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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
117/915

        参


 孫権side──


舒を発ってから約四半刻。

私達は寿春の街に到着し、慶閃を引いて歩く。


移動中、期待していた様な展開は無かった。

だって、早いんだもの。

ゆっくり話してる状況ではなかったのだから。

それに久し振りに全速力で走れる事を慶閃が喜んでるのだから邪魔は出来無い。

仕方の無い事だ。

私の勝手な期待なのだし。

…まあ、溜め息を吐く位は許して欲しいと思うけど。


それで、誘った張本人はと言えば──



「これは曹純様、この様な格好で申し訳有りません」


「気にしないで良いって

其方も仕事中なんだ

それに仕事着だろ?

だったら、恥じる事も謝る必要も無い

自分の仕事に信念と誇りを持ってるなら尚更だ」


「…光栄な御言葉です」



そんな会話をして、深々と頭を下げる男性。

歳は二十後半から三十位。

背丈は私より少し低いが、露になっている腕や衣服の上からでも判る筋骨。

この場所と比べて考えると少し不釣り合いな気がするのは私だけだろうか。

先程、本人が無礼だと思い謝罪していた格好だが…

質素な服に白の前掛け。

ただ、白いのは本の少しで他は薄汚れている。

──いや、汚れが洗っても落ちない位にまで染み着き変色しているが正しいか。

長い間、愛用している物と言う事だろう。

しかし、男性──この店の主人の格好にしてはどうも見劣りしてしまう。

此処──酒屋の店主と言うよりも裏方の者の様だ。


そんな私の視線に気付き、店主は苦笑して頭を下げて謝意を示す。

子和様の手前とは言っても立場的には気にするなとは言い難い所だ。

かと言って、私が睨むのも御門違いだろう。

まあ、睨んでいた訳でなく訝しんでいただけだが。


ポンポンッ…と頭を優しく叩かれて顔を向ける。

彼も苦笑していた。



「ちょっと変わってるとは初見だと思うけどな…

酒屋の大半が卸売り専門で酒造は別が普通だろ?

