弐
孫権side──
彼──子和様の“御誘い”を受けて身仕度を整える為一度城内の自室へ戻る。
途中、侍女から用意された手拭いと水桶を受け取る。
鍛練の後の汗や土埃を拭う為に曹家では普通に用意がされているから助かる。
将師・文武官・兵・隠密に止まらず、侍女に対しても子和様の指導は及ぶ。
女性だからこそ気付く事や出来る事が有るのは当然。
其処に一工夫加えられるかどうかが良い侍女だとか。
子和様曰く“執事”という男性版の侍女みたいな職も有るそうだが。
ただ、其方らは成り手も、適格者も少ないらしい。
厳しさという面では侍女に成る以上だとか。
…想像出来無いわね。
また序でと言うと変だけど華琳様が“花嫁修業”には丁度良いと言われたからか侍女達の遣る気は向上し、質が良くなったと子和様も言っていた。
良質なのは私自身も普通の生活の中で実感しているし助かっている。
その分、“外”の侍女達に不満を覚えるけど。
「…本当、慣れてしまうといけないわね…」
慣れる事自体或いは全てが悪いとは言わない。
ただ、それが“当然”だと思わない事。
皆が皆、全てが全て同じ訳ではないのだから。
違っていて然り。
ただ、努力し合わせているだけなのだから。
その場所が高いだけ。
だから、低い場所で見ると物足りなくなるのだろう。
「教える事は学ぶ事、ね」
私達の将師の立場に有って指導する側も、教え方とか教える相手に因って適した手法を模索する必要が有り互いに意見交換をするし、兵達に意見を訊く事だって少なからず有る。
子和様が“基礎”だけしか指導されない理由の一つは私達将師と兵──部下との関係の構築の為だとか。
また、私達が基礎から指導していると直属にならない兵に“癖”が付くからだと言っていた。
将師の“戦い方の癖”が。
汎用・共用を主目的とする一般兵なら兎も角。
軍将直属の隊士は兵全体で見れば少ない。
何しろ、直属の隊士の数は最大千人と決まっている。
量より質だからこその必要最大数らしい。
因みに、まだどの隊も数は多くて五百程。
平均では三百程になる。
子和様の選定は厳格だから仕方無いでしょうけど。
でも、その分だけ将達との連携・統率力を高めており子和様の提唱する理想──“覇王軍”を体現出来ると私達は確信している。
勿論、現時点ではまだまだではあるけれど。
それでも“不可能”だとは誰一人思っていない。
手拭いで汗と土埃を拭くと火照った身体を冷ます様に丁度良い具合の水。
然り気無い気遣い。
素晴らしい限りだと思う。
いつもよりも丁寧に身体を吹いてしまうのは女として仕方無い事だろう。
彼の性格からして男女間の“御誘い”では無いだろう事は判っている。
それでも“二人だけで…”という部分に期待が膨らみ意識させるのだから。
本当に恋とは厄介だ。
「………どうしよう…」
身体を綺麗にして念の為に新しい下着──勝負下着と言わないのが意地──にも着替える。
赤、白、黒、薄緑の中から選ぼうと思う。
赤は大胆な意匠で全体的に布地が少ない。
過度な装飾が少ない反面、自身の魅力が勝負の鍵。
…最近、またお尻が大きくなったし…はぁ…次ね。
白は赤とは逆に装飾が多く可愛らしい。
女性同士で見ても可愛いと思う意匠だが、華琳様曰く“男女の感性は違う”との事で少々難しい。
個人的には嫌いではないが似合うか否かは…ね。
流石に少し可愛らし過ぎるかもしれない。
黒は赤と白の中間的な意匠だと言える。
江東出身者に多い褐色肌に合わせても色香が出る辺り匠の仕事よね。
ただ、細かい網の目みたいなのが気になる。
というか、これ見えるわ。
下着の意味有るのかしら。
…私も何で買ったのよ。
最後に薄緑は、意匠自体は一般的な感じ。
派手過ぎず、質素過ぎず、動き易くも有る。
普段着にも十分使えるが、唯一違うのは上下共に一部朱と白の花蝶の見事な刺繍が入っている点だ。
