外や意外。
それは素直な感謝の言葉。
表情や態度には出さないが軽く──結構、驚いてる。
「私達が江東を離れてからもう直ぐ三年になるわ…
その間、私達は勿論…
誰も母様のお墓を掃除して無かったでしょうし…
だから、山道も今みたいに綺麗では無かった…
墓石だって同じ…
そうでしょ?」
罪悪感を感じているのか、自嘲する様な苦笑を浮かべながら訊く仲謀。
その頭を右手で撫でる。
「なら、これからは毎年、命日や誕生日には墓参りに来て遣れば良い」
「…そうね、有難う」
僅かだか墓石に付いていた汚れを落とし、汲んで来た水を杓で掛ける。
長期間耐えられる様にと、御影石を探して削り造った供物用の器を埋める。
其処に饅頭を備える。
烏とか野生動物が持ち去る方が良いとされる。
…現代社会では問題だが。
その脇へと同じ様に造った香炉を埋めて、買った香を入れて焚く。
辺りに広がる芳香。
「母様が好きだった香…
何と無く、だけど…微かに覚えているわ…」
「直接には嗜む所を見せる事は無くても、香だったら髪や身体・衣服に付く
幼少期の事を覚えていても不思議はないさ」
そう返しながら“影”から揃いの盃を二つ取り出すと仲謀に手渡す。
「…これは?」
「普通は父親が息子と、が定番なんだけどな
彼女は酒好きだったらしいから、娘と酌み交わすのも良いと思ってな」
そう笑顔で言いながら右手に持った白峯泉を揺らして左手で栓を抜く。
「もう一本は再生産の為に必要なんで使えないが…」
「それでも十分よ…
というか、再生産が出来る方が凄いと思うわ…」
酒屋──蔵本の苦労とかを聞いたからか苦笑。
大丈夫、営業妨害したりはしないって。
…多分な。
「潰れる蔵本が出ない事を切に祈っているわ…」
そう言われて誤魔化す様に盃へと白酒を注ぐ。
注ぎ終わると仲謀は片方の盃を墓石の真上で傾けて、白酒を掛ける。
そして、もう片方を自分の口へと運び、傾ける。
「…母様が好きだったから私の口にも合うのかしら
昔から知ってる味の様にも感じてしまうわ…」
…酒の味は血には染みたりしないとは思うぞ。
“それは気分の問題だ”と言いたいが、空気を読む。
「今は孫家を離れて自分の道を歩んでいます
姉様達と会えないのは少し寂しくも有りますが…
とても充実しています」
神妙な雰囲気のまま墓石を見詰めて話し掛ける。
「…今はまだ、きちんとは紹介出来無いけど…
私にも心に決めた人が居て共に歩んでいます」
一度、此方を見て笑む。
「だから、次に来る時には必ず母様に紹介するから、楽しみに待って居てね」
それは宣戦布告。
俺に対し、その気にさせてみせるという意思表示。
楽しみにしてるよ。