でも、此処は自分で酒造し販売してる蔵元でな

勿論、他所の酒造元からも買い付けて売ってもいる

格好が普通の酒屋の店主と違うのは店主自身が杜氏をしているからだ」



そう説明してくれた。

成る程、と納得。

普通の酒屋は商人と同じで身形も整える。

しかし、杜氏を兼ねている事情からの目の前の格好と言われれば仕方無い。

普段は表に出ないのかも。


“因みに蔵元としてはまだ新米だけどな”と子和様に言われて店主は苦笑。

しかし、表情が嬉しそうに見えたのは、私の気のせいではないだろう。




簡単に挨拶を交わし終えて子和様と店主に案内されて店の奥の部屋に入る。

酒瓶や壺、大甕が並べられ部屋中が酒だらけ。

真ん中に簡素な木製の机が一つ有るだけだ。



「それで、頼んでた品物は手に入ったのか?」


「正直、苦労致しました

何分、元々が一個人規模で営んでいた蔵元ですので、極端に生産量が少ない上に杜氏が引退して五年…

しかも昨年亡くなっており製法等も不明…

再現は不可能ですから…」



そう言いながら店主は棚の一角から木箱を一つ手にし机の上へと置いた。

大きさは縦・横・高さ全て七寸程だろうか。

一般的な酒瓶なら一つ。

稀少かつ高級な酒瓶ならば小振りだから物に因っては四つは入るだろうか。

ただ、子和様が探し求める品物にしては酒というのは珍しい気がする。

…姉様や祭辺りならば直ぐ納得出来るのだけれど。



「入手が困難な状況の事は理解してるさ

と言うか、だから、お前に頼んだけどな

曹家の伝手も有るが今回は老舗の、地元の酒屋の持つ伝手が頼みだったしな」


「此方らとしては願ったり叶ったりです

場所柄、とでも言いますか北方への伝手は出来難くて入手困難な品も多いので…

曹家“御用達”と噂程度に広まってくれれば幸いだと思っています」



言葉とは裏腹に、子和様と店主はお互いに良い笑顔を浮かべている。

見掛けは真面目な職人風な店主だが、中々どうして。

商人としての気質も確かに持っている様だ。

まあ、子和様が態々選んだ相手なのだから信頼出来る者なのは言うまでも無い。



「商人としては言う事にも抵抗が有りますが…

本当にどうにか、でしたが御注文の数を見付ける事が出来ました

どうぞ、御確かめ下さい」



店主が箱の蓋を開く。

中には白い布地に包まれた状態で入っている。

…壊れない為だろうか。

余程稀少な品の様だし。



「酸化、と言ってな日光に当たると味や色が変質する事が有るんでな

それを避ける為だ」



私の思考を読み取った様に簡単に理由を説明しながら子和様は右手を箱の包みに伸ばされる。


…確かに、味が変わる事が有るのは知っている。

あれは酸化と言うね。

相変わらず子和様は色々な知識を持っているわ。


などと、感心しながら品を見詰めていた。



「──っ!?」



子和様の手で開かれた布の中から現れた酒瓶を見て、私は思わず息を飲んだ。




包みの中に有ったのは同じ意匠の酒瓶が二つ。

高さが六寸程の瓢箪型。

下側の身幅は三寸程。

素朴な白地の陶器。

特徴的なのは括れた部分の朱の帯だろう。


だが、驚いた理由は違う。

私にとっては、数有る酒の銘柄の中でも特別な一品。

数少ない見覚えの有る物。


ただ、少しだけ気になる。

杜氏が引退して五年。

元々稀少ならば残っている事自体も不思議だ。

どういう事なのだろう。



「亡き酒蔵・楊泉の白酒、“白峯泉”の三年物です」



そう、その銘だ。

亡き母様が生前に好まれて飲んでいた銘柄。

だから、覚えている。

忘れる事も見間違える事も絶対に無い。


それに三年物、という事は三年前に造られた訳だが、引退されたのではなかったのだろうか。



「三年前…最終年の品か」


「はい、元々杜氏は高齢で造り続けるのが厳しくなり引退されたそうで…

ですが、引退前に仕込んだ分だけは造り上げていて、交流の深かった方に限って御譲りしていたそうです」



…だから、母様も亡くなる年まで飲んでいたのね。

気難しい方が造っていると聞いては居たし、母様自ら受け取りに行っていたのも今なら判る。

きっと、余計な気遣いとかさせない配慮だろう。

…まあ、単純に杜氏の方が気難しいだけだったのかもしれないけれど。



「私も直接は縁が無いので方々当たってみましたが、中々成果は出ずに…

杜氏が懇意にされていたと言う酒屋や料理店の類いは全て駄目でした」



愚痴る様に言う店主。

その態度は如何な物なのか問い質したい所だ。

だが、かなりの無理難題を言われた事は判る。


それに、愚痴は子和様より自分自身への苛立ち。

一商人、一職人としての、未熟さに対してだろう。

人間関係も伝手も勝手には生じないのだから。



「最後に駄目元でですが、昔馴染みだと言う大工職の棟梁を訪ねてみまして…」


「居たのか?」


「…いえ、今年の冬に…」


「そうか…」



短い遣り取り。

それだけで色々と判る。

多分、子和様御自身も礼を言いたかったのだろう。



「…それでですが、棟梁の息子さんから今でも手元に置かれているかもしれないという方が居ると聞いて…

ただ、此方も今年の春先に亡なられたそうです

それでも幸い、と言うのは憚られますが…

その御家族は酒を飲まない方ばかりで残っていたのを御譲りして頂きました」





──高が酒。


そう言えるのは何も知らぬからなのだろうな。


たった二本の酒瓶。

それなのに関わる人の数は思いの外多かった。


人の縁、と簡単に言えるが実際には言い表せる程には単純ではない。

それを思い知らされた。



「此方の品を探していると言うと快く了承して頂き、“本当に必要とされる方の手に有るべき”だからと」



…重く、尊い言葉だ。

母様の形見だからと言って子和様に翼槍を譲渡してと言った私とは大違いだ。

熟、あの頃の自分の言動を恥ずかしく思う。



「その家族の住まいは?」


「…徐州の広陵郡です」


「…広陵か…」



子和様の問いに、僅かだが店主は逡巡した。

恐らくは子和様が所在地を訊いた事を勘繰っての事と思うが、店主自身も危害を加えるとは考えない筈。

だとすれば、自然と考える可能性は謝礼だろう。

優遇、という訳ではなくて一個人としとの、だ。

ただ、場所的に今は関わる事が憚られる。

子和様の反応はそれだ。

子和様は一息吐いて思考を切り替えられた。



「で、幾らだ?