考えた結果、薄緑の下着に決めて身に付ける。
付けながら姿見に映る姿を見ながら、彼に私の身体が魅力的に見えるか不安にもなってしまうが…
気にしたら負けだと思う。
彼の場合、“好み”という方向性や嗜好、目安となる要因が無さ過ぎる。
髪型とか、背や胸の大きさ性格など全てが不明。
教えてくれない訳ではなく女性の好みや理想とかが、“好きになった者がそう”とか言われても…ねぇ。
「…一回り位、小さい方が良いのかしら…」
自分の胸を両手で持ち上げ鏡の前で見る。
今の一言は一部の者の前で言えば、最悪殺されるかもしれないが。
将師の中では大きい方。
紫苑・冥琳・泉里・雪那と比べるのは無意味だが。
というか、私達の大多数が一般平均より大きい。
子和様の好みが其方なら、絶望的になる。
そう考えると、可能なだけ良いのだろうと思う。
下着も付け終え、残すのは服だけとなる。
だが、大体最終的には服で悩んでしまうもの。
私も例に漏れず。
「というか、今更ながらに思い知らされるわね…」
何だかんだと言い訳をして良いのであれば、昔の私はお洒落に気を向ける余裕は微塵も無かった。
勿論、人目に対して意識を持っていなかった訳でも、興味が無かった訳でも無く単純に心に余裕が無かった事が原因だけれど。
「まあ、私が小蓮みたいに好き勝手出来るとは今でも思えないけど…」
好き勝手と言えば、姉様も大概では有ったけれどね。
私も自分の意志で決めたと言っても、端目から見れば我が儘言って孫家を離れた様にも見えるか。
「…ふふっ、二人に対して御説教も出来無いわね」
言葉とは裏腹に笑顔が溢れ心は軽い。
それも今の自分の在り方を自信を持って誇れるからに他ならない。
「──って、その在り方を左右する状況よね」
今重要な事を進めなければ後悔なんて言葉では生温い気持ちになる。
それにいつまでも下着姿のままでは要られないし。
「こんな所を見られたら………見られたら?」
他の男性に見られたのなら即座に切り殺す。
或いは目を潰す。
でも、彼に見られたのなら悪い気はしない。
寧ろ、好機ではないか。
上手くすればそのまま──
「……無いわね、絶対に」
そんな、なし崩し的に事を運べるのなら冥琳達軍師が手を拱いていない。
紫苑辺りも大人しくしては居ないだろうし。
「…取り敢えず、外出用の私服から絞らないとね」
思考を切り替えて本題へと戻して箪笥を開ける。
本拠──許昌の自室と違い数自体は少ない。
まだ此方に来て日も浅いし買い物にも出ていないのが良いのか悪いのか。
絞り易いけど、目新しくはないから悩む所。
好みは無くとも彼は目敏く女性の機微にも敏感。
気付いて欲しい事に気付き言葉をくれる。
気付いて欲しくない事には気付いても無視。
但し、揶揄う事に関しては容赦無く遣る人だけど。
「まあ…勘が良過ぎるから私達の“意図”にも簡単に気付いて躱すのよね…」
良過ぎるのも考え物よね。
ちょっと仕掛けただけでも勘付かれてしまう子和様を攻略出来るのか。
私達も単独の攻略は諦めて協力し合っている。
兎に角、“二人目”が鍵。
“一人目”の華琳様でさえ呆れてるもの。
それでも、諦める理由には絶対にならない。
そんな事を考えながらも、頭と手を動かしてどうにか三つに絞った。
一つ目は橙色を基調とした衫で、下に黒の長袖の襦を着る様になっている。
対は白の丈の短い裙。
翠の仕事着に似た感じ。
衫の下部の裾に朝顔と蔦が白色の糸で刺繍されている所が気に入っている。
裙の短さは少し恥ずかしい所なのだけど。
二つ目は淡い水色を基調に赤・青・緑の小さな花柄が鏤められた旗袍。
秋蘭の仕事着と同類。
襟元や裾等には紺色の縁。
高級料理店等の女性給仕が身に付けたのを切っ掛けに広まった物だが、曹家でも一人一着は持っている。
華琳様もだ。
三つ目は江東らしい衣装と言うと微妙だが、普段から私が着ている仕事着と同じ感じの衣装。