手間が掛かった分は此方も代金は上乗せするぞ」



場の雰囲気を変える様に、明るく冗談っぽく言う。

まあ、腹の探り合いなんて先程の雰囲気の流れからは出来無いだろうけどね。



「では、此方で…」



私には見えない様にして、店主は左手の掌の陰を使い右手で子和様に額を示す。


仲間外れにされた様な気がしないでもないが、商人の交渉と思うと仕方無いかと割り切る事にする。

…別に拗ねてないわよ。



「…随分安いだろ?

原価は愚か引き取り額にも及ば無いだろ?

と言うか、お前の性格なら足下を見て買い叩く真似はしてないだろうし…

“御人好し”も程々にな

後で叱られるぞ?」


「そ、それは…まあ…」



呆れた様な子和様の言葉に店主が軽く怯えて苦笑。

“誰に”なんて言わずとも事情を知らない私でも十分察する事が出来る。



「…はぁ〜…敵いませんね

ええ、元々の売値の倍額で引き取って来ました

事情は…語らずとも其方の方が御存知かと…」


「まあ、そうだろうな…」



それは政治的な問題。

徐州等の情勢は良好だとは御世辞にも言えない。

この辺りは曹家に統治され更に良くなって行く。

だが、他は違う。

この店主は仰ぐべき主君の素晴らしさを理解しているという事だろう。

だから、判る。

他領の民の不幸が。



──side out



初めて会った時も思ったが商人としては甘い男だ。

いつぞやの旅商人もだが。



「で、本音は?」



とは言っても、この男なら単に損な交渉はしない。

だから、信頼しているし、気に入ってもいる。



「…率直に言います」



スッ…と真面目な、真剣な表情になる店主。

だが、何故だろうな。

何と無く“落ち”が見えた気がするのは。



「代金は最小限にします

ですから、私の造った酒の試飲をして頂き、御意見を御聞かせ願えればと…」


「……え?、それだけ?」



つい、という感じで反応を見せたのは仲謀。

まあ、そうだろうな。

誰が見ても、もっと重大な要求だと思う場面だ。

それこそ、曹家御用達にも成れるチャンスだし。



「そ、それだけって…

曹純様の味覚は確かですし曹操様の御噂は聞き及んでおりますので一職人として御二方に──いえ、曹純様だけでも御意見を頂ければ更に良い物を造る──」



熱弁を振るう店主を見て、仲謀が軽く引く。

まあ、職人ってのは大半がこんな感じだって。

情熱が強い分、語り出すと矢鱈と饒舌で長い。

悪気は無いんだよ。

俺も判るしさ。



「ああ、判った判った…

俺は勿論、機会が有れば、孟徳や宅の連中にも意見を訊いてやるから」


「有難う御座います」



日本人も吃驚する様な程の見事な45°の御辞儀。

…元サラリーマンとかって訳ないよな。



「じゃあ、これで…」



懐──実は“影”──から取り出した代金を渡す。

そんなに高額ではない為に一目見れば確認出来るから店主は直ぐに頷く。



「確かに頂きました」


「なに、良い買い物だ

色々と話も聞けたしな」



そう言って仲謀を見る。

急に振られて、我に返るが直ぐに笑みを浮かべる。



「ええ、私も勉強になった

礼を言おう」


「勿体無い御言葉です」



恐縮している店主。

仲謀が公式な口調で話す分仕方無いかと苦笑。

悟られはしないが。



「それに、俺個人としても興味は有るからな

お前の造る酒には

抑、お前が言わずとも俺は試飲する気だったし」


「…………………え?」


「さて、何と言うか…」


「ちょっ!?、曹純様っ!?

待って下さいっ!?」



“落ち”を着けて笑う。

男ってのは、惚れた女にはとことん弱いんだよ。




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