先程の旗袍にも似ているが江東の気候的な影響なのか私にしろ、冥琳にしろ肌の露出度が高い。
比べて見ると良く判る。
ただ自分でも不思議なのは裙の丈が短い事に対しては羞恥心が人一倍働くのに、胸元が大胆に開いていても恥ずかしいとは思い難い。
まあ、衣装に因って感覚が変わるのは仕方無い事だし私に限らず“慣れた服”に違和感や疑問は感じ無いと思うのよ。
──と、それは横に置いて決めないとね。
「何れにしようかしら…」
取り敢えず、場所は寿春で移動手段は慶閃。
それも二人乗りで。
…珍しい。
非常に珍しい事だ。
私達は最初馬車で移動し、許昌に入ってからは個別で移動している。
二人乗りしたのは華琳様を含めて少数。
滅多に無い事だ。
後ろから抱き締められて、身体を預ける事も出来る。
身長差が無いので息遣いを耳元に感じる。
慶閃の歩みに合わせて背で二人が揺られながら鼓動が静かに速くなる。
トクン、トクン、トクン…気付かれないかと内心では不安がりながら、一方では期待もしている。
手綱を握っていた両手。
スッ…と、片方の腕が私の身体を抱き寄せる。
布地越しでも背中に感じる熱は私を蕩けさせる。
伝わる彼の鼓動に導かれて私の鼓動が重なり合う。
その旋律は熱に魘され──
「……………はっ!?」
其処で我に返る。
いつの間にか自分の妄想に入り込んでいたらしい。
取り敢えず、口元と鼻だけ右手で触って確認。
…良かった。
涎も鼻血も出てない。
幸いにも、と言うべきかは悩む所だけど“実体験”が無いから妄想も半端。
小さく溜め息を吐き衣装を選んで仕度を急いだ。
──side out
厩舎に行くと慶閃は直ぐに気付いた様で顔を出した。
元々頭が良く、主人を含め人間の機微にも聡い。
視野狭窄に陥り勝ちな所の有る仲謀にとって理想的な愛馬・相棒だろう。
近付いて頭を右手で撫でてやると気持ち良さそうにし目を閉じる。
視野を無くすという事は、安全だと確信している証。
初対面の時と違って現在はしっかり信頼されていると言えるな。
その事を嬉しく思いながら閂を外して柵戸を開けると出掛ける事を理解して自ら馬装具の有る方へ向かう。
本当、良い子だね。
滞り無く作業は終了。
馬装を整える時間は五分も必要無かった。
変に戯れ付いて来たりも、テンションが上がり過ぎて落ち着かない事も無いから本当に楽だ。
まあ、まだ若い子に同様の対応を望むのは酷か。
嬉しいだけなんだしな。
中庭に移動して仲謀を待つ間は甘えて来たけど。
うん、良く判ってるよね。
で、その仲謀なんだが…
「ご、御免なさい!
遅くなってしまって…」
軽く息を乱しながら走って遣って来た仲謀。
身体的な疲労じゃなくて、精神的な焦燥感から来てる呼吸の乱れだな。
「其処まで焦る必要は無い
男を待たせるのは女性側の特権みたいな物だ」
そう言って仲謀の頭を撫で落ち着かせてやる。
ただし、此処で間違っても“女を待たせる男は最低”なんて事は言えない。
だって、自覚有るもん。
下手に言えば墓穴。
その辺は計算しないと。
「その私服、似合ってるな
髪も今日はお団子さんか」
足元にまで届く程長い髪を左右でお団子にして上げた分だけ項が覗いているのが新鮮な印象。
加えて衣装。
普段の仕事着と同系統だが色はより深い炎緋。
胸元は控え目ではあるが、臍回りは健在。
加えて、背中の方は大胆に開いてる。
スリットはより深く入って腰まで届いてる。
まあ、太股辺りまでは縫う様に糸の装飾が有るが。
目の保養か、毒か…なぁ。
「あ、ありがとう…」
はにかむ仲謀。
うん、状況が違ってたなら惹かれてたかもな。
「さて、日が暮れる前には着きたいからな
行くとするか」
仲謀に右手を差し出す。
意図を理解して照れながら右手を重ねる仲謀。
“踊って頂けますか?”的雰囲気で慶閃の背に乗せて自分も跨がり出発する。




